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目次-更新履歴-4月下旬
2002年4月下旬の更新履歴

4/21 豆。

スーパーで、生の枝豆を見つけてビックリ。


ホントに枝状に生えてんのね、豆が。



「なるほど、だから“枝豆”っていうのか!」と妙に納得。





で、部屋に帰ってインターネットで調べたら、なおビックリ。


“枝豆”というのは品種名じゃなくて、大豆の若い頃の状態を指す言葉なんだそうな。


大豆ですよ、大豆。


俺ぁ、今まで枝豆が大豆だと知らんで食ってたんだなぁ…。





“知らないことを知る”ことは、単純に面白いんじゃないか。





面白い本を作る上でのこれからのキーワードになりそうな気がする。
4/23 入れるテーマ、外すテーマ。

昨日、TSUTAYAで、ターミネーター2“特別編”を借りてきまして。


この“特別編”というのはいわゆる、未公開映像を足して再編集されたもの。





僕が昔、レーザーディスクの本体と同時に買った、初めてのソフトが、ターミネーター2の“通常版”でして。



「カットされた16分の未公開映像!」の部分が気になって、借りてきたんです。







でね、見てビックリ。中盤あたりが、まったく違う印象の映画になってんの。





ドガドガのアクション映画が、“人間愛”と“家族愛”がテーマになってる。




もともとのストーリーはこんな感じ。

未来世界で、戦略防衛機械vs人間の全面戦争が勃発。機械が「人間側の指導者が成長する前に抹殺しておこう!」と、現代の世界へ送り込んだのが、液体金属製のターミネーター、T-1000


それを阻止しようと、未来の人間が送り込んだのが、前作でも出てきた、シュワルツェネッガー型ターミネーター


その二人が、街をめちゃくちゃにしながらドガドガ戦うのが、劇場公開時の本編。




で、“特別編”にはどんなシーンが追加されているのかというと…。


戦略防衛機械の開発者が、
休みの日にも家族をほっぽらかして、
コンピューターをプログラミング。

それを妻に説教されてしまうシーン。




ロボットであるターミネーターに、
主人公の少年が笑顔の作り方を教えるシーン。





その他、こまごまとした人間ドラマの部分が追加されてたんですよ。




たかだか16分のシーンを追加しただけで、ずいぶん印象は変わるもんだなぁと思ったんです。





ここで一つ疑問が。



なんで監督は、人間ドラマの部分をカットしていたのか?


もともと、“特別編”なんてものがなけりゃ、浮かびもしない疑問。




撮影前からちゃんとプランニングしていたからこそ、フィルムが残っているわけで。



編集段階で切ってしまった理由ってなんだろうな?と思うわけですよ。






たしかに、アクション映画として、ターミネーター2“特別編”をみれば、通常版よりテンポは悪くなってる。



“アクション映画としてのテンポ”と“中に含ませた人間ドラマ”


この両方を天秤にかけて、テンポの方を選んだ。




それは、「たいていの人は、同じ映画を一度しか見に行かない」というところにあるんじゃないかな、と。





アクション映画を見に来たお客さんは、アクションの部分のテンポが悪かったら、「つまんない映画だ」と、評価を下す。


一度面白くないと思ってしまったものを、わざわざもう一度見に行って、「アクションはテンポ悪いけど、いい人間ドラマがあるよ」なんて風には思わないわけで。





これが、カットした理由なんではないかなと。





だから、DVDやビデオなど、繰り返し見ることの出来るモノを出すときには、本来作るつもりだった形で再編集版を出す。



はじめはサラリと劇場で見てもらって、あとからビデオでコッテリ見直してもらう。



そんな風に考えてたのかもしれないなぁ…なんて思ったんです。





で、自分がフリーペーパーを作るときにも考えるわけですよ。


初めはサラリと軽く笑いながら読めて、なおかつ、読み込むほどに奥深いテーマがある。



フリーペーパーは、読んだらすぐに消えていくものじゃなく、手元に残せるものだから、あとから“特別編”なんてのを出さなくても、それを両立をさせられるんじゃないだろうか。



入れるテーマと、外すテーマ。



今、表に立たせるものと、裏にひそませるものを絞っております。
4/24 毒を制す知恵。

フグ料理について本気出して考えてみた。








フグを一番初めに食ったヤツは、たぶん毒にやられて死んだはず。



死んだ人が何も言い残さずにいたのなら、“ただの毒のある魚”扱いだったに違いない。


誰も食べようとは思わなかったはずだ。




では、なぜフグ料理なるものが存在するのか?




死ぬ間際にこう、言い残した奴がいたに違いない。





「毒があるけど、めっちゃ美味いでぇ…」






さて、ここから対決だ。人間の知恵vsフグの毒。





どうやって、この美味い魚を食うか。どこに毒があるのか。そもそも毒じゃない部分なんかあるのか。安全に食べる方法なんて、あるのか。自分だけ死ぬのが悔しいからウソを言っただけなんじゃないか?少しだけなら、死なないで済むのか?








何人もの死者がでたに違いない。



「内臓は食べたらあかんでぇ…」



「血液は飲んだらあかんでぇ…」などと言い残して。








「毒がある魚なんて、俺は食わねぇよ!」という人ばっかりだったなら、フグ料理はなかったわけだ。






実は自分はこの一年ほど、安全策ばっかり取りたがっていたんじゃないかと、フグ料理のことを考えて、思ったわけです。



そんな考えじゃこの先、美味い物は喰えん!、と。
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