Graffiti 31 −真実は...?(後編)-


 終業式が終わり、明日は仲間うちで思いっきり遊ぼうと約束を交わしたあと、俺は自宅へと足を向けた。
帰ろうとする彼をやや強引に引き連れて。
これから先、彼とはしばらく会うことはないだろう。だから、これまでいろいろと世話になったお礼と、そして最後にもう一つだけ相談にのってもらおうと思ったからだ。
もちろん相談内容はほのかのこと...。
いまさら聞くまでもないとは思うのだが、でもそれで、そうすることがほのかにとって一番幸せなことなんだろうか?と自分でも最近思うようになったからだ。
「なるほどな。お前の考えも一理あるかもしれんな。」
「そうなんだ。その確証はある。でも、それが一番正しい答えなのか...。そう考えるとね。」
「確かにな。お前がそうすることが彼女にとって何よりも幸せであると思うし、そうじゃないかもしれない。そしてそれは彼女の夢を叶えると同時に、一つの可能性を奪い去る、か...。」
「そう。確かに俺はほのかのことが好きだ。これまでもそうだったし、これからもずっと一緒にいたいと思う。数年間ほのかを苦しめ続けてきたその胸のつかえを取ってやりたい。」
「そうだなぁ...。」
さすがにこれは彼にとっても難題のようだった。
前にも言ったかもしれないが、彼に相談するのは恋愛経験が異常に豊富だからという訳ではない。そのきっかけを、ここに至るまでの発端を作ってくれ、そして何よりも自分のことのように親身に相談に乗ってくれるからだ。
そして彼の言うことはこれまで一度も外れたことはなかった。けど、彼のいうとおり行動すれば間違いないとも思っていない。
ただ彼が、彼の方がほのかに近い...、いや、彼の方が感性が豊かだから、そういうことを敏感に感じ取れるからだと思う。
なんといっても、俺は昨日の今日までそのことに気付かなかったんだから。
「こういうのは悪いけど、俺にもその答えは分からない。どう行動するか、そしてそれがどういう結末になるのかは自分で決めるべきだと思う。」
「そうだな...。悪かったな。変な相談に乗ってもらって。」
「いいんだよ。お前とこうしてゆっくり話せることはしばらくもうないだろうから...。」
「そうだな。今までいろいろありがとう。そして、これからもよろしくな。」
 用事で帰らねばならないという彼をぎりぎりまで引き止めたが、もう約束の時間だということなので、多少なごり惜しいが玄関まで見送る。
途中、「お前が売れたら絵の一枚くらい買ってやるよ。」と半分冗談混じりに言うと、
「バカ言え。これからが大変なんだぞ。」と口では言ったが、まんざらでもなかったのか意外にうれしそうな表情を見せた。
そして玄関前で最後の握手を交わしたその時、ふたりの目の前に郵便屋のバイクが止まる。
そして、一通の封筒をうちのポストに放り込み、さっそうと去っていった。
「おい、もしかして...?」
「あ、ああ。見てみるよ。」
予想通りそれはほのかからだった。人に見せるのはいやだが、彼なら問題ない。
急いで封を切る。
そして3度目の手紙を読み終えた俺に、彼は最後にこう言い残して去っていった。
「なあ、やっぱりお前、間違ってないと思うよ...。」と。

 再び約束を破った俺は一体彼らの目にはどう写ったんだろうか。
彼と別れた後、俺はそのキャンセルを告げることなく通い慣れたこの道を歩いている。
そのことを母にも告げることなく...。
そして、もうすぐ南から春を告げる風が吹いてくるというにもかかわらず、相変わらずここは真っ白に塗りつぶされたままだった。
そう...。あの時と何一つ変わっていない。
俺が突然ここからいなくなったあの時から。そしてようやく二人、過去のしがらみから開放されたあの日から...。
いや、違うか...。変わらないのではなく、自分自身が変わってないのではないかという気がする。
そして、今日、ホントの意味で変れるんじゃないかという気も...。
「そう考えるとまんざらこの景色も悪くないかな」と、指定された場所でほのかを待った。
 ほのかを待つ間いろんなことを考えたが、まだどうしても1つだけ腑に落ちないことがあった。
そう。オヤジのことだ。
これまでいろいろ世話になったし、ある意味命の恩人である彼に対してこのような考えを持つことはおかしいのかもしれない。
けど、どう考えても不自然だ。というか、商売をしてるくせに利潤を無視した俺の起用は一般的に考えて正しい選択だとは思わない。
まあ、あの気前のいいオヤジのことだから、らしいといえばらしいのだが、東京より単価のいいバイト代、それに往復の交通費...。
「気に入られた」といえばそれまでかもしれないが、ホントにそれだけなんだろうか?
そんなに気にすることでもないのかもしれないが、これも一つの謎であることは間違いない。
そしてそう考える俺のもとに、ほのかは元気よく走ってやってきた。
そしてこう言った。
「ねえ、せっかくだから、少し歩かない?」

 雪まつりで作られた、あの大きな雪像群も、今はもうかたずけられてその姿はなかった。
まだまだ春には遠いこの土地だが、所々で新たな活動をはじめようとしている植物達の息吹がなんとなく感じられる。
寒さは厳しいが、新しい季節に向けて降り注ぐ太陽の光を一生懸命に吸収しようと、上に上に伸びようとしている。
そう、一歩俺の手前を、どことなく楽しそうに歩くほのかの後姿もなんとなくそんな感じだった。
そして通りの中程まで歩いたとき、ほのかはその足を止めて、くるりと振り返った。
いままで見たことのないような、初めて見せる真剣な表情で...。
「今日はありがとう。いろいろ忙しいのに。」
「いや、いいんだよ。ところで今日は...?」
「あのね...。私、あなたに謝らなきゃいけないことがあるの。」
「謝る...?謝るっていったい何を?」
「憶えてると思うけど、去年の今頃、あなたの家に変な手紙が届いたでしょ?」
「...、どうしてそのことを?」
俺は別にとぼけた訳ではなかった。当然ではあるがほのかにはそのことはまだ一言もいってない。
それは当然ほのかの口から真実を聞くべきだとも思っていたからだ...。
するとほのかは言葉を詰まらせながら、ようやく真実を話してくれた。
「ごめんなさい!...悪いって思ったんだよ。思ったんだけど、どうしても...。
私ね、去年の今頃、東京に行ったの。あなたに逢いに...。あれからちっとも逢いに来てくれなかったから。
でも、私があなたの家を訪ねたとき、あなたはいなかった。何度呼び鈴を押しても、あなたは姿を見せてくれなかった...。
ホントはとっても怖かったんだよ...。
もし、あなたが私のことを憶えていなかったら、もしあのことを...。
ホントはそのまま帰ろうと思った。でも...、でもこの自分の気持ちに、今でも変わらないと信じるあなたに逢いたくて、手紙を書いたの...。」
「...そうだったんだ。それであの手紙を...?」
「うん...。途中何度もやめようかとも思った。でも、この今の気持ちを抑えることはできなかった。
でも、ひょっとしたら、あなたにとっては迷惑なことじゃないか、って思って、名前は書かなかったの...。」
「そんなことないよ!」
「...。ありがとう。そしてごめんなさい...。」
「ほのか...。」
ほのかの頬を一筋の涙がつたって落ちた。
それは今まで胸のうちにしまっていた、ほのかの大切な思い、願い、そして苦しみだったもの...。
それをようやく、本当の意味で伝えたい相手に伝えることができた。
そう...。この俺に...。
(ほのか...。その想い、ようやく話してくれたね...。)
俺はほのかを思いっきり抱きしめた。
そしてほのかは泣きながらうっすらと笑みを浮かべて、こう言った。
「私、あなたのことが好きなんです。どうしようもないくらい...。でも、今のあなたにとってそれは昔の思い出だもんね...。」
「ほのか...。」
「ううん、いいの。私分かってるから。あなたはもう...。」
「それは違うよ。」
「えっ...?」
俺は抱きしめていたほのかの両肩に手を置いて、その体をゆっくりと離した。
そしてそのままほのかの眼をじっと見つめたまま...。
「俺も好きだよ...。」
「ほ...、本当に?」
「俺が今までほのかに嘘ついたことあったっけ?」
「ううん...。」
「ごめんね、こんなに長く辛い想いをさせて。もう...、もう絶対に離さないよ。」
「ありがとう...。ねえ...、お願い...。」
そう言ってほのかは再び俺に抱きつき、その目を静かに閉じた。
俺は迷うことなく、その唇に自分の唇を静かに重ねた...。

 二人並んで、腕を組んで歩くこの公園がとても楽しそうに見えた。
ほのかもっすっかり元気を取り戻し、組んだ俺の手をぐいぐいと引っ張る。
「ねえ、ほのか。もうちょっとゆっくり歩こうよ。」
「いいじゃない。だって、とっても楽しいんだもん。だから早く行こうよ!」
「どこか行きたいところでもあるの?」
「ううん。別にそんなんじゃないけど、何だか歩きたい気分なの。」
「だったらもうちょっとゆっくり、ね。」
「うん、そうだね。」
...。どうやら嬉しくて仕方がないらしい。
そりゃそうだろう。今まで特定の男を作らなかったほのか。
今までは周りの友達がこうやって楽しそうに歩く姿を、きっと遠くから眺めていたんだろう。
そしてずっと夢見ていたに違いない。いつかこうやって歩くことを...。
そして今日ようやく夢が叶った。長い間胸にしまい込んでいた辛い想いが消え去った。
まあ、何となく分からないでもないが...。
 そしてどこに行くわけでもなく、ただ札幌の町を、相変わらず腕を組んだまま歩く。
一年程前のほのかからはとても想像のできない行動だ。
そして駅前を通りかかったところで、恥ずかしくも俺の腹が鳴る。
「ごめん。お昼食べてこなかったから...。」
「ううん。私もちょっとおなかが空いてたから。何か食べよっか?」
「うん、そうだね。何にしよっか?」
「そんなの後で決めればいいよ!」
とほのかは俺の手を引き、駅の地下街へと入って行った。
それがほのかの最後の企みであるとも知らず...。

「ねえ、ここにしようよ!」
とほのかが足を止めたのは、オヤジの定食屋の前だった。
「ここ?」
「そう、ここ。ダメかな?」
「いや...。別にダメってことはないけど。」
「だったらいいじゃない。ねえ、、早く入ろうよ。」
そう言ってほのかは俺の背中を押した。
「こんにちはーっ!おじさん。」
(?...おじさん?)
「おうよ!ほのかちゃん。今日もラーメンかい?」
「うん、2つお願いね。」
「わりい、今ちょっと手が離せないんだ。こっち来て手伝ってくれるか?」
「うん、分かった。」
オヤジは夕方の準備で忙しいのか、厨房から姿を現さなかった。が、ほのかとオヤジさがこんなに親しいとは思わなかった。
...。いや、ちょっと待てよ...。
どうしてオヤジはほのかの名前を知ってるんだ?
まあ、ほのかが良くここに食べに来てるんなら分かるが、俺はあの時以来ここではほのかを見てないぞ...。
それに、単なる客をどうして厨房に入れるんだ?
「まさか...?」
店に客として入ったはいいものの、何ともいえないその疑問が俺の足を止める。
「おう、何やってんだ?早く座れよ!」
「えっ...?」
驚いて俺は振り返る。背後にいたのは他でもない、オヤジだった。
オヤジは店の前にある「営業中」の看板をひっくり返し、こう言った。
「タネあかしはラーメン喰ってからだ。」

「別に隠すつもりはなかったんだが...。」
食べ終えたどんぶりをことりとテーブルに置いた俺に向かってオヤジが言う。
「オヤジらしくないね。もっとはっきり言ったらどうだい?」
「うーん、そうだなあ...。」
そんな、いまいちはっきりと事実を口にしようとしないオヤジに代わって、ほのかがこう言った。
「あのね、この人私のおじさんなの。」
「は...?」
「だから、オ・ジ・サ・ン!パパのお兄さんに当たる人なの!」
「本当なの...?オヤジ...。」
そしてようやく覚悟を決めたのか、いつものオヤジに戻ってこう言った。
「んじゃ、もう隠す必要はないんだな?ほのか。」
「うん、そう。」
そうあっさりと返すほのか。顔も見ずにラーメンを食べながら答える。
「...そうだ、ほのかは俺の弟の子供。」
「じゃ、オヤジは今まで知ってて俺を?」
「そうだな...。実のところ知ってた。でも、ホントに最初は偶然だったんだぞ。」
「最初って、俺が初めてここに来たとき?」
「そうだ。そして、ほのかとお前が初めてここで顔を合わせたことがあったろ?」
「ああ。」
「あの後ほのかに全部聞いたんだよ。お前のこと...。」
「じゃ、本当の理由はそれなの?俺を今まで雇った...。」
そう言うとオヤジは黙って何も言わなくなった。
かと思ったら、食べ終えたほのかに席を外すように言う。
「うん、わかった。じゃ、あたし奥で待ってる。」
 ほのかが部屋の奥に消えた後、オヤジは厨房からおもむろにビールとグラスを2個持ってきて片方を俺の前に差し出す。
そして一言「卒業おめでとう」と言って、互いのグラスにビールを注いだ。
「ありがとう。」

「で、さっきの話の続きなんだが、実を言うとほのかに頼まれた、ということもある。」
「やっぱりそうだったんですか。どうりで...。」
「そうだ。いろいろ思い当たるフシがあるだろ?」
「ええ、そのことを聞いて今ようやく分かりましたよ。」
「...だがな、俺は俺なりで結構心配してたんだ。」
「心配って、何を?」
「お前は全部知ってるだろうから詳しくは言わんが、年頃の娘があれだったからな。弟からもよく相談をもちかけられたよ。
いつになったらあの子に彼氏ができるのか、って...。
そんなさなか、お前のことをほのかから聞いた。そして俺は、俺なりにできることをしてやろうって...、そう思っただけだ。」
そう言ったオヤジは、残りのビールを一気に飲み干した。
そしてタバコに火をつけ、こう言った。

「すまなかったな...。そして、これからもあの子のことを頼む。」
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