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声明を発表するにあたっての森井眞氏の発言 平和憲法の改悪を憂慮する」声明
声明を発表するにあたって
平和憲法を変え、米軍指揮下にある日本の軍隊が世界中どこででも戦争できるようにしようとしていることに強く反対します  
          
…… 森井 眞

 このたびの声明の代表ということになっておりますが、私が諸先生のお考えを代表しているという意味ではまったくありません。みなさんそれぞれにご自分の考えがおありなので、私は単にいちばん年寄りの中の一人だということにすぎません。

アジア・太平洋戦争の時代を生きた者としての想い

 さて、私たち一同の共通点は、まず私たちがアジア・太平洋戦争の時代を生きた、ということですが、ただ生きた年代はさまざまですので当然その戦争体験もさまざまです。もう一つの共通点は、私たちがここ明治学院大学で何年かにわたって教育・研究に携わってきたということです。
 明治学院は島崎藤村と賀川豊彦を出したことを誇りとしておりますが、そのことが物語りますとおり、本学は、金儲けや法で人を支配することをもっぱら教える大学ではなく、「人間とは何か」という問いを最も重要な問いとして問うてきた大学だといっていいかと思います。その問いへの答えはもちろん一つではありませんが、例えば賀川は、その問いから人間はどんなに差別されている弱者でもみなそれぞれに奪うべからざる尊厳を備えていることを認め、一貫して弱者に仕えて生きる生涯を送りました。賀川をどう評価するかは自由ですが、人間が生きていることを大事に考える、という点で私たちも共通しているかと思います。私たちは専攻分野もさまざまであり、敗戦後それぞれの道を歩んで自分の人生から人間について学んでまいりましたが、そのさまざまな違いをこえておおむね共通している私たちの今の想いを一応文章にまとめました。あとで読んでもらいますのでお聴きくだされば幸いです。

憲法の理念を積極的に活かし平和を築くために努力すべき

 私どもは、今政治家たちが平和憲法を、それもとくに九条を変えて、実質的に米軍指揮下にある日本の軍隊が世界中どこででも戦争できるようにしようとしていることに強く反対します。それは、九条さえ守られていれば平和的生存は心配ないということではありません。ただ、あの戦争で日本が負わせた深い傷の痛みが癒されないまま互いに信頼しあうような関係がまだ作られていない近隣諸国のことを考えれば、また広島・長崎の原爆とは比較にならないほどすさまじい殺傷破壊力をもつにいたった現在および将来の兵器のこと、第一次大戦以降人類が戦争を避けようとして努力を繰返してきたその歴史の大きな流れ、最近の、武力が果たす役割の低下のことなどを思いめぐらせば、他国にさきがけてせっかく永久不戦・戦力不保持の憲法を手にしえた日本はもう決して戦争をすべきではないので、戦争を仕かけて勝つかでも、攻められて守るかでもなく、戦争の起こらない現実をなんとしても作り出して、人間の安全保障を確かにしなければならない。そのためには九条を変えるのでなく、また、ただ九条があるぞといっているのでなく、その平和の理念を積極的に活かし、政府はもちろん、私たち市民が、市民の団体が、また自治体等が、相手の国との間に敵対関係でなく相互信頼の関係をねばり強く築いていくよりほか道がないのではないかと思います。

人間として未熟で浅薄な政治家たちに人気が集まる恐ろしい事態が進んでいる

 ちょっとだけ個人的感想をいわせていただけば、あの戦争も人間の尊厳を完全に奪い去りました。「人間の尊厳」というのを仮りに「生命・自由・幸福の追求」におきかえるとすれば、この三つは互いに関連しあっていますが、あのとき私たちはまず精神の自由を奪われました。同じ自由でも身体の自由は奪われれば誰でも気づきます。しかし精神の自由には人間はかなり鈍感になりうるので、それは気づかないままいつしか侵されかねません。精神は人間の自己自身であり精神の本質は自由ですから、精神の自由を奪われるのは人間が内なる城の本丸をとられるような重大事です。その重大事がまたもや今起こっている。私たちはまさにその精神の自由を脅かされまた侵されつつあります。
 そして、さらにそれと並んで恐ろしいのは、多くの人が自ら進んで自分の自由を捨てたがっている、ということです。自由は重いのです。すべての営みが虚無にのみこまれていくこの無常で不条理な人生を、何のために生きるか、いかに生きるか、と問い、自分にとって幸福とは何かと問う。そんな問いを自分で問い、考え、疑い、迷い、悩み、試み、選択し、決断してそれに責任を負う。それは決して気楽な仕事ではありません。それで今多くの人が自分の歩むべき道を苦労して自分で選ぼうとせず、ひとに決めてもらいたがっているのでしょう。だから大胆率直な発言さえすれば、人間なるものについて、人間の尊厳についてまったく鈍感で、世界と歴史とを広く、また遠くまで見ていない、人間として未熟で浅薄な政治家たちに大変な人気が集まることになる。これは恐ろしい事態です。自分の自由を捨てる者は悪魔に身を委ね、その道具になります。

いま危機は政治・経済だけでなく人間性そのものの危機でもある

 戦時中、私たちは欺されてあの戦争をやった国家権力なる悪魔の道具にされました。またもや今、マスメディアをはじめいろいろな力が私たちの精神をねむりこませ、思想を操作して自由を捨てさせようとやっきになっています。自由を捨てた人間を食う悪魔は、ときに国家権力、とくにお金です。いまや利潤追求のみに急で、弱者が追い詰められていくことに少しも心を痛めない露骨な新自由主義の経済政策がまかり通っています。これはたいへん困ったことですが、いま危機は政治や経済ばかりの問題ではない。根はたいへん深いので、実は人間性そのものの危機だというべきでしょう。その危機に気づいた人が一人でも多くいま声をあげねばならない大事な時機だと思います。
 つねに人間として目覚めていて、同志がお互いに励まし合って、しっかりと生きていきたいと思います。



声明
平和憲法の改悪を憂慮する


 いま私たちはかつてない強い危機感を覚えています。私たちは全員がアジア・太平洋戦争を体験した世代のものですが、日本はあの戦争で二千万をこえるアジアの隣人の命を奪い、数知れぬ人の心身に癒しがたい傷を負わせました。また三十六年にわたる植民地支配で、朝鮮半島の人々から米、土地、名前、母語、心身の自由、民族の独立と誇り等を奪いました。その償いはまだほとんどなされていません。私たちは日本の犯した過ちを隠したりごまかしたりする卑怯者ではありたくないし、こちらに責任のある他者の痛みを痛まないほど鈍感な人間ではありえません。
 アジア・太平洋戦争はまた三百万余の同胞の命ばかりか、多くの貴いものを私たちからも奪いました。それは、戦闘員同士が智恵と武勇とを競いあった昔の戦争とはまったく異なり、いまや前線と銃後の区別なしに、他人事でなくすべての人、とくに弱者を、無差別に襲い、人間としてのすべてを奪い去ります。軍隊も決して国民を守るものでないことは、戦闘員の三倍に近い非戦闘員(老人、子ども、女性を中心に)の犠牲者を出した沖縄戦の悲惨、そして広島、長崎のそれ、でも明らかです。どうしてあの悲劇を再び繰り返すことが許されましょう。人類は第一次世界大戦の終わり以降、帝国主義を悪とし、不戦を求めての努力を重ねてきており、そのような世界史の流れの中で、戦後日本は、近隣諸国に苦難を与えたことへの悔いと、私たち自身が味わったあの悲惨を二度と繰り返すまいとの誓いをこめて、永久不戦および戦力不保持の憲法を承認しました。ところがいま、政治家たちはその憲法を変えようとしており、自民党はその新憲法草案で第二章の見出し「戦争の放棄」を「安全保障」に替え、「自衛軍を保持する」とうたい、「国際的に協調して行われる活動」に自衛軍を活動させる、と称して、ブッシュ氏の求めに応じ、かれの恐るべき更なる戦争の片棒を担ぐための準備を進めています。そして、あろうことか、極めて危険かつ無法な現在のアメリカ政府に、目先のソロバン勘定から、日本の運命を託そうとする、驚くべき愚かさ。ほんとうにこんなことが認められてよいのでしょうか。
 それだけではありません。私たちはあの戦争中、まず忠君愛国を強いられましたが、それは生命・自由・幸福追求の否定そのものでした。治安維持法がきりもなく拡大解釈されて思想の自由を奪われ、権力への批判と抵抗を封じられました。国民は戦争遂行のための使い捨ての消耗品として扱われ、最後は「一億玉砕」を迫られました。私たちは国家権力の恐ろしさを身をもって味わったのです。その反省から、国民が国家権力を縛る、という、近代国家なみの憲法をやっと手に入れました。ところが、自民党は再びその憲法を変えて、「自由及び権利には責任及び義務が伴う」と、国民の責任と義務を強調し、現行の「公共の福祉に反しない限り」基本的人権が尊重される等の規定は、拡大解釈がなされうる「公益及び公の秩序に反しない限り」と書き替え、「政教分離」の規定にも手をつけ、「軍事裁判所」をも設置しようとする。
 そして憲法前文に、「愛国」の明記は避けたものの(かつて私たちは「愛国」なる美名をつかって国家権力への盲従を強いられました)、国を「愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」と、国民の国を守る責務を記載しました。さらに、人間の自己形成を第一目標とする教育基本法を変えて喜んでお国のために死ぬ国民を作ろうとし、かつての忠君愛国の強要と全く同じものである「日の丸・君が代の強制」はすでに強行されていますが、治安維持法なる昔の悪法を思わせる「共謀罪」の新設、市民生活の監視と取り締まりの強化、弱者へのしわよせを当然のこととするさまざまな施策等々が進められています。
 私たちは、人種・民族・宗教・障害の有無・年齢・性別その他あらゆる違いをこえて、すべての人がそれぞれに掛け替えのない人生を生きており、その奪うべからざる尊さを何よりも重んじなければならない、と考えています。しかしいまその人間の尊厳がまたもや脅かされ軽視されているのではないでしょうか。戦時中、人間の尊厳は全く蹂躙されました。あの暗黒の歴史を絶対に繰り返さないために、あの時のように手遅れになってしまわないうちに、まだ声を出せるあいだに、とくに、自分の手で自分を守る力のない弱者の側に立って、「人間の尊厳を何よりも重んじよう!」と訴えずにはいられません。とりわけ、「人間を完全に陵辱し抹殺する戦争への道には絶対に進んではならない!」と叫ばないではいられません。

2005年12月19日

平和憲法の改悪を憂慮する明治学院大学名誉教授有志

青木博 天沢退二郎 飯島啓二 宇波彰 榎本英雄 老川寛 大石嘉一郎 尾形健 加藤雄司 金井信一郎 加山久夫(事務局) 粂川光樹 斉藤規夫 斎藤宏 坂柳豊秋 作間忠雄 清水徹 須藤哲生 竹内真一 田部昇 都留信夫 新倉俊一 野口明子 濱野一郎 広瀬善男 福田歓一 松島恵 森井眞(代表) 吉澤慶一