Graffiti 14 −昔の記憶(2)−


 1ヵ月ぶりのこの地。足を踏み入れるのは今回が3度目だが、ここに来て雪を見なかったのは今回が初めてだった。
5月ともなればこの地も春を迎え、包む風も非常に柔らかい。
しかし差し込む太陽は逆に東京よりも強いような気がするのは俺だけだろうか。
さすがに今回はあのコートは着てこなかった。コートを着てオヤジの所へいけば、また金を入れてくれるのではないかと思ったが(そんなことあるか!)、さすがに見た目に恥ずかしい。
夏が訪れたようなこの陽気に「朝方はまだ寒い」という言い訳は通用しないだろう。
と、そんなくだらないことを考えながらほのかを待った。
そしてその待ち合わせ場所は今回も「大学の厩舎」。
前回も、そして今回もほのかはここを指定してきた。
確かにほのかと出会ったのはここが最初(正確にいえばその前)だが、何故ここなのだろうか。
俺に言わせれば、駅でもいいと思うし、極端な話、空港でも良いのではないかと思う。
何故ここにこだわるのか。いや、こだわってはいないのかもしれないが、でも何故ここか。
まあいい。そのうち聞いてみるか。
(聞くことが多すぎて、何から聞いていいかも分からない、というのがホンネか。)

待ち合わせの時間からおよそ10分たった。言わなくても分かると思うが、不安がよぎる。
当然ではあるが待ち合わせ場所を間違える、なんてことはしない。
でも、こないだの雨。今日も降るのか...。降ってしまうのか。
今日も逢えなかったらどうしようと考えていた、その時だった。
「ごめんなさい、遅くなって。」
強い日差しを避けるためか、その顔と体にはちと大きすぎる麦わら帽子をかぶって、こちらに駆け寄って来た。そしてかけてきたメガネは紫外線防止か?
「ごめんね、待たせちゃった?」
「いや、そんなに待ってないけど」
「そう、よかった。」
「でもよかった。また逢えて。」
「あっ...それって、ひょっとして皮肉?」
「うーん...それもちょっとはあるかな。」
「んもう!なによ。そういうときはウソでもいいから、ちがう、って言うのが優しさじゃない?」
「そうかも知れないけど、ほのかにはウソはつきたくないしね。」
「そ、そう...。、あ、ありがとう。」
そう言ってほのかは目線をはずした。その寸前、見たこともないほのかの表情を見たような気がした。
「ところで今日は?」俺がこう聞くと、ほのかは一瞬表情をこわばらせた。そしてこう言った。
「こないだ借りた傘を返そうかと思って。」
「でも、傘は?」
「あっ...ごめんなさい、今日天気が良かったから忘れちゃった。」
「ふーん。忘れちゃった?」
「そう。忘れたの...」
「で?」
「で、って、何?」
「だから、今日はどうするの?」
「そうだな、今日はせっかく天気がいいから、ちょっと付き合ってもらおうかな?」
「どこに行くの?」
「いいから。あなたはだまってついてくればいいの!」
そういったかと思うと、ほのかはくるっと反転し、その長い髪をなびかせ、小気味よいテンポで走り出した。
でもその後姿は、なんとなく嬉しそうに見えた。
「ごめん。悪かったから。ねえ、待ってよー!」
俺はほのかの目的が傘ではなかったことをこの時確信し、ほのかを追いかけた。

 どこへ向かうのかは分からなかった。市内を右へ左へ。時には何かに気づいたように後戻りもした。相変わらずほのかの行動には謎が多い。
途中、何処へ行くのか何度か聞いたが、返ってくる答えは1つ。
「あなたはだまってついてくればいいの。」まあ、何か目的のある行動であることを願いつつ。

30分程歩いて着いたその目的地に愕然とする。「札幌駅」。
大学から歩いて10数分足らずの距離なのに、右へ左へ、後戻り。
そして、「どうして」と俺が口を開くと、それを打ち消すようにほのかは言った。
「学校の友達に見られたくなかったのよ。」
そうか...。そうだったのか。ようやく1つの謎が解けた。
「なぜ大学の厩舎だったのか」。そして、「何故あの時声をかけなかったのか」...。
確かに、そうだろうと思う。
突然目の前に現れた旧友。どんな奴(よほどの犬猿の仲でない限り)でも、それを見て見ぬふりはしないだろう。しかし、ほのかにはほのかの世界があるし、それなりのこともあるだろう。
おそらく体に似つかない帽子も、眼鏡もそのためだろうと思う。
それに、こないだの空港での「ドライヤー」の行動も、おそらくこれに起因していたのだろう。
しかし、さっきのほのかの言葉。けっこうきついものがあったぞ。
しかも解けた謎は一番確信に触れない、他愛もない悩みだった。
落ち込む俺を尻目にほのかは元気に「ほらっ、行くよ!」と、俺の手を掴んで、電車に乗り込んだ。

今はまだ見えぬ、雪解けを迎える俺の思い出に向けて...。

電車に乗っていたのはわずか12、3分だった。その間、ほのかと言葉を交わすも、核心にふれる話題はできなかった。というより、ほのかはその暇さえくれなかった。
それくらい、よく喋った。
駅を降りたあともほのかは俺の手を離すことなく歩いた。俺にはそこがどこかも判るはずがなく、ほのかが目指す目的地すら分からなかった。
ほのかいわく「いけばきっと思い出す」という。
...?何を思い出すのか。それに、ほのかが俺に何かを思い出させる必要があるのだろうか。
「その理由を今聞いていいのだろうか...。」
そう考えたが、直感的に俺の意識はそれを拒否した。
まあ、なるようになるさ。

「ここだよ。」
ようやく目指す目的地に着いたようだ。ほのかがそう口を開いた。
「ここって、病院だよね?」
「うん、そうだけど。思い出さない?」
「思いだすっていっても、何のことか...!」
そうだ!ここ、ここだ。俺が入院していたのは。ほのかの字を思い出させたあの病院。
そして、ここから始まったほのかとのつきあい...。

 俺はほのかが落馬するのを助けたために、左足骨折という、全治1ヶ月のケガを負った。最初の頃は学校の友人たちは、物珍しさか冷やかしかどうかは分からないが、最初の1週間は毎日のように見舞いに来てくれた。
ところが、それ以降は殆どといっていいほど誰も来なくなった。
ある1人を除いては...。
そう。それがほのかだった。
ほのかは俺が助けてくれたこと、そして自分を助けたばかりにこんな怪我を負ったことを、自分の非だと思っていたらしい。
けど、ほのかには悪いが、俺にとってはそれは非常に嬉しいことであった。ほのかは毎日のように学校の帰りに俺の所に寄って、学校の話をしてくれた。
友達が来なくなって退屈しのぎと、情報源を欠いていた俺にとって。
そして、それ以上に驚いたのが、ある日ほのかが持ってきた一冊の日記帳だった。
俺はそれを見たとき、「それは何のため?」と聞いた。すると、ほのかは恥ずかしそうにこう言った。
「私ばっかり話するのは悪いから、あなたも何でもいいからこれに書いて。」
確かに、毎日会いに来てくれていたが、話すのはほのかばかりだった。一日中ベットで寝ている俺は、何の情報源もなく、ただほのかの話にあいずちを打つだけだった。
それを見たほのかは、俺が話が苦手だと思ったのか、そのことに気を使ってくれたらしい。
俺にしてみれば、「学校の友達に話し尽くしたので、話すことがなかった」のだ。
何故ほのかがそのことを知らないのか、というのも、不思議なことにほのかは学校の連中とは一度も、一緒に来なかったのだ。
当然、学校の奴らに話した、同じ内容を2度も話すわけにもいかず、1日に2つ以上の話を続ければ、いくら経験豊富な俺といえども、ネタはつきる。
それが丁度学校の連中がこなくなった時と一致しただけだったのだが。
それから退院するまで、いわゆる「交換日記」と呼ばれるモノを、ほのかと続けていった。が、ほのかは毎日その日記を俺に渡すと、ほとんど言葉も交わすことなく帰っていった。
理由は分からないでもない。自分が書いた交換日記を目の前で読まれることほど恥ずかしいものはない。
それくらいのことは、俺にでも十分察知できたし、理解もできた。
その内容はほとんど学校の話しばかりだったが、俺はそれに対する感想なんかを毎日書いて返していた。
それからおよそ3週間後、俺は無事(?)退院した。友人たちもようやく退院したのか、と歓迎してくれた。いっぱしのヒーロー扱いだ。
別にそれが嫌だった訳ではない。 むしろ今まであった目に見えない境目、というかぎこちなさがなくなったことが非常に嬉しかった。
でも、それ以上に驚いたのは、またまたほのかの行動だった。
俺はてっきり退院したら終わると思っていた交換日記を、ほのかは「これからもずっと続けようね」と言ってくれたのだった。さすがの俺も、「ひょっとしたら」と思った。でもそれ以外、ほのかはそれらしき行動をとらなかったのだ。
そう。あの時ほのかは、「二人だけの秘密」と言ったのだった。

「そうだったね。思い出したよ。懐かしいな...。」
「そうでしょ。ねえ、来て良かったでしょ?」
「うん。でも、交換日記か...。懐かしいな。」
「えっ!そ、そんなこと思い出したの?」
「うん。」
「そ、そう...。」
「そういえば、あの日記、まだ持ってる?久しぶりに見たいな。」
「えっ、み、見るの?」
「うん。」
「ごめんなさい、今どこにあるかちょっと分かんないな。」
「じゃ、今度また来るから探しといてよ。」
「うん。でも、ひょっとしたらもうないかも...。」
「えっ、残念だなー。」
「わかった。じゃ、探してみるから。」
「じゃ、また今度を楽しみにしてようかな。」
「そっ、また今度!」

そう言ったほのかの顔は、なんとなくほっとしたような表情だった。
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