シャルルドゴール空港に到着


円形建物のシャルルドゴール空港−T1タ−ミナル−

10月15日6:00

シャルルドゴール空港−T1タ−ミナル−に到着


飛行機がパリ上空に近づいてきたというアナウンスがあったので窓から外を眺めてみた。まだ外は真っ暗で夜があけていない。アンカレッジ空港からヨーロッパのパリまでは北極圏を通過する約9時間の飛行時間であるがパリに到着するのは朝6時の予定であ。
翼よあれがパリの灯だ!!!
映画の題名を思い出しながら窓から外を見てみると空が曇っているらしい、パリの灯を見ることはできなかった。
飛行機は予定通りシャルルドゴール空港に朝の6時に到着した。日本からの長い長い飛行がやっと・・・・・・・・安ど感があった。
パリのシャルルドゴール空港はかなりデザインが凝った建物であった。
円形建物の中心部中空をエスカレーターでフロアー移動する構造であった。
パリには空港が2つある。このシャルルドゴール空港とオルリー空港である。シャルルドゴール空港はパリの北22キロメートルの地点で7つのターミナルをもって大きな国際線空港である。

入国審査・手荷物の受け取り

大韓航空は円形建物のシャルルドゴール空港T1タ−ミナルに到着、エスカレ−タ−で円形建物の中央部を、入国審査コ−ナ−フロア−(3F)まで登っていった。入国審査のコーナーに行くように導かれていった。
入国審査官は黒人の女性で,いかにも朝早く眠たいといった様子で、盛んに欠伸ばかりしていた。
質問も一切なく無表情でスタンプを押して審査OK!!!
次に、預けていた荷物を取りに行ったが、驚いたことに、ノ−チェックで、出てくる手荷物を本人が勝手にとっていくようになっていた。
これでは、カバンを開けられたり、盗まれたりしても、仕方がないような状況で・・・・・・・・・
日本から予約をしていたレンタカーの空港事務所にを探しながら、空港にはレンタカーコーナーという場所があり、車の窓口がずらりと並んでいた。−レンタカーフランス旅行サイト
その中のひとつにハ−ツレンタカー窓口が見つかった。
朝は早いのにもかかわらず、若いパリジェンヌの美人女性が受け付けコーナーに笑顔で迎えてくれた。
日本から予約をしていたレンタカーのバウチャーを女性に示して、車の手続きを始めた。こちらはたどたどしい英語で話をしたがどうも通じたようであ。

円形建物のシャルルドゴール空港−T1タ−ミナル−
紫色はレンタ−カ−コ−ナ

レンタルした2,000ccコンパクトカ−
フォードのエスコルテ

われわれがレンタルしたのは2,000ccのコンパクトカ−、期間は2週間、保険はフルチャージで全部つけて、2週間トータルの料金は3,722フラン、1フランが約当時21円であったので日本では考えられないような安い料金ということになる。
貸してくれた車はフォードのエスコルテ、スイスナンバ−の車であった。

ハ−ツレンタカー2週間、3,722フラン

面白いことに、シャルルドゴール空港で借り、返却は2週間後スイスのチューリヒ空港で返却することにしている。
借りる場所と返却場所が異なるが、そのための特別な料金を取られることもなくレンタカーを貸してくれた。
日本では考えられないことである。松山で借りて東京の成田空港で返却すると40,000円−50,000円も別にお金を取られる。
ここヨーロッパハ−ツでは、今回返却場所の国が違っても一切無料であった。
まさにレンタカーのだいご味を味わえるシステムであった。
しかも、レンタカー料金が非常に日本に比べて安いことである。

ハ−ツレンタカー受け付けカウンター

途中われわれの旅行計画では、オーストリアからイタリアに入るときにアルプスの山越えを考えていたので、ひょっとしたら雪の上を走ることも考えられるため、チェ−ンが車中にあるかどうか尋ねてみたが、そんな必要はないということで、チェーンは車中には積んでいないということであった。
どうも雪は大丈夫のようである。
メンバーは4名であったので、手分けしてレンタル手続き、いま1人はフランスフランの交換、小銭の用意する係り役割など、それぞれ手分けをして作業することにした。
ヨーロッパではほとんどがマニュアル車が主流であった。このため料金もオートマチック車はマニュアル車よりも高く設定されていた。
われわれがレンタルしたのは、もちろんオートマチック車である。
一連の手続きが済むとサンキューといって、愛想のいいパリジェンヌの受け付け女の子と握手を交わしていると、ハーツの方職員であろうか、黄色のハーツのジャンバーを着た男性社員がやってきて、すぐそこに車を出してきたので来てくれということであった。

レンターカー乗り捨て料金無料の地域
ハ−ツレンタカー受け付けカウンターと契約書、
全保険・税金込みー3722FF−

振り返ってみると、眼の前にわれわれが借りた車をご用意してくれていた。
スイスナンバーであった車体の色は非常に目立つ赤いボディー・・・・・・・傷がないか、車の運転操作パネルのチェック等を済ませ、いよいよとこれから出発をしようということになった。
もちろん、左ハンドルである。

大変!空港内行方不明

これから出発をしようと思ってたら1人が見当たらない。
農業試験場の山崎研究員の姿が見えない。
しばらく待ってていたが現れないので皆で手分けして空港内をを探すことになった。
6時半ぐらいには車の手続きも終わり、出発の準備ができていたが、山崎研究員が消えてしまったので出発するわけにもいかず・・・それから延々と彼を探しながら、待ち続けていた。
空港内どこを探しても見当たらない・・・・・・・完全に消えてしまったのである!!!!
さすがに、このころになると何かあったのではないかという不安が頭の隅をよぎったて離れない。こんなに長い時間見つからないということは確かに異常である。
8時ぐらいになると空港の車や人の出入りも多くなってきて、そのうちにパトカーがやってきて、空港内の通路に止めている車は駐車違反だから直ちに移動さすようにという指示である。
弱った、弱った、弱ったよ・・・・・今動くと再開が難しくなる!
動かしていくほかないし、変なところに動いてしまうと見つからないことになるし・・・・
不明になっているもう1人の人間を探すことができなくなるし・・
弱っていると、警察が車から降りてやってきて、有無を言わせず早く車を動かせという。仕方がないので、私が車に乗って、円形の丸い形をしたシャルルドゴール空港の円形建物の空港道路をゆっくり時間をかけながら1周してくることにした。
あとの2人は引き続いて空港内で研究員を探すことにした。
空港の周囲をゆっくり回りながら、時間稼ぎをしながら、待つことにしていたが何週目か回っている間に、また、先ほどのパトカーの警官に出くわした。
今度は、駐車場に入れという。
そういわれても、駐車場はどこにあるかもわからないし・・・・・・・まだ、1人が見当たらない。
これにはいささか弱ってしまったが、とりあえず駐車場が屋上にあるというので、この車を駐車場内に入り止めることにした。
もうひとりの人間にも駐車場の停車位置を確認させ、車を止めた場所を待ち合わせ場所とするということにしてたうえで、再度、山崎研究員の捜索に戻った。
そのころには、時間も8時半ごろになっていて、かなり空港内も、人と車でごった返してくるようになっていた。

空港を出るとすぐ広々としたA1高速道路に

シャルルドゴール空港駐車場配置図
−T1タ−ミナルの屋上にP1駐車場−

そうこうしているうちに、9時ころになって、消えていた山崎研究員がひよこりと現れた。姿を見てほっと胸をなで下ろす。
彼の話によると空港内を珍しいもので、いろいろ歩きまわっているうちに、本人も知らないうちに入国サイトの向こうがわきに入ってしまったらしい!
どこかの扉がたまたま空いていたのであろうか・・・・・・
あわてて、本人が本の場所に戻ろうとしたが・・・・・
どこからももとに・・・・・・
仕方なしにわれわれが最初に通過した入国審査コーナーの方にやってきて、事情を話して出してもらおうとしたが、入国検査官がそんなことはあり得ない、できないはずだということで、ずっと押し問答が続いていて、外に出してくれなかった。
それでこういうことになったんだというふうな話のことのようであった。
まあとにもかくにも不明の人間が見つかって再開もできたので、ほっと胸をなで下ろす。
この事件のために予定が大幅に遅れることになったが、それよりも何よりも無事本人に再会でき戻って来てくれたのは何よりもうれしかった。
このまま、行方不明と言うことにでもなれば、旅行ところの騒ぎでは済まなくなる・・・・・・
一時は、そんなことも頭のスミを横切って・・・・・
きがきでならなかった!!!
一人に何かあると身動きができなくなると言うことを痛感させられた!!このころになると、空港内の売店も開いてきたので私も持ってきていたドルをフランスフランの小銭に交換する必要があったために、この売店でお菓子などを購入して、大きな紙幣を小銭に交換した。
みんなで空港の屋上の駐車場に向かって、
いよいよ、シャルルドゴール空港を出発することになった。

空港からパリ市街地、ベルサイユヘ

駐車場を外に出るところに駐車料金の徴収場所があった。
どういうわけか、そこに係官が、私たちの車は無料で通してくれた。
どうも、ハーツの駐車スペースから出してきた車と勘違いしたようである。
これはラッキー・・・・・・・というわけで、とにもかくにも空港からパリの市街地に向けて高速道路に乗ることにした。
道路標識はとてもわかりやすく、パリヘは、A1道路に乗るようにと案内が出ている。
ベルサイユ宮殿に向けては、一旦パリの環状線まで、このA1道路で行き、環状線に載ってから、A13高速道路に分岐することになる。
ナビゲーターが地図を見ながら的確な指示を出していた。
高速道路は8車線の広々したきれいな道路で、車もそれほど多くは走っていなかった。
しばらく、走るとパリを取り巻く高速の環状線に到着した。
高架のため、環状線の内側に展開するパリ中心市街地の町並みが、青空の下に展開始めた。
ビルの建物の屋上に、やたらと日本企業の広告看板が目に付く・・・・・・・・
しばらく、パリの町並みを見ながら、反時計周りに走っていると、ベルサイユ宮殿へは、こちらA13高速道路へ分岐の案内表示が見え始めた。
前を走っていた大型の観光バスも、A13高速道路へ分岐しはじめたので、このバスについていったら、ベルサイユ宮殿ヘ行くだろうとの推測で、われわれはバスの後をついていくことにした。

パリ中心市街地を取り巻く高架の高速環状線

高架高速道路から見た、環状線の内側に展開するパリ中心市街地の町並み

パリ環状線から分岐し、
ベルサイユ宮殿に向うA13高速道路

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