最近のいずみ

Last Update:2003/9/30

パートタイムアスリートいずみ 3年目に突入!! 


■2003年9月30日(火曜日)


ランで頑張る選手たち
 体育学校で近代五種の全日本選手権が開催された。全日本選手権といっても参加しているのは 警視庁と自衛隊だけ。この大会でアジア選手権の出場権が争われ、アテネオリンピックへと 繋がってゆく大事な大会だった。
 自分が特に応援している仲のいい選手は、先月一緒に練習をしている最中に肉離れに なり、やっと治ってきたところでの試合だったため、なかなか思うように体が動かなかった。 射撃、水泳、フェンシングが終わったところで11位。ランの3000mはスキーの複合と 同じ形式でスタートだったため、得点差がタイム差になり、トップの選手からスタートした。
 トップの警視庁の選手は、2位との得点差がかなりあり、そのままトップでゴールした。 2位、3位は体育学校の選手が入った。自分が応援していた選手は1人を抜いて10位だった。 ケガのこともあり、相当くやしそうで泣いていた。自分も悔しくて彼を見ていたら泣けてきた。
 明日は最終種目の馬術があるが、アジア選手権の代表は今日やった4種目のみで決定する ということで、ランのゴールで3位までに入った人が自動的に代表になった。5種目での 得点を争うのに、なんで4種目だけの得点で勝負が決まってしまうのか理解できなかった。 もし明日の馬術で逆転があったとしても、それは全日本選手権の結果であって、アジア選手権の 代表権とは何も関係がないというのはどう考えてもおかしい。陸上だったら10種競技 なのに9種目の合計得点で勝負がきまったり、400mリレーで300mまでの順位で 勝負を決めるようなもの。どういう考えでこうなったのだろうか?なんか納得がいかない。

■2003年9月29日(月曜日)
 昨日ベルリンマラソンでまたすごい記録が生まれた。男子のマラソン世界記録が また塗り替えられた。塗り替えたのはケニアのポール・テルガト。記録は2時間4分55秒。 1kmを3分よりも速いペースでずっと走っている。ペースメーカーだったサミー・コリル は1秒差でゴール。別にペースメーカーじゃなくてもいいんじゃなかと思えてくる。 このコリルは昨年の別府大分毎日マラソンの優勝者。こういう人でもペースメーカー として走らなければならないほど、ケニアの選手のレベルは高い。日本ではやっと 高岡選手が2時間6分台を出し世界のレベルに到達したと喜んでいたのに、あっという間に 世界のレベルは上がってゆく。何処まで行くのだろうか?

■2003年9月28日(日曜日)


800m決勝



3羽の鳩もお供に
 全日本実業団陸上2日目。800mに出場した。昨日は気持ちよく走れたので、 同じようにリラックスだけを心がけて走った。
 800mは予選が3組あり、上位2着と3着以降でタイムのいい人が2人決勝 に残れた。自分の組は菅野(体育学校)と中野(大塚製薬)の2人がいたので、 3着のタイム狙いで行くしかなかった。
 スタートから誰も先頭に出なかったため中野が仕方なく先頭に出て走り、 2番手に菅野、3番手が自分という展開で1周目を通過。先頭のタイムが58秒台。 2周目に入ってもペースは上がったが、順位は変わらず残り80mまでは上位の 2人について行けた。ひょっとして2着に入れるのではないかと大きな期待をしながら 走ったが、最後は2人に1秒ほど離され3着でゴール。タイムは1分54秒57。  他の2組から3着以降の決勝進出者が出たため、2年連続の予選落ちとなった。
 決勝は森が積極的にレースを引っ張ったが、550mで失速。2番手で走っていた 菅野が必死に逃げ、残り100mから中野がスパート、その後を鈴木(体育学校)が 追い、残り50mで逆転し、そのままゴール。社会人1年目で実業団チャンピオンに なった。体育学校では7年ぶりの優勝だった。
 自分は、久しぶりに上位の選手に食らいついて走れたので悔いはなく、今シーズン 最後のレースとしては満足できた。来年もまた頑張りたい。

■2003年9月27日(土曜日)


2周目



ゴール



ゴール直後
 全日本実業団陸上初日、1500mに出場。今年は3分57秒台でしか走れて いないため、最低でもシーズンベストを出して帰ることを考えていた。アップを した感じでは調子は悪くなかったので、とにかく上半身をリラックスさせて走る ことだけを考えてスタートした。
 1500mは2組タイムレース決勝で、自分は持ちタイムが遅い方の組だったが、 3分57秒を切るには充分な組だった。
 スタートが1レーンだったため、アウトレーンからスタートした人に囲まれ中盤 ぐらいで周りのペースに合わせて走った。1周目は62秒と放送では言っていた。 スタートからとにかく目線も定めず、ボーっとただリラックスを心がけて走って いたので、2周目以降はペースが判らなかった。
 残り300mくらいから先頭がペースをあげたため、集団が崩れ始め、落ちて くる人を一人ずつ拾って順位を上げた。残り100mで今年の関東選手権チャンピオンを 抜き、3番手に上がってそのままゴール。関東選手権の借りを返せたが、今勝っても 全く意味がない。タイムは3分53秒01。目標を達成し、来年の全日本実業団の 標準タイムも突破できた。
 2組目はヤクルトの辻くんが見事なスパートで1位。3分44秒09で総合1位と なった。2組目では体育学校の森と川上が走っていて、川上は自己ベストの 3分48秒41で8位、集団からおいて行かれ、ジョッグみたいに走っていた森は、 4分近くかかったように見えたが、3分52秒29だった。森には勝っていると 思っていたので、ショックだった。それだけ1組と2組のレベル差があった。 森は総合17位、自分は総合18位だった。

■2003年9月26日(金曜日)


桃太郎スタジアム



岡山城
 明日から全日本実業団ということで、今日から休みを取り、岡山入りした。 今回の会場は2年後の岡山国体のメインスタジアムとして使われる予定の 桃太郎スタジアム。
 最近は仕事の関係で、試合があっても会場に行くのが当日だったが、今回は 休みが取れて、前日から会場入りが出来た。レース前日の試合会場での最終 調整というのは、独特の雰囲気がある。いろんな選手が走っていて、とても ワクワクする。久しぶりこの雰囲気が味わえてうれしかった。
 最近の調子は悪く、どうしようもないと思ったので、今日は思い切って 300mを全力で走って、今までの動きを断ち切ろうとした。結果は36秒9で、 シーズンベスト。動きは良くなかったがタイムはまずまずだった。これで疲れて 明日以降走れなくなったらまずいが、走り終わった感じではそれ程疲れはなかった。 この調子で明日以降戦いたい。

■2003年9月25日(木曜日)
 島根では玄米が720キロ、京都では新米が660キロ盗難された。全国で昨年と同時期の 比では、件数が48%増、被害額は約80%増という。ということは、盗難の数が増えている だけで毎年、農作物の盗難は起こってるということになる。知らなかった。今年は、特に天候 不順の不作と不況が影響しているので、多くなっているだけ。盗難は今年になって 発生したことだと思っていたので、毎年盗難は普通に起きているということを知り、 何とも悲しい気分になった。日本のモラルは末期症状なのではないかと思った。

■2003年9月24日(水曜日)
   アンビバレンス練習会に参加。午後から雨が降り、夕方もずっと小雨が続いて いたため、行こうかどうしようかかなり葛藤したが、行かなければ、練習をやらなく なるため、とにかく出かけた。
 雨が降っていたため、織田フィールドはあまり人がいなかった。いつもは 人をかき分けて走るが、今日はその必要がなく、雨が降っているのを考えなければ 快適だった。
 メニューは600m×2、300m×2。ペースはそれ程速くないはずだったが、 600mは設定通りの1分30秒で走れず、2本とも1分31秒。2本目が終わった 直後に吐き気を催した。300mは2本とも設定より速くかったが、自分の感覚と 合わず、消化不良だった。試合前のコンディションとしてはあまりいい感じでは なかった。

■2003年9月23日(火曜日)
   2003スーパー陸上横浜が行われた。最近はスポンサーもつかなくなって、 テレビ放送も貧弱になってきた。一時期は午後はまるまるスーパー陸上の放送で、 夜の一番良い時間帯にメインレースがあったのに・・・あと以前はお客さんの 数ももっと多かったはず・・・でもTBSも少しは考えて放送しているなぁと思ったのは、 一応全種目を放送してくれたこと。一番見たい種目がハイライトでしか出なかったのは 残念。  今回は大会の運営がうまくいっていなかった。女子400mHでは8台目の ハードルの位置が違って、レースが不成立。男子100m決勝では、素人が見ても 明らかにフライングなのに、フライングを取らず、その選手が優勝してしまった。 信じられないミスが多かった。関係した選手は本当に気の毒だった。

■2003年9月22日(月曜日)
   週末はレースなのに、全く練習が出来ていない。全身に刺激を入れていないので サーキットトレーニングをした。まったく切れがなかった。練習をしたというよりも 疲労運動をしたというほうが正しいくらいだった。
 このまま終わってはまずいと思って最後に400mを2本走った。設定は60秒と 55秒だったが、設定通りに行かず。サーキットで良い感覚がなく、400mで 追い打ちをかけたようになった。

■2003年9月21日(日曜日)
   ニュースを見ていると、最近農作物の盗難のニュースが良く出る。特に 茨城や千葉で多い。しかも盗む量は半端でない。一人の人が出来心で 盗んでしまったという量ではなく、明らかに計画的で組織的に見える。
 都市では隣の人が何をしているのか知らない、会ったこともないというのが 当たり前になってきたが、地域のつながりが多いはずの農村ですら同じような 状況になってきたのかもしれない。自分のものは自分で守る。今のところ それしか手段はないのかなぁ・・・

■2003年9月20日(土曜日)
   今日から全自衛隊ハンドボール大会が体育学校で始まった。自分は役員ということで 出勤。仕事は特に忙しくなく、ハンドボールの試合を見ているか暇していることが多かった。
 全自衛隊大会とはいっても、たった17チーム。陸海空のチームが集っているはずだが、 航空自衛隊のチームは参加せず、全自衛隊の割には参加チームは少ない。海上自衛隊では ハンドボールが盛んで、海上自衛隊大会のほうが参加チームは多く、レベルも高いらしい。 男子の部、女子の部があるのかと思えば、男子ばかりで、たまに女性が男子に混じって プレーしていた。
 ハンドボールは授業で習ったくらいで、ルールも忘れていたが、試合を見て、少しは 思い出せた。

■2003年9月19日(金曜日)
   学生の15Kmロードレースがあった。自分も2月に同じコースで15Kmを走ったが、 2月とは気候が違った。気温は30度まで上がり湿度も意外とあり、暑かった。
 自分は学生の状況を見るという係りだったため、学生と一緒に走った。周回コース なので、途中でやめて、最後にまた走ればいいかなぁと思ったが、実際に学生と一緒に 走ってみると、途中でやめることで学生のやる気がそがれるような気がして、なかなか やめられず、けっきょく最後まで走りきってしまった。ペースはそれ程速くなかったが、 暑さもあってかなり疲れた。

■2003年9月18日(木曜日)
   筑波大学へ行く用事があり、筑波まで車で行った。今では自動車学校で高速教習が あるが、自分が通っていた時にはなかったので、今日が初めての高速道路運転。
 高速へ入って加速区間から本線に入るところが、後ろから来る車にぶつかるのでは ないかと思い、こわかった。
 運転中は、橋で風が強く、車が左右にぶれながら走っていたのがこわかった。また信号が 全くなく止まらないので、アクセルを踏む右足首が疲れた。
 帰りは暗くなり、もし疲れて運転していたら眠ってしまう可能性があると思った。
 高速道路の運転は、想像以上に危険が多く、緊張することが分かった。

■2003年9月17日(水曜日)
   アンビバレンス練習会に参加。今日は短距離の練習に入れてもらい、200m×7本。 短距離のペースは少し速く、7本とも25秒台。自分は5本目までは25秒台で行けたが、 残り2本は26秒台。800mの入りの200mのペースなので、ちょうどいい練習だった。
 アンビバレンスのメンバーでパリの世界陸上の放送をDVDにして実費で売ってくれる 人がいたので、売ってもらった。このDVDは不要なところはすべてカットしてある。 あのイライラする織田裕二の話している部分は全くないということで織田裕二完全カット版と いうキャッチコピーで希望者がたくさん集まった。

■2003年9月16日(火曜日)
   西武池袋線の列車がが大泉学園付近でトラックとぶつかり、脱線したという 事故があった。夕方、グラウンドに出て南の空を見たら、たくさんのヘリコプターが 大泉学園あたりで円を描きながら飛んでいた。何か事件があったのだろうと 思ったが、この事故だった。この脱線の影響でずっと電車は動かず、夜になっても 復旧しなかった。家に帰れない人がたくさんいたことだろう。
 妻はよくこういった列車の事故が関係して、帰るのが遅くなる。この前は、有楽町線が 止まって、地下鉄の線路を歩いて隣の駅まで行き、そこから歩いて東武東上線の駅へ 行きやっと帰ってきた。今回も事故の影響で有楽町線が動かないということで、 苦労して帰ってきたようだった。ご苦労様。

■2003年9月15日(月曜日)
   今日も朝から暑かった。家の中で動いているだけで大汗をかく。逆に外出して お店にはいるとクーラーが効きすぎて寒い。暑さと寒さの中間というところが ないので身体には辛い。地球の環境にも配慮して、もう少しクーラーの設定温度 を高くしてくれないかなぁと思った。

■2003年9月14日(日曜日)


第2組スタート



第2組ゴール



渡辺さんと
   自分のクラブチーム「アンビバレンス」の主催する「かわさき陸上競技フェスティバル」 に出場した。種目は招待男子800m。この大会は、昨年から開催され、陸上未経験の大人や 子供から国内のトップアスリートまでが参加する、他にはない大会で、スポーツをやっていない 人たちにスポーツの楽しさを知ってもらうことが目的。
 招待800mは2組あり、自分は1組目。2組目は日本選手権決勝に残った選手が6人も 参加した。
 1組目はアンビバレンスの松本さんがペースメーカーとして走ってくれ、1周目が53秒。 自分はたぶん54秒台。600mが1分22秒通過で、先頭は1分51秒24でゴール。 自分はスタート300mで腰が張りだし、あとは惰性で走っていた。ゴールは最下位で 1分56秒96。
 2組目もアンビバレンスの堀越さんがペースメーカーをつとめ、その後ろに日本ランキング 1位の笹野くん(富士通)が続き、400mではすでに笹野くんが先頭を走り、独走になっていた。 しかし前半頑張ったかわりに後半はひとりだけ失速。残り100mでは先頭争いが激しく 最後は中野くん(大塚製薬)が1分50秒46で優勝した。
 自分はあまりにも走れなくてショックだった。2週間後には全日本実業団が控えている。 少しでも前の選手との差を縮められるように頑張りたい。

■2003年9月13日(土曜日)
   とにかく暑かった。日本海側では台風が北海道に上陸するかもしれないらしい。 台風の影響でフェーン現象となり、新潟や富山では最高気温が37度を超えたという。
ところでフェーン現象ってなんだったかなぁ?と思って調べた。風が山脈を吹き越える時に  風下側で気温が上昇し乾燥することだだそうだ。フェーンとは、乾燥した熱風という 意味だった。ということは台風の風は太平洋側から吹いて乾燥熱風は日本海側へ 降りていったのか?
 先週くらいから急に暑くなった。夜暑くて眠れない日が続く。やっと夏になった。 でも朝方は結構涼しく、やっぱり秋なのかなぁとも思う。

■2003年9月12日(金曜日)


北朝鮮工作船



船にあった缶飯
   職員訓練という名目でお台場にある「船の科学館」へ行った。メインは2001年12月に 奄美大島沖に現れて、銃撃戦の末、沈没した北朝鮮のものと思われる工作船を見ること。
 お台場まではマイクロバスだったが、渋滞がひどく2時間以上かかり、それだけで疲れた。
 船の科学館は、メインの建物と、南極観測船宗谷と青函連絡船羊蹄丸の3カ所に分かれていた。 工作船はそれとは別にメインの建物の横に粗大ゴミのごとく置かれていた。しかも見るのは無料。 その割には、「この工作船の保存にご協力を」ということで募金箱が置いてあった。保存 するんだったら、ビニールのシートでもいいから屋根をつけるくらいすればいいのにと思った。
 メインの建物は、船の歴史や仕組み、役割などを説明した会場で、ビデオが多かった。 ビデオでの説明はとても分かり易く、のめり込めるのだが、時間がかかり過ぎて困った。 海上自衛隊のビデオもあって、ビデオの編集は新しく、大学の後輩が映っていてなんとなく うれしくなった。
 北朝鮮の工作船は、想像以上に大きく、スクリューの多さに驚いた。時速93キロも でるというのだから、普通の船じゃ追いつけない。漁船を改造して作ったものかと思っていたが、 船の形を見たら高速艇と同じような形で、改造ではなくわざわざ漁船に似せて作ってある ことが分かった。
 工作船に乗っていた器材などはほとんどが日本製。驚いたのは、自衛隊でも使っている、市販の 缶飯。朝鮮人民軍でも食料になっていた。あとジェイフォンの携帯電話。日本の暴力団と覚醒剤の 取引をするためのものだったらしい。
 日本に協力者がいるようでは、どうやっても北朝鮮の動きは止められないのではないかと思う。 どうしたらよいものか・・・

■2003年9月11日(木曜日)
   柔道世界選手権をテレビで見た。井上康生が5試合すべてで一本勝ちで優勝した。 しかも、オリンピック、世界選手権で16試合連続一本勝ちとなったという。見ていて 安心出来るし、身体の大きな外国選手を倒した時にはスッキリする。
 今日は、井上の他に3人の選手が出場して、100kg超級の棟田も判定勝ちで金メダル。 女子の阿武も4連覇、塚田が銀メダル。出場者全員がメダルを獲得し、アテネオリンピックの 出場枠をすべて獲得した。
 陸上競技であれば、世界選手権で日本人トップでメダルを獲得していれば、そのまま オリンピックの代表となれるが、柔道の場合は、世界選手権で国の出場枠を獲得し、 日本の国内選考会で勝ってやっと代表になれる。今回世界選手権で金メダルをとっていた としても、国内選考会で負ければ、オリンピックには出られない。それだけ日本の柔道の レベルは高いのだから仕方ないが、せっかく自分の獲得した出場枠を別の人に持って行かれる のはつらい。世界選手権が終わってホットしている間もなく、次の試合を視野に入れなければ ならなず、全く気が抜けないので大変なスポーツだと思う。

■2003年9月10日(水曜日)
   サッカー日本代表がセネガル代表と戦った。場所は新潟。交通には不便なところ なのに、観客は満員。陸上競技では考えられない観客の多さにうらやましく思った。
 ゲームは試合開始すぐにセネガルに得点され、そのまま1対0でセネガルの勝利。 セネガルは昨年のワールドカップベスト8の強豪。セネガルの選手は、身長は高く、 手足は長く、運動をするのには得な体型をしていた。
 後半は、日本が押し気味で試合を進めていたがシュートミスが多く、得点できなかった。 シュートミスを連続して見て、プロ選手も人間なんだなぁと思った。

■2003年9月9日(火曜日)


右下に火星
   夕方になると月がとてもきれいに見える。ついでに火星もきれいに見える。火星が 最も地球に接近してから日は経ったが、見た目には小さくなったようには見えず、十分 きれい。今日は、火星が月の斜め下に輝き、月にくっつくほくろのようだった。あと2日で 中秋の名月だと聞いた。小学校の頃は、お月見のときには、近所に生えていたススキを飾って、 団子を並べて月を見ていたが、最近はこういうことを考えたことなかった。こういう 季節の行事に関心をもつ余裕のある生活が出来ていないんだなぁと思った。

■2003年9月8日(月曜日)
   小学5年生を恐喝したとして19歳無職少女が逮捕された。このときは現金5万円を脅し取った 容疑で逮捕されたが、昨年秋から計四十数万円を同じ児童から脅し取っていたとみて、警察は 追及するという。
 その児童は脅される度に、1回、現金数百〜数千円を、親の財布から現金を抜き出して 容疑者に渡していたという。そして先月両親に被害を打ち明けて事件が発覚した。
 約1年間で40万円も財布から抜かれて親は気づかなかったのだろうか?親がそれだけ 子供とのコミュニケーションがなく、子供の変化に気がつかなかったのだろう。これで 気づかないくらいなら、容疑者が脅して取らなくても、子供が親の財布から少しずつ 抜き出して1年間に40万円も貯金ができていたことになる。意外と家計って節約できるのかも。

■2003年9月7日(日曜日)
   昨日夕方、近所のファミリーレストラン「サイゼリヤ」へ行き、夕食を食べた。 メニューに100円でドリンクが自由に飲めると書いてあったので、安いと思い、 ドリンク自由を注文して、貧乏性丸出しでいろいろ飲んだ。特にアイスコーヒーと ホットコーヒーを大量に飲んで、家に帰った。
 家に着いたのが昨日23時くらいで、寝たのが0時半。いつもなら、目を閉じれば すぐに眠れるのに、このときはなかなか眠れず、気がつけば2時。全く眠れなくて、 30分ほど本を読んで、また寝たが、まだまだ眠れず3時半を過ぎていた。
 コーヒーがこれほど眠気を左右するとは思わなかった。一般に眠い時に眠気を 取るためにコーヒーを飲むが、そんなに効いたことがなかった。大量に飲めば 効果てきめんであることを知った。
 朝、目が覚めたのは6時過ぎ。2時間半くらいしか寝ていない。目は痛いが、全然 眠くない。そして1日中、眠気はなかったが何となく具合が悪かった。これからは ドリンクフリーの時にはよく考えて飲むようにしようと反省した。

■2003年9月6日(土曜日)
   夕方から練習をした。初めは60分のジョッグで終わろうと思っていたが、 20分走ったところで辛くなり、ジョッグは終了。動きをかえてスピード練習を しようと思い、もも上げなどの動き作りをしているうちにだんだんやる気も出てきたため、 練習メニューを400m+300m+200mを2セットとした。
 昨日はまったく走れなかったが、今日は距離が短かったため我慢もでき、ほぼ設定タイム 通りに走れ、久しぶりに練習できたという満足感があった。まだまだレースのペースまでは スピードが上がっていないが、昨日よりは良い練習が出来た。

■2003年9月5日(金曜日)
   午前中に鹿沼から帰り、午後は休養で家に帰れた。昼寝をしたあと、陸上班の長距離の 練習に参加させてもらった。メニューは3000m+2000m+1000mを2セット。 タイム設定はそれぞれ9分、5分55秒、2分50秒。つなぎのジョッグが短く、自分に 練習をしていなかった自分にとっては強度が高かったので1セットだけにした。
 初めの3000mは残りの1000mで離れてしまい9分11秒。2000mはスタート 直後からついて行けず、6分36秒。ゴール直後に吐いた。次の1000mはスタートラインに 立てず、2セット目の3000mの途中1000mまで走ることにした。この1000mが 2分55秒。全く設定通りには行かなかった。
 2000mではジョッグに近いタイムでしか走れなかったのに、吐くくらい追い込んだ というのがショックだった。相当心肺機能も落ちている。来週から秋のレースが始まる。 かなり辛い結果がまっているかもしれない。

■2003年9月4日(木曜日)


キャンプファイアー
   鹿沼訓練も最後の日になり、学生は実際に山を走って障害を通過していく総合走路 に挑戦した。事前にコースを下見しているにもかかわらず道に迷う人もいておもしろかった。
 夜はキャンプファイアーを行い、最後はバーベキューで打ち上げをした。もうこれ以上 食べられないと言うほどしっかり食べた。もう当分肉はいらない。

■2003年9月3日(水曜日)
   オランダでは政府が大麻の販売が合法的に行われるようになったという記事を見た。 しかし誰にでも売ってくれると言うわけではなく、条件付きというものだった
 その条件は、ガンやエイズにかかっている人たち。痛みなどの緩和に使うのが目的。 モルヒネなどで痛みを緩和させるのと同じ。麻薬が合法的に手に入るというのは、 世界中を探してもなかなかないのではないかと思う。
 合法的に手にはいるようになったという記事はすごいなぁと思ったが、ヨーロッパ遠征に に行った時に、オランダではコーヒーショップで普通にマリファナを売っていたのを見た 覚えがあったので、あれ?っと思った。オランダでは嗜好品の一つで、すでに合法的なも のだと思っていた。街を歩いていても、コーヒーショップの近くを通ると普通に マリファナの臭いがしてきて、吸おうとしなくても自然に吸ってしまう。長い間コーヒー ショップの近くにいると具合が悪くなったりする。
 オランダは売春が公に認められていたり、ドラッグが合法になったり、国によって事情は 違うのだろうが、不思議な国だと思う。 

■2003年9月2日(火曜日)


筒井くんと
   学生の障害通過運動という授業で鹿沼の山へ訓練に行った。朝6時には出発して 8時頃には現地へ着き、すぐに訓練が始まった。
 山へ入っての障害通過というのは、自然の地形を利用して岩を登ったり降りたり 岩と岩をロープ伝いで渡ったりするもの。自分も昨年11月 に同じことを経験している。前回は学生という立場だったが今回は教官。
 役割としては岩をロープを使って降りるところの安全係。意外と学生は授業で やってきたことを忘れていたりして、注意することも多かった。一つ間違えば 命にかかわることもあるので、学生の動作を一つ一つ点検した。
 自分も学生の時は、こんなにいい加減だったのかなぁと思って反省した。

■2003年9月1日(月曜日)
   腰痛はやっと落ち着き、今日から練習。一人で走るのが辛いなぁと思っていたときに、 近代五種班がちょうどトラックで練習するというので、一緒に走らせてもらった。メニューは 400m×10。ペースが72秒だったので、余裕を持って走れた。久しぶりの練習 だったが、気持ちよく出来た。満足。



[昔のいずみ]