霊 的 進 歩



6.人が今、なすべきこと  (2000.10.13)
                         
 −このページはHPの監修者水波一郎師の文章をそのまま掲載しました。−


 人が今しなければならないこと、それは、霊的な真実を知ろうとし、霊的なトレーニングに目覚めることである。これは、私に関わった大勢の霊魂達の以前からの主張である。

 だが、今、私は、それが困難なのではないか、と憂えている。

 たとえば、ある国が侵略戦争を起こそうとしたとして、私に何ができるであろうか。結局、新聞やテレビを見て戦争を批判するのみである。一個人は結局、無力なのである。やはり、国家には国家といった、同等の強い勢力でないと、戦争をやめさせることはできない。
 つまり、一個人がデモをしても他国の戦争は終わらない。それが力になるのは、大勢の人達がそれに賛同する場合だけなのである。世界中の人達が侵略をやめさせるという強い意思をデモなどで示すことがあれば、現実も動くことがある。しかし、それには、それが大勢の人達の共通の思いがなければならない。大勢の人達が同じ考えを持っていれば、それが可能になるのである。

 一方、霊魂の分野ではどうであろうか。一個人が街角で霊的な進歩や霊的なトレーニングを叫んだら、人々は一緒にデモをしてくれるであろうか。

 霊魂の実在を語り、その霊魂の中でも最も高級な意識体として神霊を位置付け、それを前提として霊的トレーニングを語る時、人々は新手の詐欺とか、気狂い集団とは見ずに、真面目に話を聞いてくれるのであろうか。
 多数の人達は新しい「カルト宗教の宣伝」として嫌悪感を覚えるのではないだろうか。

 霊魂が実在し、その霊魂達の意識に上下高低があるとすれば、ずっと上の方に位置する霊魂は、神とか神霊とか呼ぶべき存在である。つまり、霊魂の世界が実在し、その霊魂達に上下があるとすれば、用語の定義に問題があるだけで、神霊と呼び得る存在は実在して当然なのであり、霊魂の実在を肯定するのであるならば、神霊を語るのは正常な理性にとって、合理的なことなのである。

 しかし、それを主張すると、人々はそれを宗教と呼んで、軽蔑したり警戒したりする傾向にある。これが、現代の日本の現実である。

 こうした環境の中、高級な霊魂達は、人間が本来、地上で一体に何をすべきなのか、どう生きるべきなのか、そうした事を示し続けている。

 霊的生命体として、死後もずっと生き続ける人間という存在は、物質だけの存在ではない。そうであるからには、人間は死後どうなるのか、霊魂とは、魂とは、そうした事を霊魂に教わらなければ、人間という存在の真の姿を知ることはできない。

 ところが、人々はなかなかそうした主張に耳を貸さない。これでは、霊魂達のメッセージは価値を失う。

 私はこれまで、出版したり、講演会を開いたり、と、自分にできる限りの活動をしてきた。ただし、今、考えている。このままでよいのか、と。

 霊魂達の言葉を受け入れてくれる人は非常に少ない。また、新しく、霊的なトレーニングを行ないたい、という人がいても、現代では家族や友人などから、「宗教に走っては絶対に行けない」と言われて、辛い立場に立たされてしまう。
 そのため、かつては起きなかった新しい悩みができてしまう。そうなると、世の中には、どう見ても宗教の分類に入りそうなのに、わざわざ、『宗教とは関係ありません』という但し書きを付ける人達が現れる。
 だが、それをストレートには批判できないくらいに、世の中の目は厳しいのである。人々は、宗教に入ると悩みが増えてしまう。これが現実なのである。そうなると、真実に目覚めた人が不幸になってしまう。

 そこで、私は霊魂に聞いたのである。

 本を読んで霊魂とか仏とかの教えを信じているだけなら、わざわざ団体を作る必要もないかもしれない。だが、それは、表面的な心の変化にすぎず、魂の本質の進歩にはあまり関係がない。今、やらばならない事は、もっと、霊的生命体としての本質に迫ることなのである。
 人々に真に必要な実習をするためには、必然的に団体ができる。(団体を参照) そうなると、世間から非難される。このままでは、いずれ霊的な真実は地上では示せなくなってしまう。現代の人達には、霊的な進歩は無理なのではないか、と。

 ある霊魂が答えてくれた。

 「地上の師よ、あなたのおっしゃる事はもっともです。
 ですが、地上の人間にはいかなる場合にも自由意思があります。これは、どんな霊魂といえども無視できません。幸福になる自由も不幸になる自由も、真実から遠ざかる自由も保障されているのです。
 そうであるからには、どんな手を打っても、やはり、最後は、本人達の自由な意思がそれを求めるか否か、に掛かってくるのです。

 歴史が教えています。人は霊的な達人をはりつけにしてさえ、その意味が分からないのです。 
 地上にどんな達人が現れても、大勢の人達はやはりその意味が理解できないのです。
 私達はそうした辛い現実を踏まえて、それでもこれから真実を知ろうとする人達に期待しています。
 人間が霊魂である限り、中には必ず理解しうる人がいるのです。
 世間の目によって辛い思いをする修行者達も出ることでしょう。それに対して心を痛めるのは、師の心情としては当然のことだと思います。

 ですが、彼らの心の奥には霊的な光が染みています。彼らは霊的に特殊な修行を経て、霊的な部分に、真実を見抜く感性が一部目覚めているのです。ですから、本来なら、師が心配しなくても、何があっても自分に打ち勝てる霊力を秘めているのです。
 そして、それは、あなたが与えたのです。
 人類の歴史上、ついに誕生した高度な霊的技術です。彼らはその重みを表現できる力を持っているのです。」

 私はこう言った。

 「弟子達は霊的な感性や力を内在させているが、表面の心がそれに伴っていない。何といっても、深い悩みがあって、それがきっかけで門に入った者も多い。そうなると、その事で頭がいっぱいで、それが解決してからやっと他の事にも気持ちが向いて来るようになる。その人達は、これからやっと始まる、と言っても過言ではない。
 ましてや、会員以外の一般の人達は最初の一歩さえ踏み出せないばかりか、霊的に悪い環境を作り出している。」

 現代は、霊的には暗闇のごとしなのである。

 それでも、霊魂達は今、必死に動いている。私は、少しでも多くの人達が、今、霊的生命体としての自分が何をすべきか、それを真剣に考えてくれることを願うのみである。

 …、そして、神霊との契約について考えるのであった。


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