Graffiti 10 −冷たい雨といいわけ−


 長い間世話になったお礼に、店の中を掃除して、オヤジに一言メモを残す。
「ありがとうございました。またお世話になります。」
店を出ると、まず俺を迎えてくれたのは眩しい朝日だった。ここ数日はそれを背に仕入れから帰ってきていたのだが、正面からそれを迎えるのは久しぶり、というか初めてだった。
「早起きは三文の徳」。なにかいいことありそうだ。

 待ち合わせは10時。今はまだ7時過ぎだから待ち合わせにはやや早い。先に行って待っていようかとも思ったが、部外者の俺が一人佇む訳にもいかないと思い、バイトで稼いだ金でとりあえず朝飯をたしなむことにした。
さすがに時間が早いだけあって、人影はまだまばらだ。でも、今日は我々学生にとっては最後の休息日。きっとこれからの時間人が増えるに違いない。
と、その前に俺は今日東京に帰らねばならないことを忘れないようにしなくてはならない。
それにしても以外だった。あんな所でほのかに会うとは。だが、ほのかが俺を誘った意図がいまいちよく分からない。
確かに「今度また来る」といったときは嬉しそうな感じだったと思う。
まあ、百歩譲ってほのかが会いたかったとしても、何故あの時声をかけてくれなかったのか。
それにどうしてわざわざ大学の厩舎だったのか。大通り公園とかでも良かったと思うが。
またほのかに聞かなければならいことが増えてしまった。

時間潰しと朝食を兼ねて、近くのファミレスに入る。
時間が時間だけにやはり人は少ない。
朝からヘビーな食事はきついので、サンドイッチとコーヒーで今日の活力源を得る。
しかし、やはりオヤジの作る飯はうまかった。サンドイッチにもすぐ飽きる。そして、ここ何日かでついた生活習慣からか、やや眠気を催す。
「まだ時間があるから、一休みするか。」
金を払い場所を移動する。行き先はあの時ゆっくりできなかった「大通り公園」。
休むという目的が主だったが「何か思い出せそうな気がする。いや、ここには何か重要な思い出がある。」まだそんな気がしてならなかった。
暖かい朝日に照らされて一眠りする。でも、完全に眠っていた訳ではなかった。
日が高くなるにつれて活気づく街の雰囲気を感じながら、過去に思いを馳せる。
と、相変わらず何も思い出さない。というよりその前に、昨日のほのかの行動が未だに理解できなかった。
「何故昨日声をかけてくれなかったのか」「何故今日なのか」。

それとも、俺が思い出したくないのか?その無意識の意識の中で...。

 「さて、行くか!」 妙な気合をいれつつ体を起こす。9時半。約束は10時だったが、遅れてはならないとやや早めに北大へと足を運ぶ。約2週間前に歩いたその道を再び歩く。今日はいったいどんな出会いが、どんな事件が起こるのだろうか。
不安と期待を胸に、その目に厩舎をとらえた。
そこに着いたのは約束の10分前だった。幸いにもまだほのかは来てなかった。
なぜ「幸い」と思ったかというと、先にほのかが来ていたら、どういう顔をして、何と声をかければよかったか全く分からなかったからだ。それだけ昨日のほのかの行動は理解できなかったのだ。
ところが、約束の時間を5分ほど過ぎてもほのかはその姿を見せなかった。まあ、5分位ならと思いつつ、厩舎を端から端までぶらついてみるも、やはりまだ来なかった。
「待ち合わせ場所を間違えたか!?」と慌てて例のメモを取り出してみるも、書かれているのは、
「明日10時に大学の厩舎で待ってます。ほのか」
やはり間違いはない。どうしたんだ?

 その後1時間が経過した。がやはり姿を見せない。俺も最初の30分位は「まあ何かの用事で遅れているんだろう」と思っていたが、さすがに1時間もたつとさすがの俺も不安を隠せない。
「仕方ないか」と立ち去ろうとしたその時のことだった。
あの馬(ほのかが育てている馬)が、俺のシャツの袖を口でくわえて離さない。
「なんだお前。ひょっとして、待てって言ってるのか?」
俺は問いかける。直後その行為に一瞬恥ずかしくなったが、馬はそう言いたかったのか、その口を開こうとはしなかった。
「わかったよ、もうちょっと待ってみるから。」
そういって馬の頭をなでると、「それでいいんだよ」と言わんばかりに口を開き、何となくではあるが、嬉しそうな表情を見せたように思えた。
「まあいいか。急ぐ用事もないし、もうちょっと待ってみるか。」

 それをあきらめたのは、腕時計の針がちょうど1つになった時だった。
約束の時間から2時間、さっきは馬に引き止められたこともあったが、そいつも立ち去ろうとする俺を止めようとはしなかった。
その間、何人かの人が厩舎の前を通り過ぎたが、その誰もが「何やってんだ」という表情で俺の方を見ていった。
俺もその視線は感じ、またやや苦痛でもあった。
「ここにいてももう逢えないか。」
そう思った俺は、今日帰る飛行機の時間とPHSの電話番号をメモに書き、馬の近くに残してそこを去った。
その後空港に向かうまでは、バイト先の店長と美術部の友人への土産などを買い、残りの時間は市内をぶらついた。
「ひょっとしたらほのかに逢えるかもしれない。」と思っていたのだが、残念ながらそれは叶わなかった。
さっきまで天気の良かった空が、厚い雲に覆われはじめた。傘でちょっとつつけば今にも雨が落ちてきそうな、そんな感じだった。
時間は4時。空港へ向かうべく駅へと向かう。
途中オヤジの店に寄ってみるも、まだオヤジは戻っていなかった。最後に一言と思ったのだが...。
「結局ほのかの目的は何だったんだ?」 と思いつつ、空港行きの電車の切符を買い、ホームへと向かった。
それからしばらくして、空からどしゃ降りの雨と同時に、空港行きの列車が滑り込んできた。
今日、ほのかと逢えなかったことが少し残念だ、と思いつつ列車に乗り込む。
それにしても、今回の札幌旅行、いろんなことがあったなあと思いつつ、ドア付近に立ち列車の出発を待っていた。

「まもなく3番線より、札幌空港行きの列車が発車します。ドア付近の方はご注意下さい。」
アナウンスが流れる。発車ベルがけたたましく鳴り響く。そして、もうすぐ列車のドアが閉まる、その時だった。
「ほのか!」
なんと、俺の乗っている列車の方へ走ってきたのだ。しかしその姿は、どしゃ降りの雨に濡れ、相当走ってきたのか、肩で息をするほど呼吸とその髪は乱れていた。
必死に何かを探すほのか。ひょっとして、俺を追っかけて来たのか?
「ほのか、こっちだ!」
と俺は大声で叫んだ。すると、ほのかは俺に気づいたのか、唇を噛みしめ、必死にこっちに向かって走ってきた。
「ごめんなさい。私、私...。」
そう言って俺の前に立つ。膝に手をあて、ガックリと落とした肩で荒い呼吸を繰り返す。
「どうしたんだよ、こんなに濡れて...。」
「だって、だって...。」
疲れて話せないのか、言葉につまるほのか。何か言っているようにも見えたが、その声は発車ベルにかき消されて聞き取ることができなかった。
「まもなく発車いたします。ドア付近の方はご注意下さい。」
そのアナウンスの後、ドアが閉まろうとしたその瞬間、俺はほのかの手を掴んで列車の中へと引き込んだ。
「ごめんなさい。私...。」
と未だ声にならない言葉で俺に話しかける。俺は、
「もうちょっと落ちついてからでいいから。」
とバックからタオルを取り出し、ほのかの肩をポン、とたたいてそれを差しだした。
列車が動きだす。その反動でちょっとよろけるほのか。よほど疲れていたのだろう。
俺はほのかを支えるべく両手でその体を支えた。が、ほのかは俺の両手をつかんだか、と思った瞬間、俺の胸にとびついて、そして、泣いた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」と何度も言いながら...。
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