Graffiti 27 −Reconfirmation−


 ほのかから再び声をかけられるまで、何かにとらわれるように吹きつける冷たい風を体に感じていた。
自分で足を動かせば当然動くのだが、こうしていると何となくではあるが、ほのかの気持ちが分かるんじゃないかという気がしたからだ。
でもそれは、ほのかがこの冷たく吹きつける風の中、あの細い身体を芯まで冷やされたその身体的苦痛で自分を責めている訳ではない。むしろこの冷たい風を感じないほどの、ほのかの心を埋めつくしていたものの大きさが分かるような気がしたからだ。
そしてそれは、家の中でじっと待ってることができないほど大きかった。何かで気を紛らわせていないといられなかった...。
そう自分なりに感じ取ったと同時に、二度と同じ過ちを繰り返してはならないと改めて自分に言い聞かせる。
そして反省するにはあまりにも強すぎる、雪まじりの風に耐えることができなくなり、ほのかの声のする方へと急いだ。
 
「北海道の冬って、こんなに寒かったっけ?」
暖炉の炎に当たりながら、ほのかの入れてくれた熱いコーヒーを一気に飲みほす。
「北海道が寒いのは当たり前じゃない。それにここは稚内だよ。札幌とは比べものにならないんだから。」
「へえ、そんなに寒いの?」
「うん。もしあなたを外に追い出したら、きっと明日の朝には氷の彫刻になってるよ。」
...。全くもってキツい冗談を言ってくれる。
でももしまだほのかが怒っていて、それが現実になったらと思うと、着てきたコートが妙に薄く見える。
「ひょっとしてまだ怒ってる?それって、冗談だよね?」
「さあね。どっちかなぁ...」
...。これはいち早く帰路についた方がよさそうだと、そう思ったその時だった。
リビングに置いてある電話が鳴る。
その電話のもとへ、スリッパをパタパタと鳴らしてほのかが駆け寄っていく。
「もしもし、パパ?...うん、大丈夫だけど、どうして?
うん...、うん...。えっ、本当なの?
そっか。じゃ、どうしよう。
うん...、うん...。分かった。
大丈夫だよ、これくらいの風で倒れるような家じゃないし。それに...。
ううん、何でもない...。うん、分かった。じゃ、明日ね。バイバイ。」
(当たり前ではあるが、会話の内容はほとんど理解できない。が、相手はほのかの親父さんで、どうやら今日ここに来る予定だったらしい。
...。おい、ちょっと待て!
ということはだ。ほのかの親父さんが今日ここに来れないということは、俺も当然東京に帰れないということになるのではないか?
いや、違う。そんなことじゃない。
もしも今日泊まる宿が見つからなかったら、俺は本当に氷付けにされてしまう。さっき見てきた街にはそれらしき建物はなかったぞ...。)
そして、はてさてどうしたことかと焦っている俺に、ほのかはとんでもないことを言いだすこととなる。
「あのね...今日もホントはパパが札幌から戻ってくる予定だったんだけど、吹雪が強過ぎて飛行機が飛ばないんだって。」
「ってことは俺も東京には帰れないんだよね。」
「うん。そういうことになるかな。」
「じゃ早く街に戻って宿を探さないと...。」
「何いってるの?この吹雪の中、外に出たらホントに死んじゃうよ。」
「そんなことないさ。じゃ、東京に戻ったらまた電話するから。」
俺はさっとコートを着て、制止するほのかを押し切るようにして玄関の扉を開けて外へ出た。が、ほのかの言うとおりすでに外は吹雪の嵐。
しかもわずか数メートル先も見えないほど視界は悪く、このまま歩いて街まで行くことは絶対に不可能だ。
ここは地元の人間の言うことに素直に従ったほうがよさそうだ...。
「でもどうしよう?」
「どうしよう、って、まだ帰るつもりでいるの?絶対に無理だよ。きっと明日の朝までおさまらないから、今日はここに泊まっていきなさいよ。」
...。ついに来た。俺が一番恐れていたこと。
別に俺だって無理して帰ろうと思っていた訳じゃない。ここでその時を待つしかないことぐらい分かってる。
でもそれは、最悪の場合、歩けるようになるまで一晩かかるかもしれない。
そうなったら...。もし理性が保てなくなったら、何の為にここまで来たのか分からない。
そう思ったからだ。
しかしそのほのかは、全くそんなことは気にしてないようだ。というか、何となく遠足に来ているような、いかにも楽しそうな雰囲気さえ見せる。
いや、ちょっと待て...。ひょっとしてほのかはまだ俺を試しているのではないんだろうか?
これはあくまでも俺の推測だが、きっとここ(稚内)は毎日こんな天気になるんだろうと思う。それを知ってるほのかは、あえてそういう状況を俺の目の前に提示することで、その最終的な意思表示をしたいと思ったのではないだろうか。
そうなるとますます知能犯だな、とほのかを見る目もちょっと変わるような気がしたが、どうやら今はそうするしかなさそうだ。
「分かったよ。じゃ、お世話になります。」
「はい。何もお構いできませんが、ごゆっくりどうぞ。」
そう言ってにこやかに微笑むほのか...。
 
 時間が経つにつれて徐々に暗闇が襲ってくる。
腕時計の針が垂直になるにはまだ遠い角度だが、白く波立つ海さえ黒く色を変えていった。
そして外の風はそれにあわせるかのように強さを増す。さっき俺が外に踏み出してからわずか数十分後のこと。もしここにいなかったら本当に氷づけになったかもしれないと思うと、少々鳥肌が立つ。
とまあ、そんなくだらないことを考えながら何とも言えない時間を過ごす。
そうだ。そんなことを考えていないと少々不安だったのだ。
外の吹雪のせいか、リビングに置いてあるテレビも本来の役目を果たしてくれない。そこに写し出されるのは外と同じ嵐。
そのため耳に入ってくるのは、風でガタガタとなる窓ガラスのと、パチパチと燃える薪。そして自分の呼吸の音だけだった。
あ...あと、俺にだけ聞こえる心臓の鼓動か...。
 そしてそのまま何も会話を交わすことなく、しばらく時間が経った。
ほのかもなにかしていないと落ち着かなかったのか、まだ完全に燃え尽きていない薪の上に新たに薪をくべる。
そして当然のように炎は大きくなり、傍にひざまずくほのかの顔を赤々と照らした。
でも、その炎を見つめるほのかの目線は、何となくではあるが、何か思いつめたようなそんな感じだった。
まさかほのかはまだその不安を完全に取り除いていないのではないだろうか?
それとも、まだ俺を試そうというのだろうか?
まあ、どちらにしろ受け身である俺にとっては、何が起こってもそれを正面できちんと受け止めなければならない。
この閉鎖された環境で、それから逃れる術はないのだから。
それから逃れたとき、軽くかわしたときは俺の探偵ごっこもこれで終わりになるだろう。
 などと考えながらその後ろ姿を眺めていると、突然ほのかがすっ、と立ち上がった。
そして何を思ったか、俺のほうにずんずんと歩き寄ってくる。
(何だ...?一体何が起こるんだ?!)
緊張と心臓の鼓動がピークに達する。
そして俺の数歩前でピタリと足を止めたほのかの口から出た言葉。
「ねえ、お腹空かない?晩ご飯にしよっか?」
「う...うん。そうだね...。」
「じゃ、私何か作るから、ちょっと待っててね。」
「嬉しいなあ。まさかほのかの手料理が食べられるなんて。この吹雪に感謝しなきゃいけないなあ。」
「もう、またそんなこと言う。そんなに氷づけになりたいの?」
「いいえです。はい、ごめんなさい。」
「ウソよ。冗談。じゃ、ちょっと待っててね。」
どうやらほのかもこの重苦しい空気を何とかしたかったらしい。
らしいと言えばらしいが、今の俺にはあんまり冗談は通用しないよ..。
 
「ごめんね、こんな間に合わせで。」
「いや、これで十分。こうやってあったかい飯にありつけるだけで幸せだよ。もしさっきほのかが止めてくれなかったらホントに路頭に迷ってたかもしれないし。」
「ホントはパパと3人で外でお食事をしたいな、って思ってたんだけど...」
「こんな天気になっちゃった。」
「うん。そのせいでパパもこれなくなったし、ちょっと心配だな。」
「そうだね。でも、俺はほのかだけが頼りだからね。」
「あんまり頼りにされても困るかな。私だってこんなひどい天気にでくわすの初めてなんだから。」
「そうなの?」
「うん。私だってずっとここに住んでるわけじゃないし、札幌はこんなにひどくはならないし。」
「まあね。でも、こういうのもたまにはいいかもね。」
「そうね。たまには、ね。」
その後はどことなく落ち着かない雰囲気を引きずったまま、静かに食事は進む。
たまに正面に座るほのかの方を見る。ほのかも気になるらしいのか、たまに目線があう。そして何となく気まずそうにお互い目線を外す。
でも、これでほのかの親父さんが一緒だったらもっと気まずかったんだろうな。
そのことが分かった今は、逆にこの天候はよい方に転がっていくのではないかとも思えた...。
 
 いっこうに落ち着く気配を見せない外の天気。相当ご機嫌ナナメのようだ。
そしてこの静かな状態もしばらく続くのかと思っていると、ほのかが奥の方でなにやらゴソゴソと動いている。
そしてその両手に抱えてきたのは古いラジカセと懐中電灯。それに大量の電池...。
それをおもむろに俺の前に次々と並べる。
「それじゃ、お願いね。」
「っつーことは、俺に電池を入れてくれ、ってこと?」
俺がそう言うとほのかはこくりと頷き、こう言う。
「うん。私こういうの苦手だし、不思議と私がいじると壊れたりするんだよ。」
俺はその言葉が妙におかしくて、つい笑う。
「ひどおいっ。どうして笑うの?」
「いや、ごめん。近くにちょうど同じような、不器用な人がいたもんだからね。」
「それって、思い出し笑いってこと?」
「そう。」
「何か怪しいなぁ。」
「ホントだって。じゃあ、それが誰か教えてあげようか?」
「えっ...うん。誰?」
「ほのか。」
「んもう!」
そういってすねた顔で俺をぽかぽかとたたく。
そして、「いたいいたい」と俺が逃げ回ると、そのすねた顔はすぐに笑顔に変わった...。
「どう?少しは雰囲気なごんだかな?」
お互い走り回って疲れてソファーに向かい合って座り、正面に座るほのかに向かってそう話しかける。
ほのかもそれを察してくれたのか、多少乱れる呼吸を整えながら、微笑んでこくりとうなずく。
(でも、ホントに不器用なんだよ。ほのかも、俺も...。)
 
 それからは昔の思い出話で盛り上がった。
ただしそれは俺が今まで知ることができた範囲内での話。これから知り得るであろう肝心の「交換日記」の話にはほのかも全く触れようとしないし、俺も触れるつもりはない。
ここまでほのかが俺に気を許してくれた。だからきっといつか、ほのか自身がすべてを解き明かしてくれるだろうと思うからだ。
そして二人とも思い出話に夢中になり、時の経つのも忘れて話し続けた...。

戻る次へ