甲板に降り注ぐ陽光は、例えようもないくらいに穏やかだ。
風もけっして強くはなく、だが弱くもなく。
穏やかな海をその巨大戦艦はゆらゆらと漂っていた。
「……?」
これは総暦245年12月16日の地球連合軍標準時1510時における、第7軍地球支部最後の砦・戦闘空母ガイアでのことである。
「副長、ホーク02が!」
副長……そう呼ばれた男は眉を吊り上げる。
偵察機が撃墜される事は前もって承知していた。その為の無人機である。
しかしそうなる予定の時刻よりも今は大幅に早かったのが、彼を動揺させたのだ。
「ふむ、映像の受信を最優先だ。感度レベルは?」
「感度8……良好。メイン回します」
「ホーク02の反応消失!」
そしてここはガイアのメインブリッジ。
3段棚式の立体構造をしており、最下にはサブオペレーターを含む航海要員20名が位置している。
次いでその上段、彼らの上司であるメインオペレーターの3人がトライアングルで座す。
「ふむ……」
そしてその上に立ち艦橋を見下ろすこの男は、副長のゲンイチロウ・シバタ少将。
彼はその容貌までも、部下に対して低い声で促すのが似合う軍人風である。
「副長、ホーク02の最終位置を出します!」
対して幼さの残るオペレーター達のうち中央に座る少女が、偵察機からの最後の受信映像を素早くモニターに映し出す。
「本艦南南東・距離12000、MD搭載マンモス級強襲揚陸艦3隻……です」
「……状況は?」
男はさらに眉を釣りあげ、下方右手に座るオペレーターに尋ねる。
さかのぼる事6時間、戦闘空母ガイアは本日0900時、今回の任務における旗艦かつ唯一の任艦として、パプアニューギニア島ポートモレスビー港より約10年ぶりに着水を果たした。
軍識豊富な者から言わせれば、第7軍は本来「地球連合軍の月面教育機関」の事をいうのであって、地球に支部などは存在しないはずである。
だがこの戦闘空母ガイアは「第7地球連合軍・地球支部艦隊旗艦」と位置付けされている。
これにはインテリな彼等でも知ったかぶりをするか、もしくは素直に首を傾げざるを得なかった。
それもそのはず、この戦闘空母ガイアは総暦245年12月14日、すなわち今よりたった2日前にこの任に封ぜられたからである。
正確な事実としては、一昨日まで臨海博物館に飾られていた旧式の老朽艦が、編成されたばかりの部隊を擁し戦闘任務に挑まんとしているということであろう。
「まさに蜂の巣をつついたよう……うふふ……ちなみに私、蜂は大嫌いです」
これは医務主任としてロシアより招致されたナターシャ・トルグズドゾフ女史(本人は「拉致です」と語る)が、出港準備に慌しかった艦内に向けて放った台詞である。
女史はその容貌と寡黙な性格から「白銀天使(プラチナムエンジェル)」と称される人物でもあるが、彼女が珍しく苦言を発したことからも「この部隊は非常識かつやっぱり無理一杯々々なんだ……」と艦内クルー達が認識できることとなった。
単に彼女の虫の居所が悪かったからでは……という説もあるが、恐れ多くも本人にそれを聞けるものは居ない。
何はともあれ洋上に出て数時間を経た現在では、ガイア全艦において容易でなくも軍隊としての「規」と「律」は取り戻した。
しかるに戦闘空母ガイアは当初の予定通りに、総暦245年12月16日1500時、作戦名「癒しの揺りかご」を展開。
その矢先に射出したばかりの無人偵察機の反応が突如消えてしまったのだ。
副長に尋ねられたオペレーターの少女が計器類に目をやる。
「敵全艦、ライテック島に向け速度16、17で北上中のようですよ?」
「訂正、速度18……いえ19……20……伸びている?」
「なるほどな」
男は常に自身の後ろに居る総指揮官も気にせねばならない立場にある。
どこの世界でも彼のような中間管理職というものは、上下の板挟みで忙しいものだ。
「艦長、向こうは既に展開していたようですぞ」
「ふぅむ」
その言葉にブリッジを見渡していた総指揮官は、階級に相応しくない緊張感の無い声であっさりと答える。
「クロウに発艦指示を出してもよろしいかと存じますが」
「では任せる」
「はっ、了解しました!」
そう応え再度メインモニターに一瞥を与えた副長だった。が即座に後ろを振り返る。
「し、しまった!」
もはやその視界に、先程まであった総指揮官を捉えることはできなかった。
「…………艦長ォッ!」
そして副長の怒号・本日第1号炸裂。
「ほいほ〜い」
無邪気にすっ飛んで帰ってくる艦長。
「あはは、お姉ちゃん見て。またやってるよ」
「はぁ?相変わらずだな全く!」
「……アレは放っておいて……任務に集中」
それぞれ愚痴るオペレーター三人娘たち。
彼は戦闘空母ガイアの艦長、ツヨシ・ゴウダ名誉大将(79)。
そして副長ゲンイチロウ・シバタ少将(51)。
両名はアラム戦線・第3軍前衛基地時代からの付き合いで、地球連合軍全体でも珍コンビとして大いに知られている存在である。
……だが単に珍コンビだから噂が広まったというわけではない。
アラム配属時代の噂が広まるというのは、普通は在り得ないことなのだ。
なぜならその噂を流す兵士、戦列に参加した彼らで生きて帰ってくる者が居ない戦域……それが「アラム戦線」だ。
この両名の噂が広まっている、それはつまり、兵士を自身の基地からそれだけ生還させたということなのである。
聞くところ第3軍情報部の発表した統計によれば、アラム戦線から生身で帰ることができた兵士はその8割が彼らの部下であったらしい。
それゆえに彼等はいまだ退役の意思ままならず、現在とて第7軍の元で指揮をとらねばならないでいるのであるが。
「司令、少しは我慢なさってください。自分とて好きでこんなとこに居るわけではないのですぞ」
副長の言は、まるで我侭な子供に愚痴るかのようでもある。
「……ああ、君の言うとおりじゃったな」
それに素直に従う艦長。
「いや、まさに君の言う通り。嫌なことはさっさと終わらせるに限るしなぁ」
「艦長、そうではなくて……」
相変わらず憎たらしい艦長に、副長は溜め息を漏らしてこの場も諦める。
何はともあれ指揮官の意志を確認できたのだ。
副長は先程から笑いあっているブリッジクルーに咳払いを一つして諌めると、オペレーターの少女に対しても荒げた声を発した。
「クロウの発進準備を開始だ!5分で済ませろっ!」
「了解!」
10代後半くらいであるオペレーターの少女達も、それに気圧されることなく素早く艦内有線のスイッチを入れる。
そして直後の地球連合軍標準時1515時、第一級戦闘配備のサイレンが平穏だった艦内に鳴り響いた。
「全艦に告ぐ!全艦に告ぐ!」
右辺に座す一番幼い少女は艦内アナウンスが正常に動作していることを確認、次いで左辺・索敵オペレーターの声を有効にする。
「南南東・距離12000にMDを有する敵艦隊を発見!構成はMDを搭載した強襲揚陸艦3隻!搭載数は現在不明です!」
「本艦はこれより、この部隊に対する戦闘態勢に入ります……繰り返します……本艦はこれより戦闘態勢に入ります」
そしてその元気な少女に続いて、中央・最先端に座す最年長の少女が淡々と語る。
「どうやら時間のようね」
放送に反応したナターシャ女史は、医務室に入り浸る兵士達に一瞥する。
だがどうやら艦内の軍人は即座に行動を開始したらしく、もうここに残っている者はいなかった。
「あら……?」
急拵えの部隊ではあれど、ガイアのクルー全体は非常に優秀な、決して寄せ集め部隊ではないことが伺えた。
「なお全艦は専守防衛、クロウ小隊を遊撃部隊とします……繰り返します、全艦は専守防衛、クロウ小隊を遊撃部隊とします」
そのころガイア内部の当事者、クロウ小隊専MD格納庫では、直前まで遊撃任務とは知らされていなかった隊員達がアナウンスに対して愚痴りあっていた。
「………遊撃、か。とはいえ本来我々は『隠密』であろうに」
「戦闘よりMDの武器装着を最優先……聞くからに、敵は少数だろう」
「ああ。むしろ我々が、戦闘に専念する間に技術屋を派遣するのが妥当であろうな」
実際に会話していたのは2人だったが、その言葉に、聞いていた皆が同じ気持ちでいた。
「俺らなんぞには、あの艦長さんが何を考えてんのか分からん……」
だが数秒後、全員のモニターに一人の男が顔を出したことでその雰囲気も一転した。
「ミゲルにリョウタ、そう腐るな」
「隊長!」
隊員達は口を揃えて言ったが、彼は軍人として年季の入った隊員達よりは、かなり若い。見かけ20代後半か。
どうやらこの艦のクルーは実力重視で、広い視野を持って選ばれているに相違無い。
「坊や達の『Mission Doll』は最新タイプで、しかも奴等にゃ実戦経験は無い」
「はい……」
「つまり俺らの任務は、換装の時間稼ぎがてら実戦レクチャーってとこだ。相変わらず鋭いな、俺の読みは」
隊員達から笑いがこぼれる。
「おい、ミゲル。何が可笑しいんだ?」
「いや、相変わらずだなと思ってさ」
「……まあいい。とにかくこんなつまらん任務で死んで俺に恥をかかすな!気合い入れていこうぜっ!」
そして彼等全員が大声で返事をすると同時にブザーが鳴り、格納庫のハッチが開いた。
「お、時間か。各機準備はいいか?」
彼が束ねる隊員は9名、いずれもMDによる戦闘のエキスパートばかりである。
首を横に振る者など居無い、すくなくともこのメンバーならそう隊長は確信できた。
「全機、発進!」
各機、空母の側面ハッチから飛び出す。
機体は、地球上では当たり前に眼下の海面へ自由落下していく。
しかしバックパックに内蔵された現代の技術『反重力装置』により、『クロウ』を冠する漆黒のMDは海面の直前で急停止、大気中において浮遊できるのだ。
「全機、オールグリーン!」
幾つもの巨大な人型兵器が、左舷にて揺らめいている。
次いで甲板からはMD用の武器を搭載した音速輸送航空機が単機で発艦し、モニターでその様子を確認したゲンイチロウ・シバタ副長は、即座にミッション信号を出す。
「よし、クロウ小隊いくぞっ!」
そして隊長の声とジェットエンジンの轟音が艦内に響きわたり、音速で偉王と剣児のいるライテック島へ向かっていったのだった。
クロウ小隊が出撃したその同時刻、ホテルのロビーへと走ってきた偉王は少々息が上がっていた。
サムからの電話があって偉王は海へ行かずにホテルへと戻ってきた。
客が来ている、とだけサムは言ったがそれは当然アリサではない。
しかし彼は偉王のよく見知る、そしてずいぶんと懐かしい人物であった為、彼は興奮で息があがったのだ。
「あ……兄貴じゃねえか!」
偉王は大声を上げて彼の手を取り、上下にブンブンと振る。
そんな偉王に、剣児とサムはまるで彼でない人物を見ているかのような錯覚を覚えた。
「かれこれ6年か……久しぶりだ。しかしデカくなったな、偉王」
「兄貴こそ、元気そうで」
「だがもう40だ、オジサンさ」
偉王に兄と呼ばれた男は、脇で呆然と立つ剣児とサムを向いて言う。
「偉王、紹介してくれないか」
「ああ」
そう言って偉王は、取り敢えずロビーのソファへと場所移動することを提案した。
その男も含め、3人は頷いてそれに続く。
「えっと……こっちの長髪が剣児。月に行ってからの俺の親友」
全員がソファに座ったのを見計らって、まずは偉王が切り出す。
「初めまして、ケンジ・カシムラです。向こうでは文学部・哲学思想科で学んでます」
「で、こっちの眼鏡チビが会長御曹司のサム」
紹介されたサムはすくっと立ちあがって、深々とお辞儀をする。
「サム・ライトです!師匠にはいつもお世話になっておりますです!師匠の兄上と知っていれば、もう最高のもてなしをすぐに用意させたんですが!」
それを聞いて、彼は偉王と顔を見合わせて笑う。
むろん剣児とサムは、はて、という顔をする。
「僕はね、偉王の兄じゃない」
とだけその男は答える。
それに付け加える様に偉王が言う。
「アリサの兄貴だよ。名前はジャン……ジャンデニム・シンクレア」
「…………」
しばしの間。
「……えええぇっ!?」
があったが、彼の名前を聞いて剣児とサムの二人は狂喜した。
「あ、あの教科書にも載ってる?」
「ま、まさか、こんなところで地球平和憲章の受賞者に会えるなんて……」
「……こ、こんなところで悪かったですね、ケンジ先輩!」
「まぁまぁ」
サムを嗜めながら、本人は笑顔で少々の謙遜をした。
このような反応にはもう慣れているのだろう、彼等の熱いまなざしを軽く笑い流してしまうだけだ。
「でも……アリサ君とは全然……」
たしかに彼女は黒髪で瞳が蒼い、が彼は金髪でさらに瞳の色はブラウンである。
それに彼が40歳ならば16のアリサとは年の離れすぎた兄妹だ。
どう考えてもジャンと彼女は「普通の兄妹」には思えないのだ。
「ああ、アリス……あの子は親父の再婚相手の連れ子なんだ。簡単に言うと、義理の妹さ」
ジャンは意外というか驚嘆というか、そんな表情をした剣児とサムに微笑む。
「その再婚相手って人は日本生まれで……僕の親父はロシア人でね。親父は日本で永住権を得た後彼女との結婚を果たしたんだが、その頃の僕はジャーナリストとして評価され、もうアメリカ国民として暮らしていた。年齢的に私生活に干渉し合うつもりも無かったから……」
「あ……」
剣児は自分のした質問に少々の後悔を感じた。
「ああ、むろん君が謝る事はないよ。実を言うと僕は、今でもアリスのことはあまり知らないんだしね」
「え?」
「知らないって……どうして?」
今度はサムが尋ねる。
彼こそは世界に広く知れ渡る戦争ジャーナリスト、ジャン・デニム・シンクレアだ。
それ程の男が、義妹とはいえ「知らない」で済ますのは……そうサムは直感したのだ。
「ふふっ、気になるかい?」
それは剣児も同じだったらしい。好奇心旺盛な『人間』というものは、誰しもワケ有りという香りに滅法弱いようだ。
「そうだな……」
真剣なまなざしで自分を見つめる2人。
ジャンは、彼らから自身の遥か上空へと視線を逃す。
このホテルはサム名義の資産で、構造的にロビーの天井とは最上階の天井となる。
つまり遥か最上階までロビーの吹きぬけが続いている、円筒の中心をくりぬいて天井だけつけたようなホテルだ。
偉王が言うには……長いままのバウムクーヘンを皿に立てて、それを引っくり返したような……らしい。
とにかく20階建てのこのホテルの中高、10階辺りに張り巡らすようにして大きなシャンデリアが吊るしてある。
ジャンが今見ていたのはまさにそれであり、ロビーにいる間にあれが落ちてきたら死ぬな、と偉王が少し気にしていたやつだ。
「ふむ……」
ジャンは顔を二人の方に戻すと煙草に火をつけた。
『MADE IN JAPAN』そう刻印されている。
「……報酬として……ブランデーを少々貰えるかな?」
そしてジャンは子供じみた笑いを浮かべる。
「喋るのか」
それに対して偉王は少しムッとした表情で、だがジャンにくらいにしか聞こえないくらい小さな声で呟く。
アリサ……アリス・リオ・シンクレアと自分には……決して浅く無い関わりが過去にある。
大袈裟かもしれないが、アリサの過去は自分の過去の一部でもあるのだ。
だから例え相手が親友の剣児や押し掛け弟子のサムであるにしろ、偉王は余り聞かせたくはなかった。
「ブランデー!」
やはり先ほどのは彼らには聞こえなかったらしく、サムは指を鳴らしてフロントの接客係を呼ぶ。
最も、聞こえていたとしてジャンの話が聞けることに興奮して、偉王の不満など簡単には理解できなかっただろう。
いつもは飄々とした剣児でさえ、こんな機会は滅多にあるもんじゃないと高揚していたのだ。
「お待たせしました」
ボーイの声とともに、サムはブランデーとカクテルを用意させていた。
後者は、強い酒を好まない偉王のだ。
皆がそれぞれグラスを持ったところに、乾杯の一声。
「俺は自分の部屋にいるよ」
偉王だけは、グラスを鳴らすことも無くそれを持ったまま、エレベーターの方へ歩いていった
「偉王……後で君の部屋に行くよ」
グラスに入った濃いままのブランデーを一気に飲み干して、ジャンは溜め息をつく。
そしてソファに深く腰掛け、またシャンデリアを見ながら……ジャンは二人の過去をゆっくりと語り出したのだった。
「こちらクロウ10。ライテック島まで距離5000、周囲に反重力装置の反応はなし」
部隊の中では唯一諜報型のヘッドをしている機体が、最後で情報を素早く弾き出した。
マッハ1.5という高速航行を保っていながら、第7地球連合軍・地上特殊部隊クロウ小隊は、音速輸送航空機を中心に組んだ編隊を乱すことなどはまったく無い。
「おかしいな……」
「隊長。敵は陸戦、或いは水陸両用のMDということでしょうか?」
「それはわからんが……とにかく速度を落とし作戦開始だ。各機、警戒は怠るなよ!」
「了解!それでは武器コンテナの降下に移ります!」 |