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原告森井眞氏の意見陳述
(2009年2月23日 10・13集会妨害国家賠償訴訟 第1回裁判)


 私たちは、去年10月13日に「なかのZERO大ホール」で市民集会を開きました。その集会にたいして、公安警察による悪質な妨害がおこなわれました。それは訴状にかいてある通りです。
 公安警察は、ひょっとして、あの集会が何か危険なものと見ていたのではないでしょうか。実は、何年か続いているこの一連の市民集会では、いつも必ず元日弁連会長の土屋公献さんが開会の辞を、私が閉会の辞を受け持ってきたのですが、私は、会の呼びかけ発起人のひとりとして、敢えて全責任を負って断言します。あの集会には危険なものなど何もない。あれは、政党党派を越えた公開の、平和を求める穏やかな市民集会で、当日も、日本が再び戦争をする国になっていいのだろうか、社会的弱者が苦しめられていいのだろうか、という問題を中心に、真剣に意見が交わされた、民主主義を守るための集会でした。だから、そんな市民集会を妨害することこそ、まさに危険です。然も憲法21条で私達に保障されている集会の自由等を侵したのが、あろうことか公務員だった。憲法を尊重し擁護することを憲法99条で法的にも義務付けられている公務員だったとなると、もしそんな違憲・違法行為が黙認されでもしようものなら、これこそ本当に危険なことです。そう思う理由を述べます。
 自慢ではありませんが、私は二年近い軍隊生活を強いられたすえ、くしくも生き残った戦争体験世代のものですが、終戦後、時が経てば経つほど、あの15年戦争がいかに多くの同胞日本人やアジアの隣人に恐るべき犠牲を強い、耐えがたい苦しみを与え、かけがえのない尊いものを奪ったかを知って、深く心が痛むようになりました。あんな歴史はもう絶対に繰り返してはならないのです。日本はどうしてあのような愚かな恥ずべきことをやったのか。
 ふり返ってみますと、当時日本の国はそもそも天皇のものでした。私たち国民は、その天皇のため、お国のために存在する天皇の赤子、臣民であり、だから臣民は神である天皇の威を借りて国民を支配している権力、つまりお上におとなしく服従して生きねばならない、というのが建前でした。
 しかもそれが、例えば1925年には、近代最悪の法といわれる治安維持法が制定され、それが限りもなく拡大解釈されて、私たちは結社・集会・言論・出版・思想等々の自由をつぎつぎと奪われて、お上のお気に召さぬことを行うどころか、考えるだけで罰せられる(思想犯)ところまできてしまいました。国民がお上を批判しそれに抵抗するなんて、もうとんでもないことだったのです。こうして、戦争になれば、私たちはお上の命令に従って戦争に行くよりほか生きる道がなかったのです。個の尊厳が完全に否定されていて、その結実が、あの悲惨な戦争でした。
 歴史の痛い体験から学んで生まれた今の憲法では、お上ではない私たち国民が国の主権者であり、基本的人権と非武装平和が保障されています。主権者である私たちには、一人一人に、すべての人の人間としての尊厳が守られることへの責任と、平和への責任があります。
 さて、人間の尊厳の核心、要は、「世界人権宣言」にも、また大革命以来のフランスのモットーその他にも第一にあげられているとおり、それは「自由」です。私自身、その自由をみごとに剥奪されていた軍隊生活を通し、この身をもって学んだ人生最大の教訓が、自由を奪われた人間はもはや人間の名に値しない、ということです。自由こそ、人間が人間であることの証です。
 ところで、自由には肉体の自由と精神の自由があり、人間にはともに重要ですが、肉体の自由は奪われれば誰でもすぐに気付く。ところが人間は精神の自由にはおどろくほど鈍感になりうるので、少しぐらい侵されても気付かず、そのうちに自由を全部奪われてしまう、ということになりかねません。特に私たち日本人は、仮に気付いても、少しぐらいは、と見過ごしてしまう呑気なところがある。いや実は、それは権力に抵抗する勇気の欠如だと思います。それが危ないのです。正義を守るためには勇気が必要です。堤防の小さな穴から堤防が決壊して洪水になるように、小さな譲歩が大きな結果を生むことになりかねません。わずかな自由の剥奪にも鈍感であってはならない。それが私の歴史から学んだ教訓です。
 今度の場合、集会への妨害は集会を潰されるよりは小さいことです。でも、あの集会の前に、土屋公献さんと古川路明さんと私の名で、予め警察に、集会の趣旨を伝え、妨害などしないようにと公式に申入れました。にもかかわらずその申入れを無視しての違憲・違法行為なのです。もしそんな行為が黙認されれば、これは人間の自由・尊厳を守る堤防の決壊になりかねません。それ故私たちは、ここに、断乎として当局の責任を追及し、法の厳しい裁きを求める次第です。うれしいことに、この訴訟は全国から驚くほど多数の、私の尊敬する立派な方々に支援されています。小さいことのようでも、私たちは今この問題を、日本の民主主義、世界の平和のためにも、絶対に不問に付し、譲歩してはならないのだ、と確信します。よろしくお願いします。