この法典の編纂過程については以下のように述べられている。

 …昔からの口伝と由緒正しい法令に関する旧い公文書を集めた「十六条法典」というものが存在することが政府の要職にある人々のお耳に入って、その草稿が必要だなあとおっしゃる方は多かったが、その草稿は手元になく、〔「十六条法典」〕そのものを差し上げることもしなかった。この法典の系統を引き、序文と名詞の一部だけ違っていて、法典と名の付いたあるものが特別にあって、それには dPa' bo stag gi zhal lce という兵法に関するものと、sDar ma wa'i zhal lce という rdzong を運営する方法に関するものと、sNe mo las 'dzin gyi zhal lce など役人が職務につくことなど大小の業務を行なうことに関する三条に欠けていたけれども、〔その草稿の〕Zhu bzhes bden rdzun gyi zhal lceからの十二条を、偈咒で飾っただけでなく、過去の口伝の模範をそのままみならったものに対し、ささいな意味の誤りと不正確な部分をよく校訂して編集した。(ff.11a-11b)

 文中の「偈咒で飾っただけでなく、過去の口伝の模範をそのままみならった」という記述は、ダライラマ政権の法典にふさわしい序文をつけなおしたことを指す。底本としたツァンパ政権の法典の草稿は十三条からなっていたこと、十二の条文に序文をつけたと述べられている。
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