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霊魂学の主張
高貴な霊魂との交流 編

7 卑弥呼の鏡


日本では、古来、鏡を宗教的な物品として扱ってきました。卑弥呼がそれをどのように使っていたのかは知りません。ですが、HP監修者の主宰する会では、霊的トレーニングに鏡を使う事があります。鏡だけではありません。玉や石を使用する事によって、霊的な儀式や技法を成功させているのです。

人間は物質の身体で生きています。その目も耳も、物質しか見え聞こえしないのです。いくら天におられる神様を思おうとしても、漠然としていて、なかなかイメージが沸かないのです。偶像を崇拝するなと言われても、見たこともない神にどう祈って良いのかも分からないのが人間なのです。

人は物質の脳を使用しているから仕方がないのです。物質の脳でいくら想像しても、それはやはり空想上の神でしかないのです。そこで、鏡や玉が登場するのです。鏡や玉は人の像とは違って神様にはなりません。ですが、神様と人間を繋ぐための道具にはなり得るのです。

つまり、放送局にいる高貴な霊魂と人々を繋ぐテレビが鏡なのです。日本の神社の御神体は鏡や剣なのです。日本にはそうした伝統が残っていたのです。

人間は肉体の他に霊的な身体を持っています。そして、真に高貴な霊的存在とは、幽体ではなく、霊体を使用しなければ接点ができません。ですが、地上の人間の霊体は高貴な霊的存在のようではありません。ですから、間を繋ぐ何かが必要なのです。

鏡も、そして、玉も、単なる物質です。それ自体に神秘性はありません。それを神秘的な物品にする技が必要とされています。その技を行使し得る者、その人こそが、本物の卑弥呼なのです。人々と高貴な霊的存在とを結び得る偉大な卑弥呼を現代は待っているのです。

(110810)

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