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Prologue
 「・・・と言う訳だ。まぁ、今回の事ではなかなか難しいものもあるからな」
 聖が向き合って座っている刃にそう話す。
 「そうですか、じゃあ黒幕は海外に・・・」
 刃は悔しそうな顔でそう言うと黙り込む。
 「まぁそう言うなって。今回の事件で奴らの力もだいぶそがれたのは間違い無いんだしな。少なくとも氷浦市では大胆な事はしないだろう」
 刃をなだめるように言うと、笑いながら昼食にしようといって綾香を呼ぶ。
 今、二人が話していたのは数日前におきた事件の事についての話だ。聖のつかんだ情報によると、事件の首謀者である後藤という人物は海外に高飛びし日本にはいないという事と、今回の事件に絡んだ人物に対する国の処置は何も無し、ということである。現在の日本の法律において霊症などの災害に対する規制は一切無いのである。いいところ、傷害罪と公共物破損での現行犯逮捕がいい所である・・・。
 「やっぱり納得できねぇな・・・」
 刃がそう漏らすと、いつの間に入ってきたのか綾香が、昼食が乗っているであろうお盆を抱えながら言ってくる。
 「まーだそんなこといってんの。それよりもお昼にしましょう」
 納得はいかないもののお昼と言う単語を聞いて、刃の腹が主人の考えとは裏腹に歓喜の声を上げた。
 「ほーら、お腹すいてんじゃない」
 ニマッと勝ち誇った顔で綾香がお昼をテーブルの上に並べ始める。


 翌朝、快晴。
 氷浦市は、桜が散り、若葉の緑が映える季節に入っていた。
 うららかな春の日差しから、強烈な夏の日差しへと日の光が移り変わるこの時期の朝は、一種独特の雰囲気がある。
 時折そよぐ風に芽吹いた緑の葉がサワサワと心地よい音を立てて、幾分か強さをました朝日をちょうど良い具合にさえぎり、その下を、朝の雰囲気を楽しみたいがために早めに家を出た生徒がのんびりと登校していく――聖華高校のメインストリートたる桜並木は、もはや都会の公立高校では木造の校舎と共に姿を消した風景を、いまだ失うことなく守っている。
 受験のための知識も必要だが、学校において真に必要なのは、こうした、ホッと一息をつけるような光景かもしれない――桜の季節、休日ともなれば付近住民がのんびりと花見を楽しんでいるこの桜並木は、そんな想いを起こさせるに十分に足る、そんな並木である。
 いわば、聖華高校の一つの顔ともいえるその桜並木の中を、転入生である押上唯はこの日、初めて歩くことになった。
 思えば、かなり急な話である。
 彼女が進級してまだ一月あまりしかたたないうちに、父親が県北にある鷹野市から氷浦市に転勤することが決まり、家族ごと引っ越すことになった。それからの準備に手間取った押上家は結局一度も氷浦市に足を踏み入れることのないまま期日が迫り、引越しが完了したのはつい昨日のことだ。そんな事情を考慮したのか、聖華高校側は唯が元々通っていた高校の一室で転入試験を実施してくれた。感謝すべきことではあるが、それがためにこの日になって初めて、聖華高校の桜並木を通る羽目になったのは、彼女にとって、不運といえば不運であったのかもしれない。
 一学年26クラス、生徒数実に3000人を数えるこの学校は、初めての人間が案内もなしに歩き回るには、いささか広すぎる敷地を持っていたのである。


 「どうかしましたか?」
 やや、いや、かなり不審げな表情で彼女に声をかけたのは、珍しく早めに家を出てきた織姫真その人であった。この時期、新入生が道に迷って途方に暮れているのを見かけるのはそう珍しいことではないが、彼と同学年の生徒――2年生がこの桜並木で道に迷って途方に暮れているようでは、この学校で生活していく上でどうしようもなく致命的なことである。セーラー服の胸ポケットにつけられた校章の色で自分と同学年と判断した真が、不審そうな顔で声をかけたとしても、この場合仕方のないことであった。
 「あの……職員室が何処にあるのか教えていただけないでしょうか? 今日転入してきたばかりで、道が分からないんです」
 ホッとした表情で、唯は真に尋ねる。
 「ああ、転入生の方ですか。……えぇと、職員室はこの道をまっすぐ行って、突き当りを……」
 身振りを交えて職員室の場所を教えようとして、真はすぐにやめた。恐ろしく校舎の数が多いこの学校の構造を、転入生に口で説明するのは骨が折れる。
 「……まだ時間があるので、一緒に行きましょうか」
 「……すみません」
 結局、そういうことになった。


 無事に唯を職員室に送り届けた真は、結局いつもとそう変わらない時間に教室に姿を現した。
 教室にはすでに大部分の生徒が席に着き、思い思いに始業前のひと時を過ごしている。
 窓際の一番後ろにある自分の席についた真は、鞄を机の横に下げ、右手につけた腕時計を外そうとしたところで、一つの異変に気付いた。
 彼の席の右隣に、昨日まではなかった机が置かれていたのだ。
 「転入生が来るんだってさ」
 不審そうにそれを見つめていた真に、クラスメートの伊藤弘明が声をかける。
 「へぇ……この時期にですか? 珍しいこともあるものですね」
 「まぁ、それなりに事情があるんだと思うよ。あ、これ、昨日頼まれたコピー」
 そういうと、弘明はコピーの束を真に手渡す。
 「ありがとうございます」
 受け取った真は、早速中身に目を通し始める。
 「今度の日本史のテストさ、筆記試験の点数とレポートの点数を足した点数で成績が出るらしいよ」
 「……は?」
 「あくまでウワサだけどね。レポートの課題が氷浦地方の歴史について。それに通常の筆記試験の点数が加わって100点満点で計算する、って話だけど」
 「また妙なことを考えますねぇ……」
 何を余計なことを、とでもいいたげに真が視線を戻す。
 「まぁ、あくまでウワサだからなんともいえないけどね。覚悟はしといたほうがいいかも」
 そういうと、弘明は真の席を離れ、自分の席に戻る。
 ほぼ同時に、担任教師――稲葉藤二教諭が一人の女生徒を伴って姿を現した。
 それまで思い思いの姿勢でホームルームを待っていた生徒たちが、一瞬にして居住まいを正す。
 「机が増えてるからおおかた想像はついたと思うが、転入生をこのクラスに受け入れることになった。押上唯君だ」
 「押上唯です。よろしくお願いします」
 稲葉の言葉を受けて、女生徒がお辞儀をする。
 「学年が変わったばかりではあるが、親御さんの仕事の都合で転入が急に決まってのことだそうだ。……で、織姫」
 「はい?」
 ずっと窓の外を眺めていて、まったく担任の話を聞いていなかった真は、いきなり自分の名前を呼ばれ、かなり動揺した声音で返事をする。
 「ちょっとした手違いで教科書がそろっていないそうだから、当分お前の教科書を二人で使うように。ついでに校内のことも一通り教えてやってくれれば、俺は非常に助かるなぁ」
 かなり強引な稲葉氏である。
 「は、はぁ……私は別にかまいませんけど」
 今更断っても無駄と分かりきっていることなので、真はさしたる抵抗も見せずに早々に頷く。
 「じゃぁ、そういうことなので、押上君。後のことは織姫に聞きなさい。今朝は以上である。各自次の授業の準備をしておくように。解散」
 言いたい事を言うと、担任はさっさと出席簿を脇に抱え、教室を出て行く。
 「よろしくお願いします」
 やれやれ、といった表情で鞄から教科書を取り出していた真は、聞き覚えのある声に顔を上げた。
 目が合う。
 今朝道案内を下ばかりの少女が目の前にいることに真は暫し動きを止め――
 「ええ……こちらこそ」
 何かを取り繕うような笑みを浮かべて、かすかに頷く。
 その仕草が妙に可愛く見えたのか――唯もまた、彼に微笑み返す。


 そして、その日の昼休み――屋上で早速嵐が吹き荒れたことは、今更言うまでもない。


 同日、夕方。
 梓瞳夢人の操るカプチーノが一軒の店の前に止まる。どうやら先客が居るらしく軒先には単車が止まっている。
 「ふぅ、ここか」
 氷浦市の地図を片手に持った夢人が車から降りてくる。
 地図で確認しながら着た場所は、氷浦北区にある一軒のバイク屋である。
 何故こんな所にいるかと言うと、話せば長くなるが、先日バイトをしている出版社の編集長から仕事が送られてきた。別段普通の仕事ならどうでもよかったのだが、仕事の内容がとんでもない物だった。出版社当てに送られてきたメールで「バイクに乗っている高校生と車に乗っている高校生の二人組みについて調べてほしい」というのが送られてきたのだ。それも1件ではなく、30件近く似たような依頼があったらしく、編集長の独断と偏見により自分に白羽の矢が立ってしまった。
 「ふぅ、いったいどうしろってんだろ編集長。車はともかく単車に乗ってる高校生なんざ何人居ると思ってんだ」
 ここには居ない編集長に向かって悪態をつきながら目の前のバイク屋に入っていく。ここまでの調査で単車に乗っている高校生の車種はある程度分かっていた。
 「すいませーん」
 そう声をかけると、高校生風の男と話をしている店長らしき人物に声をかける。
 「そういやそういう事があったな・・・・・・」
 話に熱中しているらしくこちらに気づかない。すると話をしていた高校生風のほうが先に気づいて店長らしき人物に教える。やっと自分の存在に気づいてこちらのほうにやって来る。
 「すいません、話に熱中しちゃってて」
 笑いながら気の良さそうな笑顔で話し掛けてくる。
 「こちらこそすいません、話の腰を折っちゃったみたいで」
 つられてこちらも笑顔になりながら答える。
 「いえいえ、でどうしました?」
 やっとこさ本題に入る。
 「えーと、実はですねとある人を探してるんですけど・・・・・・」
 詳しく内容を話すと、店長が振り向きながら高校生のほうを見る。
 「なー榊。お前の友達で、居なかったか? 確か織姫って言ったっけ」
 そう言いながらまたこっちに顔を向けると後ろの高校生を指差しながら
 「多分こいつに聞いたほうがいいですよ、結構顔が広いんで」
 「そうですか、えっと・・・」
 高校生を呼ぼうとして、名前が分からずに詰まっていると向こうから声をかけてきた。
 「あぁ、榊、榊刃って言います。そちらは・・・どっかであったことありません?」
 言われてみれば、確かにどこか出会っているような気がする。
 「そう言えば・・・・・・、あー聖華高校の校門でぶつかった子の横に居なかった?」
 そう言われて向こうも気づいたようでこっちを見ながら同じようにうなずいている。
 「あー真がぶつかったときの人っすね、思い出した」
 先日、自分の母校に赴いたときに偶然にも会っていようとは、世の中は広いようで案外狭いもののようだ。
 「それで、なんっすか?」
 刃と言った高校生が聞いてくる。
 「あ、実は・・・・・・」
 詳しく内容を話していると、いきなり刃が話の腰を折る。
 「ちょっ、ちょっとまった。そ、それは多分、何て言うか、あの、その・・・」
 今まではっきりしていた口調がいきなりどもり出す。
 「どうしたんだ? 思いっきりどもってるぞ」
 急変した刃の様子を見て突っ込みを入れてしまう。
 すると、頭を掻きながら刃が答える。
 「何て言うか、多分それ、俺達の事みたいなんだけど・・・・・・」
 しばし呆然とする。
 「・・・・・・は?」
 頭が混乱しているのが自分でも分かる。まさかこんなに早く見つかるとは思ってもいない事であった。
 「ほら、校門でぶつかった奴いたじゃないっすか。あいつ、車に乗ってますよ」
 刃がそう説明をしてくる。先ほど世の中思ったよか狭いと思っていたが、実はかなり狭いようだ。
 「でも、明らかに高校生だったぞ」
 自分で言っといてなんだが、やはり自分の頭は混乱している。
 「いや、今さっき自分で言ったじゃないですか」
 困惑顔の刃が聞き返してくる。
 「あぁ、いやそうなんだが、俺はてっきり留年でもした奴かなんかかと思ってたんでな」
 少し冷静になってきた頭で、刃を見る。
 「で、何ですか? 探してたって事はなんか用事があるんでしょう?」
 刃がそう言ってくる。
 「あぁ、実は俺、出版社でバイトしてるんだけど・・・・・・」


 同じ頃。
 昼休みに絶体絶命の危機に陥ったばかりの真は、いささかこわばった表情で車のステアを握っていた。
 ついこの間、瀬名に言われたことをすっかり忘れて唯を屋上に連れて行ったあたり、「オンナゴコロ」をまったくといっていいほど理解できていない真である――もっとも、事態は「オンナゴコロ」がどうの、といったレベルではなかったのではあるが……。
 何はともあれ。
 昨日会社から連絡があったポイントに到着した真は、早速辺りを調べ始めた。
 「確かに、何かあるようですが……」
 首をかしげながら、真は手にした小型ノートパソコンのディスプレイに目をやる。
 会社から送られてきたメールには、このポイントで最近事故が多発していること、事故にあった者の中に正体不明の人影を見たものが多数いたことなどが書いてあった。
 真が任された任務自体は、単純なものだ。
 このポイントの実地調査を行った上で、レポートにまとめて提出せよ、という内容だ。
 「……これは本来、氷浦署がやることなのでは?」
 再び首をかしげながら、真はノートパソコンの電源を切る。
 車の助手席にそれを放り込むと、彼は再び現場に立ち、辺りを見回した。
 現場は、見通しの良い国道である。
 緩いカーブになっているとはいえ、道幅も広く、両脇に設置されている街灯のおかげで夜でもそれなりに明るい幹線道路だ。夜中ともなればかなりのスピードでここを駆け抜けていく車も多いが、事故に遭っているのはそういった暴走車ではなく、不思議と制限速度を守り、きちんと減速をしていた車に限られている。被害者はいずれも重軽症者ばかりで、いまだ死亡例が出ていないのが救いといえば救いだが、その事例は回数を追うごとにひどくなっている。死者が出るのも、このままでは時間の問題といえるだろう。
 「事故多発地帯 要注意」と書かれた看板が血飛沫で汚れているというあまりにもちぐはぐな光景に、真は思わず顔をしかめる。今にも被害者の呻き声が聞こえてきそうで、真は看板から目をそらす。


 西日に手をかざしながら見やった夕陽は、彼の不安をあおるかのように、赤く、不気味に輝いていた。
this page: written by syu, Hikawa Ryou.
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