不定期こらむ

スポーツ中継に対する私見。

 昨今、テレビ放送におけるスポーツ中継のバラエティ化がはなはだしく苦々しく思われておられている方も多いことと思います。オリンピックやサッカーワールドカップなどの世界規模となる大会になれば、必ずといっていいほど現場会場とスタジオとの二元中継となり、スタジオには司会者と芸能タレントが居並び視聴者に ”さあ、皆さん一緒に感動しましょう”的番組ばかりで大いに興ざめてしまう。「僕は静かに見たいんだ!」「放って置いてくれ!」と思う。それに、専門家ではない人のコメントを延々と流して何のメリットがあるというのだろうか?

 実況のアナウンサーについてもそうだ。絶叫にも似たただただ大声で叫んでいるもの、やたらと修飾語を並べて意味なく盛り上げようとするもの。的確な表現方法を用いずに実況を行うものの多いこと。こういった最近の風潮を危惧されているベテランのアナウンサーがいるにもかかわらずいっこうに減少する気配が見られない。

 修飾語が多い名アナウンサーとして有名な元関西テレビの杉本氏と元朝日放送の植草氏の両氏が、著書(「あなたの、わたしの夢が走ってます。」「青い空 白い雲」)の中で同じように昨今の風潮を憂いておられたのは大変興味が持たれた。両氏は共にこれらのことは、自分たちに責任の一端があるのかもしれないと反省し。しかしながら、それ故に実況が画一的になり無意味な盛り上げ方に対する警鐘を鳴らされていた。また、テレビ放送にはテレビ放送の、ラジオ放送にはラジオ放送の実況の仕方があると述べらていた。これは、ラジオでは聴視者が状況を把握するにはアナウンサーによる情報しか手段がないのに対し、テレビでは映像画面により視聴者自身が状況を把握しアナウンサーが補足的なコメントを発した方が視聴者にとってはより分かりやすい放送になる。ともすれば喋り続けることにより場面によってはダラダラとした印象を受けることがあり、喋らないこと場内の音声のみを放送することにより一層の臨場感と興奮を伝えることが出来ると述べられている。

不定期コラムに対するご意見・ご感想お待ちしてます!!


TOP  BACK