資料

「ペルソナウェアwith"春菜"」と「偽ペルソナウェア with "偽春菜"」の比較画像

結論

 3/23追加。
結論がわかりにくいという批判がありましたので、まず文書の最初の部分に結論をまとめます(この部分については文書の追加に応じて、変更が加えられることがあります)。それ以外の時系列に沿って記述した文書については、引用の際の無用な混乱を防ぐために、誤字以外の修正をすることはありません。
 プラエセンスの通告は法的に正当かについては、一応の正当性を有するとは思います。実際に裁判になったとしていかなる判断が下されるかは、分かりません。
 強いて今ある資料だけから事実認定してみるとしたらどうか。著作権については、修正前の「偽春菜」についてはやや黒に近いのではないかという印象を持っています。修正後の「任意」については(プラエセンスがこれについて争う意志を持っているのかどうか不明ですが仮に争ったとすれば)黒白どちらとも判断しがたいです。商標(黒衣氏が「偽ペルソナウェア」を使用しない限り問題になる余地はないのですがあえて言えば)と不正競争防止法についても黒白どちらとも判断しがたいです。
 偽春菜が著作権侵害等になるかは、当事者間に意見の合致がないので、いかなる意味においても白黒がついたわけではありません。また、白黒をつけないところに自主的紛争解決の妙味があるので、灰色のままの状態は当事者が選択した限りそれを尊重すべきと思います。
 通告をすることが社会的に相当な行為かについては、権利行使として最低限度のものであり相当と考えます。通告文書の作成には弁護士の関与があるだろうし、ビジネスレターとしても妥当なものだと考えます。
 付随的な論点について。
 公開質問状をユーザー有志が出すこと自体は、おかしなことではないと思います。ただし、質問状に返答しなかったとしても、プラエセンスの対応が社会的に見て企業に要求される対応を欠く不誠実なものである、とは考えません。
 二次的著作物について、著作権者の側に事前のガイドラインの設定を求めることには、反対です。

1/27記述

 問題の経緯については、「ペルソナウェア」名称使用問題?のまとめ(現在は消滅)やclipboardを参照してください。

 そもそもプラエセンスの主張には法的な正当性があるのでしょうか?。これは本問題を考えるうえで極めて重要です。
 プラエセンスの通告には、

本件ソフトウェアの「偽春菜」と称するキャラクターは、当社ソフトウェアの「春菜」と称するキャラクターに依拠して作成されたものであることは明らかであり、貴殿は、本件ソフトウェアにおいて、当社ソフトウェアのキャラクターを、権限なく、翻案ないし改変しています。これらの行為は、当社ソフトウェアに係る翻案権ないし同一性保持権を侵害するものであり(著作権法27条、20条1項)、本件ソフトウェアを配信する行為は、著作権侵害行為に該当するものと考えます(同法28条・23条1項)。

 とあります。
 ここで前提とするべきなのは、「偽春菜」と「春菜」が類似するかを判断するにあたって、キャラクターとして「偽春菜」を採用したバージョンの「あれ以外の何かwith"偽春菜"」を念頭に置くべきと言うことです。その後、キャラクター名及び行動が変更されましたが、通告が問題としているのはその時点でのバージョンの「あれ以外の何かwith"偽春菜"」なわけです。
 ところで、翻案権侵害の判断基準は、「原作品における表現形式上の本質的な特徴を相手方作品から直接感得することが出来るか否か」です。
 キャラクターとしての「偽春菜」と「春菜」を比較してみると、名前・容姿・言動について類似があり、「偽春菜」が「春菜」に依拠したものと判断されてもやむを得ないとも思えます。
 また、一部で名前や題名は著作権法上保護されないとの主張を読みました。しかしこれは、名前や題名のみが一致した場合の議論です。キャラクターの類似性が問題となる場合には、構成要素としての名前の類似性は当然に判断の資料となります。

 類似性の判断については、樹林事件(著作権判例百選68事件、東京地裁平成2年4月27日判時1364号95頁)、館林市壁画事件(著作権判例百選8事件、東京地裁八王子支部昭和62年9月18日判時1249号105頁)等が地裁判例ですが参考になるかと思います。
 また、最近の事例ですと、上野達弘:HOMEPAGEで紹介されいるときめきメモリアル藤崎詩織事件が参考になると思います。この判例は、著作権損害としての27万5000円(被告が侵害品を製造販売することで得た利益を損害額と推定)に加えて、同一性保持権の侵害として200万円の無形的損害を認めた点が注目に値します。

また、貴殿は、本件ホームページのURLに「haruna」の文字列をそのまま使用し、また、本件ホームページにおいて、「ペルソナウェア」及び「春菜」の表示を多数使用しています。これらの表示は、当社ソフトウェアと本件ソフトウェアとの間に誤認混同を惹起するおそれがあるのみならず、当社ソフトウェアのイメージを低下させるおそれがあり、不正競争防止法2条1項1号又は2号所定の不正競争行為に該当するものと考えます。

との主張について。
 不正競争防止法2条1項1号は、周知表示について、混同を要件として規制しています。「ペルソナウェア」及び「春菜」が周知表示であるか(これは肯定してもよいと思われます)、誤認混同を惹起するおそれがあるか(偽という言葉の意味及び本家との違いを強調する表示からは否定できるとも思えますが、判断を留保します)について要件を満たすかが問題となりますが、事実認定の問題であって、少なくともまったく不当な主張とは思えません。
 また、2条1項2号は、広義の「混同」でもカバーしきれない場合にも保護すべき法益を認めています。著名表示のイメージを悪化させる場合(ポリューション)と、著名表示のイメージを薄めてしまう場合(ダイリューション)などです。ポルノショップとして「ディズニー」という名称を使う場合や、ノーパン喫茶として「ニナリッチ」を使う場合が典型的なポリューションにあたります。なお、2条1項2号は平成5年の改正法で新設されたものです。
 したがって、混同にあたらないとしても2号で保護される余地があります。プラエセンス側も「誤認混同を惹起するおそれがあるのみならず、当社ソフトウェアのイメージを低下させるおそれがあり」と主張しています。もっともこの場合「周知」以上の「著名」性が要求されることもあり、要件を満たすのは難しいと思われます(やはり事実認定の問題です)。

翼システム株式会社は、商標「ペルソナウェア」につき、商標登録出願第2000-68753号、同第2000-107661号及び同第2000-100450号を出願済みであり(願書の写しを別にお送りします。)、本書状をもって、商標法13条の2所定の警告をいたします。

 との主張について。
 商標権は設定の登録によって発生するわけですから、登録前の商標について商標権侵害は問題になりません(不正競争防止法による保護は別論)。もっとも、出願中で登録前の商標について何ら保護が受けられないのも不都合ですから、商標法13条の2は、特許法65条と同様に、一定の要件(書面による警告・行使は登録後等)の下で補償金請求権を認めました。なお、平成11年改正で追加された条文です。
 「ペルソナウェア」と「偽ペルソナウェア」が類似するかどうかについてですが、一般的に文字商標Aと文字の結合商標ABは類似することになると言われます。もっとも結合しているABの内容にもよりけりで、最終的には「具体的取引の実状の下において取引者又は需要者が二つの商標の外観、呼称又は観念に基づく印象、記憶、連想等から両者を全体的に類似のものとして受け取るおそれがあるか否か」によって決まります。本件が類似にあたるかどうかは判断を保留しますが、使用を避けることが無難であるには違いありません。

したがって、私どもは、貴殿に対し、本件ソフトウェアの配信を直ちに中止すること、本件ホームページ上又はホームページのURLにおける「ペルソナウェア」、「春菜」、「haruna」その他これらに類似する表示の使用を直ちに中止することを要求します。

 この要求の結論部分についても評判が悪いようです。
 配信中止の要求は高圧的か?、私はそうは思いません。通告の段階で著作権等を侵害するソフトウェアであると考えている以上、プラエセンスとしては配信中止を要求するのは当然の結論です。また、著作権等を侵害しない形での変更方法を提示しろという意見もありましたが、不当な意見と言うべきでしょう。プラエセンスが権利行使にあたってかかる限定を付する必要がないのは当然として、黒衣氏の側で著作権等との抵触を回避する方策を模索することが、より自主的な紛争解決に資するでしょう。
 あらゆるホームページ上での「春菜」等の使用を禁止するものか?、まったくの誤読もいいところです。この文章だけを素直に読んでも、黒衣氏のページでの使用の中止のみを要求するものであることは明らかですし、理由部分と併せて読めば、不正競争になる態様での利用のみを禁止しようとしていることも明らかです。銃夢HN問題に引きずられたのかもしれませんが、あまりといえばあまりな誤読でしょう。
 また、メールでの通告という手段をとったことについて、権利行使との態様として行きすぎたものだとは思いません。むしろ、紳士的な態度ではないかとすら思います。企業が自分の権利を個人に侵害されたと考えた場合にとる手段としては、必要最小限のものと思います。例えば、警告もなしに刑事告訴した任天堂のポケモン同人誌事件は、権利行使の極北に位置すると思います。

 「偽春菜」を擁護するスタンスの方が多く見られますが、その求めるところがなんなのかまちまちのように思えます。プログラムとしての「あれ以外の何か」の存続でしたら、プラエセンスの要求を飲んで著作権等の侵害になる部分を回避した形での公開を続けることが出来るはずです。
 逆に、あくまで「偽春菜」としての存続を求めるのであれば、他人の権利を侵害することについてあまりに無頓着であるといわねばなるまいでしょう。表現の自由に言及する方もおられましたが、表現の自由も他の人権と同様に他者の人権との関係からくる内在的制約に服します。法が著作権等について保護を与えている以上、それを侵害する態様での言論は表現の自由としての保護を受けないと言うべきでしょう。
 「プラエセンスがユーザーの信頼を確保するのが先決だ」とか「偽春菜は本家より優れたプログラムでありうんぬん」とかの意見もありましたが、プラエセンスの知的財産権に対する侵害をなんら正当化するものではありません。

 本事件について、銃夢HN問題と対比する意見もありますが、まったく性質の異なる問題だと思います。 木城ゆきと氏らの主張はまったく法的根拠のないもので、かつ社会的に常識を欠くと見られてもしかたのない高圧的なものでした。
 これに対して、本件におけるプラエセンスの通告は、一応の法的根拠を有しますし、常識的な対応だと思います。失敗例に学ぶ法律文書の書き方講座に代表されるように通告メールの出所に疑問を持つ見解もありますが、あまりに牽強付会で到底取り得ません。本件通告メールが本職の弁護士の関与の下に慎重に練り上げられた文章であろうことは、疑う余地がないと思います。

 この問題は、黒衣氏がプログラムにプラエセンスの要求を飲んだ形での変更(名前と言動について)を加えることで解決に向かいつつあるように思えます(1/31現在)。
 プラエセンスとしては絵について追求することも不可能ではないと思われますが、この点については不問に付するように見えます。私も「あれ以外の何かwith"任意"」の一使用者として、現バージョンのキャラクターに愛着をおぼえつつあったので、この点についてはプラエセンスの英断をたたえたいと思います。
 そもそもプラエセンスの通告は権利の行使として何ら不当なものではありませんし、黒衣氏も衝突の回避を目指して譲歩しました。この成り行きは、紛争の解決としては極めて円満なものです。外部の第三者の間に、通告の内容や知的財産権法についての誤解から来る混乱した議論がありプラエセンス側に対する攻撃的な論調が高まったことは、それが「あれ以外の何かwith"任意"」に対する愛情の発露であったとしても、残念なことであったと思います。

2/6追記

 「偽春菜」と「春菜」の絵の類似性について、ツインテール春菜の画像を参照することが出来たので、具体的に検討した結果、やはり似ていると思いました。少なくとも、偽春菜の絵が春菜の絵に依拠せずに描かれたとは思いません。
 両者を比較すると、髪の色および目の色が青系統である点、髪型がツインテールであり根本に白色のリボンを付けている点、顔の両脇に髪の毛がたれている部分がある点、前髪の部分に白のハイライトを付けている点、上着が白をベースとして肩と腰の部分に黄色が配色されているものである点、スカートが青系統のものである点、両手を前で交差させて服からわずかに指先が見えている点、など特徴について共通する部分が極めて多いからです。相違点としては、赤いネクタイのようなものと、メイド服によくある白いひらひらしたものの存在がありますが、類似性を払拭するほどのものではないと感じました。
 この絵の類似性と、名前・セリフの類似性を総合的に考えると、翻案権及び同一性保持権侵害の主張は、それなりに妥当なものと思います。

 余所で目に付いた法的主張の当否について。

あれではない何か with "任意" に対するプラエセンス社からの通告についての考察(現在は消滅、ホームページ参照)について。

 翻案権侵害について論じるのであれば、翻案権侵害について何らかの判断基準を示した方がよいのではないかと思います。

「キャラクター」というのがどこまでの範囲を示すのかあいまいなので判断に苦しむが、画像の面だけで言うのであればちょっと根拠が乏しいのではないか。

 との主張について。
 私見ですが、画像の他に、名前やセリフの類似性も問題にしていると思われます。
 名前について著作権は成立しません。しかし、ソフトウェアの著作権侵害の判断にあたって、キャラクターの名前は、ソフトウェアの一部をなすキャラクターの構成要素として、判断の対象になると思います。

絵柄の類似性から見てこの図案は改変ではなくて書き下ろされた物であることが明白である。春菜を改変したものとは言えないので同一性保持権の侵害にはあたらない。

 との、主張について。
 書き下ろしであっても、要件を満たせば翻案権及び同一性保持権の侵害になります。上野達弘:HOMEPAGEで紹介されいるときめきメモリアル藤崎詩織事件(東京地判平成11年8月30日判時1696号145頁)参照。

これがもし翻案や改変であるとするならば、プラエセンス社側が、翻案・改変した部分に該当する箇所を明示しなければならないのではないだろうか。作者たる黒衣氏が、翻案ではない、改変もしていないと主張すするならばそれを覆すことができない。

 との主張について。
 翻案権侵害の判断基準は、「原作品における表現形式上の本質的な特徴を相手方作品から直接感得することが出来るか否か」です。プラエセンスは、「偽春菜」と「春菜」との間にこの要件を満たす関係があることを主張・立証すればそれで足ります。作者が翻案や改変について否認したとしても、最後は裁判官の自由心証によって決まります。

ここに絵画があるとして、それを見ながら非常に良く似たものを描いたとする。これは盗作や模倣であり、改変や翻案とは呼べない。

 との主張について。
 今ひとつ何をいいたいのか分からない主張です。絵画の模写は確かに複製ですが、無断の複製は、複製権を侵害します。現在の学説の多くは、著作者の創作的な表現の顕現と認められる部分が著作物として保護されるとした上で、右部分の利用形態(改作の程度)によって複製と翻案を区分します。なお、複製と翻案を一元的に理解すれば足りるとする説もあります。
 前述のときめきメモリアル藤崎詩織事件においても判例は、

 本件ビデオに登場する女子高校生の図柄は、本件藤崎の図柄を対比すると、その容貌、髪型、制服等において、その特徴は共通しているので、本件藤崎の図柄と実質的に同一のものであり、本件藤崎の図柄を複製ないし翻案したものと認められる。
 したがって、被告が本件ビデオを制作した行為は、本件ゲームソフトにおける本件藤崎の図柄に係る原告の著作権を侵害する。

 と、述べています。
 したがって、模倣であるから翻案権を侵害しない、との主張であれば、失当です。

先程引用したように、不正競争とは事業者間の不正な競争である。
プラエセンス社は事業者だが、ただの個人たる黒衣氏は事業者足りえるだろうか。
仮に不正な競争だったとしても、事業者と個人の不正な競争であるならばこの法律には該当しないはずだ。

 との主張について。
 ちょっと分からないのですが、個人というのは自然人という意味でしょうか。ここでいう「個人」がなぜ、「事業者」に該当しないのか説明がありません。
 「非事業者」という意味で「個人」という言葉を使っているのなら、循環論法です(黒衣氏は非事業者だから事業者にあたらない。)。

また、「あれ以外の何か」は商品ではないのでこの点からもこの法律には触れないはず。不正競争防止法違反については、まったくもって言い掛かりとしか言いようがない。

 との、主張について。
 不正競争防止法の「商品等表示」のうちの「商品」については、流通性のある有体物であると説明されます。これは、商標法における商品の定義を不正競争防止法に流用するものです。
 しかし、不正競争防止法では、商品としての表示と営業としての表示をまとめて商品等表示としており(旧法では、商品表示と営業表示を異なる条文で規定していたが、新法はこれをまとめて一つの条文として規定した。その経緯は、旧法においてもこれを分けて考察する必要性が乏しかったからであると言われています。)、商品表示なのか営業表示なのか区分するのが難しい場合もあります。
 例えば、信託会社が「中国ファンド」との金融商品を売り出している場合に、これを商品と見るならば無体物であって要件に欠けることになりますが、特定の営業主体を示すものと見ることも可能です。したがって、不正競争防止法においては商品の定義を厳格に行う必要性は乏しいことになります。
 なお、東京高裁決定平成5年12月24日(判時1505号136頁)は、漢字及び平仮名の明朝体、ゴシック体による書体について、旧不正競争防止法にいう商品に該当すると判示しており、不正競争防止法の商品に無体物が含まれるように判示しています。
 したがって、「ペルソナウェア」や「春菜」の表示を行うことは、営業表示として、不正競争防止法の問題を生じるおそれがあります。

また、著作権法の目的を参照すると

第1条(目的)
この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

とある。
個人の作成したソフトウェア、著作物を一方的に公開中止させることが文化の発展に寄与するといえるだろうか。

 との主張について。
 著作権法は、人間の知的創作活動のうちで、人間の文化的所産に対して排他的支配権を与えるものです。その目的は最終的には、右保護が文化の発達に寄与すると考えられるからです。他人の著作活動を盗用することが自由に行われたのでは、著作物を利用して得られるであろう財産的利益が無に帰するとともに、著作者として得られたであろう名誉が保たれないことになり、著作活動に対する動機付けが弱まることになります。
 したがって、プラエセンス社が、自社の知的財産権を侵害していると考えたソフトウェアの公開中止を要求することは、必ずしも著作権法の目的に反するものではありません。
 プラエセンス社の行為が権利行使として妥当かどうかは、評価の問題ですが、私は、必要最小限の行為として妥当と考えています。

2/12追記

 公開中止を求めた通告に対して、黒衣氏は「公開停止」を選択しました(2/1)。これを受けて、プラエセンスは「知的財産権侵害ならびに不正競争行為が解消された判断」とのコメントを発表しました(2/7)。これで、当事者間では、紛争は一応の解決をみたことになります。

 「停止」は「中止」と異なって、「再開」がありえるニュアンスですが、雑誌の「休刊」のように実際には再開が望めない状態で使われることも間々あります。「あれ以外の何かwith"任意"」が、あるいは形を変えた形で、再び公開されるかどうかは、黒衣氏以外にはわかりません。
 問題点を修正したプログラムを公開することは、プラエセンスもMLでの発言で述べているように、何ら問題がないと思われます。もっとも、そもそもプログラムを公開するか否かは作成者の自由ですから、公開されないとしてもやむを得ません、残念ですが。

 通告の法的根拠について、
A:まったく根拠がない(法律構成が誤っているか、一見明白に主張する法律効果の要件を満たさない)。
B:一応の根拠はある(事実認定しだい)。
 B1:要件を満たさないと思う。
 B2:要件を満たすかどうか分からない。
 B3:要件を満たすと思う。
C:完全に正しい(一見明白に要件を満たす)。
の5つの考え方に分類してみたときに、私の考えはB2にあたります。
 Aの立場が非常に有力なように思えましたので、それに対する反論という形で、少なくともBにはあたる、と力説することになりました。私の文書における類似性についての考察も、AではなくBという程度のもので、B3ですらありません。
 「それなりに妥当なものと思う」とか「一応の法的根拠を有する」とかいった表現で、私の立場はB2であると言いたかったのですが、結論としてB3のように見えたとしたら、言葉が足りなかったかもしれません。
 「表現の自由〜」や「そもそもユーザーサポート〜」等の抗弁は、知的財産権侵害にあたると仮定した上で通告の主張を理由なからしめる仮定抗弁と解釈しましたので、それに反対するのに必要な限度で知的財産権侵害にあたると仮定しました。この部分も知的財産権侵害にあたることを当然の前提とした議論ではありません、念のため。
 今のところCの立場でのまとまった意見は見かけませんでしたが、要件を満たさない可能性もないではないと思いますので、もしあったとすればこれに対しても反論していくことになるでしょう。
 B1からB3までの意見はよく見ますが、微妙なケースですので、事実認定について意見が分かれるのも当然です。ただ、この点については、当事者間で紛争が一応の決着を見ていることから、第三者間で要件を満たすかどうか議論することについては、私は、あまり興味を引かれていません。
 両当事者の主張・立証もない状態で、限られた証拠から、私が何らかの事実認定らしきことをしたとしても、あまり意味があるとも思えませんし。

 私の関心は、通告に一応の根拠があることを前提とした上で、あの程度の通告が社会的に相当な行為か否か、というところにあります。

 プラエセンス社の主張は法的に一応の正当性を有するし、メールでかかる通告をなすことは社会的にも相当な行為である、というのが私の認識です。
 逆に言えば、プラエセンス社の権利行使の態様として、これより穏やかなものがあり得たか、疑問なのです。プラエセンス社が「偽春菜」に看過しがたい問題があると考えた場合に、それを作者に伝える方法として、あの通告は必要最小限度のものだと思います。メールでの通告を経ずにダイレクトに訴訟を提起したなら、それはやはり行き過ぎだと思いますが。
 法的なタームが厳めしさを感じさせるという指摘が多かったのですが、精緻な定義を持った紛争解決のための言語である法律用語を使用して自分の意思を伝達することは、誤解の余地を少なくするという意味で、自主的な紛争解決のたたき台としても極めて有効だと、私は考えています。
 また、ソフトウェアの修正を要求する行為より、問題があると考えたソフトウェアの公開停止を要求する行為の方が、妥当であると、私は考えています。
 これに対して、問題がないようにソフトウェアを修正するか、公開を停止するか、(あるいは問題がないと主張して公開を続けるか)、の選択肢が要求を受けた側にゆだねられるからです。これはまさに、お互いの主張を前提として、自主的な紛争解決を模索することに繋がると思います。

 プラエセンスの行為は、日本における常識を逸脱したものである、との主張がありました。
 確かに、紛争解決において訴訟は最終的な手段です。民事訴訟は、紛争の公権的・終局的解決であり、そのために慎重な手続が要求され、時間・労力・金銭等のコストは多大なものとなります。
 しかし、 プラエセンスは一連の法的主張に加えて、「上記期間内にご回答なき場合は、当社としても、断固たる措置を採用せざるを得ませんので、ご承知置き下さい。」と末尾に加えたにすぎないわけで、不意打ち的な訴訟提起(この中には社会的に相当とはいいがたいものが多々あることは私も感じます)と同列に扱うのは、酷ではないかと思いました。

 私自身社会で働いた経験があるわけではないのですが、通告に見られる程度の表現は、ビジネスレターとして一般的なものではないのでしょうか。
 私は、本件の通告は「話し合い」における最初の一声だと思っていますし、「断固たる措置」については「入れておかないと文章がしまらない」ぐらいの認識です。

2/24追記

 2/23から24にかけて、沢渡みかげ氏のIRCチャンネルに行って来ました。私が参加していた間のログ(131KB)。長いテキストファイルなので、ブラウザよりエディタ等の方が読みやすいと思います。

 一応補足しておくと、氏名不詳の人物にWebページ上で不法行為をされた場合に、直接民事訴訟を提起することはできません(訂正)。
 とり得るオプションとしては、被疑者不詳のまま告訴して捜査機関にまかせるというのが一つ。
 あくまで民事ベースで行くなら、プロバイダに対して訴訟を提起して、その訴訟において現実の加害者が訴訟に参加することで複数当事者訴訟となる(あるいは現実の加害者が判明した時点でプロバイダに対する訴えを取り下げる)という手段をとるのではないかと思います。
 ただ、これだとプロバイダが外国の法人であった場合に、渉外事件となってしまうわけです。紛争の実体が内国人間の紛争であること考えると、あまりいい選択肢ではないような気もします。

2/25追記

 2/19ごろから黒衣氏のページであるFinite Laboratory Rootが繋がらなくなりました。
 もっともその後、復活に向けた動きがあるとの情報も流れています。

 私の認識を確認しておきますが、黒衣氏の選択した公開停止およびプラエセンスの発表した「あれ以外の何か with "偽春菜"」作者殿に対する通告の件についての当社の見解 によっても、紛争は本質的な決着をみていないと考えています。
 通告におけるプラエセンスの主張は「公開中止」であり、黒衣氏のとった行動は「公開停止」ですから、必ずしもプラエセンスの請求を黒衣氏が認容したことにはなりません。
 当初の通告に対して、黒衣氏の側から考えられる本質的な決着に向けられたアプローチとしては、
プログラムの公開を中止する。
ソフトウェアを修正して、問題があるかプラエセンスに質問する。
問題がないと主張して公開を続ける。
の3つがあり得たわけです。
 公開停止は公開中止と異なりますから、再び公開されれば一時的に停止していた紛争が復活することになるが原則です。もっともプログラムが修正された形で復活して、プラエセンスがそのプログラムが問題ないと判断したならば、事実上紛争は終息することになるでしょう。
 私の認識によると、現状でボールを握っているのは、黒衣氏の側です。
 仮に公開再開がなく、公開停止という状態が事実上継続することによって、実質的に公開中止と変わらない結果になったとしたら、それもまた黒衣氏が選択した手段です。

 ちなみに、黒衣氏は、プラエセンスの主張を全面的に認めたわけではないが摩擦を避けるために公開停止を選択した、とも述べているわけですから、当事者間においても知的財産権侵害行為があったかについて一致した認識があるわけではありません。
 したがって、本件紛争において、偽春菜がプラエセンスの知的財産権侵害に当たるか否かについては、いかなる意味でも黒白がつかず、グレーのままです。
 もっとも、私は法的論点について白黒がつかないまま紛争が終息したことについて、特によくないことだとは考えていません。当事者が灰色の解決に納得しているとしたら(自主的な紛争解決というものは、たいてい法的に白黒をつけないところに妙味があります)、それについて第三者が白黒つけろと言うことは、原則として妥当ではありません。
 確かに、当事者間で法的主張が応酬され、場合によってはそれに司法が決着を下すことによって、ある問題についての貴重な先例が生まれることになります。しかし、それを手に入れるためには当事者が多大なコストを必要とする、ということも忘れるわけにはいかないのです。

 二次的著作物の作成について、著作権者の側がガイドラインをもうけるべきとする見解があります。これによって、二次的著作物の作成者は自分たちの行為が許されるかどうかを事前に判断することができるようになるわけです。
 しかし、私はこれには疑問を持っています。なぜなら、事前にガイドラインをもうけるとすれば、そのガイドラインに沿った表現は原則として許されると言うことになりますので、著作権者としてはかなり厳しいラインを設定せざるを得ません。すると、今まで問題なくできていた表現行為が、ガイドラインに抵触する表現となってしまうことになります。
 これまで、いわゆる「同人」的なものは、著作権者が著作権を主張すれば同人側が敗訴するであろうことを前提として、いわば暗黙の紳士協定のようなものによってバランスをとってきました。同人作家でもない私の認識が正しいものかどうか分かりませんが、私の認識はこんな感じです。

 業界で自主的に形成され共有されているある種の規範を守って(あるいはあえてそれを踏み越えて)表現をし、それに対して事後的に警告をする。この形の方が、表現の幅が結果として広がることは、間違えないと思います。
 もちろんこれは、表現者にリスクを強いる行為ではあります。ただ、表現者の方々にはそのリスクを背負った上で表現することを、是非とも選択してもらいたいと思うのです。
 任天堂がポケモン同人誌の作者を警告なしに告訴した事例をのぞいて、個人が創作性のある二次的著作物を商業ベースでなく作成した場合に、警告なしで告訴または訴訟を提起したという話は聞いたことがありません。
 あくまで、私のバランス感覚ですが、著作権者は告訴や訴訟提起をする前に、原則として同人作家の側に警告なり通告なりを行うべきだと思います。
 ポケモン同人誌事件 任天堂のコメントを読むと、警告が届くかどうかの確証がないことが告訴の理由の一つとしてあがっています。確かに、警告を送ることができなければ、著作権者としては告訴して捜査機関に作者の探索をまかせることもやむを得ないとも思えます。
 同人作家の側も著作権者が問題と考えた場合にきちんと連絡が取れることを示すために、奥付に責任ある連絡先等を示すことによってリスクを軽減できるのかもしれません。
 特に、「著作権者の方が問題があると考えられた場合には〜までご一報ください」と書いてある同人誌について、警告なしに告訴したとしたら、社会的な反響はきわめて大きいでしょう。

「失敗例に学ぶ法律文書の書き方講座」について。

 かなり初期の段階から公開されていた文章で、「純粋に法律文書として見た際の問題点を指摘した」と称しているものです。
 明らかにおかしな文章ですので、まさかこれを読んで納得する人はいないだろうと思って放置しておいたのですが、体系的に批判されることも少なく、法的分析としてまかり通っているようなので、一応これについてもコメントをしておきます。
 細かな揚げ足取り(にすらなっていないものが多いですが)は無視して、いくらかでも法的に意味を持ちそうな部分についてコメントします。

 失礼ですが、誰ですか、その人?
 商法、民事訴訟法、弁護士法、司法書士法により、法律行為の代理は、会社の代表者のほか、支配人(商法に規定)か弁護士と、極めて限定されています。業として法律行為を行った場合、弁護士法違反、業として法律文書を作成した場合司法書士法違反で、刑事罰の可能性もあります。だからサラ金会社の「法務担当者」は最低限、司法書士です。
 その人が司法書士・弁護士でなく、支配人でもないとすると、その人に返答しても、その人法廷に訴訟代理人として出てこられません(民事訴訟法による。例外は簡易裁判所で許可を得た場合のみ)ので、証人にしかなれませんが、それでいいんですか?。

 との主張について。
 本件通告は単なるeメールであって、そもそも法律行為ではありません。法律行為とは一定の法律効果を発生させる行為ですが、本件通告によっていかなる法律効果も発生しません。

 蛇足ですが、権利の主張自体は合法的内容であっても、「権利を実行する意思がないのに、権利の実行に名をかりておどかしたときは、脅迫罪が成立する」と、植松正監修『口語六法全書刑法』にやさしく書いてありますから、一読されてはいかが?
 これは判例・学説一致していて(刑法では比較的珍しいです。放火罪などは主要学説だけで3説あるくらいですから)、判例も古くから固まっています(大審院判決大正3.12.1)。いわゆる「村八分」、共同絶交の告知でさえ、「名誉に対する害悪の告知」とした判例(大審院判決昭和9.3.5)があります。

 について。必ずしも本件通告が脅迫罪にあたると言っているわけではないですが、この文書の流れだとそうとられても無理はないでしょう。現に、これを読んだとおぼしき人が、脅迫にあたると言い立てる場面がみられました。
 本件通告が脅迫罪にあたらないことは明らかです。それはもう、事実認定云々ではなく、一見明白に脅迫罪にあたりません。分析的に言えば、権利行使として違法性を阻却するか、そもそも構成要件に該当しません。
 実質的に考えれば分かると思うのですが、これが犯罪であるとすれば、およそ権利の行使というものは不可能になってしまうでしょう。

 ただ、それ以前の問題として、メールでどうにかなる、という発想が、あまりにも貧困ですね。証拠、という問題を考えないで法律という鋭い刃物をもてあそんでいると、いつか自分の手に刺さるでしょう。
 逆に言えば、争いが最初からないと信頼できる間柄なら、契約も法律もいらないわけです。これ、円満な夫婦を見てるとつくづく思いますね。契約だ法律だ、と持ち出してきたら、それはもう円満じゃないわけで、そのときに証拠という武器を持たずに素手で出て行くのは、ほとんど自殺行為です。
 その点で、契約を作るときには、あらかじめ「こういうトラブルがあるな」と予測して作る必要がありますし、まして喧嘩売るときは「勝てる材料を揃えて奇襲」でないといけません。
 このメールの最大の問題点は、こういう主張をする手段にメールを選んでしまった、そのこと自体にあるように思えます。つまり、「メールで書く」と決めた瞬間にアウトになってるわけで、そういう貧困な脳だからこういう文章しか出てこない、というのはある面納得できる筋道ですね。

 これは通告の法的正当性について分析しているのではなく、訴訟を前提とした場合に通告が事実上いかなる意味を持つかについての分析です。
 この文章を素直に読めば分かると思うのですが、要約すると、「通告などせずに十分な証拠収集をしていきなり裁判を起こすべきでありプラエセンスのやり方は生ぬるい。」ということになります。
 相手を裁判でたたきつぶそうという目的を勝手に仮定して、それを達成する上で不十分だと断じているわけです。これを読んで納得する方がいるとは、私にはどうしても理解できません。
 訴訟を提起せずに当事者間の話し合いで紛争を解決できれば、無駄なコストをかけずに紛争を解決できるでしょう。裁判にどれだけのコストが、金銭的にも労力的にも心理的にも社会的にもかかるかは、みなさんもご存じの通りです。
 特に、本件問題は妥協の余地のないものではなく、当事者の歩み寄りで妥当な解決点を見いだすことが可能な問題と考えられます。本件についてプラエセンスが通告抜きに一方的に訴訟を提起したとしたら、それはいかなる意味でも不当な行為で強く非難されてしかるべきでしょう。
 この文章は、プラエセンスがそうするべきだったといっているわけです。納得いきますか?。

 どこぞの団体で最高法務責任者をしている方の書かれた文章だそうですが、法律家の書かれた文章ではあり得ないでしょう。この文章の作者がリーガルマインドの持ち主だとは、私にはとうてい思えません。この文書を法律家に見せたとしたら、100人中100人が、この文書の作者にはリーガルマインドか感じられない、と考えるだろうとも思います。

3/2追記

 みかげ氏らの相談した弁護士の方の意見について。

 pws-debate-ml[pws-debate-ml:00235] 偽に付いての違法性を弁護士の方に伺ってきました。任意@あれ以外の何か「公開質問状を出してみよう」他の507のことです。
 弁護士の方と相談して、相談者が理解したところをまとめたという形ですので、弁護士の意見としては、伝聞が一回はいります。弁護士の方に直接文書を書いてもらうか、相談者でまとめたものを読んでもらって相違ないか確認するなどの方法で、正確性を担保していただけるとより確実です。別に相談者の方の理解力を信頼していないというわけではなく、知覚・記憶・叙述の各段階で誤りが混入するおそれがあるという一般論ですが。
 さて、弁護士さんの意見ですが、変更前の「偽春菜」についてはグレー、変更後の「任意」についてはグレーだが白と思う、と理解しました。訴訟を提起したとしても不当ではないとの意見は、プラエセンスの主張が争いのあるレベルまでは持っていけることを前提としているように見えましたので。
 私がこの文章で検討しているのは、原則として変更前の「偽春菜」についてです。これがグレーな点については、意見を同じくします。
 もっとも、変更前の「偽春菜」が違法性を持った場合に、名前とセリフのみを変更した「任意」が完全に違法性を払拭したものになるかについては、やや疑問を持っています。あるソフトウェアが違法と評価される状態で公開されシェアを獲得した後に、それを部分的に修正したプログラムの公開を続けた場合には、修正後のプログラムを単体で見たときに違法かどうかとは、違う考慮が必要なのではないかと思うからです。
 つまり、abcの要素からなるソフトウェアがあり、総合的に判断してABCからなるソフトウェアの著作権侵害等に当たるとされた場合を考えまして。このプログラムがabdと修正された場合に、abd単体ではABCに対して違法性を持たないとしても、abcを媒介として、ABCに対して違法性を持つことがないとはいえないのではないかと思うからです。
 もっとも、そういった点も考慮しても変更後の「任意」については白、と考える人がいたとしても、それはそれで納得のいく意見だと思います。
 私はこの点について自信がもてないので、変更後の「任意」についても、黒白判断しがたいという結論を維持します。

 ところで、黒衣氏の公開停止後の行動については、

という三つの解釈が、代表的な意見として考えられると思います。
 私は、黒衣氏の以前の言動などから、モチベーションをなくしすっぱり手を引いた(ある意味粋な行動かもしれません)or捲土重来を期して虎視眈々、の可能性が高いと考えています。
 ところで本件通告の社会的評価として、企業の個人に対するテロ行為、著作権侵害について白黒つかない段階でも法的手段の陰に怯えた個人は企業からの要求をのまざるを得なくなるという悪しき先例である、といった説、反プラエセンスを掲げる方の間では通説として支持されているとも思える説があります。この説は黒衣氏の行動について、納得のいかないまま法的手段の陰に怯えて渋々公開を取りやめた、と解釈することを前提にしていると思われます。黒衣氏の行動がそれ以外であるとすれば、企業からの法的手段を背景とした通告に対しても個人は対等に渡り合うことができるという先例、と理解すればいいわけですから。
 しかしこれは、黒衣氏を悪し様にいう心ない人間の、いわゆる黒衣ビクビク説の裏返しに他ならないと思います。黒衣氏が「逃げた」と理解することが、黒衣氏の創作姿勢と相容れるものかについて、疑問があります。
 私は、黒衣氏の行動は(モチベーションをなくしたにしろ再開を期しているにしろ)、その創作姿勢の発露として積極的な意義のある行為ではないか、と思うのです。

 なぜ当事者間で一応の解決を見た紛争について第三者が事実認定をしようとすることに否定的なのか、という疑問に答えて。
 裁判における判断というものは、当事者が口頭弁論において主張立証をくり返し、それを中立の存在である裁判所が公平な立場で判断することによって、成立します。ところが本件では当事者の主張・立証もなく、法に精通し公平な立場から判断を下す裁判所も存在しませんので、第三者間で議論して出しうる結論には自ずから限界があります。
 第三者間でより裁判における事実認定に近い結論を導くためには、様々な立場の人(知的財産権法に詳しい弁護士、特にリベラルな発想の方から大企業の顧問弁護士をされているような方まで幅広く・裁判官……は無理かもしれませんから裁判官経験者(なるべくなら知財部にいた方)・知的財産権を専門とする学者・アメリカにおける実務に精通された法律家・官僚・学生・ソフトメーカーの経営者・プログラマ・フリーソフトの作者・同人作家等パロディという表現にたずさわる人・一般聴衆などなど)からなる公開討論会をすることが、有効な手段なのではないかと思います。

 私は今回の問題に関わることで、陪審制、特にアメリカのような民事事件における陪審の一発事実認定について、深刻な不信感を持つに至りました(議論の参加者がサンプルとして不適当であろう点を割り引いたとしても)。あるいは、予断・偏見がいかに判断を誤らせるか、についての実感を得ることができました。

3/23追記

あ(略)についての補足について(現在は消滅、ホームページ参照)。

この場合、日本の慣行からして、いきなり裁判に訴えるのは横暴だと考えます。
中略
アメリカのように、まず起訴してから話し合いを始めるという流れにはなっていないのです。
今回のプラエセンス社の対応のように、話し合いの席に付く前の段階から、裁判のような「最終手段」を示唆するというのはあまりにも非常識で、誉められたやり方とは思えません。国家間の紛争でいきなり核兵器のような最終手段を持ち出すような行為に相当します。

 との主張について。
 もちろん、プラエセンスは「いきなり裁判に訴える」ことはせずに、事前に通告を送りました。訴訟提起があり得ることを示唆する通告を送ることと、いきなり裁判に訴えること、を同列に扱っているあたりが気になります。

ですから、一手目から法的手段を示唆するというのは日本の社会においては理由が認められるものとは思えません。
たとえば交通事故に遭った時、被害者側が加害者に向かって「てめぇどこ見て運転してんだ、ぶっ殺すぞコラァッ!」などと口走ってしまうと脅迫罪です。先に手を出したのが(ぶつかってきたのが)加害者の側だとしても「殺す」といった直接的な脅迫はいけません。もっとも、この場合は情状酌量の余地があるとは思いますが。
このような交通事故においても裁判によって紛争解決、という事例は極めてまれで大抵は当事者間による示談、和解によって解決します。
裁判所による法的解決、というのは交通事故でも滅多に適用されることのない、最後の手段なのです。

 との主張について。
 「てめぇどこ見て運転してんだ、ぶっ殺すぞコラァッ!」などと口走しることは、法的手段を示唆すること、にあたりません。
 民事訴訟によって解決されるのが紛争のごく一部であることは確かですが、交渉するにあたって、当初から訴訟提起や告訴を示唆することは、一般的に行われます。
 「一手目から法的手段を示唆するというのは日本の社会においては理由が認められるものとは思えません」という認識は、ちょっと小児的です。

この法律は、あくまでも事業者間の公正な競争を確保するためのものです。
ですからどちらかが事業者足りえない場合には原則としてこの法律は適用されません。

 との主張について。
 不正競争防止法において、被害者側には、差止請求又は損害賠償請求にあたって「営業上の利益」の侵害等が要件とされます。しかし、侵害者側が「事業者」にあたるかを問題にする見解はありません。
 実質的に考えても、侵害者側が営利であれ非営利であれ、特にポリューションの事例においては、被害者側に保護すべき法益があると思われます。また、混同やダイリューションの事例においても、侵害者の主体の問題は、侵害行為が不正競争にあたるかの問題に解消されます。
 ちなみに、「営業」について、営利企業と非営利企業を区別することなく、取引社会における事業活動であれば、「営業」の要件を満足するとするのが、学説の大勢です。近時の判例では、少林寺拳法連盟事件(大阪地裁昭和55年3月18日判決)・都山流尺八協会事件(大阪高裁昭和54年8月29日決定)などが、非営利団体について営業性を肯定しています。
 したがって、仮に「偽春菜」が被害者の側であったとしても、「営業」の要件を満たす可能性があります(不正競争防止法によって保護を受けることができることになる)。

また、混同を生じさせる行為というのは、「混同を生じさせることを目的とする行為」のことです。黒衣氏は、混同を避けるために「偽」という文字を付けたと主張しているのですから、この事からも適用範囲外と考えます。

 との主張について。
 混同を生じさせる行為は、目的に関係なく結果として混同のおそれがある行為です。当事者がなんと主張しようとも、結果として混同のおそれがあれば要件を満たします。

キャラクターの著作権を侵害しているという主張なのですから、キャラクターの配布を中止するよう要求するのが正当な要求です。
キャラクターの著作権侵害を根拠に別のソフトウェアについて配布中止を要求するのは正当な主張とはとても思えません。
つまり、不正競争防止法や商標権を根拠として「あれ以外の何か」の配布中止を要求するには理由がありません。

 キャラクターが著作権等を侵害するおそれがあれば、それを使用したソフトウェアの配布中止を要求することは正当です。
 プラエセンスが配布中止を要請したのは、偽ペルソナウェア「あれ以外の何か with "偽春菜"」という一つのプログラムです。それを分割するかどうかは、通告を受けた側が考えるべきことです。

パロディであれ、その表現の自由は認められるべきです。
それを断固たる措置を採用することによって侵害しようとすることは

刑法
(脅迫)第二百二十二条
生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。

に該当するかもしれません。

 との主張について。
 何度も言ってますが、あの程度の通告を送ることは、絶対に脅迫罪に該当しません。権利行使として違法性を阻却する以前に、そもそも構成要件該当性が認められません。
 常識的に考えれば分かると思いますが、これが脅迫になるとしたら、およそ権利行使というものが不可能になります。
 このように明らかに非常識な主張をもって「偽春菜」を擁護することは、「偽春菜」ユーザー全体に対する世間の目を冷たくするので、できればやめていただきたいものです(こんなことを口走った瞬間に、常識人から冷笑されます)。

つまり、財産権などと人権が矛盾する場合、その時には常に人権が優先されます。むしろ、優先されなければなりません。
つまり、一企業の商標権と、国民の人権が衝突した場合には人権が優先されなければなりません。

 との主張について。
 憲法の解釈を全く誤った主張です。いうまでもないですが、財産権(29条)も人権の一つです。財産権を保護するために表現の自由のような精神的自由を制限する場合には、慎重な審査基準が求められますが、財産権の保護が無視されるわけではありません。
 企業の商標権を無視した表現が無条件に許されるということは、ありません(商標を保護した意味がなくなります)。

盗作は問題外(何も新たに表現しているものが無いのですから)ですが、パロディによるものであっても表現の自由は保護しなければなりません。
このような表現の自由を失うことが公共の福祉に寄与するでしょうか。

 との主張について。
 パロディであることによって、当然に違法性が阻却されることはありません。
 著作権侵害になるパロディとしての表現は、表現の自由としての保護の範囲外にあります。
 ちなみに公共の福祉とは、人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理であり、全ての人権に論理必然的に内在しています。したがって、プラエセンスの著作権等の保護のために黒衣氏の表現が制約されるとしたら、それはまさに公共の福祉のあらわれです。

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