カイセリヘの町の途中にある谷筋岩の森”デバレント”

カイセリヘの町の途中にある谷筋岩の森”デバレント”

ショッピングしている間に車が一台行方不明?


運転手にすればわれわれがここにショッピングしている間の時間帯に、ちょっとその友達を近くの場所まで送っていったみたいであるが、われわれがショッピングが早く終わって出てきたために、運転手の車が帰ってきていなかったわけである。
しばらく洞くつの前で待っていたであろうか、やっとその運転手の車が洞くつの前に戻ってきた。
そうすると我々を案内していたガイドがその運転手にかなりなけんまくで怒っていた。
それはそうであろう、仕事そっちのけで友達を送りに行ったのであるから、その運転手の非は明らかであった。
運転手の方も悪いと思ったのか盛んに誤っていたようである。
トルコ語なのでわれわれには分からなかっただ。
ここでガイドさんと運転手と仲間割れが起こっても困るので、もうそう怒こりなさんなということでわれわれが仲裁に入った。
トルコ人らしいのんびりした観光案内であったので、こんなこともおこったのである。
時間にしたらその運転手を待っていた時間も、10分間であろうかあるいは20分間であるか。

観光をここら辺で切り上げて、そろそろカイセリの町に帰ろう


いずれにしろ、出かけていた運転手がガイドさんに誤って一応のケリがついた。
大野美穂ちゃんも盛んに、あまり怒ったら私が許さないからといっていたのが印象的であった。
なかなか、目鼻立ちのスッキリした、背がすらりと高いトルコ人の運転手であった。
その後、西田さんも念願の焼き物のショッピングを終えることができたので、もうこれで満足だから、そろそろ帰ろうかといって、まだ観光場所が全部見終わってないのに、心はすでに空港に飛んでいっていたようであ。
時間もすでに夕刻になっていたし、周りも次第に暗くなってきたので、観光をここら辺で切り上げて、そろそろカイセリの町に帰ろうかと考えた。
ガイドは我々をまだカッパドキアの観光名所である地点に連れて行こうとして車をその方に運転して行っていたが、私は、もう時間もだいぶ遅くなったので、観光はこのぐらいで、切り替えてカイセリの町に引き返してくれとガイドに頼んだ。
岩の形がラクダとかいろいろな動物の形に似た姿が遠くから見てとれた。ー岩の森”デバレント”ー
2000年前に海の中にあったという、大小さまざまな白い岩が連なる岩の森”デバレント”

カイセリヘの町の途中にある谷筋岩の森”デバレント”



そうするとガイドさんは、観光名所がまだあるのだが、そこは見せなくてもいいかと確認の回答が返ってきた。
それはもうを省略してかまわないからカイセリの町に引き返して、そしてカイセリの町で一緒に夕食をとろうという話をした。カイセリに向かって車を方向転換し、ひたすらスピードを上げて走ることになった。
なかなかトルコの運転手は運転が荒っぽい。かなりのスピードで飛ばしている。
一般道であるが100キロは超していた。
途中われわれを2000年前に海の中にあったという、大小さまざまな白い岩が連なる岩の森”デバレント”に連れていってくれた。
ちょうどカイセリの町の途中にある谷筋である。
キリスト教徒が住んだあとがあるということであった。
岩の形がラクダとかいろいろな動物の形に似た姿が遠くから見てとれた。
ここもやはり凝灰岩の地質であった。
われわれが到着したときには、露店の土産物店がお店をたたみ始めていた。

2000年前に海の中にあったという、大小さまざまな白い岩が連なる岩の森”デバレント”

もう夕刻も迫っていたので、そろそろ切り上げをということで店をしまっていたのである。ここもひとつの観光ツアーの目玉の場所であったようである。
この場所を観光するころになると太陽はすでに沈み、残光の日が周辺を明るくしていただけであった。写真を撮るにも光の量がなく、苦労するというふうな状況であった。
ここからカイセリまでは約車で1時間の距離である。飛行機の出発時刻を考えると、食事なども一緒にとることを考えると、ちょうど今からカイセリに帰れば余裕を見てちょうどいい時間帯であろうと思われた。
観光に、ショッピングに、とにかく大変盛りだくさんの1日であった。カイセリまでの道路は真っ暗ヤミの中、ひたすら走ることになった。
路上の外灯もひとつもなく、対向車も非常に少なかった。
そのため我々の車の運転手も、かなりなもうスピードで車を走らせていた。日曜日は警察官が休みの日なので、捕まらないと言う論理のようであった。
到着したときには、露店の土産物店がお店をたたみ始めていた。

次へ
前に