Graffiti 29 −真実は...?(前編)−


 本当に気持ちのいい朝だった。
たぶん、ほのかと仲直りができて、幸せな気分のまま深い眠りにつけたからだろう。
あれほど機嫌の悪かった天気もウソのようにおさまり、積もった雪に増幅されて窓に飛び込んでくる光は、いままでに見たことのないほどまっ白で、そしてとても眩しかった。
あまりにも強すぎる光になかなか開かない目をようやく開けた。が、そこにほのかの姿はなかった。
すでにもう起きて朝食の準備をしてくれているらしい。それに、楽しい夢でも見て相当ご機嫌なのか、鼻歌も聞こえてくる。
まあ、その気分だけとってみれば俺も同じなのだが、でも、男としてちょっとだけ悔む...。
 朝食を食べ終えて、少しだけ時間に余裕があったので、一人で外に散歩に出る。
いろいろと思うところがあったが、その美しい風景を眺めているとすべてを忘れさせてくれるような、気持ちまで真っ白にして昔の純粋な自分に戻してくれるような、そんな気がした。
だからほのかもここに来たのかもしれない。だから俺をここに呼んだのかもしれない。
「Re start」。
もう一度、ここから始められる気がする。そしてここから新たな思い出が始まりそうな、そんな気がした...。

 そしてそれからおよそ1ヶ月が過ぎた。新しいほのかの連絡先を聞くことができた俺は、その間暇を見つけてはほのかに電話を入れた。
別に何を話すというわけでもなかったのだが、その声を聞くと、ほんの少しの間だが毎日の忙しさを忘れさせてくれるからだ。
ほのかも同じらしく、学校が大変でいやになることがあるらしい。
親父さんの手前北大をめざすそうだが、大学にいって自分が何をしたいのか、何をしていいのか分からないという。
「俺はこういう性格だから一人で自由奔放にいきていけるような職業につきたい」というと、「あなたらしいわね。」と笑う。
そして「私もそういう風に強くなりたいな」と、少し淋しそうにつぶやいたこともあった...。
 ところが2月を目前にし、残り1ヶ月は学校にいかなくていいと思っていた矢先、突如電話がつながらくなった。
当然心配になる。ほのかの信頼は回復したはずだから、前みたいに電話に出てくれないということはないはずだ。
つい最近まで、あんなに俺からの電話を楽しみにしていたんだから...。
でも、何度コールしても受話器の上がる音を聞くことはできなかった。そしてその状況はそれから1週間程続いた。

 バイトから帰ってきて、飯を喰いながらテレビを見ていると、ちょうどニュースで札幌の雪祭の話題が取り上げられていた。
今年も同じように開催されるという。おまけに今年は大雪だったため、雪集めに悩まされてあまりきれいな像ができなかった昨年とは比べものにならないくらいきれいなものになるだろう、ということであった。
..。ふとあのことを思いだす。ほのかが寝言でつぶいたあの言葉。
「雪祭に...。」
そうだ。きっとほのかも雪祭を見に行くに違いない。ひょっとしたら行けば逢えるかもしれない。
そう考えて札幌行きを母に告げたその直後、電話が鳴る。
そしてその電話の声の主は、俺の予想を裏切る、予想もしない人物からだった。
母から電話を受け取るが、電話を渡す母の顔はいかにも「残念でした」といわんばかりの表情。
「余計なお世話」といって受話器を受け取り、耳にあてる。
「もしもし。」
「おう、俺だ。元気でやってるか!」
耳をつんざくほどの大音量。キーンと耳鳴りが発生する。
「そんなにデカい声で言わなくても聞こえるよ!」といいながらキッチンを後にする。
別にそこでもよかったのだが、母に会話を聞かれるのが何となく恥ずかしい。
いやー、家の電話は全部コードレスでよかった...。
 自分の部屋に戻り、会話を続ける。
「で、また今日は何の用ですか?まさかまたバイトに来い、なんて言わないでしょうね?」
「うーん。違うと言いたいとこなんだが、アタリ。」
「冗談でしょ?俺だって卒業前で毎日いろいろ忙しいんだから。」
「うそつけ。今月いっぱいはガッコは休みだろ?どうせ毎日バイトすんなら、ちっとでも時給の高い方でやった方が得じゃねえか?」
「まあ、そう言われればそうなんだけど。でもなんでオヤジが学校休みってこと知ってんの?」
俺がそう言うと、オヤジの口はピタリと止まった。そして、少々慌てたような返答で会話は再開する。
「ま、まあな。ほら、こないだ雇ったバイトも同じようなこと言ってたからな。」
「でも、そのバイトがいるんでしょ?」
「それがなぁ。そいつが4月から就職する先で車の免許がいるらしくて、どうしても今月中に取らなきゃいけない、って言いだしてな。」
「ふーん、なるほど。で、俺はその間のつなぎって訳か。」
「そういうことだな。どうせお前のことだから雪祭、見に来るんだろ?週末は休みにしてやるから、1週間だけ手伝いに来てくんねえかな?」
「1週間、か..。まあ、それくらいだったらいいかな。」
「悪いな。助かるよ。じゃ、明日の夜から頼むな。」
「はいはい。分かってます。」
「それじゃ、よろしく頼む。」
そう言ってオヤジは慌てるように電話を切った。
なんか普段のオヤジと感じが違うなあと思いつつ、役目を果たしたコイツを元の場所に戻しに行く。
そして俺がキッチンに入ろうとしたとき、玄関のベルが鳴る。
「すいませーん、速達でーす。」
玄関に走り、それを受け取る。
手紙の差出人は、ほのかだった...。
 部屋に戻り急いで封を切る。内容しだいでは、明日からの札幌行きをキャンセルしなければならないからだ。
...。なんともタイミングがいいのだろうか...。
その手紙にはこう書かれていた。
「こんにちは。お元気でしたか?このあいだはホントにありがとう。わざわざ稚内まで来てもらって...。
でもおかげで、あなたのことを信じることができたし、前よりももっとあなたのことを知ることができてホントに良かった、って思ってます。
それで、またこんなことお願いするのはホントに悪いと思うけど、もう一度だけ私のワガママを聞いてください。
今度の週末...、こっちに来てもらえませんか?
連絡、お待ちしています。」

もういまさら何も迷うことはないな...。

 道の両端に積み上げられている雪を見てももう驚かなくなった。
ここに来てからもうすでに3日程経ち、雪道を走る自転車の腕前も地元の人に勝るとも劣らないほど上達した。
一番最初は止まることができず出前を積んだまま電柱に激突したこともあったが、オヤジにコツを伝授してもらってからというもの、すこぶる好調である。
ただ、俺は極度の寒がりであるため、出前は少々辛かったが...。
 そして約束の日の前日、しっかりほのかから電話が入る。「明日、4時に大通り公園で待ってます。」と。
しかし、確認の電話が入ったのは今回が初めてである。今まではこちらからアポをとっていたせいもあって最初は気にも止めなかったが、よく考えてみるとほのかにとっては「確認しないといけないほど重要なアポ」であるのかもしれない。
とすれば、ひょっとしたら明日は一つの結論を導き出すことができるかもしれない...。
 そして翌日。約束どおりバイトは休み。オヤジはこの寒空の中どこへ行ったのかは分からないが、朝から姿が見えなかった。
「まさかこんなに寒いのに釣りに行くわけないか。」と思ったが、良く見ると定位置に竿がない。
うーん、地元のひとってば、すごいな...。
というわけで、俺は時間まで(オヤジの)家で暇をつぶす。午前中は店の掃除やらなんやらであっというまに終わり、午後はこたつに深々と潜ってテレビを鑑賞。
そして午後3時。いろんな意味で気合を入れて、約束の場所へと足を踏み出す...。
見慣れたこの街も今日はなんとなく雰囲気が違って見えるのは気のせいだろうか。厚い雲から雪が落ちてくる。時間のわりに薄暗いせいか、辺りの木々につけられているイルミネーションがとても輝いて見える。
そしてライトアップされた雪像は、毎日出前の時に見ていたときよりも何故かきれいに見える。

 約束の時刻。近くの時計屋からそれを告げる音が聞こえてくる。
今日は土曜ということもあってか、辺りは徐々に人が多くなってくる。 今日が雪まつりの初日ということも手伝って非常に賑やかだ。
ところが、それだけたくさんの人がいるにもかかわらず、ほのかの姿は見えなかった。約束の時刻は10分前ほどに過去のものとなったにもかかわらず...。
遅れるのは今回が初めてじゃないし、それにこの雪のせいで遅れているのかもしれない。
いや...。遅れても来ないということは絶対にないはずだ。
そして徐々にその数を増す人の流れと、柔らかく降りつもる雪に包まれてほのかを待った。

ほのかが姿を現したのは、それから30分程経ってからだった。
ところが、いつものように「ごめん」と軽く流してくるかと思っていたが、 その表情はとても暗かった。
いや、暗いというよりは「おももちな表情」といったところか。
どうやら自分から呼びつけといて、この寒い中俺を待たせてしまったことをひどく反省しているらしい。
「いいんだよ、そんな顔しなくても。えっと、ほら...、雪像がとっても綺麗だったから、俺もつい見とれてたし。」
「うん、ありがとう。ごめんね。」
「うん、だから気にしなくてもいいからね。」
「あ...、あのー...。」
「ねえほのか。せっかくだから少し歩こうよ。」
「えっ、あの...。うん...。」
そう答えたほのかだったが、その顔に笑顔は戻らなかった。
その理由は俺には分からない。でも、せっかくこうやって、この美しい風景を目の前にして、こんな気持ちで一緒にいるのは少し淋しい。
だから、少し時間を置いて、ほのかの気持ちが落ち着くまで...。
「じゃ、ちょっと歩こうか。」

 すでに薄暗くなり始めたこの公園は、ライトアップされたイルミネーションでさっきにも増して綺麗に見えた。
やはり一人で佇んで見るより、こうやって好きな女の子と並んで見れると違って見えるんだろう。
...、たとえ会話がなくても...。
通りに並ぶ雪像を眺めながら二人交わす言葉もなく歩いた。時折ほのかの顔をちらりと見るが、相変わらずその表情は固い。
その目の奥に写る風景も何となく傾いていて、 それを楽しんでいるようには見えなかった。
まだ遅れていることを気にしているのだろうか。それとも、やはり何かあるんだろうか。
俺はそんなほのかの気持ちを少しでも、と思い、もういいだろうと話しかけた。この一言がこれから起こることのきっかけになるとも知らず...。
「ねえ、ほのか。ほのかは毎年見に来るの?」
「見に来るって...、雪まつりのこと?」
「うん、そう。」
「うーん、そうだなぁ。友達と見に来たことはあるけど、こうやって男の子と一緒に見るのは初めてかな。」
「ホント?」
「.......。」
「そう。でもホントだったら嬉しいなぁ。」
「...。どうして?どうして嬉しいって思うの。何が嬉しいの?」
「えっ、どうしてって言われても、誰でもそう言うと思うけどな。」
「それってどういう意味?」
「うーん...、意味はないかなぁ。けど、嬉しいんだよ。」
「何だか良く分かんない。」
「そうだね。何て言うか、その、こうしてるだけで幸せを感じるって言ったら分かってもらえるかな?」
「幸せを?どうして?」
「だからね、幸せを感じることに意義があるんじゃないよ。それはそこから生まれるものなんだよ。たぶん...。」
「そこ、って?」
「こうやって自分の気持ちを満たしてくれる人がすぐ隣にいる。自分の好きな人と同じ時を過ごせる。会話なんかなくても、そばにいるだけで何となくわかりあえる...。
そん感じを嬉しいと感じるんじゃないかな、って思う。」
「それって...。」
「そう、ほのかの思っているとおり。ほのかの今の気持ちと同じだよ。一生懸命隠そうとしている、表に出さないようにしてるその気持ちだよ...。」
「でも...。」
まさかこんな風に会話が進むなんて思ってもみなかった。でも、初めて俺が主導権を握った瞬間でもあった。
ほのかがその気持ちを言葉に表すのを待ってもよかったが、俺としては軽くほのかの背中を押してあげたつもりだった。
ところがほのかの表情は前にも増して曇る。
でも...、でもここまできた以上、もう後には引けない。このままうやむやにすれば、きっとこれからのほのかにとって良いことではない。
危険な賭ではあるが、ここらではっきりさせよう。お互い残された時間は少ないのだから..。
「答えなくてもいいから、少しだけ俺の話を聞いてね。」
「.......。」
「ほのかは何故男の子が嫌いなの?」
「...そ、それは...。」
「俺はその理由は知らないし、理由を聞いても理解できる自信はない。けどね、ほのか。それはきっと、とても寂しいことなんだよ。」
「...私分かんないもん。」
「何が、何が分からないの...。男の子が?男の子の気持ちが?」
「違う!そんなんじゃない...、そんなんじゃ...。」
ほのかの眼から大粒の涙が頬をつたって落ちていく。それを見た俺は一瞬心がズキズキと痛んだ。
けど、やめちゃいけない。ここでやめちゃいけないんだ...。
「違わないよ、ほのか。分からないんじゃなくて、ほのかはこれまで理解しようとしなかったんだよ。」
「...ちがう...。ちがうもん...。」
「ほのか...。ひょっとして、傷つくのが怖いんだね?...。辛い思いをしたくないんだね?」
「.......。」
「でも何故?女の子の友達ともケンカするだろうし、お互い「あんなこと言うんじゃなかったな。」って後悔することもあったと思う。
でもそれは平気で、男の子にだけそういう風な感情を抱くのは変だよ。」
「ちがう...。そんなんじゃ...。」
「いや、おんなじだよ。ねえほのか、どうしてなの。良かったら訳を聞かせてよ...。」
「だって...、だって...。」
そして再び俺が問いかけようとしたとき、ほのかは突然ふらっ、と崩れるように前かがみに膝を落とす。
驚いて一瞬どうしていいか分からなかったが、倒れようとするほのかを、その体が雪に触れないようにしっかりと受け止める。
そう、昔のように。あのときと同じようにしっかりとこの手でほのかを支える。
そしてそのまま、眠ったように、でも泣き続けるほのかを背負い、近くにあったかまくらの中で休ませることにした。

「でも、ちょっと言いすぎたかな...。でも...、」
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