シェラトン・ホテル GRANDE BRETAGNE からアテネ・エリニコン国際空港へ出発


車の渋滞が状態化している道Dionissiou Areopagitou 通りを町から空港へ

ギリシャでも最高の味のいいレストランGB Corner


いよいよ今日はアテネをあとにしてトルコに帰る日である。
朝食を食べに1階のレストランGB Cornerに降りていった。
このレストランGB Cornerは誠に朝食がおいしかった。
特にハムの味がいい。
アテネに3泊したが3日ともこのホテルのレストランで美味しい朝食が
食べたことは大変幸せであった。
あとでわかったことであるが、われわれが泊まっているホテルにはギリシャでも
最高の味のいいレストランが1階に開店していた。
このレストランはわれわれは結局朝食だけで利用するレストランとして
使用していたが、夜の本格的な料理はこのレストランで食べることはしなかった。
それほど味のいい有名なレストランであったならば、ぜひともこのレストランで
夕食をしておけばよかったと今も後悔をしている。
朝食を終わるとホテルのロビーで宿泊料金の精算を済ませて、ボーイに
タクシーを2台呼んでもらって空港に向かって出発することにした。
空港にはやはり2時間前に到着する必要があったので、
早めにシェラトン・ホテル GRANDE BRETAGNE を出発することにした。
相変わらず町から空港へ行く道は混雑をしていて車の
渋滞が日常化している様子であった。

車の渋滞が状態化している道を町から空港へ


こんなことで4年後オリンピックをアテネで開催することができるのかと
そんな話を車の中でしながら空港に向かって車が出発をした。
偶然にもわれわれが空港からレンタカーを借りてアテネの町に入って来た道と
全く同じ道Dionissiou Areopagitou 通りー Ath Diakou 通り 
ーVouliagmenis通り
 をこのタクシーの運転手さんは通行することになった。  
われわれがアテネに入ってきた道は正解であったということである。
とにかく道路網整備状況に応じて見てみると,
車の数が多過ぎるようであった。
このためアテネの街は日常的に車の渋滞が状態化しているようであった。
これではよほど4年後までに道路状況の整備を整えないとオリンピックなどは
まず開催は不可能のような状況に思われた。
それにホテルの数が少なすぎるような気がした。
世界でも有数の観光都市であるギリシャのアテネにしては
ホテルの数が少ないのである。
とてもこのようなホテルの宿泊容量ではオリンピックを開催するようなことは
不可能であると思われた。

車の渋滞が状態化している道 Ath Diakou 通りを町から空港へ

偶然にもわれわれが空港からレンタカーを借りてアテネの町に入って来た
道と全く同じ道をこのタクシーの運転手さんは通行することになった。


空港への道路標識もギリシャ語がほとんど

アテネ空港エリニコン国際空港東ターミナルへ到着、空港の前に庭が

車の渋滞が状態化している道Vouliagmenis通りを町から空港へ

エリニコン国際空港東ターミナルの出発ゲートへの進入道

エリニコン国際空港東ターミナルのトルコ航空カウンター、2時間前に到着
、われわれが一番乗りの鶴井さん、美穂ちゃん、めぐみちゃん、西田さん


エリニコン国際空港東ターミナルのトルコ航空カウンター

アテネの国際空港エリニコン国際空港東ターミナル
に到着したときには2時間前であった


アテネの国際空港エリニコン国際空港東ターミナルに到着したときには2時間前で
あったので、われわれがちょうど1番のりであった。
2時間前より少しまだ時間が前だったので、トルコ航空のカウンターは
まだ乗務員が集まっていなかった。
もっとも、空港の出発ゲートに入ったときに、トルコ航空のカウンターが
どこであるかは分からなかったが、空港の係員に訪ねて搭乗手続きの
カウンターを探し当てたような次第である。
ちょうど2時間前になると搭乗手続きカウンターがオープン、搭乗手続きを始めた。
われわれは6人が搭乗手続きを行ったが、この際にマイレージの
手続きを怠りなくすることにした。
トルコ航空のマイレージのカウントをしてもあまり使い道がないので、
わざとアメリカンエアラインのマイレージのカウントにわれわれはすることにしていた。

マイレージの手続きを怠りなくすることにした。


というのはアメリカンエアラインにしていると日本航空との
交換がきくことになる。
このため非常に利用範囲が広がるのである。
2,001年の3月までは日本航空は10,000マイルで航空券と
交換することになっているので、われわれはこれを狙って、
わざとアメリカエアラインでカウントすることにしていた。
2,001年の4月からはこれが15,000マイルにハネ上がるのである。
したがって、なにがなんでも日本とトルコ往復のカウントは
ほぼ10,000マイルちょっとであるために、2,001年の3月までに
日本航空との航空券を交換する必要があった。
日本航空で10,000マイルの航空券を交換するとわれわれが住んでいる
松山と東京の往復無料航空券と交換ということになる。
金額でいうと40,000円相当の航空券との交換である。
われわれがトルコ航空の日本とトルコとの航空券を購入した時の
料金は約100,000円であったために、これから40,000円差し引くと、
実質トルコまでの航空運賃は60,000円相当ということになる。
アテネ国際空港は非常にこぢんまりした空港であった。

アテネ空港エリニコン国際空港東ターミナル出発ゲートコーナー

次へ
前に