Graffiti 25 −誤解−


 それからほのかが再び笑みを見せてくれるまで、日も落ちてやや冷たい風を頬に感じながらしばらく二人で海を眺めていた。
でも、ホントにさっきは驚いた。まさか俺が引っ越した日にそんなことがあったなんて...。
あの時から交換日記が一つの鍵を握っているだろうとは思っていたが、それが原因で今までほのかにつらい思いをさせていたのではないだろうかと思うと、非常に申し訳ない気持ちになる。
ほのかがそこまでして俺に渡したかった交換日記...。
何が書かれているのかは未だ分からないが、ほのかがその気持ちのすべてを解き明かしてくれたとき、俺の長かったこの旅も終わるんだろうと、俺に寄り添いながらどことなく満足げに微笑むほのかの顔を見て、そう思った...。
 
 しばらくして、すっかり辺りが暗くなっていることに気付く。
今回ここに来たのはほのかに誘われてだが、せっかくここまできてこのいい雰囲気。
どうせならいつのまにか沸いて出てきた周りのカップルのように、二人で眺めようと目線を夜景へと移す。
さすが100万$の夜景といわれるだけあって、とても綺麗だ...。
そしてまだ少し肩をゆらすほのかにもそれを見せようと、ほのかの肩をぽん、と軽くたたく。
「ねえ、ほのか。みてごらんよ。」
「えっ、何を?」
「夜景...。とっても綺麗だよ。」
「えっ、ホント!?」
そう言ったほのかは、まだ少し涙で濡れる目をこすりながら、夜景へと目を移す。
「わあ、ホントに綺麗...。」
「そうだね。」
「やっぱり今日ここに来て良かった。」
「俺もこれをほのかと一緒に見れて良かったよ。」
「うん。でも、変なことは考えないでよね。」
「分かってるよ。ほのかの親父さんに任されてるから責任重大だもんね。」
「そうよ。今日だけはあなたは私のナイト様だもんね。」
「えっ?今日だけ?」
「そう。今日だけね。」
ほのかはそういって笑う。そして展望台の柵に両手をついて、何の会話も交わすことなく静かにゆらめく夜景を静かに見つめていた。
俺もその横に並んで夜景を見つめる。
ホントはもっといろんなことを聞きたかった。今日のほのかなら全てを話してくれそうな気がしたが、ほのかがそれ以上口を開かないということは、まだ話したくないということなんだろう。
それにこれ以上問いつめて、ほのかの機嫌を損ねたくない(この雰囲気を壊したくない)ということもあるか...。
 
 それからしばらくは海から駆け上がってくるやや冷たい風に、しなやかになびくほのかの髪と夜景を交互に眺めていた。
あれから全く口を開かないほのかに、「そろそろ帰ろうか」と話しかけようとしたその時だった。
ほのかがすっ、と俺の方に顔を向ける。
「...!?」
どうして...なぜ...?
なぜほのかは目を閉じているんだ?
(まさか.....。でも.....。)
心の中でいろんな想いが交錯する。
まさかほのかがそんなことをするはずがない。さっきも言ってたじゃないか。「変なことは考えないで」って...。
でも、男の目からみれば明らかにこの行動はあれを求めているようにしか思えない。
でも人一倍そういうことを嫌がるほのか。そんなことを俺に求めるわけがない。
でも、さっきまでの雰囲気とこのシチュエーションから考えれば何となくそんな気もする。
何でだ...。そしてどっちなんだ...?
わずかほんの数秒のことだったんだろうが、俺にはその時間がとても長く感じられた。
そして俺は一つの結論を導き出し、それを行動に移した。
ほのかの顔に自分の顔を静かに近づける。
極度の緊張に足が、手が、唇が震える。
そしてほのかの顔に当たっていた街灯の光を俺の頭が遮った、次の瞬間...!
ほのかがぱっ、と目を開く。そしてそれと同時に「何するのよ!バカ!!」というほのかの言葉と平手打ちが俺に突き刺さる。
「何でそんなことするの?」
「だって...。ほのかが目を閉じたまま動かないから...。」
「だっても何もないわよ。私はただ目にゴミが入って、痛くて動けなかっただけなのに、どうして?」
「だって...。」
「だって、って、さっき言ったじゃない。変なことしないって!」
「...。ごめん。」
何も言い返すことのできない俺は、俯いたままそれ以上のことは何も言えなかった。
ほのかの言葉を、ほのかを信じなかった俺に、ほのかの悲痛な叫びが胸にズキズキと堪える。
そしてもう一度謝ろう、と顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、涙を流し、唇をかみしめて何かを必死に我慢していたほのかの顔だった。
「ほのか、ごめん...。」
そういって俺がほのかに触れようとしたが、ほのかはその手を払いのけ、
「あなただけは信じていたのに...。あなただけは他の男の子とは違う、って信じてたのに...。」
そしてほのかは流れる涙を拭いながらそこから走り去った...。
ほのかのその言葉が俺の心にとどめをさす。当然追いかけようと思ったが、決定的なダメージを受けた俺の心がしばらくその足を動かそうとはしなかった。
呆然としばらく立ちつくす。そしてようやく動かすことを許されたその足でほのかを追いかけた...。
 その日ほのかに会うことができなかった俺は、翌日も札幌の街でほのかを探したが結局逢うことができず、重苦しい気分のまま帰京した。
それから毎日ほのかに謝ろうと電話ををしたが、何度かけても電話がつながらない。
仕方ないか。ほのかが怒るのは当然のことだ...。
こう言うといいわけのように聞こえるかもしれないが、なぜ最初にそう言ってくれなかったんだろうか。「目にゴミが入った」と。
そうすれば俺はあんな行動はとらなかったし、ほのかを怒らせることもなかったはずだ。
自分に非があることは認めるが、そう考えないと辛くてやってられないのだ。
そして解け始めた俺の遠い記憶は、再び厚い氷に覆われた...。
 それから二ヶ月。暇と休みを見つけては何度か札幌へ足を運んだ。ひょっとしたらほのかに逢うことができるかもしれないと思ったからだ。
当然以前と変わらず電話は通じないため全くあてはなかったが、そうしないと自分自身落ち着かなかったからだ。
大学に行けばすぐ分かるだろうとは思ったが、ほのかの親父さんとは顔を合わせる勇気がない。
何と言っていいのか、何を話せばいいのか全く分からなかったからだ。
それにもし万が一逢って話をすることができたとしても、ほのかの居場所を教えてはくれないだろうとも思ったからだ。
そして訪れる度に冬一色に染まってゆくこの地を見ながら、「俺の思いでもこのまま降り積もる雪に埋まっていく」。
そんな気がした...。
 
 冬休みに入り年の瀬も迫り、年越しの準備に追われる日々が続いていた。
別に俺自身が何かをするというわけではなかったが、家では大掃除、バイト先では普段より多い客の対応に追われ、機械的に毎日を過ごす日々が続いていた。
ほのかのことを忘れた訳ではなかったが、あれ以来全く連絡をくれず、全く連絡がつかない以上、もはや終わったとしか考えられないだろうとほとんど諦めていた。
そしてそれが原因かどうかは分からないが、俺の絵にも全く進歩の気配がなく、おとといの終業式の日に「これ以上やっても無駄だ。」と美術部顧問に引導を渡された。
友人も、「本人にはやる気があるんだから」と何度かフォローしてくれたが、その時は何も言わなかった。
つまり、あれから2ヶ月でほのかに、美術部顧問に、そして友人に見放されるというふんだりけったりの日々を過ごしたわけだ。
今まで生きてきた中でも最悪の2ヶ月だった...。
そして完全に目標を失った俺は、これからどうしようかと途方に暮れていた、ある日のことだった。
俺宛に一通の手紙が届く。そしてその差出人はほのか。
だがよく見ると、住所が違う。書かれていた住所は「稚内」...。
どうして稚内なんだろうか。そして中には何が書かれているんだろうか...。
 
俺はその手紙の内容が「最後の手紙」ではないかという恐怖感から、しばらく封を切ることができなかった...。
戻る次へ