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ゴールドコースト通信 
闘うGC日記 過去コラム集

ゴールドコーストにいる間に、色々なことが起こりました。2001年から2003年までの3年間の過去記事の抜粋です。

 おーじー、日本で闘う:京都旅行編

私達日本人が海外に行ってイチバン感じるのが文化の違い。これはおーじーにとっても同じ。
このセクションは友人のジョン君の日本旅行記です。

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その1: 到着日

at 2002 04/08

友達のジョン君が京都に2週間行ってきた。
第一印象は「みんな小さいね」である。彼は自称185cm(私には190cmはあると思われる)と長身であるためバスに乗っても電車に乗っても頭一つ飛び出るわけである。なるほど、昔の人々が西洋人のことを巨人と称していた事が今でも通用しているわけだ。

日本の通勤ラッシュはかなり彼を苦しめたらしい。ここGCには電車でのラッシュなど存在しない。バスもサーファーズ周辺で混んではいるものの、その数たるや日本の詰め込み量の半分くらいである。国土が22倍あるのだから土地だけはいくらでもあるので駅には広い駐車場がついているし、アパートにも一応駐車場はある(もちろんタダ)。日本では住まいから離れた場所に月1万円以上もだして駐車場を借りている人もいるんだと言ったら卒倒しそうになった。

彼はもともと私に鍛えられているため、和風おーじーである。箸の使い方はかなりの合格域に達しているし、好物はジャパニーズ・ピザ(お好み焼き)である。最近の好物はは酢豚だ。肉を醤油と酒で下味したものがお気に入り、なんともグルメである。

彼の予算が慎ましやかであったため(いや、私が日本の物価はAusの2倍以上だと脅したため)、彼がまず最初に向かったのは「回転寿司」。ナマ物も結構大丈夫なのでかたっぱしから試してみたそうだ。納豆巻きは相当気に入ったらしい。これは逆に私をうならせた。ふだんAusでは巻き物が主流なため、彼は「カリフォルニアロール」「トウキョウロール」がないかとそればかりを気にしていた。あるわけないだろ!それに不満があるどころか、彼は握りものに大変興味があったようで。

食事を済ませ一息入れに立ち寄った喫茶店ではアイスコーヒーにバカウケ。私はこれこそがカルチャーギャップではないかと思うのだが、おーじーアイスコーヒーはミルクコーヒーのうえにアイスクリーム、そのうえにまたクリーム、とそれはそれは胸焼けを一発でおこしそうなツワモノなのである。こちらでアイスコーヒーを注文するときは覚悟がひつようだ。

日本の「ただの」アイスコーヒーを目の前に彼は大感激。とくにガムシロップはあわよくば店の人に頼んでいくつかもらいたいという寸前までいったようだ。小さなミルクは彼には当然ものたりない。が、日本風にちょっとのミルクで飲むアイスコーヒーはそれはまたそれでオツなものである、ようだ。しっかし、ガムシロップごときでヒデキ感激♪しているようでは先が思いやられる。

我々は「高品質」「高級」の名の下に、ただ贅沢しているだけなのではないか、と若干思える節が日本にはたくさんある。「便利グッズ」は便利だがはたして生活必需品なのかどうか。はなはだ疑問である。

その2: 宿泊先

at 2002 04/08

ジョン君の宿泊先はAusでは「バッグパッカーズ」と呼ばれる簡易宿泊所。しかし、さすが京都、築100年以上の由緒正しき建物である。タタミフロアにフトーンを敷いて、寝袋のようだとコメントを吐き周囲からヒンシュクを買う。ここでは食事の世話はしていないため、全て外食で済ませることに。持って行ったベジマイト(パンに塗るペースト:Ausではアイコン的存在)は活躍しなかったらしい。

その宿は築100年以上ではあるがシャワーも設備されていて、外国人には良く知られた所のようである。Ausの習慣そのままに翌日6時に起床しシャワーを浴びて周囲のヒンシュクをまた買う。日本では主に夜に入浴することを彼は知らなかったのだ。

一日の疲れをとるために入浴する日本人感覚と汗を流すだけのシャワーを使うおーじー。日本でも朝シャンが流行したが、夜は湯船にどっぷり浸かって「うぇーい」とうなりたいものだろう。彼はその「うぇーい」のすばらしさを知らない。

彼の日本アドベンチャー(大袈裟だが彼は真顔でそう言っている)は翌日からえらい騒ぎとなる。

その3: 持ち物

at 2002 04/09

ジョン君が今回の旅行に際し持ち込んだものは海水パンツ、短パン、Tシャツ、そしてベジマイト。何の意味があったんだろうか。決してガセネタを吹き込んだわけではない。きちんと「日本はまだ寒いよ」を連発したのだが、「じゃぱにーず・スパ」(銭湯)に入りたいと言っていたので海水パンツはそのためか?

ガイド役を買ってでてくれたえみちゃんのために私からのお土産「TIM TUM FINGERS」(新製品 - Ausに来たらぜひご賞味されたし)をいれたはずが電話したらえみちゃんはそんなのもらってないと言う。あー、ジョン君食っちゃった!

日本語を覚える気のまったくない彼は過去に取った「日本文化」という科目の知識でなんとかなると思い私が渡した日本語会話集もどこぞのバッグの底に鎮座したままだったそう。おいおい、日本をなめんなよ、ほとんどの日本人は英語を喋らんのだよ。他の国とは違うんだ。

日本でやっとその異状事態に気づいたジョン君、もうえみちゃんにどっぷり頼みこんで全然喋らない。レストランでも喫茶店でも、アイスコーヒーすら。それは英語だから通じるっつーの。だから会話集持ち歩けって言ったでしょ。

防寒服をほとんど持っていなかった彼だったが一応薄手のセーター、トレーナー、それとなぜかカッパを持って行ったそうだ。しかし、これは大正解。風除けになるし、寒さよけになるし、雨よけにもなる。しかし、日本を甘く見ていた仕返しよろしく、ひどい風邪をひいてしまった。日本のコ○タックも彼には効かない。だから、薬は一通り持っていけって言ったでしょ。

最終日まで鼻水くしゃみ鼻詰まり咳、それから風邪から来る筋肉痛にいたるまで彼は日本の風薬にすべて書かれてある症状を体験できた。良かったね、ジョン君(えっ???)。

逆説しかり、こちらに来る時は日本の薬は一通り持ってきましょう。おーじーの薬に適応できるようになるまでは約1年半かかります(経験者は語る−作者談)。

その4: 街歩き

at 2002 04/09

ジョン君は結構怖がりというか騒ぎ屋であるというか良く言えばピュアなんだろうかはたまた心配症というか、そんな気性の持ち主である。したがってこの旅行はガイド役を買って出てくれたえみちゃんの計画そのまま、一遍の変更箇所もないまま進行されたわけである。せっかくAusじゃ有名なLonely Planet(ガイドブック)プリントアウトしてハイライトまで引いてやったのに。

以下はえみちゃんからのリポートを抜粋。
「今日は嵐山へいきました。始め、野々宮神社へ行ってそれから天龍寺で日本庭園を見て、法輪寺で十三参りの子供を見て、そこからかなり歩いて松尾大社で鎌倉時代に作られた蓬莱の庭を見ました。いっぱい写真を撮っていて一本目のフィルムがなくなりそうだそうです。湯豆腐を食べさせたのですがおいしかったと喜んでいました。」


はたしてジョン君はどれが野々宮神社でどれが天龍寺でどれが法輪寺でどれが松尾大社か現像された写真から判別できたのだろうか。英語版パンフレット+えみちゃんの特別仕様ガイドで一致させられるのだろうか。素朴な疑問である。

彼の報告によるとこの日はトーフを試して良かったとしかリポートされてない。食事日記をつけた方がよかったのではないか。

その5: 観光

at 2002 04/14

ジョン君は平等院鳳凰堂を見に行ったそうだがそれよりも桜が相当気に入ったようだ。あれこそ日本の代名詞、国花なんだぞ。

「風が吹くとすごいんだよ、Snowみたいだ、2週間も速く咲いたんだって、まるでボクに合わせてくれたみたいだ」

そうか、桜は雪のように見えるんだな、でもジョン君雪を生まれてこの方見た事ないらしい。???

えみちゃんより、「金閣寺でキーホルダーをジョナは購入して大喜びしています。」

これはさすがに面食らったらしい。Golden Templeだそうだから、彼には“金で出来た寺”なんだろうが実にそのとおりである。
「日本人は金持ちだ」という認識を彼はここで持ったという。なんでやねん。

さて、このジョン君これからまーちゃんのお宅にホームステイさせてもらうことになったのだが(3日間)これもまた大騒ぎとなったらしい。

その6:ホームステイ

at 2002 04/14

ジョン君はまーちゃんの家にわずかな期間だがホームステイさせてもらいこととなった。これは彼にとって今回の旅行のメインイベントだったそうである。

まーちゃんファミリーは神戸郊外に住んでおりパパ、ママ、グランマ(おばあちゃん)、ブラザー、そしてまーちゃんの5人家族である。

想像するに、このデカイわけのわからない外人を招待したまーちゃんファミリーの数日間は相当大変だったに違いない。彼らには外人を招待することは初めてのことらしく、家族会議が何度も開かれただろうと推察される。

ジョン君はまーちゃんの部屋で寝る事になったため、「女の子の部屋に寝泊りするなんて、まーちゃんパパはすごく僕の事を悪く思うに違いない、絶対にいい子でいないと駄目なんだ。」と固く心に誓いこの家を訪れたそうだ。

律義というかなんというか、この辺は「どこの馬の骨かわからない」という日本語表現を理解していると思われる。微笑ましいと感じるのは作者だけだろうか。

さて、まーちゃん宅で彼が夕食時に見たものは“テーブル一杯の食事”である。まーちゃんママが心尽くしのご馳走を用意してくれたらしい。彼の表現をそのまま引用すると、

「あんなに料理が沢山乗ったテーブルを見たのは初めて。それも僕のために。なんで日本人は誰だかわからない僕のためにそこまでしてくれるのだろう、僕はただ部屋の隅っこを借りて寝かせてもらえばいいと思っていたのに。オーストラリアとは全然違う。僕をゲストとして扱ってくれる。すごいすごい。このテーブルは絶対に忘れられない。」

「みんな一生懸命僕に話し掛けてくる。ああニホンゴもっと勉強しておけば良かった。まーちゃんママの料理は全部おいしい。いっぱい食べたいけど、がつがつしたらきっと嫌われてしまうだろう。あーまーちゃんパパのビールもおいしい。でも沢山飲んだら酔っ払って迷惑掛けるから一杯だけにしなくっちゃ。でも日本のビール本当においしいなあ。グランマは僕がなにを言っているのかきっとわからないのだろうけど一生懸命聞いてくれている。まーちゃんが一生懸命通訳してくれる。なんて優しい人達だろう。なんて暖かいファミリーだろう。」

最後になったがこのまーちゃんは私のネット友達で来年GCに留学に来る事になっている。彼女の留学成功のためにジョン君が「彼女がGCに来たら僕が彼女を助けるから絶対に大丈夫だ」とまーちゃんファミリーに誓ったのは言うまでもない。

次回はまーちゃんブラザーとまーちゃん自身について。

その7:友達

at 2002 04/14

旅先で色々な人と知り合いになるのはまったく楽しいことである。ましてそれが言葉の通じない国であったりすると。

私の友達のまーちゃんは大事な英語の試験(IELTS)を翌日に控えていたため、ジョン君の対処にさぞ気がかりであっただろう。しかしジョン君はIELTSがどんなに大変でどんなに大事な試験か良く知っていたので(私が脅しておいた)、まーちゃんに「僕の事は心配しなくていいから試験に集中するように」と言ったそうである。

確かにIELTSは留学のための最初のドアである。これを開かない限り留学への道はない。

ジョン君の印象は会話から「大丈夫だ」と確信していたようである。案の定まーちゃんは見事に大学から要求されていたスコアをクリアした。私も体験者だけにこれはエライことである。しかも訳のわからない外人をかかえながらの試験はさぞや大変だったに違いない。

さて、まーちゃんが試験に臨んでいる間、まーちゃんブラザーがジョン君の面倒を見てくれたらしい。このブラザー、なかなかのクールな若者で非常に彼に対してPolite(上品という意味ではなくきちんとrespectしてくれたということ:ちょっと英語的表現)だったそうだ。

ブラザーは彼の潜在的超一級コミュニケーション能力を大いに発揮し、言葉の壁など見事にぶち壊し、それはそれは楽しい時間をジョン君にくれたそうである。プリクラには驚愕し、日本のテクノロジーの進歩をなぜかそこに感じ、ジョン君はこのブラザーをひどく尊敬している。

彼曰く、「ブラザーはすごい、僕にはとても真似できない、もし僕が英語の離せない人をガイドすることになったらどうやってコミュニケーションできるか想像つかない。ブラザーとの時間は楽しかった。」

日本人も捨てたものではない。いや、これは彼のキャラクターからきたものかもしれない。まーちゃんブラザーは見事に親善大使となった。GCにいるワーホリやらなんやらの若者達もこうあってほしいものである。

かくしてジョン君はこのまーちゃんファミリーには「友達」として認めてもらえたと自負している。

その8:ホームステイ

at 2002 04/14

かくして短いながらもホームステイは無事?終了しジョン君は京都に戻ることとなる。

彼曰く、「もっと沢山いて一緒にご飯を作ったり生活を見たりしたかった」そうだ。いや、そんなに長くお世話になったら迷惑千万に違いない。だって無償のボランティアをしてくださったのだから。

通常観光客はホームステイなどなかなか体験出来ないものである。しかも一度も会っていないネット友達なのにまーちゃんは快く彼のホームステイを受入れ、家族を説得し、ジョン君を歓迎してくれた。インターネットの素晴らしさをここに豪語する作者である。まーちゃんは胃痛に悩まされていたそうだがこれは理解できる所である。さぞや大変だったに違いない。

別れ際にまーちゃんファミリーは彼に「オミヤゲ」をそれはそれは色々とくれたそうだ。ジョン君は日本文化の科目で「オミヤゲ」を知っていてそれがどんなに素晴らしいものかも知っていたのでものすごい感激したそうだ。

ジョン君はまーちゃんファミリーに、とりわけまーちゃんパパに「彼女の事は心配しないで応援してあげてください。大学での勉強とオーストラリアでの生活は大変だろうけど僕が彼女を助けます」という意味合いの言葉を送ったそうだ。それから「僕をステイさせてくれてありがとう、まーちゃんファミリーの親切は忘れない」といったことも言ったそうだが、まーちゃんパパが理解してくれてまーちゃんの留学を応援してくれれば作者もネット友達として本望である。

しかし、よっぽどジョン君はいい思いをしたに違いない、空港からの帰りの車の中ではほとんどこの話だったのだから。

その9:映画村

at 2002 04/21

京都に戻ったジョン君、風邪にも負けずに観光名所めぐり。GCにはない観覧車にも乗り、神社のお参り方法も教授され、うどんが好物と化し、安上がりな毎日。市内で「メルボルン」なる名前のオーストラリアン・レストランを発見しロブスターをほおばる。

さて、この旅行の第二のイベントである太秦の映画村。以前Lonely Wolf With Cub(子連れ狼)をSBSで見てからというもの、彼はサムライになりがったっていた。早速衣装を借りて写真が取れる場所に行き、品定め。カツラをつけ2刀流の剣士の格好をさせてもらった。2本とも抜いて写真を取りたがったらしいが、抜けるのは一本だけで、もう一本は鞘のみ。エライくやしかったそうだ。彼はオガミ・イットウになりたかったのである(はたして彼は2刀流だったか?)

衣装を着て撮影を終え出来上がった写真を見て大層御満悦だったようで。その写真見せてもらったが、なぜか松平健を思い浮かべたのは妙である。ガイジンは顔が濃いからなぁ。...ということは松平健は濃い?うん、私の中ではそうだ。

その10: 宿

at 2002 05/07

さて、今日はジョン君の泊まった宿について。築100年以上と言われるこの宿は安いので外国人には人気だそうで。しかしこの宿の主人の思惑とはいささか違った客層なのだそうだ。

おーじーの朝は早い。甘く見ちゃいかん、6時の起床ですら、「べつに普通」なのである。労働者にいたっては4時起きの6時出勤は当たり前、7時から仕事がスタートなんてのはざらである。もちろん終わるのも早くて3時頃だったりするんだけれど。

他の国はどうだか知らんが、朝起きてシャワー浴びて眠気をさまして云々、というのは日本では、じゃなかった、この宿では通用しない。「シャワーは朝10時以降にすること」というご丁寧な張り紙があったらしい。これに適応するのはまさしくジョン君である。普通民宿等で目にするのは「夜中の入浴はご遠慮下さい」の張り紙だと思うけど。

日本ではどちらかというと、一日の疲れを風呂でとる、というのが習慣だもんね、いまだに。

この宿は基本的に食事なしなのだが、トースターとか湯沸かしポットなどはあって軽食は各々取れるようになっている。ベジマイトを持参したジョン君、パンを買いに行ってびっくり。

なんと半斤しかないのにオーストラリアより高い値段で売られている!

こっちでは1斤(日本の2倍の量)で$2くらい(140円)なのである。エンゲル係数は晴れ上がる一方。これにはジョン君もいささか凹み気味だったらしい。

ここから先の「ガイジン」の定義は決して偏見ではないことを強調したい。むしろ微笑ましく彼らをそう称している。

彼らガイジンは基本的に日本に来ると超ビンボー生活をしている。これは日本人から見るとそうだが、彼らの貨幣基準で同じ事をしようとすると日本ではほとんど何もできない状態である。物価の高さは作者にとっても異状だとしか形容できない。どうやって慎ましく生活していけるのだろうか。米だってこちらでは10kgで1000円くらいである。

日本人は贅沢に慣れすぎている。

ここで一つ疑問に思う事があったのだが、彼らガイジンはなぜ、食費や交通費を削ってまで生活をきりつめる一方でビールは底無しになるほど買って飲んでいるんだろう。ビンボーだと自称するならビールを酔っ払うほど買う余裕などないはずなのだが。この量たるやとんでもないのである。日本人が大ビン1本飲んで「うぇーい」とうなっているのとは訳が違う。

私個人は日本人はもともとアルコールに対する酵素が体内にないため酒に弱いという説を信じているが、もっと簡潔にいえば「デカイからだにはそれ相当の量を流し込まないと酔っ払わない」ということなのだろうか。

いささか、めりはりのない今日の日記でどうも失礼。おまけに今日は結論もなし。

最終回、おーじーの京都旅行。

at 2002 05/17

最後に、ジョン君が受けたカルチャーショックは山ほどあったが、まとめてみるとこんな感じです。

まず飛行機の「ただいまの気温は7度です」のアナウンスには驚いた。日本の春は寒い。GCの冬以下だ。

食べ物はなんでも贅沢に出来ている。ストローは一々袋に入っている。喫茶店ではアイスコーヒーの違いに驚愕し、ガムシロップに感動。

お寺や神社はただただすごいだけだった。GCでは何百年などという古い建物はないからびっくり。

TV番組は面白かったらしい。日本語がわからなくても。カラオケを唄ってまちがえると失格になり、上から水がかかってくるとかいうゲームのやつを見たらしい。挑戦したいそうだ(でもどうやって?)。

日本人はみんな小さい、同じ髪の色、目の色、服装。とくに若い人達はみんな同じ格好。個性がない、という印象。でもちっちゃいからなんとなく可愛い。

なんでもかんでもお金がかかる。高い。なんでこんなに食べ物が高いんだろう。みんな金持ちだ。

街は一つの所に全部固めて作って在るみたいだ。コワイくらいに沢山のビル。一つ一つが小さくて狭い。きっと日本人が小さいからスペースがいらないのだろう。

ホームステイした家は最高。こっちの家と比べるともちろん小さいけれどとても機能的な家だった。家族の親密さはこっちよりすごい近い。みんなよくコミュニケーションを取っている。よく家族同士で話す。

日本人はお客さんの扱い方がものすごい。僕はお客さんではないと思っていたのにお客さんのように扱ってもらえた。すごく他人を尊重する。だれも僕の事を下に見ない。

日本は高いからもう行かれないし、住めないと思うけど、なんでこっちにいる日本人がみんな毎日ご馳走ばかり作っているかがわかる気がする。日本人達にはそれが普通の食事なんだ。野菜炒め一つにしても一杯の種類の野菜をいれる。おいしい。日本食大好き。お腹一杯になっても肉は少ししか入ってないからダイエットにいい。

銭湯は良かった。でもびっくり。みんなハダカだ。でもすごい気持ちよかった。みんな綺麗好きだ。帰る時はきちんと使った所を片づけてから帰る。GCに銭湯をつくりたい。

そんなに高くなければもっと沢山いたい、住んでみたい。

以上ジョン君からのコメントでした。

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