そうか、私たちは旅芸人一座なんだ

製作経理  伊井野幸子

家族の映画を撮りたいという構想は、子どもが産まれる前からありました。妊娠、出産という過程を経て、私も監督である夫も心理的に大きな成長を遂げたと思います。女性は出産や授乳から、自然に母親としての自覚が芽生えるといわれていますが、男性の父親としての自覚は子どもとのコミュニケーションを通じてしか築くことができません。夫は、映画製作という自分流のコミュニケーションで子どもと向き合うことを選んだように思います。
 
映画の現場は苦労の連続でした。最初に彰が出演したのは9ヶ月の頃です。まだつかまり立ちしかできない子どもが映画に出演することなど無理な話です。当然、こちらが思うような演技をするはずもなく、フィルムだけが無駄に回りました。16mm映画はフィルムも現像代も恐ろしいほど高く、家計を圧迫する映画の製作費に胃が痛みました。撮影のために全ての準備を整えても、子どもの機嫌次第で1カットも撮れないことが当たり前のように続きました。それでも夫は妥協を許しません。誰よりも追い詰められていたであろう夫は、失敗をくりかえしながらも幼い息子と向き合いながら、本当に少しずつ映画を撮っていったのです。
 
現場は過酷でした。母親として耐え難い状況もありました。真夏の映画であるにもかかわらず、撮影は真冬にまでずれ込みました。窓を開け放った零度近い部屋で浴衣一枚しか着せずに撮影をするというのです。夜明けの撮影のため何度も何度も深夜に子どもを車に乗せ、遠い撮影現場へ向かいました。いくら映画のためとはいえ、幼い子にそこまでさせる親がどこにいるでしょうか。毛布で抱きしめながら、寒さに震えるわが子に申し訳無く思いました。けれども同時に夫も苦しんでいる。母であり監督の妻であり、そしてスタッフでもある私は、そんな葛藤の狭間でこの映画の意味を何度も自問自答しました。
 
これは家族の映画です。そしてそれを作ってきた私たちもまた、生まれたばかりの小さな家族です。映画が出来上がってこそ私たちも家族として完成するのではないかと思いました。映画をつくりながら夫婦が向き合い子どもの手をとり前へ進んでいくのです。そうか、私たちは旅芸人一座なんだ。つらい時も、楽しい時も一緒。その感動をカタチにしていることに大きな価値があるのです。
京都府出身 神奈川県在住 (本名)伴野幸子 監督の妻
立命館大学文学部卒業 大学在学中に夫と知り合い、スタッフとして幻燈舎映画に参加。6作品に関わる。うち3作品をプロデュース。本作では育児のため最前線を離れて製作経理を担当。現場では幼い息子のマネージャーとして奮闘。
○監督が夫でなかったら、現場からさっさと子どもを連れ帰ったでしょう。

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