Graffiti 19 −西へ−


 その後沖縄に行けるかどうかの鍵を握るほのかからは、しばらく電話はなかった。
俺もそこまで沖縄にこだわっている訳ではないが、友人たちが俺のために企画してくれた旅行。主賓の俺が行かないというのは非常に申し訳ない。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、友人達は来るべき日に向けて着々と準備を進めている。
当然のことではあるが、俺はその輪の中には入れない。例の友人は予告どおり「Cancelかもしれない」と伝えたようだ。
しかし俺に気を使ってか、耳に届く範囲で話を進めてくれるのは良かったのだが、行けるかどうか分からない俺にとっては非常に心苦しかった。
しかもキャンセルの理由が「女」なのだから。
今まさに心の葛藤。「男の友情」と「女の愛情(?)」を天秤にかけ、右へ左へと傾く日々を送っていた。

「沖縄には行けない」とようやく天秤の揺れが止まったのは、最後の夏休みを1週間後に控えた日のことだった。
待ちに待った札幌からの電波を着信したPHSは、ほのかの声と同時に、暑い夏の始まりを告げた。
「もしもし。あのー、ほのかです。」
「や、やあ。元気だった?」
「うん、おかげさまで。あっ、ごめんね。連絡遅くなって。」
「いや、いいよ。で、いつになったの?」
「うん。再来週の土曜日。」
「で、こっちにはどれくらいいるの?」
「うん、1日だけ。」
「えっ、たった1日?」
たった1日...。それだけのために俺は友情を賭けるのか?
確かにほのかがこっちに来ることは非常に嬉しいことであるし、友人も言うとおり、秤にかける問題ではないと思う。
がしかしだ、後が怖い。 結局今のところCancelの理由を知るのは例の美術部の友人だけ。
彼は俺(ほのかの)ことを理解してくれているし、ホントの理由を口にすることはないだろう。問題はそれ以外の連中である。
もしこのことを知られたら...。最後である。
まあ、彼らがいない土曜日に目撃されることは万に一つもないだろうが。
「ねえ、どうかしたの?」
「えっ、何で?」
「だってまた黙ってたよ。」
「あっ、そうだっけ。ごめん。」
「あーっ。またイヤラシイこと考えてたんでしょ?」
「そんなんじゃないよ。」
「じゃあ何考えてたの?」
...。言ってやりたい。「あの手紙を書いたのはほのかだろ?」と。
「いや、せっかくこっちに来るんだから、何処に連れていこうかなって思ってたんだけど。」
「ホント?何か嬉しいな。」
「そ、そう。」
「でも、私もう行きたいところ決めてるんだ。」
「何処に?」
「それはその時のお楽しみ。」
「何か変なの。普通は行きたいところリクエストすると思うんだけど。」
「いいじゃない。それに何か準備されるの、イヤだし。」
「ふうん、人のこと言えないと思うけど。」
「えっ、な、何?」
「いや、何でもないよ。ところで、パパのお供って、学会かなんか?」
「うん、そう。」
「ふうん。だから1日しか時間がないんだ。」
「そうなの。ホントはせっかくの夏休みだからもうちょっとゆっくりしたかったんだけど。」
「でも夏休み長いし、また来ればいいじゃん。」
「もう。そっちとは違うの!」
「何で?」
「あのねぇ...。ここ、北海道だよ。」
「うん、それは分かってるけど。」
「分かってないよ。たぶん。」
「そうかな?」
「そう。」
「まあいいや、今度ほのかに教えてもらうよ。」
「そうね、そのうちね。じゃ、近くになったらまた電話するから。」
「そうだね。今日はいつもよりちょっと長電話だし。」
「ホント。学校の男の子とでもこんなに長く話さないのに。」
「そうなの?」
「うん。なんか男の子と話すのってちょっと苦手なの。」
「でも俺とは随分長く話したけど?」
「そうなのよね。不思議なんだけど、あなただと平気なの。」
「それは嬉しいな。」
「やっぱり命の恩人だし、昔からよく知ってるからかな。」
「そ、そうだね。」
「それじゃ、またね。バイバイ。」 そういってほのかは電話を切った。
「昔からよく知ってる」から、か...。

 ほのかから再び電話があったのは、その3日前だった。
その日は奇しくも彼ら(俺も行くはずだった)が沖縄に発った日だった。
当然俺は見送りに行った。それくらいしておかないと、それこそ友情のかけらもない奴だと思われてしまう。
そして空港で美術部の友人が「一緒に行けなくて残念だ」と言った。
けどそれは悪意のものではなく、いい意味での「残念」だと俺は理解した。
俺のために旅行を企画し、そして俺の旅行中止を快く快諾してくれたことは非常に申し訳ないことであるが、彼がいま俺に大事なもの(こと)を教えくれたような気がしていた。
まあ、結果としてそれに甘えた恰好になってしまったが、彼のためにも、そして、ガラス細工を譲ってくれた彼女のためにも、俺は俺の凍りついた思い出を溶かし、真実を突き止めなければならないのだと再確認し、ほのかを待った。

 ほのかの父が出席する学会は幕張メッセで開かれる、と聞いた。
それを踏まえてかどうかは分からないが、待ち合わせ場所は「東京駅」。
ほのかいわく「パパの手伝いが済んだあと会いたい」という。そして本来の目的がそれで、俺の顔を見に来るのはオマケだとほのかは笑って答えた。
そう言われることは何となく予測できたし、もう落ち込むこともなくなった。
めいいっぱい近づいてきたかと思えば、急に突き放す。 以前俺は「不思議な行動」とそれを例えたが、今となってはそれが「企み」だとしか思えなくなってきた。
つい最近はプレゼント大作戦の失敗(?)から、その企みすら幻に思えたが、今回のその行動は俺に再び希望を与えてくれた。
さっきの待ち合わせの話しに戻るが、「現地まで迎えに行く」という俺の申し出を押し切るようにここを指定してきた。
今更待ち合わせ場所なんてどうでもいいことなのだが、俺としてはせっかくこっちに来るのに、万が一逢えなかったらと考えると、一番確実な場所まで足を運びたかったのだ。
「企み」と「思い出」を解きほぐすのにもう雨は必要ない。
でも、ほのかの行きたい場所というのは何処なんだろうか?
地方(と言うのは失礼だが)から来る人達にとってみれば、ここは表の顔が多すぎる場所だと思うし、限られた時間でその中から見たい部分を選ぶのは苦渋の選択だろう。
(まあ、俺にはあまり関係のない悩みだが。)
それにもかかわらず、あっさりと場所を決めた(決めていた)ほのかは、よほどその場所にこだわりがあるのだろう、か...。
それともこれも企みの1つなんだろうか?
まあ、それも含めて非常に楽しみである。

そしてほのかは指定した時間に5分と遅れることなく、俺の視界に飛び込んできた。
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