[2001年5月31日(木)] この大会の対戦チーム入りの組み合わせをはじめて見たのは、パラグアイの新聞でした。なにしろ、日本のことがスポーツ欄にでることなんて、まず無いので何事かと思ったのを覚えてます。当然ブラジル中心の書き方だったんですけどね。
日本にいなかったので、チケットの販売方法からチケットの購入まで、日本にメールをしてやってもらいました。インターネットさまさまと行ったところですね(笑)
で、コンフェデーションカップという名前にはあんまり思いでも何もないのですが、前身のサウジアラビアで行なわれていたインターコンチネンタルカップであれば、思い出があります。日本が出たときの大会が95年の1月だったと思うのですが、当時のお仕事の関係で日本代表の見送りに成田空港に行かなければならず、1月2日に成田空港にいくことになりました。当然帰省などできるわけもなく、人気(にんきではない(^^;;)の少ない寮で正月を迎えたということです。で、せっかくだからそばを通る箱根駅伝でも見てやろうと思ってたはずが、翌3日に起きたら既に昼過ぎで、もうゴールしてました(^^;;歩いて5分くらいのところを通ったのになぁと悔やんでもしかたないですね。
と、前置きが長くなりました(^^;;もう、結果がとっくに出てる段階で書いているのですが、自分の事前の予想では、カメルーンが優勝するのではと思ってました。で、日本である予選でこのカードが一番だと思ってこの試合に自信を持っていったんですけどね。結局、カメルーンは予選落ちですからねぇ。
期待をしていった試合ですが、日本戦が同日に新潟であっていることもあって、スタンドはガラガラ。ワールドカップの予選で苦戦してるブラジルはあいかわらずだし(メンバーもほとんど日本では無名)、カメルーンはほぼベストメンバーらしいけど、イタリア帰りのエムボマも不調で切れが無く、得点を奪えず。イマイチぱっとしない試合になってしまいました。どうにか、ブラジルが勝ったのですが、前途多難だなと思わざるを得ないですね。
ブラジルで買ってきた代表ユニフォーム(青色の方)を着てたんですが、気持ちはカメルーンをやや応援してて、すこしばかし複雑でした(^^;;
試合後に元ヴェルディー監督であるブラジル監督のレオンが辞任して、新しい監督に変わったようですが、それだけで変わるのでしょうかねぇ。どれだけ立て直して日韓のワールドカップに来るのかが楽しみですね。って、まさか出ない事は無いでしょう。ちなみに、これを書いてる時点で(7月8日)カメルーンは、ワールドカップの代表を決めたようですね。
会場のカシマスタジアムの感想を最後に、日本では有数のきれいなスタジアムだと思います。ワールドカップを控えて、座席数も大幅に増えているようですが、基本的には見やすいと思います。ま、前の方だったのもあるのですが。
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