Memory

都下さん

子供のときは不思議なもので、
5歳も年上だともうその人は「おっきい人」で、
自分とかけ離れた大人のように思ってしまった。
小学校に入学すれば、6年生の人たちなんかは自分より
大人に近い人のように思えたし、
中学校に入学すれば3年生はやっぱり大人で
高校生なんておじさんとおばさんみたいで怖かった。
高校を卒業した人なんて、完璧な大人でおじさんだ。
わたしがそう思っていた、おそらく当時二十歳になるかならないかの男の人
都下さん(仮名)は、パパの会社の後輩だった。
今思えば、あの若さでおじさんだと思われていたなんて
かわいそうな話だ。
どちらかと言えば周りの会社の人たちよりも
私達兄弟の方が都下さんに年が近かったかもしれないのだ。


故郷の函館を離れ、高校卒業してすぐに就職。
函館から八戸に来てパパの部下になった。
パパの高校の後輩ということもあって、パパは都下さんを
かわいがっていたと思う。
うちの隣の学生寮に住んでいて、よく一緒に夕食も食べたりした。


はじめて読んだSF小説は
都下さんがくれたクラッシャージョー。
はじめて入院して、退院祝いに都下さんのくれた花束は
私が生涯ではじめてもらった花束だった。
紫のチューリップだったと思う。

都下さんのお父さんがタクシーの運転手で
立待岬で自殺しようとした女の人を、
タクシーの無線でみんなに知らせ、助けた話とか
山菜取りに行って熊の足跡にけつまづいて転んだ母親が
その刺激で産気づいてしまって都下さんを早産してしまった話とか
色んな話を聞いた。

そうこうしているうちに都下さんの実家が火事になり
都下さんは会社のはからいもあって函館へと帰っていった。


その都下さんを思い出すとき、わたしは都下さんが書きたいと言っていた
脚本の話を思い出すのだ。
都下さんは倉本聰が好きで、たくさんの本を持っていた。
それに影響されたのか、都下さんは自分も脚本を書こうと思ってると言った。
その構想を話してくれたのである。

―― 主人公は2人。
1人は北海道で東京での都会の生活に憧れる若者。
1人は都会で北海道の大自然の生活に憧れる若者。
二人は青函連絡船のデッキでそれぞれの存在も知らず想いも知らずに
すれ違う。
そこから物語りは始まる。
二人ともなれない生活に上手くなじめない。
それで故郷に帰ることにするんだよ。――
都下さんは言う。
――二人は青函連絡船のデッキで再びすれ違う。
お互いの存在も知らず想いも知らずに‥。――

わたしたち家族は笑った。
都下さんは函館弁で
「なして笑うのさ(何故笑うの?)」
といってちょっと照れくさそうに笑いながら言った。
そして最後に
「書こうと思ってるんだよ」
とポツリと言った。


今なら都下さんの思いがわかる気がする。
幸せを見つけたり憧れをつかむのに場所なんか関係ないと言うこと。
故郷を離れ、友達も誰もいないところで
都下さんが思いついた脚本の構想の中にある自分の想いと実感。
都下さんは八戸と言う田舎に来たわけで
構想の中の主人公の1人のように都会に出たわけではないけれど
きっと会社から帰って一人ぼっちで部屋で考え事をしたとき
青函連絡船で函館に向かう自分を思い浮かべたんだと思う。
そして過去に都会に憧れて青函連絡船に乗ろうと思った自分と
すれ違ったのだと思うのだ。

「青函連絡船のデッキですれ違うところがいいびゃ〜」

ちょっと酔いながら力説していた都下さん。
今のあたしには、理想と現実のすれ違いに圧倒されている
若い青年である都下さんの姿がそこに現れるみたいに思える。
あの時おじさんと思ってた都下さんは
当時、今のあたしよりもうんと若かった青年だったのだ。
そして脚本を書くんだという夢を携えていた。


都下さんは脚本を書いただろうかと思う。
今でも心の中には絶対にその脚本はあると思うのだ。


都下さんが予期せぬ事故で函館に帰ったときは
もう青函連絡船はなかったのではないだろうか。
トンネルができたのだ。
都下さんは誰かとすれ違ったかもしれない。
函館の駅のホームで誰かとすれ違ったかもしれない。
夢を追う若者か、自分の影か‥。


そういうわたしも何かとすれ違い、誰かとすれ違い、すれ違うことを
勉強しながら日々を暮している。

わたしとすれ違う全てはわたしの何か
わたしたちは誰もが一から学ばなければならない生き物だと感じている。
今日のあたしは一体いくつの何か、誰かとすれ違ったろうか。


都下さんを思い出すといつも考える。