第5話 赤道直下戦
 夕刻のハワイが眼下に広がる。この緯度では、もう夕焼けは真っ赤だ。真紅に染まる空と赤紫色に染められたハワイの海のコントラストが、瞳の奥に焼きついていく。
 グリフィン・クロウは空中給油の真っ最中である。ハワイ基地から上がってきた給油機がグリフィン・クロウの前面に張り出すと、ズズズとノズルを伸ばし、ノズルが機体の陰に隠れると、ガコッという音がコクピットに鈍く響いた。
 グリフィン・クロウの操舵手が、フッと一息つく。これはこれで非常に難度の高い技術を要する。まさか空中給油中にオートパイロットにするわけにはいかないので、マニュアルで操作するのだが、同速同高度同距離で大型機を飛ばす技術と、給油機とタイミングを合わせて上手にノズルを給油口にあわせるための技術が必要なのだ。
 アランのような戦闘機めいた可変モビルスーツを振り回している感覚では、攻撃空母と呼ばれるこれらの機体を操縦する事はできない。大型機は大型機なりの難しさというモノがあるのだ。操舵手のパネルに「給油中」というランプが灯る。数分はこのまま直進だ。
 だが、ハワイからもたらされたのは、航行のためのジェット燃料だけではなかった。
 ハワイ基地と給油機から暗号電文が送られる。ミノフスキー粒子の影響は少なく、通信は問題ない。カタカタと通信士が暗号を解読すると、グリフィン・クロウの艦長ワグナー・レインマンに手渡した。
 ワグナーの視線が上下に動く。一通り読み終えたワグナーは、傍に立ったアランに通信用紙を手渡した。
「……すでにジャブローは落ちたそうだ。我々が出撃する一時間ほど前ぐらいにな」
「……南米のサンパウロ基地、ギアナ基地との通信も途絶えているとなっているぞ。両方とも南米の要のような重要拠点じゃないか!」
 コクピットが静まり返る。ワグナーもアランも、通信士や管制士も一枚の通信用紙を見たまま、無言になる。ただ一人、マニュアル操作中の操舵手だけが振り返りたくても振り返れないもどかしさと苦闘していた。
「……エクアドル基地が敵の攻撃を受けているとなっているな。艦長、エクアドル基地から支援要請です。ラサ部隊となってはいますが……」
「アラン。お前ならどうする? ジャブローが落ち、南米の諸基地も落ちている今、蒼の翼一隊だけが救援に向かったとて、大きな意味はなさないぞ」
 ワグナーは部下に意見を尋ねる。この艦長は、部下の意見を数多く採用する。もっとも、緊急時まで部下に頼ることはないが、こういう判断に部下の意見を取り入れていくのは、彼が今までの戦場から得た部隊統率のためのテクニックである。部下に思考させるということが、部隊を引き締めることになると知っているからである。
「元々、作戦自体はジャブロー陥落も想定されていたんだ。サンパウロ基地とギアナ基地も落とされていたのは想定外だが、エクアドルを抜かれるわけにはいかないだろう? ネオ・ジオンの部隊を北米に侵入させないためにも、エクアドル基地の支援要請に応えよう」
 アランはほとんど間を置かず、ワグナーに言った。大体、ワグナーもそう考えているだろう。
「よし。なら目標変更だな。進路変更、エクアドル基地に向かうぞ。カーク。給油が終わったら最短ルートをよろしく頼む。ニック。ハワイ基地と給油機に通信。『我らはエクアドルへ向かう。支援に感謝する』と伝えておいてくれ」
 カークと呼ばれたのが操舵手であり、ニックと呼ばれたのが通信士である。そして、管制士のシンは、また自分の持ち場であるレーダーなどのセンサーの前に腰掛けた。
「あ? 直下にモビルスーツ。味方機のようですが……」
 シンの言葉に、ワグナーが反応する。シンの優秀さは艦長であるワグナーも認めている。
「ん。今まで気が付かなかったのか?」
「ずっとこちらと重なっていたようです。例の、ハワイで拾うZなんじゃないですか?」
「そのはずだ」
 今度はアランが答え、真下を見る。すでに空中給油は終了した。給油機は緩やかに左旋回し、ハワイ基地に帰投していくだろう。そろそろ、合流するはずのZとコンタクトがあってもいい頃だ。
「どこだ?」
 ワグナーがそう言ってアランとは違う舷窓から真下を見た。眼下で、何かがきらっと太陽光を弾いた。シルエットからZプラスだと識別できる。そして、そのZプラスは一気に増速すると、グリフィン・クロウの方へと急上昇してきた。
「う? なんなんだ! あの操縦は!」
「あいつ! 着艦する気か!」
「おい! 真下のZ! バカか! その角度からアプローチは無理だ! 止めろ!」
 ワグナーがまだこちらに上昇してくるZプラスに回線を開く。一気に騒然となったコクピットとは対照的に、Zプラスからは無言が返ってきた。本気で着艦させるつもりのようだ。カークが慌てて「接近しすぎている」という意味の警告サインを送っても無駄だった。
「くっ! 甲板開けろ! Zが着艦するぞっ!」
 ワグナーが怒号を放つ。ハッチオープンのランプが点く。舷窓からZプラスの機影が消える。Zプラスは、本当にあの角度から甲板に飛び込んでしまった。
 アランが無言でコクピットから駆け出した。すでにハッチが閉じられたのか、手元のランプは消えていた。
「誰だ! あの大バカ者は!」
 ワグナーも舌打ちをしてモビルスーツデッキに向かう。ワグナーがモビルスーツデッキを見下ろせる所まで辿り着いた頃には、アランは下のデッキに降りていて、眼下からはナオの威勢のいい啖呵が飛んできた。
「ちょっとあんた! 一体なに考えてるのッ! そんな着艦で、事故が起きたらタダじゃ済まないのよッ!」
 モビルスーツデッキに繋がる甲板に、一機のZプラスが着艦してある。新鋭量産型Zプラス‐F2である。グリフィン・クロウのZプラスもほとんどがこの機種である。
 地上用可変機のテスト機としてロールアウトされたA型の後継機であり、モビルスーツ技術の向上の恩恵で量産性と性能を同時に上昇させた、Zプラスの決定版といえる機体である。まだ機体カラーは通常のA型と同じ赤とホワイト。すでに数十機生産された、その一機である。
「聞こえてるの! 聞こえているんでしょう! 中のパイロット! さっさと出てきなさい!」
 ナオは、怒ると怖い。いつものあの優しい顔をキリリと引き締め、その美しい黒髪を怒気に逆立たせる。普段とのギャップが激しく、生来の勝気と相まって、相手を完膚なきまでに叩き潰すか、完膚なきまでに叩き潰されるかしないと元には戻らない。怒らせてからでは、手が付けられたものではなかった。
「出てきなさいと言っているでしょうッ!」
 ナオのつんざくような怒声に、しぶしぶとという風にウェブライダー状態のコクピットが開いた。
「……やれやれ。そんなに怒ると、シワが増えるぜ。お嬢さん」
 コクピットから立ち上がったのは、大柄の男だ。見た目190cmをゆうに越える長身だ。体型も、おおよそモビルスーツパイロットだけをやってきたような者の身体つきではない。男はヘルメットを脱ぐ。鷲鼻と彫りの深い眉が印象的な、これも軍人然とした男だ。
「そんなことあなたに関係ないでしょう! 降りてなさい!」
「ハハハ。威勢がイイね。さて、責任者はどこだ。いるんだろう」
 男はタラップから降りると、ぶっきらぼうにそう言った。癇に障る声だ。ナオは我慢ならないと大声を張り上げようとしたが、一歩前に出たアランに制された。 「私だ。君がカイン・ミドガルド少尉だな」
 アランは、感情を押し殺したような声でそう言った。
「お! これはこれは。若い大尉殿だな。これがあの「蒼の翼」ですか」
 カインと呼ばれた男は、ヘルメットを肩に担ぐとそう言った。アランも腕組みをし、握手をする気配はない。
「大尉殿のお噂は聞かせてもらっていますよ。なんと言っても、ネオ・ジオンの掃討戦だけで八十六機のスコアをマークされたんだ。しかし、あの恐怖の「蒼の翼」が、まさかこんなに若い方でしたとは」
 カインは、これこそ慇懃無礼というような口調でそう言った。ナオは今にも自分の隊長をコケにしたこの男に飛び掛りそうだったが、アランの無言の制止にあってあからさまに歯ぎしりをした。
「さてさて。心のこもったクルー諸君の歓迎痛み入るが、オレはもう二時間ぐらいZを飛ばしててね。オレの部屋はどこだ? グリフィン級にも士官用の部屋ぐらいあるんだろう?」
「ちょっと! あんたどういう神経してるんですか! あんな着艦で事故でも起きたらどうするんですッ!」
 カケラほどの反省も見えないカインの素振りにカチンと来たナオは、アランの制止を振り切るとモビルスーツデッキ中に響く声で怒鳴った。だが、カインは人の機嫌を損ねるタイプのヘラヘラ笑いをすると、用意してたかのようなセリフでシラを切った。
「おいおい。どこ見てんのだよ、お嬢さん。どこで、誰が事故を起こしたって? オレは、見ての通り完璧に着艦してるんだがね」
「カイン少尉。できる事とする事は違うと認識してもらおうか。……艦長、どういう処分にしますか」
 今度は、アランがカインに言った。ナオとは迫力が違う。若くてもエースと呼ばれて、小隊を率いてきたアランだ。ナオならどうとでも言えたが、相手がアランだと勝手が違うのか、カインはぐうの音も出なかった。アランが、頭上のワグナーに尋ねると、ワグナーはにやにやとした表情のまま眼下のアランに言った。
「ん。任せるぞ、アラン」
「おいおい。お手柔らかに頼むぜ。大尉殿」
「そうだといいがな。よし、カイン・ミドガルド少尉には一ヶ月の減給。それから、第一小隊の二番機を務めてもらおうか。無断着艦と母艦への急速接近は、厳重処分対象だ」
「へッ。給料カットとは。優しくないですな。大尉殿は」
 カインはそう捨てゼリフを吐くと、仕官用の個室に向かった。だが、この処分に納得しないのは、カインだけではないようだ。カインがモビルスーツデッキから去っていくと、ナオがアランに突っかかった。どうやら、まだご機嫌は斜めのようである。
「待ってください、アラン隊長! なんであんな、どこの馬の骨かも分からないような奴に二番機を任せるんですか!」
 やっとカインをあしらったアランの前にナオが立ち塞がった。ナオは、カインが二番機を任せられるのが気に食わないのだ。同じ隊でその実力を良く知るリーが二番機を任されるのなら仕方がないと思うが、あのカインが二番機になるのだけは納得がいかなかった。
「言っただろう、ミカハラ少尉。全員揃ってから決定すると。それに、カイン少尉のスコアは四十二機だ。問題ないと思うがな、ミカハラ少尉。さあ! 全員持ち場に戻れ。あと四時間で戦闘空域に突入するんだぞ! メカニック、モビルスーツの整備は大丈夫なんだろうな」
 アランの声でモビルスーツデッキが息を吹き返す。メカニックの文句の声が、即座にアランに跳ね返ってきた。モビルスーツデッキにざわめきが戻り、いつものようながやがやとした雰囲気に戻っていった。
 だが、メカニックにしてはそれで平常に戻れても、モビルスーツパイロットには一大事だった。確かに撃墜数が四十二機だというのはかなりの戦績だが、今までこの隊にいたわけでもない者に二番機を任せるのは、ナオでなくても納得がいかなかった。
「なんで隊長はあんな奴なんかに!」
 そんなナオのすぐ隣に立ったヨハン中尉だけが、皆に聞こえぬようにクックッと含み笑っていた。今まで二番機を務めてきたヨハンだけに分かる厳重処罰だろう。アランの後ろをついていくのは、現世にある一つの地獄だ。
「ヨハン中尉? どうしたんです?」
「いや。ナオ少尉は二番機になりたいようだが、あれは普通はやめたほうがいいと思うぜ」
 ナオがヨハンの含み笑いに気付いてそう尋ねたが、ヨハンの返事だけではよく分からない。
「どういうことですか?」
「いや、なんでもないさ。そら、パイロット諸君は全員戻れ。ここにいてもメカニックマンの邪魔だろ。三十分後にブリーフィングを開始する。遅れるな。あの男にも連絡しとけよ」
 ナオに言及されて、ヨハンは話を濁した。パンパンと手を叩くヨハンに急き立てられたモビルスーツパイロットたちが、モビルスーツデッキから上へと駆け上がっていく。すでに太平洋の東側に来たグリフィン・クロウは、静かに、だが確実に戦場へと向かっていた。

 四半夜を耐え抜いたエクアドル基地も、ついに来るべき時が来た。赤道直下の夜明け。轟く砲声はまばらになり、ネオ・ジオンのザクWが燻る炎の中をビームマシンガン片手に踏み拉いていく。
 昨夜未明の襲撃は、ジャブロー陥落の報を受けた直後であった。エクアドル基地には、その頃までにサンパウロ基地とギアナ基地がネオ・ジオンの遊撃隊に攻略されている事実は届いてなかった。とにかく、ネオ・ジオンの第二次攻勢に警戒しようとしていた矢先だった。
 闇夜を縫って襲い掛かったネオ・ジオン軍。圧倒的な機動力を誇った新型のギャンUカスタム強襲型の前に指揮系統は寸断された。混乱は、視界の悪い闇夜と敵の圧倒的な攻撃力のために明け方になっても続き、駐留していたモビルスーツ大隊も各個に撃破されていった。
 朝日が昇り、敵の全容が頑強に抵抗していた彼らの前に曝された時、彼らは愕然とした。その戦力はモビルスーツ一個中隊にも満たなかったからである。未明から確認していた上空のザンジバラルは、たった一隻しかそこになかったのだ。
 少なくとも同等戦力の部隊による急襲だと思っていた。もしくは、若干戦力の劣る部隊が、夜戦を仕掛けてきたのだと思っていた。だが、敵の戦力は圧倒的なまでに微少だった。一個大隊を要するエクアドル基地は、その四分の一にしか満たないネオ・ジオンの遊撃隊の前に、今まさに陥落しようとしているのだ。
 例の白亜色のギャンUが、最後の一角で防衛線を繰り広げるジェガン隊の前に現れた。
 すでに、彼らには戦意は失せていた。ずっとどれほどの大部隊の攻撃だろうと思っていた彼らの認識が、今大きく突き崩されたからである。今でこそエクアドル基地の部隊も一個中隊程度でしかないが、その一個中隊に手玉に取られて部隊は壊滅したのだ。
 かといって、もはや降伏を申し出るのには遅すぎた。すでにネオ・ジオン軍側から何度か降伏勧告が為されていた。条件は一般にある降伏勧告よりも良いほどであったが、すでに指揮系統の壊滅した基地では、降伏勧告を受けるだけの人物がいなかったのだ。
「さあ! 貴様らには最期の朝日だ。よく陽の光を拝んでおくがよい!」
 αはそう嘯くと、ギャンUのビームサーベルを抜き放った。
 金色の陽光の中に輝く白亜のモビルスーツ。その輪郭は光の中に溶け込み、その物々しいフォルムをさながら微笑むを絶やさぬ天使のように見せた。
 だが、肉薄したその姿は、天使ではない。光の中で真っ白に輝くそれは、さながら戦場の死者を選り分けるヴァルキリーだ。その手に握られた一筋の剣が、その姿に見惚れていた者たちを貫く。断末魔の絶叫もモビルスーツの最期の閃光も、そこではさながら歓喜の賛美歌か天からの輝きにのようだ。
 αのギャンUが、最後の一機を斬り捨てた。爆発は起こらない。パイロットのみを失ったジェガンは大地にくずおれた。大地に振動が伝わる。儚い空虚な音が基地に広がった。あとには、火炎の燻る音だけが残っていた。
「よし、作戦終了。ザンジバラルへ! ようやく滑走路を確保した。着陸してモビルスーツ隊の補給を頼む」
 αは、ビームサーベルをシールドに収めた。今さらながらにαは思うが、ギャンのパワーはすっからかんだ。ファンネルはもうエネルギー切れで使えないし、両手甲のビームガンも反応はない。推進剤も余裕はない。
 当然といえば、当然だろう。たった一晩で連邦軍側の三つの重要拠点を制圧したのだ。移動中のザンジバラルの補給だけではままならない。エクアドル基地の攻防戦では、エネルギー切れで擱座したザクW部隊もあったほどだ。一機のみ拝領したビグ・ザムなど、もはや言うまでもない。
 ミネバの本隊がこのエクアドル基地へ到着するのは、あと半日かかる。それまで連邦軍の攻撃から基地を守らなくてはならない。この基地に残存している補給物資とザンジバラルの物資でなんとかなるとは思うが、今敵の攻撃を受けたりすれば元のモクアミになってしまう。手早く補給を済ませたい。
「わかったわ、α。着陸したらすぐに補給を開始する。とにかく、動けるザクに周辺を哨戒させておいて」
 上空を旋回していたザンジバラルが、着陸コースに侵入する。朝の光を浴びたザンジバラルの巨大な船体が、轟音を轟かせて滑走路にランディングする。その巨体がのっそりと滑走路に納まる姿は、また新しくネオ・ジオンの橋頭堡が南米に築かれた証拠であった。

「まったく。誰だよ、オレのZを蒼く塗ったのは……」
 カインは、パネルを操作して乗機を対地攻撃モードにすると、また同じ事を言った。
「蒼の翼に、蒼くないモビルスーツは入れません。嫌なら、戻ったらどうです」
 ナオが冷ややかな口調でそう言った。カインのノーマルカラーのZプラスF‐2を蒼く塗り替えるように指示したのは、もちろんナオだった。嫌がらせという意図よりも、本気で蒼くないモビルスーツを「蒼の翼」に入れる気がないのだろう。
「ヘイヘイ。郷に入っては郷に従えってわけですかい。わかりましたよ、ナオ少尉!」
 カインは不貞腐れた様子でそう言うと、ウェブライダーの両翼を揺さぶらせた。カインは、処罰通り第一小隊の二番機にいる。一番機は無論アラン。三番機がナオで四番機がリーである。出撃前には、アランはナオに随分と食いつかれたものだが。
「しかし、あの例のS型のパイロットが大尉殿だったとはね。宝の持ち腐れじゃないとイイんですがね」
 カインが言う例のS型とは、連邦軍の可変モビルスーツの技術の粋を結集した、Zプラスのエース用の機体である。性能は、量産されているF型と段違いに違う。搭載する武装こそそれほど変わらないが、機体の運動性や機動性は圧倒的に優れるし、ウェブライダー形態時の速度はマッハを余裕で超えられる。空戦能力も高い。
 だが、その優秀な機体性能と反して生産機数はたったの一機。シビアすぎる設計で、テストパイロットとして同機のテストに携わったアラン以外誰も乗れないとされたからだった。そのため、ZプラスS‐1は、ほとんどアラン専用機となっていた。
「なんて事言うんですか! アラン隊長のS型なんて、あんたなんかに乗りこなせるわけないでしょう! 口を慎みなさいっ!」
「静かにしろ、カイン、ミカハラ少尉。作戦任務中だ。全機、高度を下げろ。ミノフスキー粒子が薄い。エクアドル基地の対空レーダーに引っ掛かるな」
 アランの声に、急にナオは黙りこくる。今回の任務は、敵に制圧されたエクアドル基地への強襲である。太平洋上から侵入した第一小隊でエクアドル基地を攻撃。本来なら守備隊への支援のはずだったが、作戦開始前に基地陥落の方が入っている。ならば、勝利に油断した敵に一撃を加えておこうというのがワグナーの意図だ。
 すでに十五分前に第一小隊と分かれたグリフィン・クロウとその直援に当たる第二小隊は、パナマ方面からメキシコ湾に抜けるルートを進んでいる。第一小隊は敵基地を強襲し、そのまま北へと離脱。追っ手を振り切り母艦に合流するという作戦内容である。
 第一小隊は高度を一気に下げる。赤道直下の真っ青な海が眼下を流れていく。やはり、アラン機の挙動が一番シャープだ。もっとも、F‐2も充分鋭い挙動を示すのだが。
「へへへ。どうされたんです? ナオ少尉」
 先程から急にナオの顔が青ざめている事に目敏く気付いたカインが、また口を開いた。緊張を粉々にする声だ。
「ははぁ。ナオ少尉は、バージンってわけですか」
「な、なんて事言うんですか! せ、セクハラで訴えますよ! カイン少尉!」
 ナオは、いつもの威勢の良さも見る影を潜めて、狼狽えた口調でそう言うと、見るだけで腹立たしくなるような顔をしたカインの映像回線を切った。
「ミカハラ少尉、落ち着いてやればいい。訓練どおりだ。君なら問題ない」
 ナオは、第一小隊の中では唯一実戦経験がない。アランのモニターに映るナオは、極度の緊張のためか目を血走らせ、その表情にも落ち着きがない。冷静さと平静さは、実戦で生き延びるためになくてはならないモノだ。実際訓練の成績も優良なナオならば、その二つの感情さえ保っていれば問題ないのだ。
「ハイ。大丈夫です、アラン隊長」
 幾分落ち着きを取り戻したナオがアランにそう答えるのと前後して、四番機のリーからアランに通信が入ってきた。
「一番機へ。エクアドル基地を視認」
「視認している。二番機は私に続け。四番機は三番機から目を離すな。一撃離脱だ。決して深入りするな! 行くぞ!」
 一番機が増速する。カインももうふざけた言動は取らない。アランにも迫るような加速で、敵基地に襲い掛かる。三番機と四番機は増速しつつ左翼に転じる。アランの指示で全機の攻撃兵器の安全ロックが外される。パイロットがトリガーに指を添える。攻撃開始だ。

「あっ! 高速で接近する四機の飛行物体を確認! 第二警戒レベルです!」
 ザンジバラルのレーダーに張りついていた下士官から、緊張した声があがった。基地の施設は制圧したが、今のところの司令室はまだザンジバラルだったからである。
「第二警戒ってどういうことよ! どこ見ていたの!」
 ザンジバラルのブリッジで部隊の補給を統括していたヤナギが、レーダー士の言葉に怒りの声を上げた。エネルギー切れのモビルスーツがほとんどの今、索敵こそ最重要であると先程もヤナギが指示していたのだ。
「超低空から侵入してきた模様です! 機種はZタイプ。一個小隊による強襲のようです!」
「まったく! まだ補給中だって言うのに! 仕方ないわ、スクランブル! 動けるザクWは全部出すように! それから哨戒中のザク小隊! 西方から侵入するZを足止めしろ!」
 確かに、レーダー士の言うとおりなら仕方がない。地上付近ではミノフスキー粒子があってもなくてもレーダー波が乱れるからだ。予想以上に早い連邦軍の攻撃に悪態を付きながらヤナギが指示を飛ばしていると、ブリッジにαが駆け込んでくる。食事でもしていたようだ。
「どうした、中尉。敵襲か!」
「連邦軍の強襲よ。Zタイプが四機。どうせ一撃離脱だわ。基地もザンジバラルも動けるザクWで守らせる。問題ないわよ」
 ヤナギは、余裕たっぷりでそう答えた。だが、αは無言のままブリッジを出て行こうとする。出撃する気なのだろう。
「ちょっとα、どうする気! あなたのギャンはまだ補給中よ!」
「出撃はできるだろう。ミネバさまがご到着される前に基地をやらせるわけにはいかない。出撃する」
 ヤナギに呼び止められて振り返ったαの視線が、真っ青な空に隠れて飛来する四機の蒼いモビルスーツを捕えた。αに視線に気付いたヤナギが、窓の向こうを眺める。
「あッ!」
 もう、ヤナギの目にも西方に浮かぶ四つの光が見える。まだザクWは起動していない。おそらく、パイロットたちが機体に駆け寄っているところだろう。だが、始動まで間に合いそうにない。哨戒部隊もやっと基地の方に戻って来れた程度だ。完全に、先手を取られてしまった。
 四つの閃光が飛来し、基地に着弾する。補給中のザクWが、敵のビームを浴びて爆発する。衝撃がザンジバラルを襲い、眩い光がブリッジを包んだ。
 αが、無言でブリッジを駆け出す。確かに、αのギャンUカスタム強襲型はコンベアパイプに繋ぎとめられた状態で、補給中のようだ。αの命令で、数名の整備士たちが慌てて補給を中断しようとしている。
「補給は!」
「60%!」
「よし! 始動急いでくれ! 発進する!」
 αはコクピットに身体を放り込み、手早くパネルを操作する。ヤナギの言うように一撃離脱ならいいが、敵がその気ならかなりの被害が出てしまう。せめて、始動するまで敵が見逃してくれれば!
「ハッハハハハハ! 敵さんはお休み中じゃねえか!」
 カインの声がヘルメットに響く。コンベアパイプに巻きつかれたザクWに向かって、ビームライフルを放つ。ボケッと突っ立っているモビルスーツなど、造作もない。宇宙ではあれだけ恐怖され、たった一日で南米のほとんどを制圧する原動力となったザクWも、その例外ではない。
 亜音速で疾走した蒼の翼が、エクアドル基地を通過する。対空砲火もなかった。敵は、本当にお休み中であったのだろう。
「よし。よくやった。全機、グリフィン・クロウに帰投するぞ」
 アランは機種を北へ向けると、全機に指示した。だが、途端にカインから通信が入る。
「おいおい! 大尉殿よぉ! まさかこのまま撤収するのか!」
「一撃離脱が作戦だ」
「どこ見てやがる! 敵は補給の真っ最中だろ! 今叩かないでいつ叩くッ! 大尉殿がやらねえんってんなら、オレがやらせてもらうぜッ!」
 カインはそう叫ぶと、いきなり隊列を離れた。反転し、エクアドル基地に再度攻撃を仕掛けようとする。だが、ネオ・ジオン軍も黙っているわけではない。混乱を立て直すと、発進できた数機のザクWがカインを迎え撃った。
「カイン! あのバカは……。四番機! ミカハラ少尉を連れて戦域を離脱しろ! 私はカインを連れて戻る」
「あ! アラン隊長! 待ってください!」
 ナオの戸惑ったような言葉には答えず、一番機が急速反転する。あまりの急旋回に翼端が雲を曳いた。そして、一気に音速まで増速したアラン機は、あっという間にナオとリーの後方に流れていった。
「ああ! アラン隊長!」
 ナオは真後ろを振り返る。ナオがスティックを引き、機体を反転させようとした刹那、四番機のリーから鋭い声が入ってきた。
「ナオさん! ナオさんまで隊長の命令を無視するつもりですか!」
「こ、このままほっとけないでしょう! リー曹長! わたしはアラン隊長を援護します! リー曹長は先にグリフィン・クロウに帰投してください」
「そんな事言われて、帰るわけにいきますか! ぼくは、三番機から目を離すなとアラン隊長に厳命されているんです。ぼくはナオさんを死なせるわけにはいかないんですよ!」
 リーは怒声を上げた。滅多にそういう声を出さないリーだが、ナオも一度決心すれば頑として譲らない。その事は、リーもよく知っていた。
「だったらわたしの援護を頼みます、リー曹長! 四番機! 左旋回! アラン隊長を支援します!」
「了解! でもぼくは、ナオさんの生存を最優先させてもらいますからね!」
「それでかまいません」
 二機のZプラスF‐2が揃って左旋回する。前面に広がったエクアドル基地では、すでにネオ・ジオン軍と蒼の翼の二機の間で激しい戦闘が繰り広げられていた。
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第6話 追撃の白い矢