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2006年2月5日(日) 野口英世記念会館
共謀罪の新設に反対する集会の発言紹介

75名が参加して共謀罪反対の声をあげる

 2006年2月5日に、野口英世記念会館で、「共謀罪の危険性について土屋弁護士に聞く――共謀罪の新設に反対しよう」と題して集会を開催しました。たいへん寒い日でしたが75名の労働者・学生・市民が参加し、充実した熱気あふれる集会になりました。
 池田龍雄共同代表の開会あいさつの後、土屋公献弁護士は、共謀罪が危険きわまりないものであることをわかりやすく解説し、「小泉政権が、こんな悪法をつくろうとするのは、アメリカの起こす戦争に協力するためです。油断しているとじわじわ進んでいきます。戦争に向かってまっしぐらな行進がはじまっています。こんなものを絶対に国会で通してはいけない。みんなが立ちあがり反対して、なんとしてもこの共謀罪をつくらせないようにしましょう」と熱烈に訴えました。
 土屋弁護士への質疑応答の後の自由発言では、文化人、ジャーナリスト、労働者、学生などたくさんの方から意見の表明や問題提起がなされました。
 集会の最後に、森井眞共同代表が「人権を侵される方向に一歩でも退き譲ってはならない。その一歩の後退譲歩から堤防の決壊が始まります。毅然として権力の攻勢に抵抗しそれを叩き潰してゆきましょう」と呼びかけ、参加者は共謀罪の新設を絶対に許さない決意を固めました。
 ここでは、土屋公献弁護士の講演の一部と池田龍雄、森井眞両共同代表のあいさつをご紹介します。詳しくは、当会発行の「ジャキューズ」第8号(講演全部を収録)と「反戦の輪」第15号(集会でのあいさつと自由発言の一部を収録)をご覧下さい。(ご希望の方はご連絡下さい。)

治安維持法の再来である共謀罪の新設を絶対に許してはならない
――共謀罪の危険性について土屋弁護士に聞く
  
土屋公献弁護士
開会あいさつ
美術家も弾圧された――治安維持法の再来=共謀罪に反対する
      
池田龍雄
閉会あいさつ 
一歩の後退譲歩から堤防の決壊が始まる――共謀罪を断じて認めてはならない

森井 眞

  

治安維持法の再来である共謀罪の新設を絶対に許してはならない
――共謀罪の危険性について土屋弁護士に聞く

 
以下、質問と問いを紹介します。(一部答えも収録しました。)


共謀罪の危険性を訴える土屋公献弁護士
2006年2月5日 野口英世記念会館
 小泉政権は現在行われている通常国会で共謀罪という刑罰を新設しようとしていますが、この法律の危険性について、当会共同代表で元日弁連会長の土屋公献弁護士に聞きます。

現行の刑法に共謀罪という刑罰はあるのですか。


未遂罪や予備罪と、新たにつくられようとしている共謀罪とはどうちがうのですか。


現在も、「共謀」を曖昧なままに認定し、「共謀共同正犯」を認めてきた経緯があると思いますが、共謀罪の場合にはどうなるのでしょうか。
 

共謀罪は、どのような法律に適用されるのですか。


法律をつくる必要性が認められる事実を「立法事実」というそうですが、共謀罪新設にあたっての「立法事実」はあるのでしょうか。「国際条約の批准のための国内法整備」と言いながら、国内法に影響が出るような条文になっているといわれていますが、どういうことでしょうか。


「スパイ奨励法だ」といういい方もされますが、なぜスパイが問題になるのでしょうか。

 国際条約にはなんの規程もないのですが、小泉政府がつくった法文には、「着手する前に自首したら刑を軽くする、あるいは無罪放免にしてやる」という余計な規程を入れている。治安維持法にも同じ規程があった。
 共謀はやったけれども実行に着手するまえに、自首すると罰せられない。「よく白状してくれた。他のヤツは全部捕まえて、おまえだけは勘弁してやる」と。そうするとスパイや警察の手先みたいな人が、ある団体に入りこんで煽動するというようなことがやられることになる。
 たとえば公務員の労働組合のなかに警察の手先になった公務員が「ストライキをやろうじゃないか」と煽動する。他の組合員が「よし」と応える。そうすると、この手先から情報をえた警察は「そこにいたほかのヤツを捕まえてやる」というので、国家公務員法違反で一網打尽にすることができる。煽動した警察のスパイは自首すれば罰せられないから、こうした手口はどんどんやられることになる。
 普通の労働組合や学生自治会などの場合には警察官が入りこむ場合がよくあります。共謀罪ができると、おとり捜査的に中に入ってわざわざ犯罪をつくるということがやりやすくなるのです。かねがね狙っている人や団体を犯罪者に仕立てあげることが可能になる。
 アメリカでは日常的にやられているこうした手法が、日本でもやられることになる。こうなるとみんな疑心暗鬼になる。どこにスパイがいるかわからないから、口もきけなくなってしまう。こういう卑劣なやり方で監視社会、告げ口社会をつくろうとしている。こんなことになれば窒息してしまう。


共謀罪が成立すると盗聴法の適用範囲が大幅に拡大されることにつながるといわれていますが、どういうことでしょうか。
 

共謀罪の新設は、現行の刑法体系の改悪になるといわれています。近代刑法の原則を否定するものといわれていますが、どういうことでしょうか。


共謀罪は戦前の治安維持法の再来だといわれています。治安維持法では「目的遂行罪」が組みこまれていたと聞きますが、どういうことでしょうか。それと共謀罪とはどういう関係をなすのでしょうか。

 治安維持法がつくられたのは、日本がアジアへの侵略を拡大していくときです。満州事変の前後あたりから、戦争に反対されるとやりにくいということで、国家に無条件で奉仕し国家のために命を捧げる国民をつくるために、「天皇陛下のためならば命でもなんでも捨てましょう」という教育をおこないはじめた、そのころになります。
 当時は、現在のような象徴天皇制とは異なって、「天皇は三権の長」であって権力がすべて天皇に集中していた時代であった。この天皇制が国体であり、これを破壊する人間が出てきたら困るということで治安維持法をつくった。もうひとつは私有財産制を否定すること(つまり共産主義)は、絶対に許さないということだった。当時の共産党にしてみれば激しい貧富の格差をなくす社会正義のために危険をおかしてやっていたのでしょうが。天皇制や私有財産制を否定する団体に入っただけで検挙して罰するというのが、一九二五年に制定された治安維持法だった。
 これに加えてさらに、一九二八年に団体に加入して活動するだけでなく、団体の目的遂行に関わった者を罰する、つまり団体のために役に立つようなことをしたら罰すると拡げた。これが「目的遂行罪」というものです。それまでの「団体加入罪」に加えたのです。
 そうすることによって、共産党員でなくともちょっと政府を批判したり危険なことを言ったというだけで、「天皇制を否定する団体のために役に立つじゃないか」ということで逮捕された。
 出版関係者や学者はもちろん、先ほど池田龍雄さんがいわれたシュルレアリズムの芸術家や、ちょっと厭戦的な俳句を書いただけで逮捕されることもあった。
 そして「仲間がいるだろう、仲間の名前を言え」と拷問されて、「自白」させられ、さらに冤罪でたくさんの人が逮捕されるというようなことが数え切れないほどやられた。
 この「目的遂行罪」を加えたために、治安維持法は非常に威力を発揮し、特高警察がわが世の春とばかりに暴れまわったのです。横浜事件はその典型的な例です。
 共謀罪ができますと、「暗黙の了解」でさえ犯罪にする、何もしていなくとも内心を罰するのですから、事実上治安維持法と同じになります。きわめて危険なのです。
 ところで、小泉首相は靖国神社の参拝を「どこがわるい。内心の自由だ。中国や韓国が何を言うか」と言う。「内心の自由」だけだったらわざわざ外形をとる必要はない。外形をとるから内心がわかる。ところが共謀罪は外形をとらなくても内心でやられてしまう。
 他方では、東京の高等学校の先生にたいして卒業式や入学式での「日の丸・君が代」の強制・処分がやられている。「強制はいけない」ということで、私は何人かと一緒にこの問題で石原都知事を訴えているところなんですが、東京都教育委員会は「内心はなんでもよい、外形だけをやれと言っているだけだから思想・信条の自由を侵してはいない」と言う。小泉の言うこととまったく逆です。今のリーダーたちのやることなすこと、われわれからいえば非常識でデタラメきわまりないといいたい。


ここ数年、反戦・平和のためのビラまきにたいして逮捕・起訴という弾圧がかけられてきていますが、共謀罪が新設されますと、労働運動や学生自治活動そして私たち市民運動を進めているものにとってはどういうことが問題になるのでしょうか。

 思想・信条・内心を取り締まりかねないきわめて危険な法律は、使う側である警察や検察からみれば、使い方によっては自由に使えるものになります。
 立川の自衛隊官舎へのビラ入れなどのように、同じ官舎やアパートに不動産や大売り出しのチラシを入れてもなんのおとがめもないが、反戦ビラを入れると住居侵入罪で逮捕される。外形的事実は同じでも中身によって一方は罰せられ他方は罰せられない、ということが警察・検察によって自由におこなわれてしまう。
 政府の好き嫌いで、気に入らないヤツをねらい撃ちすることができる。同じように共謀罪の場合でも、こっちの共謀はいいがそっちはケシカランというように、国家権力が敵と味方に分けて自由自在にやれる。これがこわい。
 平和主義者や労働運動・学生運動・市民運動などの良心的な活動家が、「こいつは国賊だ」ということでどんどん犯罪者に仕立てあげられる危険性が十分ある。こういう社会ができあがったらたいへんです。
 具体的な例を挙げてみます。
 たとえば会社が倒産した。その会社の従業員たちが「退職金をもらいたい」というので、「いままでさんざん儲けて蓄財してきた社長の自宅に行って、『われわれに退職金を払え』と談判しよう。社長が逃げようとしたら、扉を閉めて逃がさないようにして談判しよう」と話しをする。そうすると監禁罪になる。監禁罪は「五年以下の懲役」ですから、先の「長期四年以上」にひっかかる。まだ相談しているだけなのに逮捕されることになる。こういうことが解釈のしようによって可能になってしまう。
 あるいは、「騒乱罪」というのがある。この犯罪は、大勢集まって乱暴したり脅迫したりすることが構成要件です。何かの反対運動をやろうとするときに、「このまま黙ってはいられない、みんなで行動しよう!」「よし!」と示威行動の話しをする。なかにはすごい乱暴な口をきく人もいて「いざとなったら徹底的にやってやろう」などと言う。そうすると騒乱罪でやられてしまうことになる。
「偽証罪」というのもある。「彼を何とか助けたいから、こういうことにしよう」といって事実を多少アレンジする。これを警察は、偽証共謀罪で逮捕する。
 ほかにも、「あいつはけしからん、警察に訴えよう」といっただけで虚偽告訴罪(昔でいう誣告[ぶこく]罪)にされかねない。労働組合などが会社の役員にたいして大きな声で「退任しろ!」と言ったら脅迫罪になる。
 業務妨害罪などは「三年以下の懲役」ですからこれには含まれませんが、「組織的」となると同じ罪で科刑が重くなるので、共謀罪が適用されることになる。普通そう悪質ではないと思ってやっていることでも、警察から見ればそうではない、ということでやられてしまう。
 例をあげればきりがない。共謀罪ができると、友だちを信頼できなくなる、腹を割って話しができなくなる。「物言えば唇寒し秋の風」というようになる。友だちどうしでもうっかり話しができない。うなずけない。みんなビクビクしながら生きなければならない。そういう恐ろしい社会になってしまう。


小泉政権はなぜ今こういう悪法をつくろうとしているのでしょうか。土屋先生のお考えをお聞かせください。

戦争準備のためです。アメリカの起こす戦争に日本が協力するためです。日米の協力関係は、戦後日米安全保障条約からはじまってそれがドンドン強化されてきた。今の小泉政権のいう国際協力は、国連に協力するのではなくアメリカに協力することです。
 アメリカがイラクで起こそうとどこで起こそうと戦争を起こせば協力する。イラクに軍隊を出した。これからはアメリカの起こす戦争に自衛隊が世界中のどこへでも行って協力する。そのために憲法を変える。集団的自衛権の行使を合憲化するために第九条二項を変える。
 そのための準備態勢がはじまっています。自民党の新憲法草案も出されました。憲法改悪のための国民投票法案もこの国会に出されようとしています。
 油断しているとじわじわじわじわ進んでいきます。戦争に向かってまっしぐらな行進がはじまっています。小泉政府は、憲法改悪に反対するすべての運動を弾圧し封じこめ、共謀罪をはじめとする治安立法をおこない、監視社会をつくる。そのために、警察の・警察による・警察のための法律をつくる。それが共謀罪です。
 ですからみなさん、こんなものを絶対に国会で通してはいけない。みんなで立ちあがり反対して、なんとしてもこの共謀罪をつくらせないようにしないといけない。このことを私からみなさんに声を大にして訴えたい。

…………………………
 【質疑応答】

問 共謀罪の新設にたいしてどのように反対していけばよいでしょうか。土屋先生のお考えをお聞かせください。
問 共謀罪はとんでもない法律だと思うのですが、ちょっと悲観的なことを言いますが、この法律が仮に通ってしまった場合にどのような闘い方があるでしょうか。



問 大企業や経済団体が九条を変えろと言っていますが、共謀罪についてはどういう考えをもっているんでしょうか。


問 共謀罪にたいして、刑法学者はどのように反対しているのでしょうか。

 
問 裁判官はどうでしょうか。

 
問 日弁連はどういう態度をとっているのですか。
問 先日の参議院法務委員会で、杉浦正健法務大臣が「共謀罪は刑法の体系にそぐわないのではないか」という社民党議員の質問にたいして「刑法の前提上、矛盾はない」と発言していますが、ご意見があればお願いします。



問 政府がゲートキーパー立法をしようとしていると聞きましたが、これはどういう法律ですか。

 マフィアや暴力団などのマネーロンダリング[資金の洗浄]を取り締まるためにということででてきたのが、このゲートキーパー法です。ゲートキーパーというのは訳せば門番のことです。門前で犯罪者を摘発するために弁護士は警察に協力しろという法律です。
 弁護士は相談に来る依頼者に接します。この依頼者の人権を権力にたいして守る。これが弁護士の仕事であるにもかかわらず、その反対のことをさせようとするのがこの法律です。とんでもない悪法です。
 マネーロンダリングなどの犯罪の関係者が捕まったり捕まりそうになったときに弁護士が接するのですが、そのときに弁護士には絶対にその人の秘密を守る義務、守秘義務があります。
 弁護を依頼に来た人が本当の犯人だった場合に、弁護士は「本当の犯人であるなら犯人であると言ってくれ。情状酌量の点で弁護する」と言います。
 たとえ本当に犯人だったとしても、犯人であることを立証する証拠がないならば無罪になる。これは割り切った考え方なのです。
 まして真犯人じゃない人が冤罪になることは絶対に防がなくてはならない。真犯人であってもその人がもっている秘密は弁護士に全部うちあけてもらい、そのかわり言って良いことと悪いことをはっきりさせ、その人に不利になることは黙っていなければならない。これが弁護士の守秘義務です。
 警察に捕まっている人と弁護士が面会する場合も、接見交通権・秘密交通権があり、警察官に聞かれないところで会って話すことになっている。弁護士は被疑者には「本音を言ってくれ」と言います。そうでなければ弁護ができない。
 ところが本音を聞いて、それが罪に問われる場合には通報しないといけない、通報しない弁護士は罰するというのがゲートキーパー法です。
 こうなると弁護などできない。弁護士は、犯罪者を正当な手続きで裁判官にしかるべき判決を出してもらうために弁護をするのであって、積極的に依頼者の犯罪を摘発するなどということは絶対にあってはならないことで、禁じられていることです。
 私どもはそのようなことは絶対にやりたくない。このようなゲートキーパー法というのはとんでもない悪法で、たいへん危険な法律なのです。
 次々と、これでもかこれでもかと悪法を用意し押しつけようとしているのが小泉政府です。まったくもってとんでもない現状です。
 ほんとうに嫌な世の中になってきています。こういう世の中ですから毎日の生活を漫然と過ごすのではなく、この共謀罪の問題などを深刻に受けとめて隣の人にもっと話しかけ働きかけて頑張っていただきたい。みなさんに心の底から訴えたいと思います。

………………………

資料 共謀罪とは

(1)「共謀罪」といわれているのは、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」の中の、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(組織的犯罪処罰法)」の一部改正案をさす。
 その内容は、「組織的犯罪処罰法」の第六条に次の規程を追加するというもの。

 第六条の2
1 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を越える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪  五年以下の懲役又は禁錮
二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪  二年以下の懲役又は禁錮
 2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、団体に不正権益を得させ、又は団体の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を共謀した者も、1と同様とする。

 ※「団体の活動」とは、団体(共同の目的を有する多数人の継続的結合体であって、その目的又は意思を実現する行為の全部又は一部が組織により反復して行われるもの)の意思決定に基づく行為であって、その効果又はこれによる利益が当該団体に帰属するもの

(2)二〇〇〇年十一月国連総会で「国連国際組織犯罪防止条約」を採択(日本も参加)
 この国際条約の批准のために国内法を整備しなければならない、というのが名目で、「条約が締約国に重大な犯罪の共謀等を犯罪とすることを義務づけている」というのが法務省の言い分である。
参考.国際組織犯罪防止条約
第五条 締約国は、故意に行われた次の行為を犯罪とするため、必要な立法その他の措置をとる。
(a)次の一方又は双方の行為(犯罪行為の未遂又は既遂に係る犯罪とは別個の犯罪とする。)
(@)金銭的利益その他の物質的利益を得ることに直接又は間接に関連する目的のため重大な犯罪を行うことを一又は二以上の者と合意することであって、国内法上求められるときは、その合意の参加者の一人による当該合意の内容を推進するための行為を伴い又は組織的な犯罪集団が関与するもの
(A)……(以下略)……

(3)共謀罪新設法案は、
 二〇〇三年三月にはじめて国会に提出され、その後衆議院の解散で廃案になった。その後も小泉政権は、再提出し継続審議をくりかえし、二〇〇五年の通常国会に上程したが、八月八日衆議院解散により再び廃案になった。
 9・11総選挙での与党圧勝後、十月の特別国会に再提出したが、強行採決できず継続審議となる。
 今通常国会で政府は、「構成要件」についての若干の修正を加えての成立を画策している。
   
開会あいさつ
美術家も弾圧された――治安維持法の再来=共謀罪に反対する      
池田龍雄

 共謀罪はきわめて危険です。共謀罪と聞いて私たちの年代の者がすぐ思い出すのが、戦前の治安維持法です。私が関係する美術家も引っ張られている。昭和16年、太平洋戦争が始まる8ヶ月前ぐらいの3月に、画家の福沢一郎さんと評論家の瀧口修造さんがいきなり官憲に踏み込まれ捕まって、ほぼ10ヶ月間ブタ箱に放り込まれて取り調べを受けました。
 何かをやったわけでもないんです。福沢一郎さんは、シュルレアリズムと言われる絵を描いていた。瀧口さんは、評論家として、「美術文化」というシュルレアリズム団体の人たちと交流があった。それだけのことで捕まったんです。
 なぜ捕まったか。シュルレアリズムという運動(日本語では「超現実主義」と訳されていますが)は、1920年頃フランスで、アンドレ・ブルトンという詩人を中心に始められた芸術運動ですが、その趣旨は、人間の意識はさまざまな外部の制約によって抑圧され阻害されているから、それらを取り払い解放して、自由な表現を試みる。つまり「精神の解放・改革」を主張したのです。1924年には「シュルレアリズム宣言」が出されて、「イメージの解放」を謳った。その中に「革命」という言葉も使われています。
 その前の1917年にロシアで革命が起きソビエトができます。ソビエトの革命は「生活あるいは社会の変革・革命」ということですが、シュルレアリズムは「精神の変革・革命・解放」を主張し、「社会の変革・革命」と歩調を合わせてやらなければいけないという考え方があった美術運動なんですが、官憲はこれは非常に危険な思想だ、マルクス主義に共通するものがあるんだろうと考えたようで、思想的危険性があるということで捕まえた。
 逮捕されたのは二人だけではなく名古屋の方でもありました。ずっと後になって私は逮捕された本人から直接聞いたことがあります。彼は昭和16、17年の当時は21、22歳ぐらい、絵描きで、シュルレアリズムをやっていた。それで捕まって、作品まで没収されて焼かれたと言っていました。
 福沢さんたちは、その後太平洋戦争が始まって、留置所の中で転向声明を書かされて釈放された。釈放されたあとも保護観察がついて見張られ、戦争が終わるまでそれは続いた。そういう時代があったのです。
 今またそういう時代になりかかっています。非常に危険な共謀罪、それがどのようなものなのか、私たちはその内容をあまりよく知らないので、今日、土屋先生に詳しく教えていただくつもりです。どうぞよろしくお願いします。



   
閉会あいさつ 
一歩の後退譲歩から堤防の決壊が始まる――共謀罪を断じて認めてはならない
森井 眞

 土屋先生のお話をうかがって、あのアジア・太平洋戦争時代の治安維持法の悪夢を、いま現在の私たち自身の問題として考えさせられました。また、みなさんの力強いご発言に大いに励まされました。
 公的権力は、例えば警察が泥棒を捕え消防が火事を消して市民生活を守る、というふうに、私たち市民のために働くことがあります。それはとても貴重なことです。でも、だからといって、公的権力が市民のために存在しつねに市民のために働いてくれるかのように考えて権力に気を許すとしたら、それは危険なことです。国家権力は、市民が政府を批判し、そのやることに反対したり抵抗したりしてそれが手におえなくなったとき、恐るべき力を振って、批判し抵抗する者をねじ伏せ打ちのめし、ときにはその存在までも抹殺しかねません。私たちは戦時中国家権力の恐ろしさを身をもって味わいました。あの戦争をやった大日本帝国にとって最も大事なものは天皇制と私有財産制でしたが、それを守るためなら日本に住む一億人全部の命を犠牲にすることさえ厭わなかったのです。この二つを守るための治安維持法のもと、人権は全く無視されました。喫茶店で友人同士がうっかり会話もできなかった、といわれるのは決して誇張ではありません。
 私の経験に一つだけ触れてみますと、一九四一年(昭和十六年)の春、三重県の津に住む姉を訪ね、東京から夜汽車(貧乏学生ですから急行ではなく鈍行です)に乗り、名古屋で関西線に乗り換えたのですが、どこから付けられていたのか、少なくとも名古屋から一人の男にしっかりと見張られていること気づきました。参宮線に乗り換えるために亀山で降りたところ、その男も降りてきて、明け方の人気のないホームで私を捕まえました。特高警察なのです。そして訊問と持ち物検査。私は純情可憐なノンポリの愛国青年なので、特高に捕まる理由などは全くないのですが、でもあのとき抗議したり抵抗したりしていたら恐らくただでは済まなかったでしょう。ボストンバック一つ持っていた。その中をくまなく調べられました。洗面用具、着換えの肌着のほか数冊の本。もしその中にお上のお気に召さない本が一冊でもあったら、いや本の間に何かけしからんことの書いてある紙がただの一枚あっても、私はそのまましょっぴかれていたはずです。そしたらどんなことになるか。あの横浜事件を思わずにはいられません。
 いつ、どこで、誰に、何が起きるか分からなかったのです。個人の自由が許されない、本当に気の重くなる、暗い世界でした。日本をあんな国に絶対に戻してはなりません。治安維持法が創られた一九二五年というのは、まだ大正デモクラシーの生きていた時代ですから、多分多くの人はこの法律がまさかこれほど人間の自由を奪うことになろうとはとても想像できなかったでしょう。人権を侵される方向に一歩でも退き譲ってはならない。その一歩の後退譲歩から堤防の決壊が始まります。戦前戦中、私たちはまず「忠君愛国」を選択の余地のない教えとして強要されましたが、それは「生命・自由・幸福の追求」のどれをも許さない、それらとは全く相容れない教えでした。そして今またあの「忠君愛国」の強要と同じ「日の丸・君が代」の強制が行われていますが、強制という、人間の思想・良心の自由を侵すこの犯罪行為を私たちは断じて認めてはならないと思います。
 みなさんもご存知の通り、土屋公献先生は「日の丸・君が代」を強制する石原慎太郎らを法廷に訴え、またかつての治安維持法を思わせる「共謀罪」の新設に反対する運動の先頭に立って闘っていらっしゃいます。私たちも土屋先生から学び先生と連帯しつつ、毅然として権力の攻勢に抵抗しそれを叩き潰してゆきたいと思います。真剣に人権を守とうとする人の輪を少しずつでもひろげ、励まし合って、それぞれの場でしっかりと生きて参りましょう。