本の紹介

『オリンピックの汚れた貴族 −五輪招致合戦のダーティーな内幕−』
アンドリュー・ジェニングス著 野川春夫 訳
サイエンティスト社発行 2000円+税

小西 和人(大阪湾会議代表幹事)

 「オリンピックの汚れた貴族」というタイトルは、98年の長野オリンピックの直前
にサイエンティスト社から発行されたIOC告発の本のタイトルです。
 著者のアンドリュー・ジェニングスはイギリス人。BBCの調査担当記者を長く務め
た後、グラナダ・テレビで「ワールド・イン・アクション」を手がけるジャーナリスト
。スポーツ政治学から国際組織犯罪まで幅広い問題を取りあげ、ジャーナリストに与え
られる数々の賞を受賞しています。
 この本の中から、現在のIOCがどんな”化け物”か。長野オリンピックも「世界一
の大富豪、オリンピックを競り落とす」とわざわざ1章をたてて25ページにもわたっ
て、その内容を書いている本の一部を紹介してみます。
 本の紹介に先立って、IOCとは一体どんな組織なのか・・と、私がアッ気にとられ
た話を聞いて下さい。
 97年8月にJOCの投票で29票−17票でJOCの推す日本の2008年オリン
ピック候補都市が、横浜を破って大阪に決まりました。
 それを受けて大阪オリンピックを推進する側の「2008年大阪五輪に挑む討論会」
が97年12月10日、大阪市中央区のビジネスパークにあるMIDシアターで開かれ
ました。主催は日本経済新聞と関西経済人エコノミスト会議でした。
 私たち「いらない連」とは正反対の催しでしたが、日本に2人しかいないIOC委員
の猪谷千春さんの基調講演だけが聞きたくて出かけました。
 約1時間の基調講演のほとんど全ての時間を使って猪谷さんが力説したのは
 「普通の手段で招致活動をすれば、北京が出てきたら負ける公算が大です。いまオリ
ンピック、特にライバルの多い夏の大会を招致しようとすれば、まずIOC委員が事前
視察に来た場合、関空で普通の旅客と同じように通関させてはダメ。飛行機にタラップ
を横着けして、リムジンでそのまま入国するという国のVIPなみの待遇をすることが
必要です。だから今からでも関空や運輸省との交渉に入りなさい。それとIOC委員が
どこに投票するかを相談するのは夫人だけです。だから夫人は大切にすることです。I
OC委員が大阪に来るようなときは、すぐに私に連絡して下さい。他国からのIOC委
員がわざわざ来阪しているのに、日本のIOC委員が顔出ししなければ”日本の委員も
来ないんでは・・・”と、招致の熱意が疑われてしまいます。」と、とうとうとウラの
手口ばかり力説しました。
 これが日本のIOC委員の・”基調”講演でした。
 さて、「オリンピックの汚れた貴族」の13章が「世界一の大富豪、オリンピックを
競り落とす」と1998年の冬季オリンピック会場が長野に決定した1991年の前年
の90年からの招致合戦の醜い裏舞台を書いています。「世界一の大富豪」とはもちろ
ん西武の總帥の堤義明氏です。オリンピックは夏でも冬でも、開催の7年前のIOC総
会で、IOC委員全員の投票で開催都市を決めることになっています。そしてIOC委
員たちはその前年、つまり開催8年前に、立候補を表明している候補地の視察に出かけ
ます。
 長野オリンピックの場合は1991年6月、ロンドンのバーミンガムで開かれたIO
C総会で本命と言われたアメリカのソルトレイク・シティを46対44で破りました。
 その90年91年の長野の動きをこんな風に書いています。
 「1990年IOC委員が長野に乗り込んできた。彼らは堤の所有するホテルに泊ま
り動員された学生、企業の数千人の歓迎を受けた。この遠来の客は、温泉で寛ぎ、芸者
遊びをし(日本人記者によると)数百万円もする絵をプレゼントされたという。企業が
政治家にワイロを送る際の日本式”マネーロンダリング”というわけだ。サマランチも
バーミンガムの投票まであと1カ月と迫った1991年5月、90年についで再度来日
した。堤に五輪勲章を授与してから、天皇家が使っていたお召し列車をチャーターして
堤、長野県知事、長野市長らと長野へ向かった。道中、サマランチは堤に、ローザンヌ
にあるオリンピック博物館の莫大な赤字の援助を求めたという。サマランチの要求は1
300万ドルだったが、堤はこれを応諾して1000万ドルを西武グループが、他にも
17の大企業に声をかけて1社あたり100万ドルの拠出を求めたとされている。」
 長野はこんな風に世界中に紹介されていました。
 長野五輪の招致委員会の県、市の税金10億も含めた招致費用25億円の会計帳簿類
が破棄されてしまいました。
 五輪会場に決定してから設立する組織委員会は公的な法人格を義務づけられているが
、招致委員会とIOCは任意団体ですから、いくら贈り物をしようと豪勢な接待をしよ
うと、法的にはワイロにならないということで、帳簿を焼こうと破ろうと、勝手というわ
けです。
 とにかく、公にできないドロドロした招致合戦の裏舞台は、とても公表できるような
シロモノではないということです。
 これは長野に限った話ではなく、オリンピックに立候補して当選しようと考えた国な
ら、程度の差はあれ、似たりよったりのようです。
 2000年の夏のオリンピックに立候補し、シドニーに負けたベルリンも招致費用の
帳簿を破棄しています。
 第15章「IOCご一行様、続々とベルリンにご到着」というところで、こう書いて
います。
 「行き着くところまで行った感のある1992年大会の招致合戦に対する批判を受け
、さしものIOCも内規の見直しを迫られた。2000年の大会招致活動では委員の視
察は3日以内、贈り物は200ドル以下、二度以上同じ候補都市の訪問が禁じられた。と
ころが全くの空手形。半数以上の委員が候補都市をハシゴし、IOCはギネス・ブック
ものの”たかりグループ”と化していた。」(中略)
 「1993年4月、62人ものIOC委員がベルリンを訪れたが、内規を守った委員
はわずかで、滞在3日以内は12人で、1週間滞在した者も少なくなかった。2000
年大会の開催都市を決める投票がモナコで行われる6週間前にベルリンは少なくとも3
1人の委員を再び招待した。もちろん夫人、子供、友人、愛人もいっしょだ。2度出か
けてはいけないという作ったばかりのIOC内規など、どこ吹く風だ。この誘いに乗っ
た最低のたかり野郎はスーダンのZ・A・Gだった。彼は2人いる夫人の1人を連れて
、ホテルのミニバー、ルームサービス、洗濯、電話、レストラン代で3115マルク(
1マルク72円で約22万4000円)などツケで使い放題だった。」
 これで決戦(シドニー対北京)にも残れなかったベルリンは、招致費用などは公表で
きるはずもなく、長野同様に帳簿類はすべて破棄してしまいました。
 私たち「いらない連」も大阪市に「万が一、大阪五輪が実現したら、招致委員会の帳
簿類を破棄するようなことのないように法人格の招致委にしてほしい」など、まことに
情けない注文を出さなければならないお粗末なIOCです。

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