マイコンの歴史

それは電卓から始まった (1975年頃)

日本計算機と言う会社がありました。京都と大阪の間にあったこの会社は新幹線から見える所にありました。たくさんの種類の電卓を作っていたこの会社は、電卓の基本的な部分がほとんど変わらないのに気づきました。そして、演算の方式だけを変化させる方法を考え出したのです。

プログラムで機能を変化させ、時代の要求に応えようと考えた技術者が居ました。そしてどうやらその構想が軌道にのろうかと思う頃に会社がつぶれてしまいました。この頃、キャノン、立石電機(オムロン)などが電卓生産に乗り出してきて競争が激化したからです。さらに三洋とシャープが加わり、やがてカシオも電卓競争に加わって乱戦模様となって行きます。

日本計算機に居た島さんは、ICを注文したインテル社へ移籍する事になりました。この頃インテルはフェアチャイルドからスピンアウトしたメンバーで会社を作ったばかりでした。社員も約70名ほどの、とても小さなベンチャー企業だったのです。

アメリカはコンピュータ社会

電卓用のLSIを『マイクロコンピュータ』と銘々して売り出したら、大ヒットしました。この少し前からIBMが事務計算用のコンピュータを売り出していたので、この言葉は広く一般に浸透していたのです。

インテルは最初、電卓用だったために4ビットで作りました。4ビットで16種類の組み合わせがあるので数字を扱うには十分だったのです。(品名は4004) しかし、コンピュータは文字を扱います。そこで倍の8ビットの製品8008を作りました。
8ビット有ると256通りの組み合わせがありますからアルファベットと記号、それに数字などを扱えます。欧米のタイプライタは96文字でした。つまり7ビット(128通り)で十分でした。そこで残りの1ビットをパリティ(誤り検出)として使うことにしました。


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