−誕生日に...−


 いつも聴き慣れたその声が、彼女の1日で最も幸せな瞬間を運んできてくれる。
それは夢か現実かも分からない、夢の中でのことではあるが、彼女はそれを夢とは認識していない。
いや、認識していないというよりは間違いか...。
彼女自身それを再び現実の世界で聴きたいと思っているし、それは実際過去にあった出来事だからである。
そう...。あの時ふいに、本当になにげなく振り返った彼女の目に写った彼の姿は、ずっと待ちわびていた一瞬でもあった。

「も...、もしかして、夏穂?夏穂だよね!?」
『えっ...。そ、そうだけど...、誰だっけ?』
「えっ...。ぼ、ボクだよ!ほら、ずっと前だけど同じ学校に通ってた...。」
『ずっと昔...。ひょっとして!?』
「そう!ボクだよ。まさかこんな所で逢えるとは思ってなかったなぁ。」

そう言って笑ったあの人の、すっかり大人になった、けれども昔の面影を十分に残した笑顔が私に向けられる。

『で...、でもどうして此処に?』
「い、いや...。何か急に懐かしくなって...ね。」
『そ、そう?私のこと、憶えててくれたんだ。』
「まあね。ところで夏穂はこれからお出かけなの?」
『う、ううん...。あの...』


『ずっと貴方を待ってたの...。』

その一言、たった一言を口にしようとした時、いつも夢から目覚めさせられる。
『あの時だって言えなかったのに...。』
『一秒でも早く、あの人に伝えたいのに...。』



 彼との再会を果たしたのは去年の9月。最初の日曜日のことだった。
でも夏穂にとっては、それはほんの少しだけ遅すぎる再会であった。でも、それも仕方のないことと彼女自身そう思っている。
あの日、別れの言葉も交わすことなく突然夏穂の前から姿を消した彼。
でも夏穂にはどうしても伝えなければならないと思っていたコトがあった。
でも、それすら伝えることができなかった...。
「サヨナラ」の言葉すら...。 
『きっとまた逢えるんだ』と期待しながら数年経ったが、彼はその姿を見せることはなかった...。
その伝えたい言葉、そして伝えたい想いはより一層大きくなるばかりで、いつしか夏穂は自分でも気付かないうちに、そこにいるはずの、現れるはずのない彼の姿を探すようになっていた...。
そして高校最後の夏休みを迎えようとする頃には外出している時に限らず、店の手伝いをしている時にも顕著に現れるようになる。
ガラリと扉が開くたび何かを期待するような目線を向ける。だが入ってくる客の顔を見るなりその表情は一変して暗くなり、そればかりか作るお好み焼きさえ失敗する始末。
その姿を眺める常連さんは、「珍しいねぇ。どっか具合でも悪いんじゃないの?」と冗談まじりにそれを笑ってくれるが、今までそんな失敗も、そんな表情すら見せなかった夏穂の変化に気付いていたのは唯一彼女の叔母。
そしてその原因も察している。
今までは何も言わなかったが、夏休みを目前にして毎日のように続くそれを見かねた叔母は、のれんを下げながら夏穂にこう言う。
「そんなに気になるんなら、夏休みに入ってから逢いに行ってきなさいよ。」と...。

そのなにげない一言が、夏穂の背中をトン、と押してくれた。

 ようやく心に決め、それを行動に移した夏穂だったが、約10ヶ月前の再会が物語るとおりその時は再会を果たすことはできなかった。
学校で調べてもらったあの人の住所。
来るまでは半信半疑だったけれど、そこには間違いなく彼が住んでいると、表札を見て確信する夏穂。
そして...、胸の高鳴りと不安を押えつつ静かにインターホンを押す。
ボタンを押すと同時に、家の中に「ピンポーン」と鳴り響く音が耳に届く。
だが、それから何分待ってもドアが開く気配はない。
『ひょっとして外出してるのかな...?』
そう思った夏穂だったが、どうしてもそのはやる気持ちを押えきれない。何度となくインターホンを押し続ける。
だが、相変わらずその耳には彼の声は聞こえてこなかった...。

 でも、どうしても逢いたい。
だがあの人が留守の今、すぐに逢うことができないのは十分わかっている。
けど...、どうしてもこの私の気持ちを伝えたい...。
そう思った夏穂は、おもむろにバックの中から1枚の便箋と封筒を取り出した。
『でも...、でもあの人は本当に今でも私のことを...?』
ペンを握りしめ、自分の名前を手紙に書こうとしたその時、その想いが不安となって夏穂を襲う。
でも...、やっぱりこの気持ち押えられない...。
『もしあの人が今でも私のことを憶えていてくれるなら、きっと分かってくれるはず...。』
そう思った夏穂は、たった1行だけ手紙に書いた。
今の私の願い。そして今の彼女のすべての気持ち...。


『あなたに、逢いたい...。』

 彼との再会を無事果たした夏穂は、その後は前のように元気を取り戻していた。
彼も暇を見つけては夏穂に逢いに来て、そのたびに照れくさそうに頭をかく。
でも再会してからもう何度か逢っているのに、こないだも、
「や、やあ...。久しぶり。元気だった?」。
『昔とちっとも変わらないその仕草と優しい目は、間違いなく私に向けられている...。』
嬉しい反面、何となくよそよそしい彼の応対が少しだけ気になった。
それに、逢う度に何かを言いかけてやめる言葉の続きって、一体何?

逢うたびに少しづつ近づくような気がする気持ちとはうらはらに...。

 夏穂には1つの目標があった。
いや...、目標という言い方は変か。目標というよりは彼女自身の希望だろう。
『高校を卒業するまでに、この想いを伝えたい...。』
何故「卒業するまで」ということにこだわっていたのかは彼女自身分からなかったようだが、何となく大人になってゆく自分が怖かったのではないだろうか...。
時間が経つにつれて、彼の中から彼女との思い出が消えていってしまうような気がしたんだろうか...。
卒業式を1週間後に控えたその夜、彼女は彼に聞いた電話番号に電話した。
『も...、もしもし。森井ですけど...。』
「や、やあ、久しぶり。なかなか逢いに行けなくてごめんね。」
『う、ううん。いいの。あなただっていろいろ忙しいんでしょ?』
「まあね。ただ単に卒業するだけだと思ってたんだけど、なんか...ね。」
『ふうん。やっぱりみんな一緒なんだね。』
「そうみたいだね。ところで、今日は?」
『あっ...、あのね...。』
「何?」
『もっ...、もし良かったらなんだけど、卒業式の日にこっちに来れない?』
「えっ?卒業式の日っていったら、3月1日?」
『う、うん...。やっぱダメかな?』
「ダメ、ってことはないんだけど...。ちょっとね。」
『そ、そうだよね。やっぱり...。友達と打ち上げとかするんでしょ?』
「ま、まあね。夏穂もそうなんじゃない?」
『う...、うん。実はそうなんだ。』
「なんだ。それじゃ夏穂を独り占めしちゃまずいかな。」


そう言って笑うあの人...。
違う...、嘘なの。
ホントはあなたと二人でお祝いしたいの。
あなたに私の本当の気持ちを伝えたいの...。

「夏穂...。ねえ、夏穂ってば!」
『な...、何?』
「だって急にしゃべらなくなるんだもん。どうかしたの?」
『う、ううん。何でもないって!』
「ならいいんだけど。」
『うん。あのね...。』
「何?」
『私ね...、ううん、やっぱりいい。今度来てくれた時に話す...。』
「えっ...?でもそこなで言われるとすごく気になるなぁ。」
『ううん。ホントにたいしたことじゃないから!気にしないで...。』
「...。分かった。できるだけ早いうちに行くようにするから。」
『うん、ありがとう...。』
「それじゃあ、また電話してね。こっちからもできるだけ電話するようにするからさ...。」
『うん、ありがとう。それじゃあ、また今度...。』



 再び彼から電話があったのは、3月の終わりのことだった。
「来月の18日、空いてるかな...?」
卒業の前に電話してから今まで何の連絡もなかったことに夏穂は少し疑問を感じたが、あの人が指定してきたその日の意味はすぐに分かった。
でも...、やっぱり卒業式の日には来て欲しかった。
けど、1日早いけど...、あの人がが自分の誕生日を憶えていてくれたということは素直に嬉しかった。
それに、『あの人がこの日を選んだのにはきっと何か理由がある...。』
そう思って止まない夏穂だった。
 そして一昨日、あの人からまた電話があった。
「18日の10時頃新大阪駅に着くから、迎えに来てね。」と...。
今まではそこまできちんと予定を伝えなかった彼だが、この日はどうしても夏穂に逢わなければならなかったらしい。
夏穂もなんとなくそれを察する。
『うん。きっと迎えにいくから。』


 五月晴れというにはまだ少々早いが、今日はそのくらい天気がいい。
昨日は部の先輩に、『明日は練習、休ませてください。』と言ったところ、
「夏穂が?珍しいね。ひょっとしてデートぉ?」と、同級生にも十分すぎるくらいひやかされた。
それくらい夏穂が練習を休むというのは珍しいことだったのだ。
4月に大学の陸上部に入ってからというもの、平日はもちろんのこと、雨が降っていようが土日であろうが夏穂は一人でもグラウンドを走り続けていた。
そんな練習熱心の夏穂が休むというのだから、他の部員には一大事でもあり、興味を引かれる話題でもあった。
おまけに夏穂は部員の中でも人気があり、いつも誘われていたのだから、誘った男の側としては少々気になる出来事でもある。
『そ...、そんなんじゃないです!ただ店の手伝いをしてくれ、って頼まれただけですよ。』
と一応言い訳をしてみたものの、余計それを容認したようで夏穂もちょっぴり恥ずかしかった...。

 彼が到着するはずのホームで、未だ姿を見せない新幹線に想いを馳せながら、もうかれこれ10分ほど経つ。
と言っても別に新幹線が遅れているわけではない。ただ夏穂は何となく家でじっとしてることができなかったらしい。
一方その頃、列車の中では懐かしい出会いが繰り広げられていた。
だが、これが誤解を招くことになろうとは彼自身想像もしていなかった...。

「あのぉ...。ちょっといいかなぁ?」
とボクは背後から声をかけられていることに気付いた。
今日は10時に着くために少々早く家を出たせいか、いつの間にか眠りこけていたらしい。
ボクはその声のする方を向いた。
「えっ...、ひ、ひょっとして君は...、明日香!?」
「ピンポーン!久しぶりぃ!」
「あ...、いや。ホント、久しぶりだね。元気だった?」
「うん、まあね。ところであなたは?」
「まあ、ボクもとりあえず、ってトコかな。」
「ふうん。そうなんだぁ...。」
「まあね。ところで明日香は?」
「元気だけど...、何?」
「あ、いや。今も横浜に住んでるんだよね?」
「うん。」
「ってコトは、横浜から乗った?」
「うん。」
「全然気付かなかったなぁ...。」
「そりゃそうだよ。だって別の車両に乗ってたもん。たまたま通りかかったらどっかで見たような顔が大いびきかいて寝てるんだもん。」
「あ、いや...。面目無い。」
「あはっ、別にいいんだけどね。」
「ところで明日香はどこに行くの?」
「うん、大阪。今日は明日香ちゃんごひいきのバンドのコンサートがあるんだぁ♪」
「そ、そう。そりゃまた偶然...。」
「えっ...、あなたも大阪で降りるの?」
「ま、まあね。」
「うわぁ、良かった♪私よく分からないからちょっと心配だったんだよね。途中までつきあってくんない?」
「別に構わないよ。あ...、そろそろ着きそうだから、早めに降りようか。」
「そだね。」


 そして新幹線は定刻どおり、決められたホームに停車した。
ゆっくりと開くドア。彼の後ろには明日香。そしてホームには夏穂...。
彼の顔を見つけた夏穂は、元気よく駆け寄って行く。彼も夏穂を見つけて声をかけようとする。
『さすが時間どおり...!?』
と夏穂が声をかけようとした瞬間、明日香が背後から姿を現す。
彼の右手にするりと自分の左手を巻き付けて...。
「ごめん。ホントはもっと早く来たかったんだけど...?夏穂、どうかしたの?」

『バカっ!!』

そう言って夏穂は彼の頬に思いっきり平手打ちをした。
『どうして...、どうしてなのよ!!』
夏穂はその目に一杯の涙を浮かべ、そしてその場から逃げるように走り去っていった...。
1999.04.17 Writer:R.M.
Next Scene...
戻る