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8
 豪華な客室の、重厚なドアをノックする音。
 そのドアが開く音……そして、閉まる音。
 偉王はベッドに横になったまま、終始静かにその音を聞いていた。
 絡まりあった薔薇の紋様が描かれた、煌びやかな天井。それをただじっと見つめていた。
 「……済まなかった、偉王」
 部屋に入ってこちらに歩み寄ってきたジャンは、自身で言う通り壮年の趣がある風貌だ。
 俗的に言えば、アリサくらいの高校生になる子供が居てもおかしくはない歳、といったくらいか。
 180センチで80キロのややがっしりした体格、もの優しげで穏やかな顔立ちだ。
 そのような男が自身の肩書きを少々裏切るような、なんとも弱々しい態度で入ってきたことが、むしろ偉王に少々の憤りを感じさせた。
 「……いいよ」
 偉王はそう言ってゆっくりとベッドから起き上がったる。
 だがジャンの方には向かなかった。
 返事とは反対の心情であることはその仕草が語っている……それでジャンはもう一度「済まない」と言った。
 「あの『事故』はさ!」
 だが偉王の台詞はジャンの謝罪の台詞を広い部屋で響くように遮る。
 そうすれば偉王は思っていたことがすらすら言える気がしたのだ。
 またただ黙って、目の前に立っているジャンを見ているわけにもいかなかった。
 「アリサが遭ったあの飛行機事故は……そう、事故だよ。でも親を亡くして唯一の家族になったあんたが……他人の家に預けるなんて」
 ジャンは歩み寄り、偉王がいる向かいのベッドに腰掛けた。
 立って聞いているのが辛かったのは、自分が中年の男であるせいだけではないのだろう、と素直に感じていた。
 だから窓の外を見ながら、黙って偉王の話に耳を傾けているのだ。
 「……ジャンは義理の兄貴だけど、アリサに本当の家族が居たって知ったときは嬉しかった」
 偉王は立ち上がり、歩み寄ったクローゼットを殴りつける。
 「迎えにきたと思ったらすぐに他人に預けて、そんな自分の兄貴が有名人で教科書に載ってて……雑誌に出て、新聞に出て、ビジョンに映って。だけどアリサはそんな兄貴を誇りに思ってて。会うことが叶わないからあんたの記事を見て、あんたの名前を見て嬉しそうに笑うだけで!」
 殴りつけられた高級な調度品は、あたかも厚い化粧をはがされた婦人のように無残な姿になってしまった。
 偉王の拳は、堅かった。
 「俺の家に居る間も、文句の一つも言いはしない……本当は誰よりもあんたに会いたかっただろうに」
 「そうか……」
 「家族なんだろ?家族だったんだろ?なんで事故から五年も経ったあとに迎えに来て、その直後に他人の家に預ける事ができたんだ?」
 「偉王……あの頃の僕は、そういうことができる立場でもなかったんだ」
 「仕事が言い訳になると?それとも単に血が繋がっていないからか?」
 「そういう意味じゃない!」
 ジャンはいつになく真剣な表情になる。
 その体は年数による陰りが見え、だがその年数で培ったのは彼の鋭い視線。
 戦争ジャーナリストとして、平和を訴える使者として、幾多もの戦場を渡り歩いたその両目が偉王の方に向き直ってこう言った。
 「確かに君の言う通り、だが僕は……結果的にこれで良かったと思っている」
 その一言が、更に偉王の感情を高ぶらせる。
 「だからって、ほいほいと他人に話せる内容かよ?」
 しかし偉王は、相手がアリサの義兄であるからこそ冷静さを保ってはいた。
 「僕は真実を追究しそれを公表する。それがジャーナリストとしての僕の仕事であると自負しているし、また使命だと思っているからな。誰に関しても平等に『知る権利』はあるし、彼らは君の親友だろう?……僕はそんな仕事を、ある時は新聞や雑誌の記事を書いて、またある時は戦場のドキュメントをしたりして続けていくんだ。幼い少女を連れ歩くことなんて、できるわけがなかった」
 「やっぱり仕事のためにアリサを一人にしたのか?だから俺の家に預けたのか?」
 「そうではない……あの時のアリスにとっては僕ではなく君が必要だったんだ。だから彼女を誰でもない、僕でもない……君に預けようと思ったんだ」
 偉王の感情は高ぶっていたが、ジャンは冷静を保ち、首を振りながら偉王に語りつづける。
 「……君は小学4年生の時に、北海道のミシマ家から生家へと帰ったな。飛行機事故で身寄りを亡くしたアリスをミシマ夫妻がひきとって、その後彼女の面倒を君が見てくれていた事は、夫妻からもよく聞いている。だが君が帰った直後のアリスは知っているか?君が帰って、僕が迎えに来るまでの間の彼女の生活は知っているか?」
 「兄貴が来るまで……?」
 その問いに少々戸惑った偉王だったが、落ち着いて首を横に振った。
 「あの頃のアリスはひどかった」
 「ひどい?」
 「……目は虚ろで会話もできず……食事も全く口にしなくなって、衰弱しきっていたんだよ」
 偉王はその言葉に自分の耳を疑う。そんな話は誰からも、一度も聞かされた覚えも無い。
 「偉王が迎えに来るから幼稚園に行くんだ……偉王がいるからテレビを見るんだ、偉王がいないんだったら行きたくない、見たくない……喋れた頃は常々そう言っていたらしい。アリスは滅多に我侭を言わない子だったらしいな……なのに……無論僕なんかが君の代わりになれるはずもなかったよ」
 つかれたような顔をして、中年紳士はさらに話を続ける。
 「ミシマ夫妻は医学博士、体の衰弱を止めることはなんとか出来た。だが結局は精神状態に問題があるわけで、アリスにおける『御堂偉王』という人物の代わりになれる者が存在しない限りは……」
 ジャンは窓の外を見てまた溜め息を漏らした。
 「『生への拒否』……まさか5歳児が、とは思ったが。アリスには君が『全て』だったんだろう。ここまでくれば僕らにも君しか頼る術は無かった。正直、血はつながってないにしても兄として君に嫉妬もしたよ……だけど世間様に僕の我が侭と言うことで落ち着かせて、あの子を君の側におけないかと思ってね」
 「そんな……」
 偉王はジャンから目をそらした。意識的にというよりは、むしろ無意識の行為だった。
 自身がわからなくなるくらいに、ジャンの言葉とその事実に衝撃を受けたのだ。
 「だが君に事情を説明したら、きっと君は責任を感じてしまうだろう。君の家庭環境が複雑なのはミシマ夫妻から聞いていた。アリスを重荷にもしたく無いから君の親父さん……ミドウ元帥にも口裏を合わせて貰って君に真実は言うまいとした。そう、例え君が僕を憎んでも。……とにかくそれでアリスは君の家、御堂家で暮らすことになったんだよ」
 ジャンは一緒に持って上がって来たブランデーを手に取り、話を進める。
 「アリスは……義妹は僕には決して見せてくれなかった笑顔を、君に会って初めて見せてくれた。少しやつれた顔でね。単にあの当時は僕が兄だと認識できなかっただけかもしれないと思っていた。だが君に会えると伝えただけであの子は……今度は信じられないくらい生への執着心を見せたんだよ。だから妹を救えるのは君しかいないことを、僕自身も認めざるをえなかった」
 部屋が薄暗いせいか反射する窓ガラスに、ジャンは自分の姿を重ねた。
 その微笑んでいる後ろ姿が、どこか寂しげに偉王には見えた。
 「月日がたつのは早いもんだな。君は21、そしてアリスももう16か……」
 そしてジャンは無言になったので、しばし偉王の部屋は静寂を取り戻した。
 「このこと、剣児とサムには?」
 「ああ……全部、話してある」
 偉王はベッドに横になり、そしてまた天井の紋様をじっと見る。
 絡まり合った……トゲのあるツタ。その先に燃える様に紅い薔薇が咲いている。
 情熱と、そして激しい愛情を象徴する、美しい華。
 偉王はなんだか急に、無性にアリサに会いたくなった。
 「だが結局、君には責任を感じさせてしまったな。それでも、アリスを立派に育ててくれたことに本当に感謝している。ここに来る前に北海道に寄って来たが、本当にいい女になっていたよ」
 ジャンが心から嬉しそうに語ったその表情は、いつも通りの優しい紳士のようだった。
 「けっ。あいつはまだガキだよ」
 「……ん?そう言えばアリスから面白い話を聞いたな?確かアリスが中学に入ったばかりの頃、断っても断ってもしつこい3年の先輩集団がいて……」
 偉王は申し分ない速度でその言に反応する。
 それは完璧にジャンに見透かされていたらしく、彼は勝ち誇ったような笑顔をしている。
 「それがある人物に相談した2日後に、その先輩達はみんな急に転校してしまったらしい……」
 「そ、そうなの?」
 「まあ何はともあれ、めでたし、なんだが……むしろ兄としてはその人物と妹の関係の方が気になるところである」
 「そ、そうなの?」
 「実は奴等を追っ払った後にそいつが妹を独り占めするつもりだったんじゃ……と僕はにらんでるんだが」
 「あばっ、ばばばっ馬鹿なこと言うなよ!」
 「ん?知らなかったのか?実を言うと僕は……敏腕ジャーナリストなんだよなぁ」
 偉王相手だからこそ盛り上がる話だ、といった感じでジャンは声を出して笑った。
 「……ったくよぉ!」
 だが偉王もつられて笑った。
 「なぁ兄貴。アリサは……元気だったか?」
 「君が居ないせいか『淋しい』とは言ってたが?」
 ジャンはまた声を出して笑う。その声は紳士らしくない大きなもので、すがすがしく部屋中に響き渡った。
 もしかすると廊下まで響いているかもしれなかったが、それでも偉王も気にせず一緒になって笑った。
 先程までのわだかまりなど馬鹿らしいと思えるくらい……10年以上も抱いてきた心のもやなど吹き飛ばすかのように、2人して大きな声で笑いあったのだ。
  
 「ジェイムズとラットは先行、あとは索敵!発見しだい、出来るだけ島から引き離せよ!」
 それはジェット旅客機のエンジン音を出し、ビーチ沿いの熱帯樹たちを震わせながらやって来た。
 旧式に改良を重ねてきたクロウ小隊専用MDだったが、推進システムに抱える唯一にして最大の欠点がこれである。
 「了解!」
 このいびつな機械音がライテック島のビーチに大量に注がれた為、リゾート客は多少どころではない混乱をみせた。
 「ミゲルにリョウタ、お前等は坊や達のMD反応が出るまで滑走路で待機!連絡は有線のみ許可する!」
 「了解!」
 「それでは全機、散開!」
 
 
 「ところでさ兄貴……アリサのことなんだが……ん?」
 激しい爆発音とともに偉王の部屋に伝わる軽い振動、そして耳鳴り。
 偉王と剣児がMDを預けている格納庫の方からだ。
 「今のはなんだ!?」
 ジャンと笑いあっていた偉王は、咄嗟にテラスに飛び出す。
 次に聞こえてきたのは更に強い振動を共なった、金属同士がぶつかる音だった。
 「剣児だ!入るぞ!」
 「師匠、ジャンさん!ご無事ですか!?」
 偉王はドアの方を振り返る。
 「剣児、サムっ!一体なにがおきてる!?」
 「僕にもわからない!」
 「……もう奴らが!?くっ、30分も早いじゃないか!」
 ジャンが左手首のロレックスを見ながら叫ぶ。
 「奴らって、何ですか!?」
 彼はサムの問いに答えない。だが代わりに険しい表情を返してきた。
 そのジャンの雰囲気で、3人はこれがただ事ではないという事だけは理解した。
 「もう時間が無い。これから僕の言うことをしっかり聞いてくれ!」
 「ちぃっ、あそこには俺のMDが!」
 偉王はそう言って、部屋を飛び出そうとする。
 「いいから落ち着け!」
 その偉王が静止せざるを得ないほど、ジャンの声は緊迫していた。
 「いいか、間もなく第7地球連合軍所属の海上空母『ガイア』から君達専用MDの武装が届く。偉王と剣児君はそれが届き次第に換装、MDを起動させて敵を向かえ撃つんだ」
 「ど、どういうことです?」
 「敵ってなんだ!」
 ジャンに大きく踏み寄って、偉王と剣児が狼狽する。
 と同時にいちばん窓際にいたサムが声を上げる。
 「MDが戦ってる!?しかもあの黒い方のエンブレムは第7軍の……あっちの方は第3軍のドーベルマンタイプです!」
 「……地球連合軍同士で戦ってるのかい!?」
 剣児もサムと同じく窓に張り付いた。
 「仕方ない、細かい説明は後だ!とにかく二人はMDのところへ急いでくれ!」
 「どうして!」
 「第3軍の狙いは君達のMDだ!」
 「なにっ!?」
 その言葉と同時に、反射的にジャンと偉王がエレベーターに向かって駆け出す。剣児とサムもそれについて走り出す。
 「MDはどこに置いてる!?」
 「自家用シップの格納庫です」
 最後尾のサムが、手を上げてジャンに答える。
 「距離は?」
 「直線距離で367メートル。すぐそこです!」
 ブザーの音、まるで待ち構えていたかのようにエレベーターのドアが開いた。
 4人が乗りこむと同時にまた扉が閉じる。
 「この時間なら殆どの客がビーチに出ているはずだ。だからサム君は彼等をすぐに地下シェルターに避難させてくれ」
 「はい!」
 「それから二人とも、『key』は持ってるよな?」
 「ああ、いつも携行するのが機体譲渡の条件だったからな」
 偉王と剣児は、自身のチェストポケットから『key』と呼ばれるMDのシステム起動カードを取り出す。
 これは配属式典のあの夜、居酒屋の前で校長自らが手渡しでくれたやつだ。
 「向きや表裏などはどうでもいい。それを、左目が隠れるようにして顔に当てるんだ」
 偉王と剣児は顔を見合わせる。
 「いいからやるんだ!」
 「わかったよ!」
 二人は再度顔を見合わせて、ゆっくりと左目にカードを当てる。
 「そして、以前に入力した機体保護用のパスワードを強く思い描いてくれ。そうしながらカードをじっと見て……」
 「ん、これは……?」
 「偉王も見えてきたのか?これは……なんだろう?赤い光……う、うわぁっ!」
 「け、剣児っ!」
 「そのまま動くな!」
 うずくまる剣児に近寄ろうとした偉王は、ジャンの一言で動きを止める。
 「それを左目から離すのはいま見えている赤い光が収まってからだ。そうしないと失明するぞ!」
 「なんで……なんでこんな事しなきゃならないんです!」
 激痛に身もだえする剣児を見て、サムが悲鳴をあげる。
 「こうやって君達の網膜、ひいては脳波を記憶させるんだ!これであのMDは完全に君達にしか動かせなくなる!」
 「で、でも……それじゃあどうして師匠は、何ともないんですか?」
 サムの言うとおり、偉王には何ら変化がみられない。
 「それは個人差があるんだ。脳波が記憶しやすい人物とそうでない者とはな」
 「どういうことだ?」
 「ふっ、つまり偉王が単純明快な脳波をしているということだよ」
 「剣児……お前!」
 エレベーター内の床に両膝をつき頭を抱え込んでいた剣児は、そう言ってゆっくりと立ち上がる。
 「僕は大丈夫、痛みもなくなったよ。ジャンさん、もう外してもいいんですよね?」
 「ああ……すまなかったな」
 剣児が首を振ると同時に、また更なる振動と爆音が彼らに襲い掛かってきた。
 
 
 「たっ、隊長!クロウ5の反応消失!7、9は共に戦闘不能です!」
 「ちぃっ!聞いてたのと数が違いすぎますぜ、隊長!」
 敵の襲撃が作戦本部の予想よりかなり早かった。ジャンも叫んでいたその差は30分、これは大層なものである。
 そしていま、予想だにしなかった事態が起こっている。
 クロウ小隊にとっての敵は先の強襲揚陸艦搭載の陸戦専用MDのみにあらず、すでにライテック島の沿岸に水陸両用MDまでもが潜んでいたのだ。
 この時間と機体の絶対数の差により隊員達の動きに乱れが生じ、歴戦の勇士であるクロウ小隊隊長にも最早どうしようもない状態となった。
 「くそっ!学生の反重力反応はまだか!?」
 戦線を離れていたクロウ10が、すぐさま隊長の問いかけに返答する。
 「いまだ反応無しっ!あ……い、いえ!反応出ました!目の前の小格納庫に在るようです!」
 「なにっ!?……やっと出たと思ったら、あの素人連中め!」
 隊長は舌打ちをした。
 格納庫などと言うあからさまなところには無いと思っていたのに、こういう状況だと悪い予感だけは的中してしまうものだ。
 愚痴を漏らしたい気分であるが、素直にそんな余裕もない。
 いくらこちらが専用の探知機を持っているからといって、このままここで戦っていてはいずれ敵にもその存在を気付かれてしまうからだ。
 「……よし、戦闘不能の7と9は武装換装を、10は兵器の取り付けをMDで行え!あとの者は戦線をこのビーチと逆の海岸線に移すぞ!」
 「了解!」
 「奴らに敵を一騎も近づけるな!」
 
 
 幸か不幸かは後にならないと解からない。
 だが20階から1階までのエレベーター移動は、ジャンが彼等3人に指示を出すのには十分な時間で、この事態を説明するのには少し短かすぎた。
 「とにかく勝てばいいんだな?」
 偉王は意気込む。
 「初の実戦、ってやつだな」
 剣児は微笑む。
 MDを渡したくはない、ジャンから事態の説明を詳しく聴かねばならない、これで少なくとも生き延びるための理由は出来たのだ。
 「二人とも、死ぬなよ」
 ジャンの言葉で剣児は、にやりと偉王のほうを見た。
 「やるしかないってことかな、偉王?」
 「みたいだな、剣児」
 二人の心臓は高鳴っていた。
 工学部の研究開発ドッグ・第1号であの白いボディと出会ったとき、そのとき感じたものと同じだった。
 「偉王」
 「ああ……あのMDはあいつ等なんかに渡さないさ。いくぜっ剣児!」
 エレベーターの鉄の緞帳が、鈍い音と共に開く。
 二人は格納庫へ向けて全速力で走り出した。
 そしてここに大戦の火蓋が切って落とされたのである。
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