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 霊をさぐる

霊をさぐるためには

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霊魂からの通信と主張する人の中には、「自分が特別な生まれ変わりである。」と主張する人がいます。そればかりでなく、おおむね、霊魂や信仰を主張する教祖は、「自分が一番だ。」と言うように思います。これは情けない事ではないでしょうか。

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そんな事はありません。むしろ、当然のことだと思います。

自分が偽者である事を知っていながら、自分が特別な存在だと言っているのでは困ります。それでは、詐欺のようなものでしょう。

ですが、宗教の世界や霊魂の世界では、皆が、「自分が一番だ。」と言ったとしても、何ら不思議ではないのです。たとえば、鎌倉時代には何名もの仏教家が新しい宗派を起こしました。それらの人達は皆、自分の宗派が一番だ、と思っていたと思います。なぜならば、そう思うからこそ、命を懸けても布教しようとしたのです。二番ならば、一番の先生に教えを乞い、その人のために働くべきなのです。

それまでの宗教で人々が救われるのであれば、新しい宗派は不要なのです。それでは駄目だと思うからこそ、時には他と争ってまでも、皆それぞれに、己を主張されたのです。人々は自分の目と耳、そして、心でその優劣を定めるしかないのです。

教祖方は、どなたも、その宗教がどうしても必要だと思えばこそ立たれ、あらゆる苦難や迫害にも耐えられたのです。そうでなければとうに投げ出されていたことでしょう。

宗教の世界の場合は、自分の教団が一番だと言い張り、他を非難するだけでなく、随分としつこく布教する人達がいます。皆さんも迷惑を感じられた事があると思います。しつこい布教はぜひ辞めてもらいたいものです。ですが、他の人達の迷惑にならない範囲の広報は必要です。

宗教家や霊的指導者は、自分がやらなければ他では真実は示せないと自覚しているからこそ頑張るのです。もちろん、一番が大勢いるはずはありませんので、実際には多くの人達は錯覚している事になります。ですが、それに気付くまでは、そう言って当然なのです。「自分が救世主だ。」という人も同じです。そんな事を言ってはいけないのではなく、それが本当なのかどうかが問題なのです。一般の霊魂では到底知り得ない事が、霊的な世界の上方部では起きたのかもしれません。ですから、可能性がないとは言えないのです。   

結局、私達は自分自身でその善し悪しを判定するしかないのです。



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