特攻作戦


特攻隊員の真実 特攻隊とヨシノリ 特攻隊員の遺書
自由主義史観系
特攻隊員の真実

元神風特別攻撃隊古鷹隊・海軍少尉 信太正道

 小林よしのりのコミック『戦争論』(新ゴーマニズム宣言スペシャル)がたいへ
ん売れているようです。その中で彼は、「戦争の中で愛と勇気が試され/自己犠牲
の感勤が生まれ/誇りの貴さを思い知ることもある」と戦争を賛美しています。
なにか、六○年前の雑誌『少年倶楽部』を読んでいるような気になりました。

 当時の日本の少年たちは、戦争賛美の記事やイラストを満載した、こうした雑誌
を血わき肉おどらせながら読み、知らぬうちに〃軍国少年〃に染めあげられていっ
たのです。

 小林よしのりには、当時の無邪気な〃軍国少年〃の姿が重なります。彼こそまさ
に「洗脳されっ子、純粋まっすぐ君」です。

 新聞はオウム真理教による〃小林よしのり暗殺計画〃を報道しました。「あのと
き戦争をして運よく生き延びた」と、彼はそこで特攻隊を体験した気持ちになり、
『戦争論』のうち二割近くの紙面を特攻隊にさいています。しかし、私たち戦争体
験者から見れば、それはお笑いです。
オウムは、麻原彰晃が起こした、大規模ではあるが、一つのテロにすぎません。戦
争とはほど遠いものです。またオウムに狙われたとしても、必ず殺されるわけでは
ありません。絶対的に死ななければならなかった特攻とは比較になりません。『戦
争論』は、しょせんマンガです。

 小林よしのりは本当の軍隊を知りません。あまりにもおセンチです。たとえば、
少年飛行兵は卒業前に「郷土訪問飛行」が許され、出身小学校では全校生徒が校庭
にその飛行兵の名を人文字で描いて大歓迎するのだった!と感動して描いています。

 とんでもありません。郷土訪間飛行は重大な軍隊の規律違反でした。これはァメ
リカ空軍でも同じで、ホーム・ピッケは厳禁・厳罰です。(それでも外出中にこっ
そり故郷に手紙を出し、郷土訪問飛行を実行した不届き者たちは後を絶たなかった
ようですが。)

 このように軍隊は、小林よしのりが考えるほど甘っちよろいところではありませ
ん。

 小林よしのりはまた海軍兵学校の「教育参考館」に展示された特攻隊員の遣書に
感涙しています。実は私は海軍兵学校の卒業生です。私の在校中(戦争中の一九四
二〜四五年)は、そこは文字どおり教育に参考になる物が展示されており、お涙頂
戴とは無縁でした。


 例えば、艦隊勤務で必要な生活用品とか、飛行機に積まれる航空糧食等が展示さ
れていました。日中戦争開戦時、弾丸を撃ち切った樫村兵曹長は、敵機に体当たり
して 、国民を驚喜させました。その片翼が半分以上ちぎれた樫村機が、教育参考館
に展示されていましたが、しかしそれは、樫村兵曹長を賛美するためではありませ
ん。航空 力学の参考になるからです。私たちは、凱旋した樫村兵曹長が酒癖がわる
く、酒場で大言仕語ばかりして、パイロットを首になったことを教えられていまし
た。

 私たち海軍兵学校の同期生(七四期生)三六名からなる神風特攻隊古鷹隊は、北
海道の千歳航空隊で訓練を受けた同期の二百名の中から、指名によって編成されま
した 。日本の敗戦のちょうど二○日前、一九四五年七月二五日のことです。

 その翌日、近くの旅館で、横浜からやってきた両親と最後の面会の機会を与えら
れました。私が二百名の中から特攻隊に選ばれたことを聞くと、母は突然、「正道、
二階にいらっしゃい」と言い、部屋に入ると、「断わることはできないの?」と言
って泣きくずれました。もちろん、そんなことが不可能なのはわかりきっているの
です。

 そのあと体当たりの訓練が続いて翌八月一○日、身辺整理を命じられ、「遺書」
を書くことをすすめられました。しかしそこに〃本心〃など書けないことは、海軍
兵学校に入ってすぐに身にしみて思い知らされていました。

「……ご両親様有り難うございました。正道はこれから御国の為に行きます」

 これが私の「遺書」の結びでした。

 八月一三日、千歳航空隊を出発し、陸路、前進基地に向かいました。その移動の
途中、仙台駅で敗戦を迎えました。仙台は無残な焼け野原になっていました。敗戦
を知り、誰もが悲しそうな顔をしていました。だけど同時に、お互い「助かった!」
という目つきを隠すことはできませんでした。

 私たち海軍兵学校卒業生は、しばしば同期生会を開きます。そこでときどき、古
鷹隊の生き残りと顔を合わせます。でも、隣り合わせに座ることはありません。
何故だかわかりますか?仙台駅での弱気を語りたくないからです。私たちは、いま
でも「海 ゆかば」や「軍艦マーチ」「同期の桜」に陶酔する集団だからです。

 私が日本航空に在職中、ステュワーデスの結婚式に招待されました。彼女の父親
が 同期生だからです。同期生の一人が、祝賀会で挨拶しました。

「俺は空の特攻隊であった。新婦の父親は海、つまり、回天の特攻隊であった。だ
から、父親の気持ちがよくわかる」

 私は、「なに言ってやがんだ」と唖然としました。なぜなら、彼は特攻隊の指名
からまぬがれた一七○名の一人だからです。日本に生き残る一万人以上の〃自称、
特攻隊員〃は、みんな彼のように大法螺を吹きまくっているのでしょう。私たち特
攻隊員は、右翼からは賛美され、左翼からは「特攻くずれ」とさげすまれ、屈析し
た気持ちでおります。本心をあまり語りたくはありません。

 小林よしのりは、若者たちに喜んで郷土(クニ)のために死んでもらう物語を用
意すべし、と強調しています。だまされないでください。戦争も、そして軍隊も、
小林よしのりが考えているようなものとは違います。特攻隊当時はもちろん、海軍
兵学校当時も、小林よしのりのような無邪気な「純枠まっすぐ君」は私の周囲に一
人もいま せんでした。みんな自分の行く手に「死」を見ていたからです。「死」に
対して無知で鈍感な者だけが、戦争を賛美できるのです。

信太正道
(しだ まさみち)さんのプロフィール
1926年 生まれる。
1945年 海軍兵学校卒。神風特攻隊古鷹隊隊員。
1950年 京大卒、海上保安庁朝鮮海域特別掃海隊隊員
1954年 航空自衛隊戦闘機パイロット
1963年〜86年 日本航空機長
特攻隊
古館 真

 小林よしのりは、太平洋戦争中に日本軍が敢行した玉砕や旧日本軍の航空部隊が
行った敵艦への体当たり攻撃を公のために自分を犠牲にした自己犠牲の精神である
として極めて高く評価している。小林によると、特攻隊は、当時の若者が純粋に日
本のために、あるいは愛する人を守るために自発的に出撃した事になっている。
しかし、旧日本海軍では、最初から航空機による体当たり攻撃を高く評価していた
訳ではない。むしろ、日本海軍では、「体当たり攻撃は最低の方法である」と厳し
く戒め、禁止していた時期さえあった。

 硫黄島やサイパンに上陸したアメリカ海兵隊の先発部隊は大半が死亡している。
ドイツ空襲を敢行した「空飛ぶ要塞」と呼ばれた四発の重爆撃機B17はドイツ空
軍の激しい迎撃を受け、搭乗員の死亡率はかなり高かった。ミッドウェー海戦では
アメリカ海軍の雷撃機が戦闘機の護衛なしで日本の機動部隊に突っ込んでいる。
これらの戦いではアメリカ兵の死傷率は百パーセントに近い。

 数字を見ると殆ど特攻に近い状態だ。アメリカ兵だって勇敢さでは決して日本兵
に負けていない。しかし、これらの戦闘と日本の特攻を比べた場合に根本的な違い
がある。それは、アメリカ兵には例えごく僅かであろうと必ず生還の可能性を与え
られた事だ。旧日本海軍首脳は戦争初期の頃は、「搭乗員に対して生還の機会を全
く与えなければ、兵員の士気が下がってしまうので好ましくない」と考えていた。

 ドイツ空軍も一時期体当たり攻撃の導入を考えたようだが、ヒトラー総統の鶴の
一声で中止が決定している。ヒトラーは、「例え1パーセントでも将兵に生還の可
能性を与えるべきだ。百パーセントの自己犠牲を強いる事は将兵の士気を下げる」
と考えたようだ。ヒトラーのような冷酷で非情な独裁者でさえ、体当たり攻撃に反
対している。完全に個人を犠牲にしてしまう特攻は国家にとって必ずしも都合の良
い作戦ではなかった。

 特攻機の出撃の際には直掩機と称する戦闘機が同伴する事になっていた。直掩機
の任務は、特攻機を敵機の攻撃から護衛する事と戦果の確認という事になっていた。
しかし、戦果の確認の方はとにかくとして、特攻機の護衛の方は全くその任務を果
たしていなかったのが実状だ。敵戦闘機に遭遇すると味方の特攻機を守るどころか、
自分が逃げ回るのが精一杯であった。直掩機の実際の任務は、特攻機の監視だった
のではないか。

 日本軍が特攻に踏み切ったのは、航空部隊の技量の低下と関係している。もし、
敵艦に爆弾や魚雷を命中させて生還する事ができるのなら、搭乗員が生還した方が
国家にとっても遥かに有益だった。特攻によって確実に一機の航空機と一人の搭乗
員が失われてしまう。搭乗員が一度きりの攻撃で死んでしまうのは国家にとって大
きな損失だ。

 特攻が果たして効果的だったかどうかについても疑問が有る。特攻隊員の人権と
いう点を完全に無視し、費用対効果だけを考えた場合についても、体当たり攻撃は
決して合理的とは言えない。特攻機は最終的には墜落するのだから、対空砲火によ
る損失を減らせるし燃料も半分に減らせるという効果はあっただろう。しかし、ア
メリカ艦隊は当然、厳重な警戒体制を敷いている。特攻機は敵艦に辿り着く前に、
敵の戦闘機部隊に遭遇するのが通常だった。

 既に説明した通り、護衛役の直掩機は特攻機を守る事は事実上不可能だった。
だから、体当たりする前に大部分の特攻機が敵戦闘機によって撃墜されただろう。
しかも、零式艦上戦闘機をはじめとする戦闘機はもともと爆撃用には作られていな
いから、急降下が難しい機体も多かった。爆撃機や練習機を特攻機として使うのは
とにかく、戦闘機についてはもっと別の仕事、例えば重爆撃機であるB29の迎撃
に使った方が効果的だった。航空機で艦船を攻撃する時は一般に魚雷が主要な武器
となる。魚雷が命中して船腹に穴が空くと浸水するので、船は沈没しやすい。
爆弾だと爆発した時にエネルギーが周囲の様々な方向に拡散するが、魚雷は水中
で爆発するため、周囲に水圧が掛かっている。

 そのため、爆発の破壊力が一点に集中する。だから、魚雷の方が爆弾より爆発の
効率が高い。これらの理由で同じ爆発力を持った魚雷と爆弾が命中した場合、魚雷
の方が敵艦に与える損傷は大きい。また、大型の軍艦の場合、航空機爆弾が一発や
二発当たっても沈没する事はまず無い。しかも、体当たりの場合は衝突の速度が高
空から投下した爆弾より遅いので破壊力が小さくなってしまう。戦艦や大型空母に
命中しても致命傷を負わせる事はできないだろう。

 うまく弾薬庫に当たるか、空母の場合だと甲板上に並んだ爆弾や魚雷を積んだ艦
載機の爆発を誘えば致命傷を与えられるかもしれない。いずれにせよその可能性は
極めて低い。少なくとも失った飛行機と隊員の訓練に要した費用に匹敵する被害を
与えなければならなかったのだが、敵艦にとってみれば被害は殆どかすり傷のよう
なものだったろう。

 海軍や陸軍は、敵国の防衛圏内への侵入を許しておいて、何もしないという訳に
いかないから、これだけ必死でやっているのだという事が分かり易い体当たり攻撃
によって面目を保ったというだけの話ではないか。特攻の全てがそうではないにし
ても、航空機による体当たり作戦の中には橋梁を標的にするなど形式主義に過ぎな
い特攻攻撃計画も存在したようだ。

 「国のために命を捧げた勇士を冒涜するのはけしからん」と思う人がいるかもし
れない。私は特攻隊員自身を侮辱する気は無い。体当たりによる特攻は、竹槍で戦
車に突っ込むようなものだ。そんな事をしても馬鹿としか思われないだろう。命令
を出した連中が馬鹿なのであって、多くの特攻隊員は「無意味な作戦だ。もっと国
のために役に立つ戦闘に参加したい」と思っていただろう。しかし、命令は絶対だ
から愚かな命令に逆らえなかった。

 国のために勇敢に戦った勇者を誉めるのなら、戦車に火炎瓶攻撃を仕掛けた兵士
を褒め称えるべきだろう。日本陸軍が戦車に対して火炎瓶攻撃を敢行した事に対し
て、「前近代的で愚かな作戦」という印象を持つ人が多いようだ。しかし、欧州戦
線でパルチザンやレジスタンスがドイツ軍の戦車に火炎瓶攻撃を仕掛けて大戦果を
上げているし、この戦法は世界中で実施され、大きな戦果を上げている。
戦車というのは陸の王者というように思われがちだが、実際には歩兵の護衛がなけ
れば簡単に、敵歩兵の餌食になってしまう。

 高温を発する戦車は火炎瓶攻撃を受けると簡単に燃え上がってしまう。特にガソ
リンエンジンの戦車には効果的であり、第二次世界大戦の戦車は日本陸軍戦車以外
は殆どがガソリンエンジンを搭載していた。火炎瓶攻撃はコストが低いという点も
特長だ。航空機のような特殊な訓練や燃料はいらないし、火炎瓶は極めて安い兵器
だ。その上、うまくいけば何台でも血祭りに上げる事ができる。

 効果的であった火炎瓶攻撃が低く評価され、殆ど効果が無く無駄死にだった航空
機の体当たり作戦が高く評価されたのは何故だろうか。それは、火炎瓶という原始
的兵器と航空機という近代兵器という兵器のイメージの差によるものだろう。
火炎瓶を使ったから無謀な作戦で、航空機を使ったから合理的戦法とは必ずしも言
えないのだが、実態をよく知らない素人が評価したためにそのような違いが出てし
まったのだろう。
 特攻隊員の遺書は良く引き合いに出される。これ等のものを読んでの感想は様々
だが、軍の目に触れる「公式文」と本音は違っていたとの意見も多々ある。次の文
は或る頁の掲載者が、それを示す為に例示したものである。


特攻隊員の遺書
(恐怖心を払拭する為、言葉を選んで書いている)

父上様、母上様、喜んでください。立派な死に場所を得ました。 皇国の荒廃この一
戦にあり、大君の御楯となって、潔く死につき宿敵を激滅せり。男子の本懐これに
すぐるものが又とありましょうか。二十三年間の幾星霜、よく育てて下さいました。
こんどがそのご恩返しです。とくも立派に皇国の為に死んでくれたと、褒めてやっ
てください。」


同隊員の死後に発見された日記
(妹へ話しかける様に書いた本音)

「ナオちゃん お兄ちゃんは明日死ななければなりません。お兄ちゃんが死ぬ事に
よって、ナオちゃんや父ちゃんたちを助ける事が出来ると言われました。 今の戦況
を佳く判断すると、お兄ちゃんたちが何人死んでも日本は勝てないでしょう。

死ぬのが怖くないと言えば嘘になりますが、覚悟は出来ました。でも、何度自分に
言い聞かせても気になるのです。はたして将来、ナオちゃんたちが大きくなった時、
お兄ちゃんたちの死をどう思うか、本当に平和な日本を残す事が出来るのか?
 ナオちゃんたちが笑顔で暮らせるのか?と。

でもお兄ちゃんは、悔しいけど明日はもうこの日記を書けないだろう。
父ちゃんはもう足が弱っています。母ちゃんも腰が悪いのを知っていますね?
ナオちゃんがお兄ちゃんの分も、父ちゃん母ちゃんを助けて下さいね。
間もなく夜が明けます。お兄ちゃんは出かけます。さようなら。
自由主義史観系の投稿から

何故、気が付かないのか、
投稿者:badlife [Mail Me!] 
【08月15日(水) 21時33分20秒】

若者が特攻せざるを得ないような空気が作られていったことを批判する人たち
が、何故、若者が近隣諸国に謝罪せざるを得ないような空気を作ることに情熱
を燃やすのか、ワカラン、あなたたちの気は確かですか?>NHKスペシャル


いま、NHKスペシャルが
投稿者:badlife [Mail Me!] 
【08月15日(水) 21時06分01秒】

自虐ってます。自虐バリバリです。久々に自虐パワー全開です


 己の意に反するマスコミを片っ端から拒否して仕舞うのでは、自前のメディアで
も創り上げるしか無い。是々非々で行くべきなのに、己が文句無く正しいとの思い
込みは滑稽だ。