ヨ−ロッパハイパ−リンク

−レンタ−カ−によるヨ−ロッパ八カ国5000Km走破紀行−

旅行スケジュール


ヨ−ロッパに向けて成田空港を出発、大韓航空の成田での出発ゲートは34、KE001便15時25分発のソウル行き
この2つの理由でがあったので車を使用することにした。
しかし、これから初めてのヨーロッパ旅行に出るという気持ちの高まりで徹夜で車を運転する苦労なんか4人ともふっ飛んでいた。

当時、県庁の雰囲気が休暇を取って海外旅行に出ていくにはまだまだ硬い雰囲気であったために、農業試験場に勤務していた3名の職員がかなり心配していたが、当時の場長である宮内農業試験場長が快諾をして、この3名の休暇を許可してくれたばかりか、ヨーロッパ旅行の出発の前日には宮内農業試験場長が歓送会を開いてくれた。
大変ありがたいことであり感謝感激!!!
あの当時は1年に数名の県の職員が、しかも管理職が選ばれて海外旅行に出かけていた時代である。しかもその人たちが海外に出発する際には、仰々しい壮行会を行い、皆がこぞって餞別を出していたような海外旅行が珍しい時代であった。
成田空港からヨ−ロッパ旅行出発
本庁の係長が二週間も休暇を取って、よくまー海外旅行するものよと、驚きと非難と少し羨望の入り交じった言葉をかけられたものである。

10月13日(金) 松山から成田空港に向けて出発

10月13日いよいよ初めての海外旅行に出発する。
成田空港からの出発点、
関西空港がまだ出来上がっていないため、わざわざ東京の空港まで出ていかなければならなかった。
愛媛県職員4名で出発することになったが、
相談のうえ松山からは車で東京まで行くことにした。
経費の節約である。
5時に仕事は終わり、すぐ車に飛び乗った。北条、今治経由で東京向けて出発をした。
今治市に入ったあたりから、日が暮れてきた。
今治市から東予市までは広域農道を通り、料金が高いことで有名な県営の有料道路を経て、産業道路を西条、新居浜経由の海岸線を高速道路のインターがある土居まで突っ走っていた。
当時はこれが最も時間が短縮できるコースであった。
これからいよいよ徹夜の車の運転である。
四国の高速道はまだまだ完成にはほど遠い状況である。
愛媛県ではわずかに土居ー川之江間ができていたような状態で、しかしながら香川県は、愛媛の県境から弘法大師の生誕の地である善通寺まで開通したので非常に助かった。
善通寺から瀬戸大橋の架橋地点である坂出までは一般国道を通り、坂出から岡山県の児玉まで瀬戸大橋を渡った。
非常に高い通行料金で往復で10,000円かかる通行料金であった。しかしながら飛行機で東京ー松山往復するとなると料金は1人当たり40,000円としても、4名で160,000円の費用がかかることから、車に乗っていった方が大幅に安くなるという計算で、しかも、夕方に松山を出発して朝方には東京に到着するという時間的な計算と、ヨーロッパから日本に帰ってくる飛行機の到着時間が午後のかなり遅い時間帯であったので成田空港から羽田まで出るのに2時間ぐらいかかるため東京で1泊しなければならないような時間的な困難性があった

当時、海外旅行をするためには出発する際に東京で1泊、帰ってきてから東京で、さらに1泊して松山に帰ってくるのが当たり前のような非常に不便な状態であった。
現在関西空港ができたため四国に住んでいるわれわれにとっては非常に海外旅行が便利になったといえる。

ヨ−ロッパに向けて成田空港を出発

山陽自動車道はまだ出来上がっていなかったので、児島から岡山まで一時間もかかった。岡山からは県営のブルーハイウェイで備前まで、ここから部分的開通の山陽自動車道で相生市まで、ここから2号線で神戸まで、阪神高速経由西名阪自動車道経由25号名阪国道で、名古屋ヘまででて、ここから東名高速道路で、箱根にかかる頃に、やっと10月14日(土)夜が明けてきて、
御殿場にある足柄サービスエリアで、旅の疲れをとるため温泉に入浴し休息をとった。
首都高速の渋滞に遭いながら、東関東自動車道経由で昼前に成田空港に入ることができた。
ここで駐車場に車を預けることにしたが、駐車料金は安くはなかった。
現在は結構安いところがでてきているが・・・・・・・・・
飛行機の出発15:55の2時間前に航空券を発券するとのことなので、空港で休憩する事にした。
空港内はかなりな人で混雑をしていた。時間も余裕があったので空港内にあるいろいろな店を見学することにした。
やはり日本の玄関なのでいろいろな国から来日した人々を見ることになった。
印象的であったのはエールフランス航空のアテンダントがやはりヨーロッパから日本に寄港してきたところであろうか、いかにも疲れたといっった様子で、イスの上に伸びていたことである。
海外旅行の傷害保険に入っていた方がいいので空港にある海外旅行保険がかけれるコーナーで手続きをすることを仲間の人に進めた。


アラスカ上空 窓の外には 1面雪に覆われた見渡す限りの山並み景色が見えてきた
それと銀行であらかじめ円−ドル交換をしておいた。
ビザとマスターのカードを用意していたので、ショッピングは主にこの2つのカードで使うことにした。
2時間前になると、空港内にある団体受け付けコーナーで航空券の発券作業が行われる。
行ってみるといろいろな団体コースの名がずらっと看板が並んでいた。
やっとのことで私たちが該当する看板を探し求めて、そこで本日出発する大韓航空の航空券の発券手続きを受けた。
この団体コースはいわゆる格安航空券という特別に安い航空券を販売している。
やはり航空券の発券となると少し時間がかかるようで、ずらりと行列ができていた。

10月14日 アラスカのアンカレッジ空港到着
成田−ソウル間は約2時間ほどの飛行時間で、
そこで飛行機を降りる、漸次空港でヨーロッパ行きの飛行機の出発時間待ちをして、いよいよアラスカのアンカレッジに向けてソウルを出発することになった。そのころにはすでに日も暮れかけて、あたりが暗くなり始めていた。
ソウル空港では飛行機の時間待ちをするだけのために、空港の外に出ることはできなかった。
大韓航空の飛行機の中では飲み物はフリードリンク、つまみについても自由に提供してくれた。
出発するとすぐに夕食のメニューが回ってきて食事をすることになった。

アラスカのアンカレッジ空港到着

この航空券の発券手続きが済むと
いよいよ日本を出ていく出国手続きコーナー!
ここにも大変な行列ができていて、通過するのに30分間ぐらい時間を費やした。
いったん通過すると、そこは免税店舗がずらりと並んだ日本であって日本でないスペース。
なるほど、たばこも酒も値段を見ると非常に安い、
いろんな品物が販売されていた。
これから海外に出発することから、ここでお土産を買う気にはなれない。
われわれは店内の見物だけにとどめた。
まだ、出発までには時間が2時間弱、ゆっくりと見物をすることにした。
10月14日(土)大韓航空の成田での出発ゲートは34、
KE001便15時25分発のソウル行き。ソウル到着17:35、ここで、
19:40発KE901便にトランジット、パリには15日朝6:00の予定
いったんソウルまで飛んでいって、そこからヨーロッパ行きの飛行機に乗り換えるという非常に時間のかかるコース!
しかしながら、初めての海外旅行ということもあって、ソウルに寄ろうが、アラスカのアンカレッジに寄ろうが、全く苦にならなかった。
それよりも、これから未知なる世界ヘの旅立ちに胸がワクワクと期待に・・・・・・・・
それは他の3人も同様な心境であった。

アンカレッジ空港で2時間ほど休息

これから約7時間かけてアメリカのアンカレッジに飛んでいくわけで、飛行機内では映画が放映されていた。
座席は韓国人で占められており、よくまあこれだけ乗客は乗っているなあと感心するほど飛行機はいっぱいであった。
日付変更線に向けて進むために、アラスカに着くころには14日の夜が明け、また、14日の朝をむかえるわけであるが、飛行機の中の座席に座ったまま眠るということはなかなか難しい姿勢であるが、いつの間にか睡魔が襲ってきて目が覚めたときにはすでに飛行機の窓から、明るい外の景色が飛び込んできた。
アナウンサーでこれから軽い朝食を用意しますというふうな案内があった。

どうやら朝食を食べているうちに到着する時間になる。
海外旅行する時には航空券の発券をする場所で窓際の席を確保するように心掛けていたので、今回も窓際に座ることができた。
窓の外には 1面雪に覆われた景色が見えてきた。
見渡す限りの山並みが1面白い綿をかぶったような雪景色で覆われている。人は住んでいる気配は見る限り感じることはできなった。
間もなく空港に到着します。ここで2時間ほど休息をします。という案内があった。


アンカレッジ空港を基点の経過時間

アンカレッジ空港到着大韓航空
日付変更線を越えたために日にちは10月14日の午前中で、日本を出発したのは10月14日の午後である。1日得をしたということであろうか!!
窓の外に空港が見えてきた。
空港に到着するとまさにアメリカに入国したという感じ。ヨーロッパに到着するには、日本からこのをアラスカに来るのに要した時間数ぐらいの時間がさらに必要・・・・・・・・・


アンカレッジのダウンタウンと空港

ゲート前には、すでに大韓航空の美人スチュワーデスがずらりとイスに座って出発時間を待っていた。

出発時間を待っていた大韓航空の美人スチュワーデス

私たちの乗るゲート前には、すでに大韓航空の美人スチュワーデスがずらりとイスに座って出発時間を待っていた。
大韓航空のスチュワーデスの制服は非常に目立つ真っ赤な制服で、すらりとした美人をそろえていた。今回の海外旅行でわかったことであるが、ちょうどわれわれが夜で休む時間帯をスチュワーデスたちはソウルから起きてお客の接待をするわけである。
国際便スチュワーデスはなかなか労働環境が厳しい。
つまり日付変更線を飛んだりするたびに時間の観念というか、1日のリズムというものが変わり、非常に難しい職場環境であるということがよくわかった。

アラスカにあるアンカレッジ空港に寄港して油を補給して、それから北極経由で9時間ほどでヨーロッパヘ

空港の滑走路はきれいに雪が除雪されていて、たくさんの飛行機が並んで駐機していた。
アジアからヨーロッパ便はこの時はすべてこのアンカレッジ空港で、いったん休憩をしてからヨーロッパへ行くことになっていたために、離発着する飛行機が非常に多かった。
次から次へとアンカレッジ空港を離陸する飛行機が見えていたのが非常に印象的であった。
この時はヨーロッパに日本から行くためには、いったんアメリカのアラスカにあるアンカレッジ空港に寄港して油を補給して、それから北極経由でヨーロッパに入っていくのが主流のコースであった。
現在は日本からヨーロッパに行くにはロシアの上空を飛んでいくために非常に時間が短くて済むが、この時はアラスカ経由のヨーロッパ行きのために、とてつもなく時間がかかっていた。

遠く高いビルの尖塔がかすかに見えていたアンカレッジのダウンタウン、その向こうには雪で覆われた山並みがとり囲むように広がっていた。

アンカレジ空港にあるショッピングコ−ナ−とアラスカ紹介展示コ−ナ−

アンカレジ空港にあるショッピングコ−ナ−とアラスカ紹介展示コ−ナ−

空港内の休息室はこれまたたくさんの人々でごった返していた。店舗もたくさんあり、アメリカの特徴的な土産物が数多く販売されていた。
トイレに入るとまさにアメリカ的だなあ、という光景に出くわした。大便をするところが下が透けて見えるところである。したがって人が用を足しているところとそうでないところは外から一目瞭然に分かるようになっていた。
これにはしばし面食らったが、日本と違って、まさにアメリカらしい光景に出くわすことになった。

アメリカ、ヨ−ロッパ、アジアの要に位置する基幹空港!!!

アンカレジ空港の屋上に出てみようということになって、外に出てみると、日本の真冬ぐらいの寒さであろうか、10月の中旬であってもかなり寒い気候であった。
空港内のアナウンスはひっきりなしに何時何分に次の便が出発するから早く乗ってくれという案内が次次へとアナウンスされていた。
28エアラインの乗り入れ、国際線は10社、毎日375便が利発着するまさにアメリカ、ヨ−ロッパ、アジアの要に位置する基幹空港!!!
中には、まだ飛行機に乗っていない人を探すためにスチュワーデスが目の色を変えて探し回っている姿も見受けられた。
ここでを置き去りにしておくと大変なことになる・・・・・・

アンカレジ空港の屋上

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