エーゲ海一日クルーズ エギナ島出航、


港の1角に道路に面して作られているショッピングストリートの入り口に
バスが止まって、バスから全員降ろされた。

11.8(水) 光の女神として現在祭られて
いるアフェア神殿を後にして山を下りていった。


 この神殿ができたいわれとしては、1人の美しいニンフがクレタ島
ミノス王に束縛されるのを嫌ってエーゲ海に身を投げてしまう。
このニンフを祭る神殿として作られたものであるという美しい伝説が
紹介されていた。
だれのものにもなりたくないという自由を象徴する神殿である。
アフェアとは目に見えないという意味だそうで、目に見えない
光の女神として現在祭られている。
この遺跡の神殿をあとにするころになると太陽が地平線に沈み
夕やみが迫ってきていた。
観光客はバスに乗って次から次へと船が接岸している港に
向かって山を下りていった。
山並みを次々と乗り越えながら、バスの行列が何台も続く。
幸い対向車線から履行する車はあまり現れないのでせまい道
でも進行する苦労はあまりなかった。

港の1角に道路に面して作られている
ショッピングストリートの入り口に降ろされた。

車は通っていればすぐに渋滞が起きていたであろう。
港の方へ向かって降りて行く途中に中世時代にできたというキリスト教
の大きな教会があった。
ガイドの説明ではちょうど明日がこの教会のお祭りで全世界からこの
教会に明日集まってくるだろうというな説明をしていた。
キリスト教徒もひとつの宗派の総本山というような説明をしていった。
港に着いたころにはかなり暗くなりかけていた。
ちょうど1時間以上予定時刻よりオーバーしているような状況であった。
しかしわれわれは港の1角に道路に面して作られているショッピングス
トリートの入り口にバスが止まって、バスから全員下された。
このショッピングストリートを歩いてクルージング船が停泊している
ところまで歩いていってくれということであった。
どうやらわれわれにショッピングをしてほしいということらしい。

出航を待つクルージング船が停泊

のんびりした1日の終わりを象徴する港の風景

島の住民は港に面した道路に面して、思い思いに
椅子・テーブルを並べたりして、海を眺めながら1日の
の終わりを休息しながら楽しんでいる風景が見られた。


しかし、余裕の時間は30分ほどしか与えられなかったので、
単にショッピングストリートを歩いていくということで精いっぱいの
時間しかなかった。
1日の終わりが近づいており島の住民は港道路に面して、
思い思いに椅子を並べたり、テーブルを並べたりして、海を眺めながら1日の
仕事の終わりをゆっくり休息しながら楽しんでいる風景が見られた。
島の住民は海を眺めたり、そこで団欒にふけっていた。
非常にのんびりした1日の終わりを象徴する風景であった。
レストランの前にある道路に無造作に置かれている椅子やテーブルの前でも、
ここにも席を確保して思い思いの飲み物を飲みながら話にふけっていた。
1日の暮れゆく行く時間を楽しむといった様子であった。
レストランやいろいろな土産物店が港に並んでいたがなかなか中に入って
ショッピングを楽しむほど時間がなかった。
店の前を歩いて過ごしていくばかりであった。

船が出港するとすぐにショーがまた始まった。


とにかくサービスがいい。
外はすっかり日が落ちて暗くなっていた。
前方にアテネの方向にアテネの町の光が灯がついていた。
船の甲板の外に出て椅子に座ってこの夜の風景を見ながら風に当たっていると、
不思議にそれほど寒くない。
意外にこの地中海のクルージングの夜の気温は寒くなかった。
私の他にもたくさんのお客さんが甲板の上の椅子に座ってい夜景を
風に吹かれながら楽しんでいた。
船の帰る時間は十分に1時間以上の遅れが出ていた。
明日はギリシャのアテネを出発する日である。
西田さんが何とか今晩ショッピングをしたいと言っていたが、
このままでいくと夜の8時過ぎにアテネの町につきそうなので
ショッピングの店が開いていないのではないかと心配していた。
船のマイクの案内であと1時間ぐらいでアテネの港に帰港するということであった。

エギナ島の港の1角に道路に面して作られているショッピングス
トリートのみやげ物店


エギナ島の港の1角に道路に面して並ぶ露天のくだもの店

エギナ島の港の1角に道路に面して作られているショッピングストリート

桟橋から見たエギナ島の港の1角のショッピングストリートのみやげ物店

日本人の団体客を案内してきた女性添乗員とギリシャ談義をする


港への寄港時間は午後の7時ごろということであった。
夜のショッピングはなかなかきわどい時間となっていた。
また船内に降りていってギリシャの民族舞踊ショーを見に入って行くと、日本人の団体客を案内してきた添乗員が私のそばに座ってきた。
年齢は50歳を超えていた女性の添乗員であった。
他にもこの人の部下らしい女性の若い職員が2人ほどいたが、この50代の女性がいろいろ指示を出していたようである。
この添乗員さんお客さんへのサービスが行き届いていて、演劇を見ている日本人のお客さんのジュースなどの注文もわざわざ、船内でオープンしているバーなどに取り次いでいた。
ちょうどいい機会なので、ギリシャの生活の状況などについていろいろいろ質問をしてみた。
するとアテネの交通事情が非常に悪いということ、特に車の渋滞が激しくて交通マナーが非常に悪いっていうことを盛んに強調していた。
この人の話によると割合アバウトな性格であるらしいギリシャ人は。
そして、ギリシャ人は非常に食事に凝るということ。
また非常に日本人に対しては愛想がいいということ。
物価が安くて日本円の力があるということなどを話していた。

パレオ・ファリロ港帰港


この女性はギリシャのアテネに住んでいる人らしかった。
いわゆる旅行会社の現地の添乗員である。
このように海外に出ると、日本の女性が1人前の仕事をして活躍しているのを
見ると大変嬉しい限りである。
このような話をしているうちに船はアテネの港に到着したようである。
船内マイクで案内があり、皆さんが乗ってきたバスが港で待っているのでバスに
乗ってアテネの街まで帰ってくれということであった。
言われても困ってしまう。
私は乗ってきたバスがどういうバスであったか全く覚えていなかった。
これだけのクルージング乗客なので相当なバス台数が待っているはずである。
この中から探すのはまず不可能であった。
船が港に接岸すると、港にはずらりとバスの行列ができていた。
しかも行列ができているバスのところには街頭電気がついていなくて、バスの中の
電灯の明かりしか明るくなく、外は真っ暗な中で、この自分たちが乗ってきた
バスを探す乗客の列が延々と続いていた。
私も船を降りてこの行列の中でバスを探して歩き始めたが、やはり予想通り
自分が乗ってきたバスは全く皆目見当がつかなかった。
西田さんと一緒に歩いていたが同じように全く分からない様子であった。

前方にアテネの町の灯がついていた。

たくさんのお客さんが甲板の上の椅子に座ってい夜景を風に吹かれながら
楽しんでいた。

帰りのバスがわからない!!!


仕方がないのでバスの運転手にわれわれが泊まっているホテル名前を告げて、そのホテルによるかどうかを訪ね歩きながら、バスの行列を次々とめぐって行った。
そのうちの1台がわれわれが泊まっているホテルにもよるということだったので、そのバスに乗ることにした。
そのバスに乗ってみるとお客さんは欧米人がほとんどであった。
われわれがそのバスに乗ったころになると、次々とお客さんが戻ってきたバスがアテネの町の中に向かって出発を始めていた。
鶴井さんと大野さん1行がやはり同じようにバスを探しているはずなので、バスの窓から気をつけて彼らの1行探していたが、10分ぐらいすると暗闇の中を歩いてくる鶴井さんと大野さん1行が見つかった。
窓から合図をしてこのバスに乗るように案内をした。
やはり鶴井さん大野さん1行も、どのバスに乗っていいか分からなかったようであ。
ある程度人数がそろうとわれわれの乗っているバスも港から出発を始めた。
アテネの町の中に入ると最寄りのホテルでバスが泊まりながら乗客を降ろし始め。
やがてわれわれが宿泊しているホテルの前に来て止まってくれた。
下りたのはわれわれ6人だけであった。
時計を見るとすでに時刻は夜の8時を過ぎていた。
西田さんがなんとか最後のアテネの夜なのでショッピングをしたいので外に一緒に行ってくれというのでおつきあいすることにしたが、残念ながら夜の8時を過ぎていたのでほとんど店はしまっていた。
西田さんは大変残念そうにショップピングできないことを悔やんでいた。夕食がまだであったので、テイクアウェーの店で簡単な食事できるものを購入してホテルに帰ることにした。

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