総暦245年11月。
ガタイの良い青年が、教室の窓際にひとり。
ぬぼーっとした顔で、外を眺めている。
彼の生まれ故郷、日本では、おそらく今ごろ秋真っ盛りだ。
そしてこの窓から見える丘の上の紅葉が、それをさらに思い返させる。
「……帰るか。」
そんな景色を見ながら御堂偉王(ミドウイオ)は、最近黒に染め直した頭をポリポリと掻いた。
秋の風景を眺めながら背伸びをするのは気持ちいい。加えて、大きなあくび。
先に断っておくが、彼の現在位置は、地球上ではない。
お空に輝くお月様、そこに作られた月面の人工都市「ダ・ビラス」だ。
月面、と言っても重力コントロールがあるから、地球と変わらず何不自由なく暮らせる。
それに居住空間といっても、総人口は約1000万人もいる、アジアの一国家レベルだ。
地球外で人間が「暮らして」いるのはここしかない。
だからそう言った意味でも、「月面の独立国家」という呼び名が相応なのかもしれない。
そして偉王が居るのは、その独立国家の主「地球連合軍」が創設した、士官大学の法学部講義棟・305号室だ。
偉王はそんな教室の中を、ねむたそうな目で一瞥する。
相も変わらず、クリスマス休暇の話で生徒達は盛り上がっているようだ。
理由は明確。
その帰省休暇は、もう2週間後に迫ってきているからだ。
しかもそれは、12月1日〜1月15日の約1ヶ月半の長期休暇なのである。
一応この学校の合格難関度は、世界の著名な大学レベルを越えるところではあり、その上ここは月面だ。
(この学校に望んで来た人間なら、そんな休暇を喜ぶのは変だろ?)
クラスメイト達も、地球連合軍のエリートとなるべくわざわざこの学校を選んだのだろうから、偉王が思う事も一理ある。
しかし1ヶ月半も退屈な講義を受けずに済む……というのは、実は偉王もかなり嬉しい。
だが実家に帰っても、何もすることが無い。
自分の家が恋しくなる程の、家族愛好家でもない。
何かこう帰るべき理由があれば違うのだろうが、クラスメイトと違ってそういうのも全く無い。
だから偉王は、窓際の席で一人盛り上がれずにいるのだった。
―――ガコンッ!
そんな彼の教室に、突然、鈍い音が響いた。
―――キャッ!
続いて廊下から、女の子の短い叫び声。
(ス、スチールバケツ……?)
そして間を置いて、更なる効果音。
―――ガンッ、ガンッ!
その音で、教室は一時シンと静まり返った。
実は偉王も、心構えがなってなかったので、その音にちょっぴり「ビクッ」としてしまった。
だが教室の時計を見て現在時刻を確認すると、ハッとした表情になって、すぐさま野獣の如く教室を飛び出た。
今日は土曜日。
講義は午前中までで、午後はフリーだ。
そして土曜のこの時刻には、決まって法学部305号室の前で何かが起こる。
いままでもその全てが偉王がらみだったから、偉王がとびだしたのを確認したクラスメイトはまるで何事も無かったかの様に、また教室を喧騒の渦へ戻すだけなのだ。
そして偉王は、いつものように教室のドアをこじ開ける。
学校のドアは全て自動だから、手前で待ってやれば、ゆっくり開く。
だが急ぎまくっている時、人はなぜか自動ドアに手をあててしまうものだ。
(これは人間の性質なんだよ、仕方ねえだろ!)
偉王の場合は「こじ開ける」と言う表現の方が正しいのだが。
法学部講義棟・305号室のこのドアが、何故、大学内で最も故障が多いドアなのか?
ひとえに、ガタイの良い偉王の、ある種人間離れした馬鹿力の為せる業でもある。
それはともかく、今週末もまた、このドアは異常な音と速度を出して開くのだった。
廊下に出た偉王は、辺りを素早く見回す。
(いない……?)
と思ったら自分の真下に、一人の少女が座り込んでいて、しかも唸っていた。
「あ、すまん。気付かなかった。」
少女が普段装備している、縁なし眼鏡。
伊達であるのだが、彼女には無くてはならぬ必須アイテムである(本人談)。
「おい、生きてるか?」
それが彼女の顔で、大きく斜めにずれている。
そうすると初めてあからさまになる、透き通る様に輝いた、彼女の蒼い瞳。
「う、うん。大丈夫……かな?」
年は16歳。だがそれより幼く見え、しかし落ち着いた雰囲気の少女の顔。
とても均整が取れている筈だが、ついさっきまで少々歪んでいた。
勿論それを偉王は見逃さなかった。
加えて偉王から約5m向こう、廊下の壁沿いに、へこんだレトロなスチールバケツも在った。
(やっぱりアレか……?)
これは各クラスに4個づつ配備、廊下に立たされた者だけが手に持つことを許されるという、これまたとっても素敵なアイテムである。
(噂によれば、ハイテク化についていけない学校長の、ささやかな抵抗らしい)
それを確認した偉王は、少女と目線が合うようしゃがみ込んだ。
そして彼女に、ズバッと言ってみた。
「走ってきた。バケツにアタック。バケツが飛んだ。転んだ。やっと止まれた。……か?」
しかしそれを聞いた彼女は、誤魔化しているつもりなのか、可愛らしく首を横にブンブンと振って否定する。
すると、偉王の目の前で、長く綺麗な黒髪がサラサラッとゆれた。
「……嘘つけ。顔が真っ赤だぜ?」
だから、いつもそれに魅せられる偉王は少しはにかんで、そう言った後は少し微笑むだけだ。
「まあいいや。気をつけろよ、アリサ?」
ずれたままの眼鏡をきちんと直し、「アリサ」と言う名の少女は、今度はそれ越しに偉王の笑顔を見つめ直した。
そしてすぐににっこりと微笑み、彼にしか聞こえないくらいの小さな声で、こう話し掛けた。
「……今回の情報は、超A級だよ?」
「そうか……。」
偉王は頷く。
「よし、とりあえず教室に移動だ。」
そして一緒に立ち上がろうとしたが、アリサの方が急にガクンと崩れ落ちた。
しかしそこはさすがの偉王。
すかさずアリサの背中に手を回し、彼女の体制を立て直す。
(あっ……!)
「危なかったな。」
そしてほっと溜め息をつく。
だがアリサは、何故かその腕を強引に振りほどく。
「うぉっ!なんだよ、アリサっ?」
そして彼女はペタンと床に座り込んでしまった。
「な、なんだよ……。どうかしたのか?」
その声に反応したのか。
アリサは真っ直ぐに、自分の前に立つ偉王を、今度は虚ろな目で見つめはじめた。
「おい……。」
偉王は彼女の肩を、加減しつつ揺さぶってみた。
が、反応もない。
「……このパターンは……。」
すると何を思ったか。
今度は偉王が、アリサの前にあぐらをかいてドカッと座り込んだ。
廊下に座り込んだまま、偉王を見つめる、アリサ。
彼女の縁なし眼鏡の奥、蒼い両眼をじっと見つめ返す、偉王。
「…………。」
「………………。」
下校ラッシュ真っ只中の廊下、生徒の人ごみの中、しかも教室の入り口。
そこに二人は座り込み、そこで二人は見つめ合い、そして二人は終始無言。
(なんだ、なんだ?)
(シッ!静かにしてろ、今が一番イイとこなんだ!)
(あれ、御堂クン?今日はどうしたの?)
辺りで見ている生徒にも、どうやら緊迫した空気が(?)漂う。
その空気を肌で感じたか、それとも急かされたのか、先に動いたのは偉王だった!
彼は立ち上がる、と同時に上体をそらし、大きく息を吸う!そしてっ!
「……あれれ?どうしたの、偉王?」
―――ガクッ!(生徒一同)
ちなみに彼女は、幼い頃から良く言えば思慮深く、悪く言えば?妄想癖がある。
おそらく偉王に抱き支えられたことで、何か思うところがあったのだろう。
だが考え込むのもいいが、時と場所ぐらいは選んで欲しい。
それでも慣れている偉王だから、鋭い眼光で至近距離の野次馬達を追っ払うと、まだ座ったままのアリサに、手をすっと差し伸べた。
「……あ、大丈夫だよ!迷惑かけちゃいけないし、自分で……。」
だが、それに気付いたアリサは一人で立ち上がろうとする。
「そんなの気にするな。」
そのくらいで、幼馴染の偉王が迷惑だと思うはずが無い。
(ここは「座り込む方がよっぽど迷惑だ」と言ってやるべきか?)
それにアリサは、吹けば飛びそうな位フラフラして、未だにきちんと立ち上がれないでいる。
(バケツの次は野次馬にアタックしたりして……)
それはそれで面白いが、偉王にしてみれば後々面倒でもある。
だが本人がそう言うなら、彼は手を引っ込め、後は温かく彼女を見守るのだ。
「痛っ!」
そして足に痛みを感じたらしいアリサは、また尻餅をついて廊下に座り込んだ。
今度は偉王の支えがなかったから、ダブルでお尻も痛かった。
「っ……!」
「……右足、だな。」
見てられない偉王は、結局また手を差し伸べ、今度はそれに素直に従うよう促した。
偉王は、恋愛には少々どころでなく鈍い。
ただアリサに手を差し出し、引っ込め、そしてまた出すだけ。
例えば「これといって気が利かない男」の代名詞とでも言うのだろうか。
(でも……いつも一緒に居てくれるよね)
だがそんな風に思うアリサだから、偉王の不器用さが、逆にとても嬉しかった。
「保健室、行くか?」
そして偉王の手を取り立ちあがった彼女は、彼なりの優しい問いかけに、小さく首を横に振る。
「だいじょ……うぶ……。」
するとなんだか、急に、目に涙が溢れてきた。
「ったく。ほら、じっとしてろよ……。」
だからというのもあって、偉王はアリサの制服をパタパタとはたいて、それから半ば強引に彼女を抱きかかえた。
「……え?えっ?」
俗に言う、お姫様だっこ。
婦女子の2〜3割が一度は夢見るという、あの伝説の「人体移動方法」である。
(男なら……許さん)
だが、思考能力が低下しているアリサには、現状を理解するのに少々時間を要した。
「それ、いくぞぅっ!」
そして偉王は、アリサが我に帰る前に、とっとと自分の教室に向かって走り出す。
「あ、偉王!ちょっ……!」
アリサがその後ささやかな抵抗を見せたのは愛嬌。
とにかく、幼馴染の彼と彼女はこんな関係だった。 |