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故弓削達氏のお別れ会の報告 (「反戦の輪」第17号―2007年1月10日発行―から)
ひきつづいて、会場を移して、弓削先生を偲ぶ会が開かれました。土屋公献共同代表をはじめ、東京商科大学時代の同窓生やフェリス女学院大学の方、弓削先生が原告代表を務められた住基ネット差し止め訴訟を支援されている田島泰彦氏(上智大学教授)やジャーナリストの斎藤貴男氏があいさつされました。弓削先生の心優しくも芯の強いお人柄とともに、反戦平和のために尽力された感動深いお話しがなされ、参加されたすべての人びとが弓削先生を偲びながら永遠の別れを惜しみました。 |
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記念会での森井眞氏のお別れの言葉 弓削達さんの高い志を承け継ぎ、真理と平和を希求したい 弓削さんと私は考え方も近く、お互いに何か気の合った仲でしたが、特に親しくお付き合いいただいたのは、弓削さんがフェリスの学長になられてからで、フェリスと明治学院とは同じヘボン博士夫妻に連なる姉妹校で、学長になられるとすぐ電話をかけてこられ、それ以来二人または幾人かで、また何度かの対談などでよく語り合いました。 弓削さんは、キリスト教を宗教的セクトにして、その枠内に閉じこもってはならないこと。そのキリスト教から私たちが学んだのは、絶対ならざるいかなるものをも断じて絶対化せず、天皇制、アメリカ帝国ほか、いかなる権威や権力にも決して無批判には従わないこと。人間ははかない存在にすぎないが、民族・人種・宗教・性別・障害の有無その他あらゆる違いをこえて、みなそれぞれにかけがえのない人生を生き、奪うべからざる尊厳――弓削さんはそれをよく「自由」と表現しました――を備えており、その尊厳また自由は、命をかけても守らねばならぬ、と熱っぽく語られました。私たちはその尊厳を戦争によって奪われた。おそらくこの体験が原点となり、弓削さんはその使命をつねに身をもって果たされました。 昭和の末、日本がまた天皇崇拝に走り、あの愚かな戦争の歴史を忘れだしたときも私たちはともに憂い、90年、「大嘗祭」反対のキリスト教四大学学長声明をともに作りましたが、あの時、幸いにして弾は当たりませんでしたけれども、弓削さんは右翼に撃たれました。 学長をやめてからも、反戦平和その他人間の尊厳を守ろうとするさまざまな市民運動に積極的に関わり、しばしばその先頭に立って活躍されました。あの衝撃的な9・11事件では、事を起こした若者達があそこまで追いつめられるほど全世界に及ぶアメリカの目に余る横暴さが問われているのに、ブッシュ氏がそれを反省するどころか「十字軍だ」などとうそぶいて報復戦争を始めたとき、弓削達さんは激しく怒って直ちに戦争反対に立ち上がり、かつてローマ帝国が建国以来戦争を繰り返して世界制覇したあの思い上がった姿を今のアメリカに重ね合わせて、「戦争は憎しみが憎しみを、恨みが恨みを生み、数知れぬ無辜の民に耐えがたい犠牲を強いるばかりで、何の解決ももたらさないのだ」と、土屋公献さんや私らに声をかけて「報復戦争に反対する会」という市民運動を始められました。 そしてこの会が最近「戦争を許さない市民の会」と名を変えるまで、共同代表の一人として会の責任を負われ、伊豆の山奥に転居されたあともなお万難を排して上京し、私たちを励まし教え導いてくださいました。 なんて誠実で高潔なお人柄。何よりも真実を愛し、情熱的でしかもつねに慎ましく明るく楽しい仲間でした。あの弓削さんは、今も私たちの心に生きてはいますけれども、しかし現実には埋めがたい喪失です。 今はただ、残された私たちが、あの弓削さんの高い志を承け継ぎ、人間を蔑視して闇に漂うこの日本が、また世界が、人間の尊厳を重んじ、真理と平和を希求するように少しずつでも変わっていくことを心から願い求めて生きていきたいと思います。 弓削達さんの御逝去を心から悼みます。 偲ぶ会での土屋公献氏のあいさつ 弓削先生の平和への情熱を受け継いで 弓削先生があそこまで情熱を傾けてアメリカの報復戦争に反対されたのは、古代ローマ史の研究をつうじてつかみとられた「パックス・ロマーナ」の問題から、現在のアメリカの世界支配つまり「パックス・アメリカーナ」がそれを彷彿とさせるという洞察からであったと思います。 もう一つは戦前の経験からだったと思います。弓削先生の場合は兵隊にとられそうだという経験をされた。私は弓削先生よりひとつ年上でしたので、1943年の学徒出陣で海軍にとられて、あの悲惨な戦争を経験しました。 ところで、今の政治家は戦争経験がないにもかかわらず、アメリカの世界戦略にのせられて、やすやすと日本の領土と人民と財産を提供している。こうしたことへの強い憤りから弓削先生は平和運動を熱心にやってこられたと思います。 私は弓削先生にあやかってこれからの人生を生きたいと思います。 余生をばどう生きようと勝手なり ならば平和へ生命捧げん こういう気持ちで、弓削先生の思いを受け継いで生きてまいりたいと思います。 |