10月16日朝8:00
ホテルをパリ環状線のインターヘ向けて出発出発時間がちょうど通勤時間に重なったので道路の両側に仕事にでる市民の姿がよく見受けられた。バスの停留所でバスが来るのを待っているパリの若者が写真に写っている。![]() 通勤時間にバスの停留所でバスが来るのを待っているパリの若者 パリは非常に地下鉄が発達しており交通手段としては地下鉄を使うと非常に便利であ。われわれはまずパリの環状線に乗ってベルギーへ向けて出発することになるが、とりあえずパリの環状線に乗ることが先決なので地図をよく調べながら環状線に乗るルートを調べた。 ![]() セーヌ川に沿って1番近くの環状線ヘ ホテルからセーヌ川に向かって車を走らせ、セーヌ川に沿って1番近くの環状線のインターから環状線に乗ることにした。朝の通勤時間のために車の流れはかなり混雑していた。 4車線道路であるが両側道路の側に車をずっと駐車してを止めているために実際に使えるのは2車線になっていた。 仕事場に通勤する人を見ながら徐々に車を進めていった。 |
![]() 4車線道路であるが両側道路の側に車をずっと駐車してを止めているために実際に使えるのは2車線になっていた。 | ||
![]() A1高速道路の制限速度は時速140キロであった。 |
A1高速道路に乗り換えベルギーヘパリの環状線は自動車専用道路であるが料金は無料であった。比較的問題もなくスムーズに環状線のインターからパリの環状線に乗ることができた。時速100キロ以上で車が走っていた。 車の右側にエッフェル塔をはじめとしたパリ中心街の建物を見ながら車を環状線に沿ってシャルルドゴール空港に向けて走っていった。 さすがにA1高速道路は大型トラックが頻繁に荷物を運搬して走っていた。国際路線である・・・・・ |
パリからベルギーのブリュッセルまでは368Kmー田園地帯をー事前に日本を出発するときに、フランスの道路地図を購入し取り寄せていて、この道路地図を見ながらベルギーに向けて車を走らせることにした。この道路地図によるとパリの中心街からはA 1道路に乗ると、ベルギーに行くことができると案内地図にあった。パリを含むイル・ド・フランス地方さらに19世紀の産業革命の中心地ピカルディー地方、イギリスへの玄関口でリール工業都市のあるノール地方を経てベルギーにこのA1国際道路は続いていた。 A1高速道路の制限速度は時速百四十キロであった。 現在はカレーからユーロトンネルがドーバー海峡を渡ってイギリスにつながっているが、ここはもともと織物産業や機械産業の工業都市である。 道路標識はわかりやすくこの道路標識番号は国を越えて統一されていた。 パリの環状線をA1高速道路に入ったころになると1面田園風景が広がり始めた。 天気も晴れて快晴であったために非常に快適なはドライブ日よりとなった。 |
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![]() パリの郊外、A1高速道路、快適なはドライブ日より どこからかいい匂いが・・・・・・・・・ 高速道路走っているとふと気がついた。高速道路の両端に柵がないのである。そのまま畑の中に歩いて入っていけるような構造になっている。つまり高速道路と畑の面が全く一緒なんである。そういえば、この高速道路は無料であった。従って日本の高速道路のように道の両側に人が入れないような垣根を設けていないのである。極端なことを言うと、農家の人が畑でトラクターを走らしていてそれをそのまま高速道路に乗り入れることが可能なのである。これにはいささか驚いた。やはり高速道路料金が無料なのでこういう構造になっているのであった。従って日本よりも高速道路の建設コストが格段に安くついているはずである。 |
匂いの原因は堆肥として畑に撒いて家畜の糞パリの郊外に出たのである。この地方は小麦、ジャガイモなど典型的な農業を主体とした地域である。それとともに車の外から家畜の糞の臭いが窓ガラス越しに車の中に入ってきた。 ヨーロッパは三圃農業を営んでおり、これは連作障害防止と土地を循環させながら土地の疲弊を防ぐように心掛けて栽培されているもので、堆肥として家畜の糞を1面に畑の上に撒いていた。 これがいい匂いとなって私たちの車の中に入ってきたものである。日本ではすでに人糞を畑にやるという習慣がなくなっており、化学肥料に変わってしまっていたため非常に驚きであった。 ヨーロッパの農業は非常に土を大事にしているというのがよくわかった。日本も見習わなければならない。 この車から見ると見渡す限りの田園地域の中に家畜が放し飼いにされて放牧されていた。 ![]() 匂いの原因は堆肥として家畜の糞を一面に畑の上に撒いていたためであった。・・・・とにかく臭い!!! |