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原告 土屋公献氏の意見陳述書

2009年6月22日

 私は、本件訴訟の原告ですが、現在、病気のため、法廷に出ることが出来ません。そこで、この陳述書において、私が、本件訴訟を提起するに至った経緯・理由、本件訴訟で何が問われているのか、審理に当たる裁判所に望むことなどを述べていくことと致します。

1 私の経歴

(1) 私は、1923年4月に東京市芝区(現在の港区)愛宕町に生れました。私は、静岡高等学校に入学、入学8ヵ月後の1943年12月に、学徒出陣で海軍に召集されました。その後私は、1944年12月末、小笠原・父島の第二魚雷艇隊に配属され、そこで敗戦を迎えました。
(2) 戦後、東京大学を卒業(1952年)、1960年4月に弁護士登録をし、以後、弁護士法第1条にある人権擁護と社会正義の実現という弁護士の使命を果たすべく、一介の町弁として弁護士をしてきました。弁護士として戦後補償の問題にも取り組み、戦時性暴力を受けた被害女性を救済するための立法を求める取り組みや、731部隊細菌戦による被害の損害賠償請求訴訟、重慶大爆撃賠償請求訴訟では弁護団長を務めました。
(3) また、私は、1979年4月から3年間、司法研修所で刑事弁護の教官を務め、講義の中で私の刑事弁護の経験、失敗談などを紹介したこともあります。弁護士会の公職としては、1991年4月から1年間、第二東京弁護士会会長を、1994年4月から2年間、日本弁護士連合会の会長を、それぞれ務めました。日弁連の会長任期中は、弁護士自治の堅持・強化、真の司法改革の推進のために尽力しました。また、1994年10月の第37回日弁連人権擁護大会では「警察活動と市民の人権」をテーマとしたシンポジウムを開催し、そこでの諸報告をまとめて『検証 日本の警察』(日本評論社)として出版しています。

2 本集会の呼びかけ発起人として反戦を訴えてきた理由

(1) 私が学徒出陣で招集された1943年(昭和18年)は、もう敗戦に向かいつつあると分かっていた人もかなりいましたが、決してそれを大きな声では言えない状況でした。私たちの世代は、良心も言論もすべて抹殺される時代に育ち、戦争に動員され、戦場の残酷さを身をもって体験しました。自分達の青春は戦争のために費やされ、多くの仲間が学業半ばで戦死していきました。
 私の配属されていた父島は、アメリカ軍の硫黄島上陸作戦の際に艦載機によって攻撃され、私は、仲間が機銃掃射を受け惨たらしい死に方をするのを目の当たりにしてきました。
 戦争の悲惨さは、戦闘行為で人が残酷な殺され方をすることに尽きるわけではありません。私自身、父島で実戦のとき、アメリカ航空兵の捕虜の処刑を命じられましたが、同じく学徒出陣で私より剣道の腕前が上の人が私に代わってこのアメリカ兵を処刑したということがありました。その人は復員後、学生に戻っていた時、戦犯として追及され、自ら命を絶ってしまったのです。本来なら私が死ぬ運命だったのです。この人のことは、終生忘れたことがありません。
 こういう自分の戦争体験を振り返ると、いま政府によって戦争準備が着々と進められている状況に、到底黙ってはいられません。戦争の惨さを知るものが、平和のために、まだ間に合ううちに、戦争反対の声を上げるのは私たちの世代が負う責務ではないでしょうか。今、沈黙してしまうのは大罪であると強く思うのです。私は、この思いを、歌に詠んできました。

沈黙は大罪なるを知れよ君今叫ばずば千載(せんざい)の悔(くい)
身を以(もっ)て臨(のぞみし戦(いくさ)忘れねばその愚(おろかさと惨(むご)さ伝へん
余生をばどう生きようと勝手なりならば平和へ生命(いのち)捧げん

(2) 戦争は、常に「自衛」とか、「正義」とか、「平和」という大義を掲げて始められます。しかし、弱い者は前線にやられたり、罪もないのに空襲にあって死んだり、強い者だけがうまく儲かったり生き残ったりします。戦争とはそういうものです。大義があろうとなかろうと、戦争はダメです。大義など、くっつけようとすればいくらでもくっつけられる。戦争自体が悪なのです。その悪の戦争に、いやいやながら引っ張り出される体制がつくられることがまさに問題なのです。
 こういう反省にたって日本国憲法は9条で戦争放棄を規定しました。世界に誇るべき憲法であり、その前文と9条は世界に広めるべきです。
 ところが、近年、総理大臣が率先して憲法9条を改悪しようとすらしています。アメリカに追随し、「戦争のできる国」へと日本を変えようという動きが急速に進展しています。こうした流れに対して、反対の声をあげることは急務であると考え、私は、「怒りの大集会」の呼びかけ発起人のひとりとなって集会を呼びかけ、開催してきました。
 この「怒りの大集会」は、かの「9.11同時爆破テロ」に対して、アメリカなどがアフガニスタンへの空爆を開始したのを契機に、故弓削達先生(東京大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授)、本件原告の森井眞先生や私が共同代表となって「報復戦争に反対する会」を結成し、この会が中心となって開催してきた集会を受け継ぐものです。この会は2005年9月に「戦争を許さない市民の会」と名称を変え、また、「怒りの大集会」は、私たち呼びかけ発起人がその都度、呼びかけ人・賛同人を広く募り、これらの人々の呼びかけの下で、毎年2回、開催してきました。

3 繰り返されてきた警察の違憲・違法な集会妨害行為

(1) 森井先生、古川先生らとともに私が呼びかけた「怒りの大集会」は、戦争と貧困の強制に反対するという趣旨に賛同する人に、広く参加を呼びかけたものです。私が主催者として開会挨拶を、森井先生が閉会挨拶を、それぞれ毎回行ってきました。本集会は、どのような組織とも関係なく、集会の趣旨に賛同する呼びかけ人、賛同人を募り、善良な市民に呼びかけているものであって、特定の政党・党派に属しているとかの理由で参加を拒んだりするような性格の集会ではありません。そのことは、本集会の呼びかけ人、賛同人一覧を見ていただくだけでも十分理解できることだと思います。
(2) ところが、私たちのこの戦争に反対する集会に対して、何年も前から、マスク、サングラスという異様な出で立ちで、数十名の私服の警察官が、会場の入口前にたむろし、集会参加者を威圧・監視してきました。これは、私たちの集会に対する干渉・妨害であり、刑事的には威力業務妨害にも該る犯罪行為です。
 このため、私たちは、警視総監や警視庁公安部、所轄の警察署長等に対して、公安警察官の集会妨害行為を止めるよう繰り返し、申し入れを行って来ました。
 私自身も、集会場の現場付近にたむろする警察官らの指揮者に対して直接抗議を申し入れたことが何回もありました。彼の言い分は「この集会は『革マル派』中心のものであると思われ、参加者の中に指名手配中のものが潜んでいるかもしれないので、それを捕まえるためにわれわれは来ているんだ」というのです。
 しかし、そもそも、こんな目立つ場所に、指名手配犯人がのこのことやって来るはずがありません。彼の言い分が詭弁であり、児戯に類することは明らかです。私たち主催者は、どのような組織とも関係なく、善良な市民に参加を呼びかけているのであって、本当に憲法改悪を阻止し、平和を築こうという私たちの良心の集会を、警察権力が監視・妨害することは絶対に許されません。
(3) 日本国憲法は集会・結社・表現の自由の保障を高々と謳っています(第21条)。国民の公僕であり憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負う公務員(公安警察官)が、集会に対する監視・威圧等を行い、憲法上保障される集会の自由を侵害するなどということは、まさに主客転倒も甚だしいことです。警察官らの行為は明らかに違憲・違法の暴挙であり、絶対に許せるものではありません。

4 本件訴訟提起に至った理由

(1) 昨年の10月13日、私たち原告などが呼びかけ発起人となって開催した「怒りの大集会」(「戦争を許さない市民の会」が中心となり実行委員会が主催)の会場付近に、またしても、数十名の私服公安警察官らがたむろし、集会参加者を監視し、威圧しました。
 この日の集会に先立って、私たち呼びかけ発起人3名は、弁護士を代理人として文書で申入れ、さらに、中野警察署に原告の古川先生と弁護士が直接赴き、違法な集会妨害行為を止めるように、強く申し入れました。ところが、私たちの申入れは全く無視されたのです。
 さらに、この日、集会の実行委員であり原告である藤原君ら学生の諸君らが、会場近くのコーヒーショップで、公安警察官らが、集会参加者が会場に向かって歩いていく場面をビデオカメラで秘密裡に撮影しているところを発見しました。これは驚くべきことです。
(2) 私たちの集会は、単に、集会が開会され議事が進行している間だけでなく、集会の呼びかけ・広報等の準備段階から、集会当日に集会参加者が会場に参集する過程、さらに集会が終ってから参加者が各自の住居等に向かう過程まで含めて、公安警察官らによる監視・干渉を一切受けることなく、自由に行われるべきものなのです。それが、憲法21条によって保障される「集会の自由」の内容です。
 そして、私たち集会主催者に、このように、公権力による一切の監視・弾圧を排して集会を主催する自由が保障されていることが「集会の自由」の重要な内容であることは明らかです。公安警察官らによる集会参加者らをビデオ撮影する行為は、私たちの集会を主催する自由を侵害する違憲・違法行為に他なりません。警察官の行為は、権力をもって戦争や貧困を是認する政府の施策に反対する言論を封じ込めようとするに等しく、このような行為を許していては、まさに戦前の二の舞になりかねません。
 この重大な違法・違憲行為を社会的にも明らかにし、東京都の責任を問うために、私は、他の原告の方々と一緒に、この訴訟を提起することとしたのです。

5 本件訴訟で問われていること

(1) 本件における私たちの具体的主張については準備書面等で明らかにし、立証していきますので、詳細はそちらに譲ることとしますが、本件では、公権力による集会の自由の侵害が最大の争点であり、その違憲性・違法性が厳しく問われるのであります。
(2) 現在、この訴訟には、200名を超える弁護士が代理人となって弁護団を結成しています。代理人の先生方から、
・「民衆の表現の自由、集会の自由などに対する公権力からの弾圧や侵害が、またぞろ拡大しています。本件提訴は、これら公権力の権限逸脱・濫用を許さない闘いと思います」
・「最近、集会に対する右翼の妨害のひどさと警察の非協力にとどまらず、警察による積極的な不法行為が目につきます。」
・「戦前の特高警察が集会に介入し、監視し、『弁士中止!』とやった話を想起します。」
・「基本的人権の尊重、民主主義と平和という日本国憲法の基本理念を守り、発展させる闘いです。」
などの意見をいただいています。
 まさに、この訴訟では、日本国憲法の基本的人権の中で最も重要な、民主主義社会を支える重要な自由権である、表現の自由に対する侵害が問われているのです。この意味で、本件は、日本の民主主義と憲法の歴史に残る、大変重要な裁判なのです。

6 私が司法・裁判所に求めること―司法の独立と裁判官の良心に基づいた判決

(1) 私は、昨年(2008年)の正月、日弁連の新年会で、元日弁連会長ということで、乾杯の音頭をとるようにと指名されました。そこには最高裁長官や検事総長、法務大臣も出席されていました。
 私は、その席で、1891(明治24)年に起きた大津事件を引きながら、当時の大審院長児島惟謙が、時の政府などからの圧力に屈せず司法の独立を貫いたことを紹介しながら、「国策司法など絶対許してはなりません。司法の独立のために乾杯!」と言いました。最高裁長官はニコリともせず聞いておられました。
(2) 新年会というお目出たい席で、このようなことを私が敢えて言ったのは、憲法で謳われている「司法権の独立」「裁判官の独立」が、個々の裁判所・裁判官において本当に貫かれているのだろうか、司法の現状はきわめて情けないのではないか、という強い危惧があるからであります。違憲・違法な行為については、政府や公権力の行為であっても、その良心に従って、勇気をもって、違憲・違法を宣言すべきであり、それが真に司法の独立・司法権の使命を果たすことなのです。
 私は以前、 

三権が挙(こりて国民(たみ)を裏切るをわが老骨は断固許さじ 

と歌に詠んだことがありました。
 私は、本件で、裁判所に対して、200名を超える弁護団の弁護士、私たちの裁判を支援して下さっている文化人・市民の皆さん、さらには国民に対して、恥ずかしくない、充分説得力のある判断をされることを、現在及び将来の国民を裏切ることのない判決を下されることを、強く求めます。
以上