ゲルニカを忘れないで
加藤尚武
001年9月24日

テロリズム攻撃のもっとも憎むべき点は、それが無差別殺人であるということであ
る。そのビルで働く市民、その飛行機に乗り合わせた市民がすべて無差別に殺害さ
れたということである。

テロリストが拷問をしたときテロリストに拷問をする、テロリストが生物兵器を用
いたときテロリストに生物兵器を用いる、加害者に被害者と同じ苦しみを与えるの
であるから、これは報復である。報復であるが正義ではない。拷問は不正である」、
生物兵器の使用は不正である」という加害者と被害者に共通して適用される原則が
守られていないからである。

テロリストが無差別殺人をしたとき、空爆によって、テロリストを客人として扱う
タリバンの支配下にあるアフガニスタン国民を無差別殺人に処する。これは報復で
もないし正義でもない。「報復」でないのは、アフガニスタン国民は加害者ではな
いからである。「正義」でないのは、「無差別殺人は不正である」という共通の原
則が守られていないからである。

1
スペインの町ゲルニカGuernicaにフランコ将軍の側にたったドイツ飛行機による無
差別爆撃が行われたとき(1937)、世界中が憤激し、ピカソが大作ゲルニカを発表し
た。アメリカ大統領フーバーは「非戦闘員の殺傷が不正であること」を再確認する書
簡を発表した。

2
しかし、アメリカが第二次世界大戦に参戦(1941)し、日本に対する空爆が有効な手
段と見なされる段階になると「非戦闘員の殺傷が不正であること」という原則は事
実上無視された。しかし「現存する戦闘行為を停止させる不可欠の手段」として正
当化された。原爆の投下、ベトナムでの空爆、湾岸戦争での空爆、ユーゴスラビア
内戦での空爆は、いずれも「現存する戦闘行為を停止させる不可欠の手段」として
正当化された。

3
 もしもテロリスト攻撃への報復という理由でアフガニスタンで空爆がなされると
したら、もはや「現存する戦闘行為を停止させる不可欠の手段」という意味を持つ
ことはない。「テロリストの次の攻撃に先手をうつ先制攻撃」として空爆が行われ
ることになる。湾岸戦争での空爆、ユーゴスラビア内戦での空爆が、たとえ正当化
されたとしても、同じ理由で正当化することのできない、空爆の新しい適用事例と
なる。

テロリズムの無差別殺人を憎むものが、空爆という先制攻撃をアフガニスタン国民
に行うならば、無差別殺人という同じ罪を犯すことになる。世界はゲルニカの時代
に逆流するのだろうか。ピカソの作品が訴えていたものが「非戦闘員の殺傷が不正
であること」であったことを世界中が忘れようとしている。

(9月24日、転載自由)

加藤尚武
鳥取環境大学学長、日本哲学会委員長
(かとう ひさたけ )

KATO Hisatake <kato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat May 13 01:53:48 JST 2000