Graffiti 4 −いざ、カマクラへ(後編)−


 母と一緒に家を出たのは午後6時過ぎだった。
この時間に家を出ると、札幌に着くのは夜中になるが、まあそれは仕方ない。計画のない旅に時間的代償はつきものだ。
 駅に向かうまでにいくつかの監視にかかったが、「母と一緒に旅行に行く」ということで、順調にパスしていった。
また、母におふれの話をしていたのが功を奏したか、頼んでもいないのにうまいこと口裏を合わせてくれた。
全くできた母親だ。でも、それも駅に着くまでだった。
 駅に着き、浜松町行きの切符を買おうとした時のことだった。
おそらく最後の監視と思われる、若い教師が近寄ってきた。 母と一緒にいたお陰か、妙に穏やかに、
「どちらへお出かけですか?」 と聞いてきた。
「ええ、ちょっと大阪の方へ。」
「ああ、そうですか。で、いつ頃まで?」
「そうですね。春休み中はずっといる予定です。」
母がまたうまいこと答えてくれる。俺は笑いそうだったが。
「そうですか、2週間近くも?」
「ええ。」
母がそう答えると、彼は帳簿のようなものをしばらく見つめ、こう言った。
「でも、彼からは旅行届は提出されていなかったみたいですが。」 ...。
そうだった。うちの学校では、たとえ父兄の同伴であっても、長期(約1週間以上)の旅行に行くときは、学校に「旅行届」なるものを出さないといけない決まりになっていたらしい。
当然、今までは出したことはない、というより、そんなものの存在すら知らなかった。
これにはさすがの母も困ったようだった。一瞬俺の顔を見て、「どうしよう」というような目線を送ってきた。が、しばらくしてこう口火を切った。
「ええ、急な用事だったものですから。」
母がそう言うと、その教師は「ちょっと待ってください」と言って、公衆電話へと向かって歩きだした。おそらく、学校に電話して対策を聞こう、と思ったのだろう。母は、彼に聞こえないように俺にこう言った。
「ちょっとマズかったかしら?」
「いや、そんなことないよ。たぶん、あいつは今年教師になったばかりだから。」
「そう、なら大丈夫かもね。」
母も俺も意外と楽観的だな、と彼に悟られないようにクスクスと笑う。
 ところが、彼はなかなか戻ってこなかった。ちらりと彼の様子を伺うも、まだ電話で話している。
このまま黙って立ち去ろうかと思うくらい時間が経ったが、次からのことを考えると、その行動は自殺行為だと思ったので、仕方がないが、彼を待つことにした。

結局、彼が戻ってきたのはかれこれ20分ほど時間が経った後だった。
「すいません、長いことお待たせして。一応学校側に確認は取りましたので。」
といって、ようやく俺らを開放してくれた。
立ち去り際に「今後は旅行届を提出するように」と釘はさされたものの、なんとか危機を回避できた。
母もやや疲れたらしく、深いためいきをついたあと、「あんたもいろいろ大変ね」と言って、再び顔を見合わせて笑った。
 ところが、一難去ってまた一難。それは空港に着いた時に判ったことだった。
札幌行きの飛行機が、季節外れの雪のため着陸できず、今日は全便欠航になっているという。
当然ではあるが、大阪行きの飛行機には何の問題もない。
「どうするの?これから。」 母が俺に言う。
「別に俺は急ぐ必要もないし、それに、明日になれば飛行機も飛ぶみたいだし、今晩はここに泊まるよ。」
「そう。じゃ、私は行くわね。」
「うん、ありがとう。助かったよ。」
「それじゃ、気を付けてね。」
そう言って母は大阪行きの飛行機へと乗り込んだ。
 母の乗った飛行機が離陸し、ようやく一人でじっくり考える時間ができた。何といっても明日の朝まではここで足止めなのだから。
別に考える時間が欲しかった訳ではなかった(当然、母と一緒にいるのが嫌だった訳でもない)が、なんとなくゆっくり考えたい、そんな気分だったのだ。
なんといっても、その根元になったのはあの、「変な」手紙につきる。
あの手紙さえなければ、今回の俺の行動はなかった訳であり、ここまで俺の気持をかり立てることはなかったと思う。
「何故ここまで、気になるのか。」その答えを見つけるためか、ただ、ほのかに会いたいだけだったのか。
いずれにせよ、ラベンダー畑が目的でないことは確か、ということだけははっきりしていた。
それに、北海道に行ったところで、必ず会えるという保障はどこにもないことを、この時点になってようやく認識した自分に気付いただけだった。
目的のない旅は今回に限ったことではないので、それも仕方ないかと半分は諦めているが、できることなら、会って「変な」手紙の真意を確かめたい。
7年振りの北海道。どこに住んでいたかも定かでない記憶だけがたよりという非常に不安な気持と、妙に高ぶるせつなさを胸に、べンチに横になり、夜明けを待った。

「最近の天気予報は、ずいぶん当るようになったな。」
というオヤジの会話で目が覚めた。
確かに、目が痛くなるほどのまぶしい朝日。これなら間違いなく飛行機も飛ぶだろう、と変な部分で安心する。
結局、昨日の答えは見出せなかったが、まあ、なんとかなるだろうという極めて楽観的な考えに落ちついた。しかし、住んでいた場所もはっきりと憶えていない。
しかも、7年振り。追いうちをかけるように思い出す、「他人の空似」。
やはり、何とかなると割り切るしかないのか...。
いろいろ考えても仕方がないと、ようやく目覚めた身体を起こし、搭乗口へと向かった。
最近の旅で飛行機に乗るのは久し振りなので、やや緊張するのと同時に、あのおふれのせいで、余計な部分に旅費をかけなければならなくなったことにやや腹が立った。
でも、後で判ったことだが、結果的にこの行動が天国と地獄を見ることになるとは、この時は全く知る由もなかった。
いよいよ離陸。まさに死刑台に登る覚悟、「いざ、カマクラへ」である。
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