Graffiti 21 −理由はともかく−


 ふいにその機会は訪れた。
沖縄から帰ってきた友人たちが家を訪れ、その土産話に耳を傾けていた。
とっても暑かっただの、海がきれいで良かったの、カワイイ娘をナンパして知り合いになっただのと、予測していたとおりの話が展開されていくのに少々飽きてきた、その時だった。
机の上に置いてあるPHSが鳴る。
その音にドキッ!とする。
理由はあえて言わんが、この状態であることを考えてもらえば、容易に理解できるだろう。
まあ、昨日の今日のことだから多分違うとも思ったが、あの気まぐれさだ。その可能性も十分にある。
かといって、目の前で鳴っている電話を取らなければ余計に不自然。
だから覚悟を決めて(部屋の外に出てから)電話を取る。
「も、もしもし。」
「おう、俺だ!元気だったか?」
「はあ?...あの、えっと...。」
「俺だよ、オレ!ひょっとしてもう忘れたのか?」
「あっ...まさか定食屋のオヤジ!?」
「おう、そうだ。」
「なんだ、びっくりして損した。」
「はあ?何でびっくりするんだよ。」
「いやいや、それはこっちの話。」
「...まあいい。それで今日はちょっと頼みがあって電話したんだが。」
「頼み?」
「ああ。お前、明日からしばらく空いてるか?」
「空いてるって、予定のこと?」
「そうだ。」
「まあ、空いてるって言えば空いてるけど...。」
「そうか。じゃ、こっちに来てくれないか?」
「こっちって、そっちですか?」
「ここ以外にどこがあるんだよ。」
「判ってますよ。くだらない押し問答はやめましょう。で、何でですか?」
「実はな、今雇ってるバイトが急に辞めちまってな。」
「俺みたいにこき使ったんじゃないの?」
「そんなことはないと思うんだが。」
「そうですか。で、俺はその代わり?」
「まっ、手っとり早く言えばそういうことだ。」
「わざわざ東京から?」
「そうだ。」
「俺をですか?」
「そうだが。何か問題でもあるのか?」
「いや、そうじゃないんだけど...。」
別に問題があったわけではない。ホントに問題なのは今の状況である。
この場で「札幌」という言葉を出すことは非常にマズい。おまけに会話上「じゃ、明日行きます」という言葉を交わさない訳にはいかない。
というワケで、せっかく来てくれた彼らには申し訳ないが、ここらで退散していただくべく、目配せをする。
当然その相手は、美術部の彼。
俺は彼の顔を見て「すまない」という目線を送ると、すぐに察知してくれたのか、他の友人たちに「そろそろ帰るか」と言ってくれた。
彼等もあらかた話し尽くしたのか、空港から直接家に来たため疲れたのか、意外にあっさり同意して帰っていった。
「すいません、お待たせして。」
「何だ、誰か来てたのか?」
「ええ、ちょっと友人が。」
「なんだ。早く言ってくれりゃ、またかけ直したんだが。」
「いや、そんなに引っ張る話でもないでしょ?」
「つーことはOKか?」
「ええ。よろしくお願いします。」
「そうか。助かるよ。やっぱりお前に電話して正解だったな。」
「こっちこそ。どうせ近々札幌に行こうかと思ってましたし。」
「おっ、例のアレか?」
「例のアレって...。そんなに遠回しに言わなくてもいいですよ。」
「悪い悪い。別にそういうつもりじゃないいんだが。」
「いいんですよ。じゃ、今日には着くと思いますから。」
「そうか、分かった。で、どうやって来るんだ?」
「そうですね。金もあるし、優雅に空でも飛んできますよ。」
「そうか。それじゃ、よろしくな。」 その数時間後、札幌行きの飛行機の中で、来るべき地獄の日々に備えて仮眠を取った。

オヤジに誘われるがままにここに来てから後悔する。
「あつい」。
飛行機の中で読んだ新聞ではそれを「過去にない記録的な暑さだ」と書いてあった。
それを数字に現せば、そんなに驚くほどの数字ではないのだが、くだらない知識と常識がそれを暑いと認識させているのだろう、と思う。
まあ、理由はどうであれ、結局のところ暑いのだから仕方がない。
それはそうと、一つだけ気にかかることがある。
...そう。ほのかだ。
「そのうち行く」と約束したのは、昨日の今日の話。それに、どうやらほのかに黙ってこの地に足を踏み入れることは、彼女に対しては御法度のようである。
何故怒るのか。それこそほのかの「企み」がそうさせているのだろうという推測はできるが、逢いに来ること、そして逢えること自体には素直に喜ぶ。
そしてそれに合わせるように、俺の過去を思い出させようとする。
...いや。「思い出させてくれている」と言った方が正しいかもしれないが、その理由はいかに?
結局、まだ当分はほのかに主導権を握られっぱなしのようだ。
 などと考えつつ、オヤジの言うがままに労働に励むが、春にこき使われたせいか、普段の夏よりも暑いと言われているにもかかわらず「疲れた」と感じることはなかった。
まあ、今回ここに来た目的自体に危機感がないせいだろう。
それに、今回はバイト代がはっきり分かっているということもある。 一応2週間(次のバイトが決まるまで)の契約で、およそ10万。おまけに往復の交通費までもってくれるというのだから非常に嬉しい。ただし、休みについてだけ明言しなかったことは多少気になるが...。

それから数日経った、ある昼のことだった。
オヤジが言う。「明日は休みだ」。
そして、それにタイミングをあわせるかのように鳴るPHS。
もちろん、声の主はほのか。
昼は毎日出前に出かけたにもかかわらず、運良く出くわすことがなかったので、「明日行くよ」とうまくごまかすことができたと思っていたが、その数時間後再びここで顔を合わせることとなった。
ほのかの勘がいいのか、俺の運が悪いのかは分からないが、ほのかいわく「何となくそんな気がした。」という。
そしてきっとご機嫌ナナメであろうと思うほのかに「怒ってない?」と聞くと、ほのかは不思議そうな表情を浮かべ、
「理由はどうであれ、また来てくれたんだからいいじゃない。」 と笑って答えた。
そして、「明日10時に大学で待ってる。」と言い残し、にこやかに微笑んで帰っていった。

 昨日と変わらず強い日差しは、起きがけの俺にはちと辛い。
今日が休みだったからだと思うが、昨晩オヤジはよく飲んだ。
そして何故か機嫌の良かったオヤジは、俺にも酒を勧める。
「俺、未成年ですよ」と一度は断ってはみたものの、オヤジは「自分で稼いだ金で飲むことは誰もとがめない」と、始めて理にかなった説得(?)で半ば強引につきあわせる。
別に酒が嫌いではない、飲んだことがない、下戸ではない俺もつい調子に乗って飲んでしまい、つまりのところ少々二日酔い気味ということだ。
酒のニオイが残っていないか気になり、クンクンと何度も体と口のニオイを確かめながらほのかを待った。
それからしばらくして、大きな荷物をかかえたほのかが小走りでこちらにやって来た。
「ごめんなさい。遅くなって。」
「いや、俺もついさっき来たばかりだから。」
「そう。でも何だか眠そうじゃない?」
「ま、まあね。ところでその荷物は?」
「えっ、あ、コレ?」
「うん。ひょっとして今から旅行?」
「もう、何言ってるのよ。もしそうなら、今日逢う約束なんかしないでしょ?」
「それはそうだけど。」
「じゃ、ここにいても暑いから、行きましょうか。」

そう言ってほのかは歩きだした。 だが、その歩く方角はいつもとは違っていた...。
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