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霊魂学の主張

悩み編

3 個々の悩み

 

 人の人生には数え切れないほどの悩みがあります。それらを一つ一つ取り上げていては切りがありません。

 まずは、出産です。無事に生まれてくるかどうか、五体満足かどうか、これがまず一番の心配事になります。そんな事は知ってか知らでか、とにかく無事に赤ちゃんが生まれて来たとします。

 ところが、次には、この赤ちゃんがちゃんと歩けるのかどうか、あるいは、目が見えるかどうか、耳は聞こえているのかどうか、そうした事の一つ一つが心配の種になります。そして、一つでも他の赤ちゃんと違う事でもあれば、両親は地獄の底に落とされるような絶望的な気持ちになってしまいます。その苦しみは大変なものでしょう。

 人は地上に誕生した時から、その親達に悲喜こもごもの思いを与え続ける事になるのです。

 やがて赤ちゃんは幼児になります。そして、保育園や幼稚園に通ったりします。そこでもご両親の心配の種は尽きません。自分の子供が他の子供に苛められてはいないだろうか。逆に、苛めていることはないだろうか。そうした事が日々の悩みの種になります。

 人によっては、自分の子供が幼稚園で主役を貰ったばかりに、他のお母さん達から睨まれて孤立してしまう人も出ます。

 もちろん、子供も毎日楽しい事ばかりではありません。成長するにしたがい、悩みというものを抱えるようになって行くのです。

 小学生になると、勉強が始まります。他の子供よりも出来なければ、親も悩みますが、子供も悩みます。友達に馬鹿にされたりするからです。更には、運動能力に差がある事も知ります。能力の高い子は生き生きとしますが、劣る子は体育が嫌いになります。

 もちろん、小さいながらも男女の好き嫌いを言います。ここでも、ライバルと対立します。

 人の人生は悩みの連続です。そして、人はそれを一つ一つ乗り越えて行くしかないのです。

 徳川家康の言葉ではありませんが、人は重い荷物を背負って歩かねばならないようです。

 こうした悩みを越えて大人になっても、悩みは減ることはありません。仕事の悩み、子育ての悩み、嫁姑の悩みと、次から次へと悩みが襲って来るのです。

 そして、とうとう疲れきってしまうと、人生を放棄したくなってしまうのです。

 人は弱い生き物です。もちろん、強い面もあります。そして、個人差があります。心の強い人も大勢います。ですが、自分の子供が先に他界しても強くいられる人は少ないでしょう。私達は生身の人間です。悲しい時は泣き、苦しい時は何かに縋りたいものです。そして、その対象を宗教に見出した人は、宗教に逃げたとか、走ったとか言われて蔑まれるのです。

 確かにそうした事も言えるかもしれません。そこに救いを求めたのですから。

 ですが、そうした批判は、その人達の悩みを解決できる人が言うべきことでしょう。 人が自分一人では乗り越えられない悩みを抱えた時、親や友人では解決しなかった時、いったい、どうすれば良かったのでしょうか。そうした人は、一人、鬱病になり、その後、自殺までもしてしまうのが正しい事なのでしょうか。犯罪集団でさえなければ、宗教で救われる事の方が、その人にとって、はるかに大きな収穫と言えるでしょう。

 それは何教であろうと、悩み苦しむ人に、救いをもたらしたのであれば、それをとやかく言う権利など他の人にはないように思えます。

 もちろん、月日が流れ、その人に心の余裕が生まれた時、より正しい事は何かについて考えられる事があれば幸いです。そして、もちろん、霊魂学に行き着いていただくのが最善だと私は考えております。

 霊魂、霊的な身体、霊的な気は、様々な事に深く関わっています。出産や育児、恋愛や人間関係、そして、病気や怪我の原因にまでもなっている事があります。

 まず霊魂学を知ってから生きるべき、と霊魂方はおっしゃいます。 (参照 「霊と人生」)

(110903)