「やぁ、こっちだ」
そう呼ばれたほうを向くと、日出男がすでに座っていた。
「どうも」
そう言って刃も日出男の目の前に座る。
星診駅から少し離れたところにある小さな喫茶店である。
刃は星診駅を出た後、日出男との情報交換をするために訪れていた。
「昨日の事件は知っているかい?」
刃が目の前に座るのを待って、日出男がそう切り出してくる。
「襲撃の事っすね? 相手は氷浦2課って聞いてますけど」
日出男がこくりと頷く。
「さすがに、情報が早いね。確かに氷浦2課による襲撃だった。午前中に調べてみたんだが、腑に落ちないことがあったんだ」
そこで一旦話を切る。
「なにがですか?」
「うん。実はどうにも襲撃の根拠が、ね」
「根拠?」
「そう、根拠がどうにもはっきりしないんだ。襲撃を指揮していた男というのが七瀬恭一郎と言うんだが、そんな無能な男ではないんだ」
「確かにある程度分かってる奴なら、真に対して自分からちょっかい出すような事はしないでしょうね」
「私もそう思う。そんな七瀬が襲撃を指揮していたとするならばそれなりの根拠があるはずなんだが、今のところは分からないというのが現状でね」
そう言うと、日出男は肩をすくめる。
「根拠……か」
刃はそう言うと思案するかのように腕を組む。
「何か心当たりでもあるのかい?」
「心当たりって分けでもないんですが」
そう前置きする。
「EGCはご存知ですよね? 実はEGCから真への移籍のオファーが来てるらしいんですよ。はっきりと分かってるわけじゃないんですけどそれなりの条件が出されてるみたいなんで、もしもその事をその七瀬が知っていたとすれば……」
「EGCか……、確かにそうなると私たちは手出しが出来なくなるな」
「そう考えると、つじつまがあいますよね?」
刃の問いに日出男が頷く。
「あくまで俺の想像なんですけど、この時期に七瀬って人がその情報を手にしたら立場的にああいう行動に出るって事は想像に難いことではないでしょう。」
「そうだな。……しかし、私が言うとあれなんだが織姫君にしてみればEGCに移籍したほうがいいのかもしれないな」
「………そうっすかね?」
刃はしばらく考えてからそう答える。
「まぁ難しい問題だが、ね。正直な所、現状では織姫君にしてみれば好ましい状況とは言えないだろう? まさしく四面楚歌といった感じだ。織姫君からしてみればそのEGCからのオファーは渡りに船という感じじゃないのかな」
日出男は冷静にそう告げる。
「確かにそうなんですけどね。ただ、ひっかかるんですよね」
刃がそう言うと黙り込む。
「何がひっかかるんだい?」
「いや、真のEGC行きの情報の発信源なんすけど」
「発信源、か。……まぁ、警察の情報網では無い事は確かだろうな」
刃は日出男の問いに首を縦に振ると、また考え込むようにうつむく。納得できないといった感じで何度も首をかしげる。
「まぁ、ここで考えても仕方がない事だがね。問題は今後の織姫君の動向だが、現実的に考えてEGC行きがかたいようだね」
刃の考えでもそういう選択肢は考えていなかった訳ではない。だが、漠然とした考えで真が居なくなる状況を想像することが出来ないでいた。
(納得できない、か。……それもしょうがないか、それこそが若さってものだろう。)
釈然としていない刃の顔を見ながら、刃の倍以上の人生を生きてきた日出男がふと昔を振り返りながらその様子を見つめる。
(それにしてもEGCの事まで知っているとは、いったいどういう情報網を持っているのか。警察の情報網をはるかに上回っているのは間違いないだろうな)
日出男は刃の情報網に脅威を感じ始めていた。
警察の情報網は間違いなくこの国において最大級のものなのは間違いない。その情報網を持ってしても今回のEGCの動向は掴んでいなかった。単純に日出男まで情報が回ってきていないという可能性は否定できないが、その可能性はきわめて低い。その事実から言うと単純にそうといえる訳ではないが、刃の情報網は警察すら上回るというのだ。
日出男が脅威に感じるわけである。
少なくとも日本の高校生が持っていていいようなものだとは思えない。
とは言え、最近はその高校生達に振り回されっぱなしなのも間違いない。
「ところで後ひとつ質問があるんだが、いいかな?」
日出男にそう切り出され、ぶつぶつ唸っていた刃が顔を上げる。
「何ですか?」
「君はEGCの情報は何処から手に入れた?」
日出男の顔は、まるで罪人に問いかけるように厳しくなっている。
「それはちょっと……、いわゆる企業秘密ってやつですね」
刃はニカッと笑いながらそう答える。
その一言で、日出男の圧迫するような雰囲気が和らぐ。
「はは、そうだろうな。」
まるで自嘲するようにつぶやく。
「すんません、こっちにも色々ありまして。ただ俺から言えるのは、今の所あなた達の敵になるつもりはないって事です」
「そうか、すまなかったね。今の質問は忘れてくれ」
そう言いながらも、日出男の顔は冴えないままだった。
(今の所は、か。裏を返すならいざの時には敵にもなり得るという事だろう。)
先ほどの言葉の裏に隠された刃の覚悟に気づく。
しばしの沈黙が続いた後、日出男が立ち上がる。
「さて、私はそろそろ失礼するよ」
「これからどうするんですか?」
刃も立ち上がりそう質問する。
「そうだね、今は織姫君の行動しだいといった所かな。……あくまで個人的意見だが、このままEGCに行ってくれた方が良いとは思うが、ね。立場上それを黙って見過ごすわけにもいかない」
日出男はそう言うと少し悲しそうな笑顔を見せてくる。
「そうっすか、……まぁしょうがないですよね」
二人はその後軽い握手を交わし、喫茶店を出て行く。
会計を済ませ外に出ると、日出男は星診署に向かうため歩き出す。
「榊君、君は織姫君がこれからどうすると思う?」
思い出したように日出男が振り返りながらそう言ってくる。
「……分かりません、確かに理屈ではEGCに行った方がいいのかもしれないっすけど、素直にそうするとも思えないですけどね。あいつひねくれてるっすから」
刃がそう答えると、
「そうか」
そう言うと日出男は今度こそ星診署に向かい歩き出す。
歩きながら今後の事を考えるが、あまりいい考えが浮かんではこない。
暫く考えながら歩いていると、携帯が鳴り出す。
「誰だ?」
画面には非通知の表示が出ている。
「もしもし、押上さんですね」
若い女性の声である。
「そうですが?」
電話の声の主に、日出男は心当たりがない。
「織姫真はご存知ですよね? その事であなたに話があります。聞く聞かないはそちらの判断にお任せしますが、もし聞く気があるのなら今から一時間後、星診駅まで来てください。では」
「もしもし、いったい……」
日出男がそう言った時にはすでに電話は切れた後であった。
(いったいなんだと言うんだ?)
あからさまに怪しい話ではある。
が、多少危険だろうと『織姫真』の名前が出てきた以上行かないわけにはいかない。
「さて、吉と出るか凶と出るか」
翌日。
星診市の中央に位置する星診駅から南に少しばかり走った場所に、こじんまりとはしているがセンスのよいと人気の喫茶店がある。
平日の昼間、いつもなら買い物帰りの若い主婦たちの交流の場となる所である。そんな喫茶店のカフェテラスに、一際目立つ金髪の女性が入ってくる。
長い金髪をかきあげる仕草は、周りに……とは言っても遠巻きに……いる若い主婦ら同性から見ても絵になっている。
アミア・ベル・レイジーンである。
「女性を待たせるなんて無粋な事はしない様ね?」
そう言ってアミアがひとつのテーブルの所に向かって行く。
「相手にもよりけりかな」
そう答えたのは刃である。
「あら、じゃぁ私は合格かしら?」
からかうようにそう言うと、刃の向かい合わせの位置に腰をおろし注文をとりに来た店員にコーヒーを注文する。
「今の所は、文句なく」
いつものようにおちゃらけながらそういう。
「あら、これから先は」
「それはこれからの話し次第ってことで」
そこまで言うと、刃は表情を変える。
「それで話っていうのは何かしら」
「まどろっこしいの嫌いなんで、……真の件です。EGCに所属しているあなたからホントの話が聞きたいんっすよ」
そう言うとアミアを見つめる。
刃に見つめられて、少し驚いた表情を見せるがすぐに元に戻し口を開く。
「そう、さすがに情報が早いわね。さすがに歩いて話す企業秘密って所かしら?」
今度は刃が驚く番だった。
『歩いて話す企業秘密』は刃の俗称のひとつである。
本人にとっては不名誉この上ない呼び名ではある。
まぁ、否定は出来ないことではある。
「たはぁ、いたいなぁ」
そう言った刃の一連の行動を見て、クスリと笑いアミアが口を開く。
「もぅ隠してもしょうがないかな」
そこで一旦言葉を切り、真のEGC移籍の件について語りだす。
「確かに織姫真にはEGCからの移籍の交渉はしているは。詳細については話せないけど悪い条件じゃないと思うわよ? お金だけの問題でもなく衣・食・住についてもかなりの条件が出ているわ、それに現状を考えると日本では落ち着く場所もないでしょう?」
そこまで言うと、アミアは刃のほうを見つめてくる。
「確かに、今現時点ではそうかもしれないな。……でも、そういう風に仕掛けた人間が言うセリフとも思えないんすよね」
「確かに、七瀬の件については言い訳はしないわ。でも、遅かれ早かれ起こっていた事じゃないのかしら?」
「だからそそのかした、と? それはそっちの都合のいい解釈じゃないのか? 少なくともおまえがEGCの事を話さなければあんな事にはならなかっただろう!」
刃の声がだんだんと怒気を帯びてくる。
「それじゃ、どう言ったらいいのかしら? 君はなんて言えば納得するの? 悪いけど君のお友達ごっこに付き合ってるほど暇じゃないのよ」
刃とは逆に冷静に答える。
「な、お友達ごっこだ! ……ふざけんなよ!」
「ふざけてなんかいないわ。じゃあ逆に聞くけど君がしている事は何? 織姫君に頼まれたわけなの、それとも他の誰かから? それは本当に織姫君のためになる事なのかしら。少なくとも今現時点では織姫君にとってEGCに移籍したほうが彼のためじゃないのかしら? 確かに私のほうでもそういう風になるように仕向けたけど、ああいう事件を起こした以上こっちに来た方が彼のためにもなるとは思わない」
そこまでをあくまで冷静に語ると、アミアは刃に答えを迫る。
「………まぁ、確かにそうかもしれないけど、……それでも、あいつには時間が必要だったんじゃないのか、……少なくとも俺はそう思う。」
落ち着くためにゆっくり言葉を選びながら刃がそう答える。
「そう、ね。彼には考える時間が必要だとは思うわ」
「じゃぁ、なんでそんなに急いで結論を出させようと……」
刃はそこまで言って、ひとつの結論が浮かんでくる。
「交渉期間……ですね」
「……えぇ」
聖からもらった情報に真の交渉権について、裏でシンジゲートが作られそこでEGCが交渉権を取ったということ。そして、こういう裏の世界でEGCみたいな表立った組織が介入してくる事自体異例である。
「なぜ、真が必要なんですか?」
刃が核心に迫るように聞いてくる。
「いいわ、話してあげる。君にも関係がある事だしね」
アミアはそう前置きして話し始める。
「後藤という男を知っているでしょう?」
アミアの口からは意外な人物の名前がでてくる。
「名前だけは知ってるけど……、なるほど、性懲りもなく今度はそっちにもちょっかいを出してるって事ですか」
「まぁ、大体はそんな所ね。正確には後藤はもともとイギリスで活動していて、それがいきなり動きがつかめなくなったの。それが先月の終わりぐらいからまた動き出したの」
アミアがそこまで言って口を噤む。
「それで真、って訳ですか? ちょっと納得いかないんすけどね。確かに俺たちは後藤のグループとやりあってますけど、はっきり言って真の力が必要ってほどでもなかった」
刃は自分の思ったままを口にする。
刃の言葉を聞いてアミアの眉がわずかにつり上がる。
「その時は、でしょう?」
短く答える。
「それじゃぁ、何があったんすか?」
「イギリスにあるEGCの支部のひとつが、壊滅したの。それもわずか数人のグループによって。かろうじて生き残った者もほとんどが重態。生き残った者の話によると相手はこちら側の人間ではなかったらしいけど、いわゆる魑魅魍魎を使ってきたそうなの」
あくまで冷静な口調で伝えてくるが、握られた拳は細かく震えている。
「なるほど、だから真って事ですね」
「えぇ、支部ひとつを壊滅できる力に対抗するためには、ね。それに魑魅魍魎といった類の専門家でもあるわけだからね」
「? 専門家って、そっちも専門家でしょ」
刃は思わず口に出す。
「私たちが使う力とは系統が違うわけ。だからこそ後藤もこっちに来たんだろうし。こっちの理由はこういう訳、理解できた?」
アミアはこれ以上は喋る気はなさそうだ。
「まぁ、一応は。それで真にはいつ?」
「今夜、会う事になってるわ」
二人は見詰め合ったまま黙り込む。
沈黙に耐えかねたように刃が立ち上がる。
「で、君はどうするの?」
「さぁ、どうすっかな。……とりあえずは氷浦に帰りますか。それじゃ」
そう言うと、刃は背中を向けて歩き出す。
「悪いようには、しないわ」
去って行く刃の背中に小さく、それでいてはっきりとした口調でアミアがそう告げる。
刃は一度だけ振り返り首を小さく縦に振る。
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