Graffiti 9 −オヤジの真意−
初日から鬼のように働かされた。のれんを降ろしたと思っていたのは実は俺の勘違い。ただの「準備中」だった。
店を再開した後は、怒濤のように客が押し寄せる。
「こんなに忙しいのに、なぜバイト募集の張り紙を出さないのか。」と皿を洗いながら聞くと、「仕事がきつすぎて今まで3日と持った奴がいなかったから。」と答える。
なるほど。オヤジの不敵な笑みの意味がようやく分かった。
でも、この人に頼る以外他の選択肢がほとんどなかったことは俺もよく分かっていた。かなりきついが、ここでがんばるしかないか、とようやく覚悟を決める。
しかし、あの「おふれ」がこんなところまで影響するとは思わなかった。
「死刑台」は多少言い過ぎたと思ったが、今となっては非常に適切な表現だ、と妙なところで満足する。が、やはり地獄だ。
結局、その日眠りについたのは、日付が変わるほんの少し前だった...。
「おい、起きろ!」 と、ガツンと頭を蹴られて起こされたのは、なんと午前5時だった。
体が鉛のように重い。
まかない付きという条件につられ、住み込みで働くことを選択したことを今頃になって後悔する。
だが、ここで逃げ出すのも卑怯だし、おやじの好意にも反する。
「な、なんですか...。」
眠い眼をこすりながら俺が答えると、
「これから仕入れだ。さっ、いくぞ!」
といって、もう決して役に立たないと思っていた俺のコートを放り投げた。
「まだこの時期は寒いからな。カゼひくなよ。」
車を飛ばすこと約30分。ようやく市場へと到着する。確かに寒い。
昼間のあったかさがウソのようだ。近くの温度計がそれを俺に分かりやすく教えてくれた。「4度」。
それでもオヤジは元気に走り回る。俺は特に仕入れの知識があるわけでもなく、ただオヤジの後を金魚の糞のようについて回ることしかできなかった。が、今までに見たことのない世界。東京にいる頃は見ようとも、また見る機会もなかった世界。
ある意味これも、「裏の顔」か。
走り回ること1時間。ようやく仕入れも終了し、店へと戻る。するとオヤジがこう言ってくれた。
「とりあえず開店までお前の出番はないから、しばらく奥で休んでな。」
帰りの車の中でうとうとする俺を見ていたのか、嬉しい言葉をかけてくれる。
「ありがとう。でも、住み込みのバイトで店主が働いてるのに、バイトが寝るってものなんだかね...。」
と俺が言うと、またオヤジは不敵な笑みを浮かべて、
「地獄はこれからさ。」 と呟く ...。
素直に休ませていただきます...。
あれからかれこれ3、4時間経っただろうか。あまりの太陽の眩しさに、否応なしに目が覚める。
時計を見ると11時前だった。
さすがにこれ以上寝ているのも気が引けて、台所へと足を運ぶ。
多少ツライがこれもバイト代のため。仕方がない。
「おう、グッドタイミング。丁度起こしに行こうと思ってたところだ。」
「派手に起こされたくなかったんでね。」
と俺が皮肉まじりにいうと、オヤジは「やるな」という顔で俺を見て、
「さて、第2ラウンドの始まりだ。これからが稼ぎ時だ。しっかり働けよ!」と言い、俺に市内の地図と自転車の鍵を渡した。
「まさか...。出前!?」
「そうさ、そのとおり。」
「でも俺、この辺の地理にはうといんだけど」
「大丈夫だ。お前みたいな奴のために、ここは碁盤目状になってるんだから。それに、だてに4日もふらふらして訳じゃないだろ!」
「ま、まあね。でも大丈夫かな。」
「おっ、お前が心配とは、こりゃまた雪でも降るかな?」
一言多いオヤジだ...。
もう少し黙ってりゃ、いい奴なんだが。
「なんか不満がありそうだな。」
「いえ。行かせていただきまーす。」
まさか札幌に来て出前をやることになるとは思わなかった。確かに4日間でほとんどの場所を歩き尽くしたので、まず大丈夫だとは思ったが、それ以上に心配だったのが、その経験がないこと。だがオヤジはそんなことお構いなし。早くしないと蹴飛ばすぞ、と言わんばかりの雰囲気で、次々に注文の品を作る。
こりゃあ、のんびりしている暇はなさそうだ。
オヤジの言うとおり、非常に分かり地形で助かった。幸か不幸か一度も道に迷うこともなく、わずか2時間で10ヵ所以上の場所に配達に行った。
オヤジも、「初めてにしては良くできたほう。」とガラにもなく褒めてくれる。
そして、出前が落ちついたところで昼食。悔しいがやっぱりうまい。その後は出前皿の回収だけでたいした苦労もなく、順調に時間は進んでいった。
こんな生活3、4日続いた、さすがに初日は堪えたものの、3日もたてば慣れてしまった。「3日も続かなかった奴の顔が見てみたいものだ」と少しだけ自慢すると、オヤジいわく「金のためなら人間なんでもできる。このくらい当たり前。」という。
じゃあ、俺は金の亡者か?
まあ、そんなことはどうでもよいのだが、その日の夕方、驚くべき(というか後で考えてみれば当たり前の)出来事があった。
夕方は出前もなく、店番兼ウエイターをやっているのだが、そんなに客が多いわけではなかった。むしろ忙しいのは7時以降。
仕事帰りのサラリーマンがちょっと一杯、という感じだ。
俺が暇そうにカウンターの奥でテレビを見ていると、2〜3人の女性の客が入ってきた。
「こんな汚い店に女の人が来るんだ。」と俺がいうと、
オヤジのゲンコツが頭に突き刺さる。
「無駄口叩かねえで、さっさと注文取ってこい!」
と尻をたたかれ店内に入ると、座っていたのはなんと女子高生だった。
しかも良く見ると、その中の一人は、ほのかではないか!
「これはまずい」と思った俺は、一目散に引き返す。
するとオヤジは不思議そうな目で俺を見て、「注文は?」と聞くが、真っ白な伝票と俺の慌てた顔を見てこう言った。
「ははーん。さてはあれが例の旧友か?」
「な、何いってんだよ!違うよ。」
「だったら何で注文取ってこねえんだ?」
言い返す言葉がない。
それに、このまま注文を取ってこないとますます怪しまれる。 俺は覚悟を決めた。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
無駄なこととは思ったが極力悟られないようにと、声のトーンを変える。が、やはりそれもしばらくしかもたなかった。
それにかえってオヤジの疑惑を確信へと変えただけだった。
ところが、俺が最も警戒しているほのかは、気付く素振りを見せない。念のためとほのかの背後に立ったのが項を奏したか。
「ラーメン3つお願いします。」
ほのかの友人が注文を言う。
俺は助かった(なぜそう思う?)と思い、伝票にササッと書き込み、また逃げるように厨房へと走る。
戻った俺にオヤジが「なんだ。違うのか。俺の勘も鈍ったもんだな。」という。
「いや、あんたの勘はちっとも鈍っちゃいないよ...。」(〇る子風に)
心の中でそう呟く俺だった。
オヤジの手は早い。といっても女子高生に手を出した訳ではない。料理だ。
さすがに俺もその技術はないので、いつも傍から見ているのだが、その手さばきには毎回驚かされる。
「さっ、出来たぞ、早く持ってきな!」とオヤジ。
第2ラウンドの開始である。こんどもバレなければいいが。
「お待たせしました。」 そういって俺はテーブルに近づく。幸いほのかは振り向かなかったが、俺の声を聞いてか、一瞬動きが固まる。
こちらを振り向きそうな素振りを見せる。
俺はそれを避けるため、その反対の方向へと回ったが、それがあだとなった。
テーブルの上に3つのラーメンを置く。
ほのかがゆっくりをこちらへ顔を向ける。
...避けられなかった。目が合う。
ほのかが止まる。
俺も一瞬止まる。も、ほのかは口は開かなかった。
俺はてっきり「どうしてあなたが此処にいるの?」と聞かれると思っていたが。
その訳はほのかの口から後で直接聞くこととなる。
「ごちそうさまでしたー。お金、ここに置いときまーす。」
無事、3人は出ていった。結局ほのかは最後までその目線で俺を追うことはなかった。俺も極力それを避けた。
どんぶりを引くためにテーブルへと向かう。
さっと片付け、お代を手に取ろうとしたとき、それはあった。
伝票の裏にかかれたメモ。
「明日10時に大学の厩舎で待ってます。ほのか。」
やはりバレていたか。 しかも俺の背後にはオヤジ。そのメモを見て、少々自慢げにこう言う。
「やっぱりそうか。まだまだ俺の勘も鈍ってないな。」
俺はいまさら隠してもしょうがない、と覚悟を決めて、ついにすべてを話した。
「そうか。そうことか。しかし、女に逢いにわざわざここまで来るとはたいした奴だな。」
「まあね。でもそのきっかけを作ったのはたぶん、彼女なんだ。」
「だったらどうして直接聞かねえ?男らしくねえな。」
「しょうがないだろ、会っていきなり、不確かな話をする訳にもいかないだろ。」
「まあ、それもそうだな。」
...。恥ずかしかった。オヤジはニヤニヤと笑いながら、「やるな」という表情で俺を見る。そして、こう言った。
「でも、今の話を聞かされた以上、お前をこれ以上雇うわけにはいかないな。」
「えっ、どうしてですか?」
「悪いが今日の皿洗いまでだ。」
そう言ってオヤジは厨房へと戻り、夜の客にそなえて準備を始めた。
その後(バイトが終わるまで)は、オヤジとは一切口を交わすことはなかった。
最後の客が帰り、残された膨大な皿との格闘を終える。そして、最後のまかないを食べている時のこと、数時間ぶりにオヤジが口を開いた。
「今日はここに泊まっていきな。」
「えっ、いいんですか?」
「ああ。いくら今日で解雇だからって、この寒空に追い出すわけにもいかんだろ。」
「ありがとうございます。」 いろいろお世話になりました、と頭を下げると、おやじは「お互いさま、俺も助かったよ」と酒を飲みながら言う。
でも、俺が一番気にしているバイト代のことは一切口にしなかった。
何度か聞こうかと思ったが、ここで変にオヤジの気を悪くしたら困る、と思い、何も言わなかった。
おい、オヤジ。一体何を考えてるんだ...。
数日間ここで寝泊まりしたせいか、オヤジに頭を毎日蹴られたせいか、5時前になると自動的に目が覚めた。
さすがに俺はバイト代のことが気にかかり、オヤジを探すも見当たらない。
「おかしいな。仕入れに行くににはまだ早いんだが...。」
部屋(店)の中を探すが、その姿はなかった。外で運動でもしているのかと店の表へ出てみるも、やはりその姿はなかった。
しかし、仕方なく店に戻ろうとした時目に飛び込んできたのが、「本日定休日」。
今日は定休日じゃないのにどうして、と思いつつ店の中に戻ると、カウンターの上に白い紙が置いてあるのを見つけた。
それはオヤジが俺宛に書いたメモだった。
「今日はダチと釣りに行くことにしたので店は休む。戸締りは任せた。鍵はいつもの場所に置いとけ。」
と書いてあった。そしてさらにこう続く。
「お前には随分世話になった。お前のおかげで随分稼げたので、今日こうやって好きな釣りに行ける。バイト代はお前のコートに入れてあるが、必ず全部持っていけ。いいな。一円でも残していったら、分かってるよな?」
と文章を締めくくっていた。
コートを調べると、内ポケットに小さな封筒があった。
中を開けてみる...。その中の額に驚く。6万円。
「こんなに貰っていいんだろうか...。」
そう思う。しかし、金を残していくわけにもいかない。あのメモにも書いてあったが、これ以上オヤジを裏切るわけにもいかない。多少気は引けたが、これもオヤジの好意と受け止め、素直に全額受け取ることにした。
そして、金を財布に移すべく、封筒から抜き取ったとき、一枚の紙がヒラヒラと落ちた。
それにはこう書いてあった。
「給料明細。バイト代4日分、5万円。デート代、1万円。」
やってくれるぜ、オヤジ...。
少しだけ、涙が出る。
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