MINI 1300の思い出

 

前編

 


 

ある日、車にハネられた。単車乗ってて。

こっちは直進やのに、右折の車が特攻してきた。
俺のルパン顔負けの細い腰に相手の車の右フロントがメガヒットした。
俺はビューーーン!!と大空を飛んだ。それはまるで日の丸飛行隊のように。 
たぶん人力では、あれほど高くは飛べんかったやろ。



超人ブブカの気分を少しだけ味わった。
しかし彼は『棒』使ってるからな。俺の勝ちやわ。



憧れの救急車に乗って、病院へ行った。
腰骨の軽いヒビだが膀胱(体の中やで)をやられていたので入院することになった。
この入院から、俺とミニの物語は始まるのであった。


 

第一章

〜そしてめぐり逢い〜

 

俺がご幼少の頃、六甲山を登って行くMINIの軍団を見た。
赤・白・黄色・・・とそれはまるでチョウのような。
初めて見たときは、『なんでこんなにブッサイクやねん!』と思った。
でも、その軍団の愛らしさっちゅうか、なんちゅうか、とにかくモーレツに気に入ってしまった。
実はMINIという車、みんなは全部ミニ・クーパーと思っているようだが、そうではない。
クーパーと呼べるものと、そうでないものとがある。MINIにはいろいろあるのである。
エンジンとか内装とかが、微妙にちゃうのがいっぱいある。
しかもキャブやら、インジェクションやらまである。
TURBOまで付けた『おまえそれ反則ちゃうん!!』みたいなもんまである。


ま、いずれにしてもブッサイクやねん。いっこもカッコええことない。
ほななんで好きやねん!いう話やねんけども、それがわからんねん。

いろんな種類のミニはあるが、まあ、ウッソクソ
改造するねんから何でも同じやねんけどね。
MINI は1分の1のおもちゃです。決して乗用車の感覚で乗ってはいけません。
最近のMINI は壊れないと言います。ダマされてはいけません。
壊れます。ブッ潰れます。金かかります。
国産車なら絶対にクレームの嵐になるような車です。
(2001年新型ミニが発売され、その伝統的な風貌の新車は姿を消してしまった)


そんで入院は1ヶ月以上にまで及んだけど、
とにかくヒマで車の本ばっかり見てた。
初めは国産車の本を見てたけど、しまいには飽きて
外車の本を読み出すようになってもうた。
そこにミニが載っていた。見れば、モンテカルロ・ラリーの連覇記録が書いてある、
1964年の【ミニクーパー1275S】が載っていた。
ミニの存在は知っていたが、そんな大それた記録を作ってる車とは
知らなかったから結構、衝撃やった。
あんなチョロQに安物のエンジンくっつけたような、
ブッサイクな車がそんな輝かしい記録を持っていたとは!!



俺は感動を通り越して爆笑モードに移行中だった。

そして次のページをめくった。

 

ぬおおおお!!!!!

なんてこったい!!ポッパ〜イ!



俺は奇跡のアンビリバボーな心の雄叫びを
病院のベッドの上で体験せざるを得なかった。

数々の改造パーツが目白押し!
しかもこっちが悪いと思うほどチープなプライスではないか!!
元来、俺は模型やら改造といったたぐいの言葉に弱い。
それは今の阪神タイガースに匹敵するほど弱い。
しかもそういうものに関してはアホほど熱心になれる。
俺は、いっぺんでミニという車に虜になってしまった。



だが、しかし、当時の俺は、人に話せば
聞いた相手が打ちひしがれるほどの貧乏人であった。


ところが幸いにも俺は入院している。
しかも保険までかけてるし、完全に被害者の立場。
舞台は完璧すぎるほどに整っていた。


この入院で一儲けするつもりはなかったけど、これも何かの縁。
天が恵んでくれた俺の夢へのパスポートなんや・・・と、
勝手に解釈することにした。入院が長引けばそれだけパーツが増える。
そんなモンやから、もう一度腰の骨が外れたりせんかなあ?って
思ったけど、ミミズ並みの蘇生能力を持つ俺。しかも、
昭和ひとケタ級に頑固な骨の硬さで、みるみるうちに治ってしまった。

俺は入院先に来てくれた友人に、この車を買うということを宣言した。
すると彼も『これってええやろ〜??俺も買うわー!!』などと言い出しよった。
それからしばらく彼は俺の病室に通い、『ミニ購入大作戦』を日夜、実行していた。

 

 

退院をした次の日。

俺と友人はふたりで車に乗って、早速ミニ専門店に出向いた。
それは大阪の豊中にある、全国的にもミニ界では有名な店であった。
俺は買うならココしかない!・・と思っていた。
なんでって、ミニは壊れやすいし、専門知識のないディーラーで買うのも怖いし、
しかもディーラーやったら車検でも苦労すると思ったからだ。
で、俺と友人は本で調べて調べて調べまくってその店に行った。

降りしきる雨の中、俺らは店に着いた。

そしたら、どういうこと?!!! 

休みやん!!本でしっかり調べたのに!!!

なんと慰安旅行とかで休みやった。それは予想外の展開やった。

俺と友人は、ふたりで雨の中を傘もささずに
ショーウインドウの中のミニを見つめていた。
生活の苦しいダウンタウンに住む黒人の子供が、町のショーウインドウの
中のキラキラ輝くトランペットを見つめるがごとく。

で、後日出直した。今度こそは見積もりしてもらうのだー!!
その店で応対してくれたのは、
サザンオールスターズの原坊に似た、女の子であった。
いろいろ説明を聞く。初めて乗るんやと言うと、親切丁寧に教えてくれた。


余談だが、原坊は苦手だ。

俺達は新車が欲しかった。
それもベーシック。クーパーはベーシックよりも70万円くらい高かったと思う。
大してパワーも変わらんのに、そんな70万も多めに出せない。
それやったら、その分で改造に充てた方がなんぼか楽しめるし。
そう思った俺らは、もうベーシック・ミニ一本で勝負する事にした。
タコメーターはもちろん、クーラーもラジオも何もないヤツ。
まさに改造するための、スターターキットと呼ぶにふさわしい英国の誇り。
う〜ん、紅茶をくれい!


しかも新車のクセに110万円というビックリお手軽価格。
なんて嬉しい車なんやろ。イエーイ
そして、俺らの目的はドレスアップを基本コンセプトに盛り込んだ改造・・・
というところにあったので、『いきなり全とっかえ』を
する必要があった。車高をダウンするハイロー・キット、オーバーフェンダー、
内装、バケット、などのあらゆるパーツの見積もりをしてもらったら、
なんと350万円くらいになってもうた。



これでメゲてはいけない。 今日び、国産車買っても余裕のヨッチャン、
ヨシコちゃん、おまけにヨシオちゃんまでついてくる
くらいの価格はする。だから俺らは上限300万円を設定して再検討をした。



ミニはひとつひとつのパーツをオリジナルから交換していくことに喜びがある。
それが一番楽しみな部分ではあるが、
少なくとも俺にそんな有閑マダムのような余裕はかけらも無かった。
ブッ込みでローンにしてしまわんと、イザって時の修理代も捻出できなくなるからだ。



『もっと安い店を探そう』

結論はこうなった。単純明快。まさに男の決断であった。
それでこそ関西人。キング・オブ・ドケチ。
で、いろいろあたってみて、最終的に尼崎の店に行くことにした。
先の店の見積りを持って。
ほぼ同じ見積りではあったが、当時の店長の鈴木さんのノリが良かったことと、
接しやすくて親切なところが気に入ってここで買うことに決定した。

あとでわかったことだが、ここは初めに行った店の2号店。俺らって超・最悪。
でも、店の名前がちゃうかってんもん。そらわからんやろ。



納車に1ヶ月、改造に1ヶ月を要するらしい。
色は燃え盛る赤に決めた。これぞミニ!!ってのが欲しかったから。
そらそうやろ。ルーフの色もオールド・ホワイトに塗ったりするし。
メーターはセンターメーター。ルーフアンテナにする。
これがラジコンみたいで、またカワイイねん。
ドアミラーなんかダッサいから、埋める。
ミニはフェンダーミラーやないと。どう考えても。


FグリルはMK−2にする。ミニにも色んな顔があるねん。
ほんまはMK−1が好きやねんけども、テールが全然違うから
MK−1にするとおかしいねん。
藤原紀香のボディーに広末涼子の顔をくっつけるみたいなもんだ。


あれ?ほんならええんちゃうん?あかんか。
いや、待て待て。広末みたいなあどけない顔にあのボディーか。
そのギャップがなかなかええんとちゃうんか!!
うーん、いいね!

 

言うてる場合か。




とにかくアンバランスなんでそれはボツ。
バケットシートはホールドの深いコルビューを2基。
内張りはスベテ黒に統一。
そやないと、あんなハイジみたいなメルヘンちっくな内装で
スパルタンで男らしい走りはできひん。
高倉健がキティちゃんの柄のハンカチ持ってるみたいなもんや。
そんなん死刑やん。どう考えても。

インパネにはローズウッドをもってきた。
なんとも本物のウッドは、いい味わいがある。安物のコーヒーよりもよっぽど
本物の味わいを楽しめる。英国紳士への道は、もう目の前である。


シフトノブはアルミの削り出し。ここだけでもフェラーリ気分で。
プルハンドルやドアロック、ワイパーもリヤトランクの
ハンドルも全てアルミに変更。
ステアリングも定番の、なんとかって言うヤツ。忘れたけど。名前。
そうそう、ステアリング位置も、ノーマルはまるで市営バスみたいな
角度なんで、角度を下げておく。
ショックはKONI。ミニはラバーコーンっちゅう、ゴムのサスなんで、
これだけでも変更しとかなあかんかってん。
で、基本中の基本のハイローを入れる。(これは車高調整キット) 
これで最低地上高は5cmくらいにまでシャコタンにする。
エンジンガードも当然アルミに。
オーバーフェンダーも5.5Jにして、モールまで装着させる。

タイヤは当時人気のVグリッド。
本当はピレリでも良かったんやけど、山走る目的もあったし、
そこそこのコストと性能を考えて、こうなった。
ミニの足元は10インチホイールが似合うので、インチダウンするのが
ミニ乗りの憧れではあるが、俺達は走りを選んだ。
インチダウンはブレーキも交換せなあかんし、コストかかりすぎるし、
絶対速度が遅くなるからやめた。


ま、大まかに説明したが、以上が我がミニの改造内容であった。

で、いよいよあとはベースとなるミニを待つのみとなった。
ボーカルは俺。ドラムはキミ。うそ、ごめん。


こうして新車を待つ気分は最高やね。
いつ味わっても、この期間が一番楽しい。
それも『あなた好み仕様』になるのだ。これが興奮せずにおられようか!!
こんなオモチャは他にないよ。めっさ楽しいし、自分だけのオリジナルやしね。
でもトイザラスには売ってへんねん。もし売ってたとしても、
300万の現金をレジにドン!と置く小学生なんかおらんし。


やがて我が愛しのミニは沖縄で在庫されていたものに決定した。
英国車を沖縄で買う。なんて劇的なストーリーやろ。
イギリスの新車がなんで沖縄にあるんやろ?
なんて細かいことは男やから気にしない気にしない。ひと休みひと休み。
というワケで、移送されることになった。
なんせ早いトコ尼崎の店に持ってきてもらわんことには、改造どころやない。


沖縄から到着するはずのミニは、なんと手違いで
名古屋まで行って行ってしーまった。
しかも転送に時間がかかるらしい。イヤや。とってもイヤや。
転送に時間かかるんはFTPだけで充分や。
でも、ソコはさすがの鈴木店長や。

その車が名古屋にあるとわかった夜に、なんとキャリア・カーで
名古屋まで取りに行ってくれた!!
あんたって人は・・・・。感動。 さすがサービス満点。
店長万歳。最強。男前。



そしていよいよ我がミニは改造開始となるのであった!!

ヒャッホ〜イ

 


 

〜さあ、出発だ 今 陽が昇る〜



よくよく考えてみたら、新車の香りもシートの硬さも内張りのビニールも、
ノーマルのホイールもタイヤもショックもハンドルも
なんにも経験せずにいきなりの改造ということになる。
産まれた途端にショッカーに捕まってしもた赤ん坊のようなもんだ。



友達のミニは俺のミニよりも先に納車されていたので
改造のほうもかなり進んでいた。
俺達は保育園に子供を迎えに行くがごとく、
来る日も来る日も店に出向いた。
俺は自分のミニの新車の状態を見ることはなく、初めて見たときは
ライトもグリルもバンパーもシートも何もかもはずされて
いる状態のときに見た。それはまるで未完成のC3−POみたいな感じ。
今で言うたら。
なんかちょっと悲しかった。


しかし屋根を塗りに出して、帰ってきたときは感激したね。
なんでって、当時のミニの新車(今もそうやけど)の屋根は
なんか『アタック』で洗ったようなTシャツの白さとでも言おうか、
ヤケに『白!!』って感じで。見てられへんかった。
我々のミニはオールド・ホワイト。少々黄色がかったレトロ感のある白だ。
現行ミニクーパーのそれと比較しても2000倍はカッコいい。
まさに英国紳士の色だ。


これこれ、これやねん。こだわりたいトコは。
この、ほどよく『ヤレてる』っちゅう感覚が俺の心のシリンダーに火を点すのだ。


店にはいつもミニ乗りが集まってきていた。
中古車も販売していたので、ミニを買い求めてくる人達も後を絶たなかった。
そしてミニを選ぶ人達は、みんな個性がキツかったと思う。
当時インジェクションも発売されたばかりで、乗りやすく、
壊れにくくなったからやろうか?女の子も多かった。
フフフ、だがミニはそんな甘っちょろいモンやないで。
こいつは羊の皮を被ったポニーやで!あかんがな!!

そして12月25日、ついに我がミニちゃんは完成したのだ!

イグニッション・キーをひねり、エンジン始動!

ブロロロロロロロロロン・・・・。

 

なんとも情けない音。三枝みたいにイスから転げ落ちたわ。
でも、まあ気を取り直して、イザ!乗りこむ。
鈴木店長に挨拶をして、ミニは公道へとデビュウしたのだった。

 


 

〜ごらん、これがミニなのさっ!

いよいよ公道に出たのだが、これがまた乗りにくいことと言ったらない。
とにかくシフトが固いねん。
しかもドコに入ってるんかわからん。
ハンドリングを試すために車線変更をクイッ!っとしてみた。

ヒュン!!!

おおおおお!!!!!こ、これは!!!

腰から横に飛んで行く感じ。ロールも全然しない。
まるでゴーカートみたいな走りやん!!すごい!これはマシンや!!
速度は遅いけど、充分レーシーな感覚を楽しめるではないかっ!!
ああ、神様!!ありがとう!
俺は至福の時間を満喫していた。スベテの苦労がここで報われた気がしたが、
何も苦労してないことにも気付いた。

そしてそのまま家に帰ろうと思った。しかし・・・・。


「ん?んん??何か暗いぞ。」

ミニって車はライトも安物やし、こんなモンかと思ったけど、
それにしてもあまりにも暗い。
なんか潮岬の先っちょで暗い過去思い出しながら
中島みゆき聴いてるような気分になってきた。これは暗いぞ!!




で、車から降りて見てみたら・・・・。

 

 

右ライト切れとるがな!!!


納車からわずか20分で、もうトラブル!おまえはF1か!

俺はガッカリしてしもた。さすが英国の手抜きはハンパやない、
とまで思ってしまったと同時に、日本って最高とまで
思ったわ。そんなこと言うてる場合ちゃうねんけど。
いろいろ結線とか見たけど、サッパリわからんし諦めてミニの前に座り込んだ。
そして、なんでおまえはこんなすぐに壊れるねん・・・と言って、
右ライトに手を当てた。すると!!おおおお!!!!

ライト回復!!!

なんでやねんな!!!!!

ワケわからん!

まあええか!!




とにかくライトは直った。しかも俺のゴッド・ハンドで直した。
すごいやん!俺ってば。
もう気分はメカニックやん。 
どないしょー、ミナルディあたりからオファー来たら。マジで。
そんなこんなのミニの初日は終わった。とにかくスゴイ!
今まで乗り継いできた20台ほどの国産車が、ぜーーーんぶ
ハナクソに思えてくるくらいの感動やった。

なんて愛らしい、そしてなんてレーシーなん!ミニって!!   

 


 

第2章

 

〜新たなる旅立ち〜


正月はウキウキ・ロッケンロー!!な気分で迎えることができた。
なんせミニやねんもん。ミニのある風景やねんで?
これが刺激的でなくて何だというんだろう。真っ赤な車やねんで?
恥ずかしいくらい目立ちまくるねんで?ええの?



で、1月4日。ルンルンして初めてのお出かけだ。
ニッコニコしてキーをひねる。

キュキュキュキュキュキュ・・・・・・・・・。

キュキュキュキュキュキュキュ・・・

キュ・・・・・・キュ・・・・・・・・・・・。

 



かからんがな!

 

 

正月早々やってくれたわ。さすが期待通り。
英国のアナーキー。ゴッド・セイブ・ザ・クイーン。
そしてうろたえる俺は友達のOくんを新年早々、呼びつけた。 
だが、早速来てくれた彼とともに俺のミニを直すけど、全然かからん。
俺らのようなゴッド・整備士でも直らない。
ここはひとつ、カリスマ整備士の鈴木店長を呼ぶしかない!!

そして待つこと30分。店長はやってきた。

フェラーリF189のような、カン高い声で
『どないした〜ん?』と、
言うてからものの10分で直った!!
さすが日本の至宝。ミニ界の修理イリュージョン。
見事な手さばきで直してくれた。



そして彼は、またまたフェラーリの声で『ほなねぇ〜』と言って去っていった。
疾風のように現れて、疾風のように去って行ってしまった。

ま、そんな感じの躍動的な新年の幕開けであった。
俺とOくんは2台とも同じ仕様だ。ナンバーも続き番号。
別に前後賞狙いではない。勝手にそうなってんもん。

ふたりで走ると目立つ。
クラウンが2台続いても、誰も振り向かないが、
真っ赤なミニが2台続くと、イヤでも目立つ。
おかげで女子高生や小学生と話す機会も増えたくらいだ。
俺らは、もっと増えたらどうなるんかと思った。
めっさオモロイことになるんちゃうかと思った。

そこで俺はハタと気がついた。
っちゅうか、往時を追懐してほくそえんだのだ。
往時言うてもガキの頃にミニを見たっちゅうだけの話しやけどね。
あの、六甲山を
『駆け巡る青春』 してたミニ軍団を、
今度は俺が、俺自身が体験するのだ!


そう思ったら、いてもたってもおれんようになった。
我々は早速、雑誌でメンバーを探した。 するとなんてことでしょう!!
近くにメンバーになりたそうな女の子がいるではないか!
ウンウン、この子はきっとメンバーになりたいんやわ!
そう思った俺らは、すぐにその雑誌の編集部経由で、
その子と第1次接近遭遇を申し出た。

すると意外にもすぐに返事があった。
しかも超ノリノリである。
ただのノリノリではない。『超』である。
こいつはヤバいで!!って言うくらいのノリである。

我々は意を決して、高級レストラン『すかいらーく』で会うことを決めた。

 


 

後編へ

 

ROCKET-64