次の特徴は霊魂学が霊的トレーニングと一体化しているという点です。
霊魂からの通信によって成り立っている宗教やスピリチュアリズムの多くは『教え』を重視しています。
愛や利他的な行為を盛んに主張しています。ですが、霊的トレーニングにはあまり関心がないようです。せいぜい、簡単な瞑想を行なっている程度のように思われます。少なくとも本格的な体系を持っていません。
これは、考え方に大きな違いがあるからです。
日本には密教や古神道、修験道等、修行を重視する宗教があります。ですが、現在、霊魂からの通信を受けたと主張して大きな勢力を持っている所はほとんどが教え重視のようです。
たとえば、スピリチュアリズムの一部では、何を信じたかではなく、霊的な教えを実践する事が大切だと説くそうです。これは、イエスを信じたから良いのではなく、イエスでなくても他の神や仏を信じていても、霊的に正しい行為を行なう事が勧められるという事だと思えます。
特定の神や仏を信仰する人達の場合は、信じる神や仏のランクが問題になるようです。どちらの神が霊的に高いのかが議論になるそうです。つまり、ただ霊的に善い行為を実践しても、正しい神を信じないといけない、というような主張だろうと思われます。
いずれにしましても、愛の心で善なる行為を行なうことが教えの中心と言えましょう。
ところが、霊魂学はまるで異なります。
霊魂学では、愛も大切ですし、善なる行為も大切ですけれども、ただそれだけでは単なる倫理道徳とそれほど変わらないと主張するのです。霊魂からの通信によると、人間の魂にとって表面意識はほんの一部なので、表面意識だけを問題にしていても、霊的生命体としての進歩はごく小さく、霊的生命体としての魂の全体が進歩しなければ価値が小さいというのです。
魂全体の進歩のためには、霊的トレーニングが必要だけれども、深山幽谷に入っての難行苦行ではなく、日常生活の中で行なう霊的トレーニングが大切だと主張するのです。
禁欲するのではなく、一般人として普通に生活し、結婚しても良いし、お酒を飲んでも良い。そうした普通の生活をしながら、自分の心を見つめ、表面の心もより進歩する事を願い、霊的に高貴な存在の事を思い、一歩でも霊的に進歩しようとして努力する事を勧めるのです。
日常生活の中で行なう霊的トレーニングですから、水の禊といっても真冬の寒行や滝行のような荒行はしません。自宅での行は、冬の寒い時にはお湯で薄めても構わないのです。あくまでも、難行苦行ではないのです。
そうした霊的トレーニングを深めて行きますと、理屈だけでは分からない事が実感として分かるようになります。そうなりますと、霊魂学はより深く理解できるようになるのです。
つまり、霊魂学を深めるには霊的トレーニングが有用なのです。逆な言い方をすれば、霊的トレーニングで高貴な霊魂方や高級な気を実感できないと、本当の意味で霊魂の学問は理解できないのです。頭だけで霊的世界の事や霊的世界の存在の思いを理解できることなどないのです。
霊魂学の特徴その3は、霊魂学は霊的トレーニングと一体だという事なのです。
(111110)
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