Graffiti 5 −昔の記憶 (1)−


 飛行機のタラップを降りると、俺を迎えてくれたのは晴れ渡った青い空と、少し冷たくて、爽やかな春風だった。
やはり、3月という時期だけあって、東京に比べるとまだ若干寒い。念のため着てきたコートが役に立った。
2回目である。1回目は昨日空港で一夜を過ごしたときだったが...。
 7年前と同様、まだ街の端々に雪の残る風景がそこにはあった。あの頃の情景がオーバーラップしてきそうな、そんな感じだったが、それと同時に辺りの街並のあまりの様変わりに少々不安にもなった。
とりあえず、頼りない知識とかすかな記憶をもとに、昔住んでいた家を探すことにした。
あてもなく彷徨う(ほのかを探す)よりは幾分マシだろうという考えである。
札幌駅から徒歩10分、これが昔住んでいた場所の限りある記憶である。なんとも情けなく、たよりないことこのうえない。
あとは、かすかな情景の断片が頭の中にある程度であった。
 まさになんとなく、であった。ぶらぶらと歩いているうちに、ある場所を通りかかった時、一瞬、昔の記憶が蘇ったというか、妙な懐かしさに襲われた。
それはまぎれもなく、誰もが知っている大通り公園だった。
何故この場所に記憶があるのか、妙な懐かしさが胸にこみ上げてきたのかは記憶の糸を辿る限りでは思い出せなかったが、何らかの思い出があったことは確かだとの結論に至った。
ただ、肝心な内容が出てこない。
「そうだ、ここにいれば何か思い出すかも!?」と思い、しばらく歩き回ってみることにした。
...。ただ寒いだけであった。それに、朝から何も食ってない。体も冷えて、腹も減った。
「まあ、慌てることもないか。」という、情けない結論に至り、再び札幌駅に戻り、地下街で食事を取ることにした。
 地下街は暖房がきいててあったかい。少しだけ気が抜けるようなそんな気分になり、空腹に拍車をかける。
何を食おうかなと辺りを見回していると、悲しき習性か、知らず知らずのうちにバイトの張り紙を探す自分に気付く。
「まあ、金が底をつきそうになったら、お世話になるかな。」と思いつつ、張り紙の貼ってなかった定食屋へ足を踏み入れた。
 適当に食事を済ませ、再び昔の我が家を探すべく、また歩きだす。が、記憶だけをたよりに探すのはあまりにも自信がなかったので、近くの本屋で地図を購入した。
「少なくとも今日中には見つけないと」という思いが功を奏したか、記憶が蘇ったのか、地図が役に立ったのかは判らないが、意外とあっさりと見つけることができた。
昔の我が家、である。
「そうか、ここだったのか」 家を見つけたことで、それに付随する記憶が次々と蘇ってくる。
通っていた小学校、よく寄り道した川原や公園、それに...。
それに、ほのかの家...。

 転校してきてからしばらくは、同じ境遇の者が体験する「孤独」というものを感じていた。
日本全国を股にかけてきた俺でも、その孤独はいつも感じていたし、今回も特別ではなかった。
初めての時よりは少しは慣れたが...。
「淋しい」とはちょっと違う、何とも説明しがたい気持ちなのだが、これが結構つらい。
でも、友達を作ることにはもうその頃は慣れていたので、さほど淋しくはなかった。
ところが、その「友達」とは一線を画する、しかも女の子の友達を作ることができる、ある出来事があった。

 転校してきてからおよそ1ヶ月後のこと、ある牧場へ遠足へ出掛けた時のことだった。
あのラベンダー畑に出会ったのもその時だったが、牧揚の人の好意で、1人だけそこで飼っていた馬に乗せてもらえることになった。
それがまぎれもない、ほのかだった。
ほのかの親父さんは、北海道大学の農業系の教授で、しかも親父さんの実家は、同じく牧場をやっていたので、彼女は乗馬には長けていた。
そのため、クラスの代表として乗ることになった。
さすがに手慣れたもので、みんなが驚くほどうまかった。地元の奴らが驚くほどの腕前だ。
しばらくは順調に乗りこなしていたが、異変は突然起こった。
突如、馬が暴れ出したのだ。
後で判ったことだが、その原因は、クラスの男子が馬の尻尾の毛を1本抜いたことで馬が驚いて暴れ出した、ということだった。
彼らはその後こっぴどくしかられたが、それよりもひどいことになったのは他でもない、俺だった。
いくら乗馬がうまいといっても彼女は(俺も)小学生。その馬を暴れを抑えることができるはずもなく、彼女の体がふわっと宙に投げ出され、その高さは2mを越えていたと思う。
そのままいけば間違いなく地面に叩きつけられる、と誰もが思ったという。と同時に、皆恐怖で体が固まり、動くことができなかったと後で聞かされた。
俺もその時は無我夢中だった。知らないうちに足が飛び出し、彼女の落下地点に体を放り出した。
...。ぎりぎりセーフ。幸い彼女は軽い打撲ですんだ。が問題はダイビングした俺のほうだった。
受け止めたその手はかすり傷だけだったが、なんと俺の足の上に馬の後ろ足が着地、みごと左足骨折という、なんとも情けない結果になってしまった。
それからである。クラスの皆に完全に受け入れられたのも、ほのかと話すようになったのも...。

 昔の記憶が蘇った。と同時に大事なこともいくつか思い出した。
そうだ。ほのかの居場所が分からないのなら、親父さんに聞けばいい。北海道大学なら、覚えてなくても地図に載っている。
 とりあえずほのかの家にいってみたが、残念ながら、ほのかの家だったところは、今はそうではなくなっていた。
よし、今から行こうと、足を北海道大学へ向けたは良かったが、時間が時間。すでに辺りは暗くなっていた。
残念ながら、今からでは行っても会うことができないと思い直し、明日改めて行くことにした。
「仕方ない。今日のところは安いホテルを探すか...。」
 再び駅前へと足を向けた。
駅前に着いたときはすでにとっぷりと日が暮れていた。まだ6時だが、東京と違い日が暮れるのが早い。そして、昨日の天気の再現か、また季節外れの雪がちらついていた。弾む息が白くなる。
持ってきたコートが三度役に立つ。というのも、ホテルが無いのだ。
あちこち歩き回るも収穫なし。ホテル側いわく、「連休初日だから当然」という。
確かに、いままでその経験がないわけではなかったが、この寒空に野宿はきつい。
初日から野宿で体調を崩すのは非常に口惜しい。明日は北大に行かなければならないのだから。
仕方なしに郊外へと足を伸ばす。札幌の景色を列車の窓から眺め、その美しい景色にしばらく目を奪われる。
「この街のどこかにほのかはいるはずだ」と思いつつ...。
札幌から2・3駅離れた駅で降りる。幸いなことに、少々値は張るものの、手頃なビジネスホテルを見つけそこに泊まることができた。
「よし、明日は北大だ。」 ようやく目標を見つけ、妙に気合の入る俺だった。
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