Graffiti 11 −反則。約束。−
結局、空港に着くまでの列車の中でほのかと言葉を交わすことはなかった。というより、できなかった。
ずっと泣いていたのだ。まるで、外で降り続く雨のように...。
「もういいから。」と俺もなぐさめ続けた。が、ほのかはタオルで顔を伏せたまま「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し首を横に振るだけだった。
俺はそれ以外何もできず、濡れて冷たい、カタカタ震えるほのかの肩を引き寄せた。
「もう少し俺が待ってればよかったのにね。」となぐさめの言葉をかけながら...。
ほのかが泣くのをやめたのは、列車から降りて空港の待合室へと着いた頃だった。
俺はほのかをイスに座らせ、冷めた体を温めようと、もう泣いちゃだめだよ、とさっき買ってきた熱い缶コーヒーを差し出した。
「はい。早く体あっためないと、風邪ひくよ。」
「ありがとう。でもその優しさはちょっと反則かな?」
「いや、そういうつもりじゃなかったんだけど。でも、皮肉を言えるくらいならもう大丈夫だね。」
「もう。なによ!」 と言って、俺がさっき渡したタオルを投げつける。でもその顔に笑顔が戻っていたので、俺としてはようやく安堵のため息、といったところだった。
「ごめん。これ開けて。」 ほのかは俺がさっき渡した缶コーヒーのプルタブを開けてくれと差し出す。
俺はほのかの顔を見て、「まだ目が赤いよ。」というと、ほっぺたを膨らませてちょっと怒った顔を見せたが、すぐにさっきの笑顔を見せてくれた。
ちょっと安心して、俺はそれを開けながら、
「どうしてさっきは?」 と聞くとほのかは、
「ほんとにごめんなさい、私が約束しておいて...。」
とまたその目をウルウルとさせる。
「言うことを聞かない子にはこれはあげません!」と栓を開けた缶コーヒーを飲もうとすると、「あっ、ずるーい!」といって俺の手からコーヒーを取ろうとした。
俺は持っていた缶コーヒーを背中の方に回し、「もう泣かない?」と聞くと、ほのかは「うん、分かった」という表情でうなずいた。
「じゃ、はい。」とそれを差し出すと、ほのかはおいしそうにそれを飲んだ。
「うーん、何ていい雰囲気なんだ。」と一人満足する俺だった。
でもこれって、やっぱり反則?
本格的に泣きやんだところで、もう大丈夫だろうと再び聞く。
「どうしてさっきは?」
「ごめんね。私から約束しておいて。」
「いや、それはいいんだけど。」
「あのね、ホントは10時にちゃんと行くつもりだったんだけど、ちょっと...。」
「ちょっと?」
「ごめん、やっぱり、訳は今度話す。」
「えーっ。なんかそれってズルくない?俺、2時間位待ってたのに。」
「もう。また泣いちゃうぞ。」
「わかった、分かったから。でも、ずぶ濡れになってまで追いかけて来なくても。」
「だって...。悪いと思ったし、あの子が行け、って言うんだもん。」
「あの子って、ひょっとして昨日の友達?」
「ち・が・う!あの馬よ。」
「あ、あいつが?ひょっとしてほのか、厩舎に行ったの?」
「うん。でも行ったときにはあなたはいなかったし、それにメモが残ってたから。」
「何時頃?」
「うん。12時過ぎかなあ。」
「やっぱりもう少し待ってればよかった。そうすれば泣かなくてすんだのにね。」
「もう、何よ!また私を泣かせる気?」
「ごめんごめん。別にそういうつもりで言ったんじゃないんだ。」
「うん、分かってる。でも本当に悪いと思ってるんだから。」
「もういいよ、こうやってわざわざ逢いに来てくれたし。」
「うん、ホントにゴメンね。」 そういってほのかは缶コーヒーを飲みほした。
その後しばらくは何も話すことなく、二人で並んで座ったまま雨のなか離着陸する飛行機を眺めていた。
するとほのかが「ドライヤー持ってる?髪乾かしたいの。」といったので、俺がバックからドライヤーを取り出すと、それを受け取って近くの化粧室へと消えていった。
髪が濡れているからあたりまえか、と思ったが、その行動の真意は後で知ることになる。
戻ってきたほのかがドライヤーを俺に渡しながらこう聞いてきた。その目はまだ少し赤かったが。
「どうしてあんな所にいたの?」
「あんな所って、ひょっとして定食屋のこと?」
「うん、そう。」
「ちょっとお金が足りなくなってね。」
「そうなんだ。だったら言ってくれれば良かったのに。」
「そんなことほのかに頼める訳ないじゃない。」
「どうして?」
「さっき訳を教えてくれなかったら、俺も言わない。」
「ずるーい。」
「それはお互いさま。でも、どうしてほのかはあの店に?」
「そっか。あなたは知らないのね。あのお店、札幌でも5本の指に入るラーメンのおいしい店なんだよ。」
「へえ。ほのかでもラーメン、食べるんだ。」
「何よ。私がラーメン食べちゃいけないって言うの?」
「そういう訳じゃないけど。まさかあんな所で会うとは思ってなかったから。」
「あんな有名なところでバイトしてたら誰だって気付くよ。」
...。そうか、そういう事だったのか。ようやくあのオヤジの真意が分かった。
帰ってからお礼がてらに電話で直接聞いた話だが、オヤジ自身は有名がられることは好んでいなかったが、それを利用すればお前が例の彼女に逢えるのではないかと思ったという。
全くあのオヤジには頭が上がらないよ。
まあ、かくかくしかじか、こういう訳で今日まで札幌にいた(というより帰れなかった)ことを話すと、ほのかはクスクスと笑って、
「その辺のとこ、昔と変わってないのね。」と言った。
「全く。」と言って俺も笑い、ほのかの顔を見た。が、その表情に驚いた。
さっきの陽気なほのかとは一変、険しい顔をして俺の方を見た。そして、
「どうして電話してくれなかったの?」 と怒った声で聞いてきた。
「だって、バイトで忙しかったし、それに...」
「それに何なの?」
「それに...。」 俺は言葉に詰まる。
本当は「昨日の今日逢ったばかりなのに、またほのかが逢ってくれるとは思っていなかった。」と言いたかったが、これを言ってしまったら、何だかほのかを怒らせてしまうような気がしたからだ。
「まっ、いいか。私も遅れた理由言わなかったし。お互い様ってことにしてあげるわ。」
「ありがとう。でも、遅れた理由は今度来たときに聞かせてよね。約束だからね。」
「えっ、う...うん。」
判っていた。ほのかが困ったような表情を見せるのは。でも、俺はまたここに来る確固たる理由が欲しかった。
「変な手紙の理由」は、あくまでの俺側の理由であって、ほのか側にとってみれば「寝耳に水」かもしれないし「真実」かもしれない。
まあ、真実かもしれないというのはあくまでも俺の考えにしかすぎないのだが。
「ねえ、何一人でぶつぶつ言ってんの。そろそろ飛行機の時間じゃない?」
「あ、そうだ。ごめんね。空港まで連れてきちゃって。」
「ううん、私が悪いんだから、いいって。」
「うん。でも今日はほのかと逢えて嬉しかったよ。」
と俺が言うと、ほのかはちょっとうつむいた。しまった、まずいことを言ったか?
「私も逢えてよかった。でも.......。」
「えっ、何?」
「う、ううん。何でもない。ほら、早く行かないと遅れちゃうよ。」
「ありがとう、じゃ、帰るとしますか。」
「そうしますか。」
そういって、お互い顔を見合わせて笑った。よかった。最後は笑顔で別れることができて。
俺はいい、と言ったのだが、せっかくここまで来たからと、ほのかは俺が搭乗口を通るまで見送ると言ってくれた。
搭乗口を通過しようとしたとき、窓の外はまだどしゃ降りの雨だったので、
「はい、ほのか。これ。」 といってバックの中にしまってあった折り畳み傘をほのかに差し出した。
「えっ、いいよ。それにあなただって困るだろうし。」 とほのかがそれを拒んだ。
「でも東京はきっと雨、降ってないと思うよ。」 と俺が言うと、虚をつかれたというか、はっ、という表情を見せて、黙ってその傘を受け取った。
「これでもう一つ、貸しができたね。」 と俺がいうと、
「もう、知らない!」 といって、受け取った傘で俺をつついたあと、くるっと反転して、背中を向けたまま「バイバイ」と手を振った。
飛行機に乗り込んだあと座席に座ると、丁度さっきの待合室が見えた。
「また札幌に来たいな。」と思いつつそこを見つめていると、そこにほのかがいることに気付いた。
ほのかに向けて手を振る。と、ほのかも気付いたのか、手を振り返した。
「いい雰囲気だなー」と思いつつそれを眺めていると、ほのかが何か俺に話しかけているように見えた。でも、2枚の厚いガラスにはばまれ、何と言っていたのかは分からなかったが。
そのあともしばらくほのかはそこにいた。がその後、一瞬目を拭うような動きを見せたかと思うと、そのまま出口の方へと走り去っていった。
ひょっとして...?
「また必ず来るから。必ず...。」
俺の気持とはうらはらに、その飛行機は定刻どおり東京へと飛び立った。
まだ大粒の雨の降る、その暗くて厚い雲の中へ...。
そしてまだ先の見えない、俺の思い出の中へ...。
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