最近のいずみ

Last Update:2007/4/30

パートタイムアスリートいずみ 7年目に突入!! 


■2007年4月30日(月曜日)



 子供と官舎の目の前にある海へ潮干狩りに行った。潮が引く時間に合わせて 海岸へ行ってみると、すでに多くの家族連れが潮干狩りをしていた。
 潮干狩りは小学生以来なので、前にやったのは20年以上前。どうやって 潮干狩りをすればいいのかわからなかったが、とにかく砂を熊手でかいてみると、 小さいながらもアサリがたくさん出てきて驚いた。また、大きな石の裏にも かなりくっついていて、こんなところで生きているのかという新しい発見を したような気分になった。
 子供は、潮干狩りの意味がよくわかっていないので、こちらが砂や石を 掘り返すたびに、見つけたアサリをバケツに入れるように指示して協力させた。 しかしその集中力もそれほど続かず、最後は、砂で山を一緒に作ることになり、 山を作りつつこちらは、アサリを探した。
 1時間半くらいで、子供が帰りたいと言い出し、潮干狩りは終了した。考えて いたよりも多くのアサリが取れた。家族の2食分はまかなえそうだ。

■2007年4月29日(日曜日)


1500m(藤松:組で1着)



5000m(岡本:自己ベスト)
 日体大の記録会に出場。昨年度のベストタイムから考えると、もっとレベルの高い 組に入れるはずなのに、いつも一緒に走っているメンバーよりもタイムの低い組に 入れられていた。
 記録会なので、誰かが引っ張るだろうという考えが誰にでもあるようで、スタートから だれも先頭を引っ張らず、仕方なく自分が先頭を走った。こんな年寄りに先頭を走らせる な!!元気な若者が走れ!!と言いたい。
 200m通過が27秒2くらい。ホームストレートに入ってくると、先週ほどでは なかったが向かい風が強く、なかなか体が前に進まなかった。
 400m通過は、55秒6くらい。500mまでは、その勢いで走れたが、ホームストレート の風のダメージが大きかったようで、体が固まり始め、3番手に後退してしまった。
 600m通過は、1分25秒0。残りは、動かない体を必死に動かすだけ。全く前に進まず、 前の2人には追いつけず3位でゴール。タイムは1分56秒76。ジョッグが中心の練習しか してこなかったのだから、こんなものだろう。次のレースでは1分54秒台は狙えるのでは ないかと思った。
 防大の学生も2名出場し、それぞれ今の状態からすれば、まずまずの走りができていた。 来週は関東インカレ。自己ベストで上位に食い込んで欲しい。

■2007年4月28日(土曜日)
 ひげが生えてきた状態で子供に頬ずりをすると、痛いと言って 嫌がるが、「ひげ欲しい?」と聞くと、鼻の下のひげが欲しいと答える。 なんだかよくわからないが、親の真似がしたいらしい。
 「走るのが好き」と言っていたと妻から聞かされ、やっと父が やっていることを理解してくれたかと喜んだが、その直後車で走るのが 好きだと子供が言い直したことを聞かされがっかりした。
 明日も休みなのに、寝るときには、パパ明日も頑張ってねと言って 床につく。自分のこともよくわかっていないのに、父親に気を遣うとは なんとかわいいやつだと思う。

■2007年4月27日(金曜日)


決勝(先頭の3艇)
 学生のカッター競技会が行われた。16艇が出場し、4艇ごとに予選が 行われ、1着は決勝に進出でき、2着の艇は敗者復活戦に出場し1着に なると決勝へ進出できた。
 今年は、1000mを折り返す2000mの距離で争われた。今回のポイントは、 折り返す時のかいとう(回頭?)技術。大回りをせずいかに小回りで折り 返すかということ。かいとう技術の差で、大きく差が出るのでこの技術の 勝るチームがレースを優位に展開できるだろうと言われていた。確かに、 技術の差はあったが、結局スタートで先頭に出る艇が最も速かった。 かいとう技術よりも、櫂(かい:オールのこと)の動きがそろい、 うまく水を捉えることのできる艇が速いという当たり前の結果で順位が 決まってしまった。

■2007年4月26日(木曜日)
 海上自衛隊では、イージス艦の情報が外部に漏れるなど、防衛省では、 なかなか情報流出に歯止めができない状態が続いているため、情報流出 については、職場でも繰り返し注意が促されている。
 削除したはずのファイルがハードディスクのどこかに残っている 場合もあり、それが流出し、自分が意図せず行ったことでも処罰される。 インターネットに接続されたパソコンで文書を作り、保存をしておくから 面倒なことになる。それなら手書きに戻すしかない。手書きの時代は、 平和だったのだなぁと思う。今年度からは、職場のパソコンだけでなく、 自宅にある私有パソコンの点検も行われている。便利な世の中になった かもれないが、便利にしてくれるはずの道具に振り回される結果と なってしまった。

■2007年4月25日(水曜日)


美術館入り口



館内



人形たち



作品名「トラやん」
 横須賀美術館が4月28日のオープンを前に、開館記念内覧会が実施され、 地元の住人が招待された。この美術館が建てられる前は、桜が最高に きれいな公園で、横須賀へ転勤してきたら、真っ先にその桜を見に行こうと 思っていた。そして、その大きな桜の木の下で昼寝をすることをとても楽しみに していた。しかし、転勤してきてみると、公園はなくなり、美術館の建設現場と なっていて大きなショックを受けた。建設反対の署名も集められたようだが、 最終的に56億円という税金を使って作られたという話を聞いていたので、 どれほどのすばらしい美術館ができたのだろうか?という興味もあり、閉館直前の 20分という短い時間だったが、一通り展示を見てきた。
 入ってすぐの展示は、皮膚のただれた人や、乳ガンで乳房がなくなった人の 裸の写真が飾られ、あまり良い気分がしなかった。その後は、現代美術を 象徴するよくわからない絵や像が出てきて、惹かれるモノは1つもなかった。 キューピーちゃんにカツラをつけ宇宙服を着せたような人形が大量に並べられて いたり、壁をかじった跡がそのまま残され、かじっている写真が横に飾られた 「噛まれた角」という作品など全く理解できなかった。
 芸術を理解する感性がないからそんな風に感じるのかもしれないが、美術館の 完成を心待ちにし、昼間に見学に行った妻は、いくつかの像は見ていて気持ち悪く なり、作品に近づきたくなかったと言っていた。こんな展示なら、また 行ってみたいとは思わないというのが、妻と自分の結論だった。
 その他気になったのは、作品の近くでタダ座っている人(美術館の職員というか 監視の人)がとても多いことだった。人件費もかなりかかるのだろうと思った。 人件費だけでなく、美術館の維持管理、作品購入やレンタルなどに税金が使われ ている。あまり目玉となる作品もなく、初めは物珍しさでお客は来るかもしれないが、 熱が冷めれば、お客は殆ど来なくなるように思えた。
 美術館はいらないので、あのすばらしい桜返して欲しいというのが、美術館の展示を 見ての自分の結論だった。

■2007年4月24日(火曜日)


妖怪饅頭(鳥取土産)
 野球で特待制度や奨学金制度を設けている高校が問題になっている。その制度は、 日本学生野球憲章に違反しているらしい。私立のスポーツの強い学校では 当たり前の話で、進学校でも成績優秀者に対してよく行われているように思う。 野球ではルール違反ということで、違反した高校は、対外試合ができなくなったり している。これから本格的な調査が始まるようだが、強豪校を中心にかなりの 学校が違反になることが予想される。
 自分の才能で親の金銭的負担を軽くでき、親孝行ができるすばらしい制度だと 考えていたので、これがルール違反というのには驚いた。野球を除くスポーツ では、特待制度が認められるというのであれば、野球だけが周りから取り 残されていることになる。ルール違反をしたのは学校側で、その結果、試合には 出られないと言われても納得する生徒はいないのではないか?
 高校野球はクリーンだという思いこみが、今までこの制度を隠してきたのかも しれないし、見て見ぬふりをしてきたのかもしれない。この制度では、お金の ある学校が強くなるという問題があるが、ルール違反により、多くの プロ野球選手が育てられてきたと考えると、この制度を否定することができるのか どうかわからなくなってくる。

■2007年4月23日(月曜日)
 天気予報では、午後から天気は回復し、気温は20度近くまで上がると 言っていたので、薄着で出勤したが、午後になっても雨が降り出しそうな 曇り空で、夕方はかなり冷え込んできた。もう5月になるというのに、 なんでこんなに寒いのか?

■2007年4月22日(日曜日)


一般男子100m決勝
 川崎市選手権2日目。400mに出場。昨日の2本のレースで、股関節 周りやふくらはぎが筋肉痛になり、レースの負荷に耐えることができない 体になっていることがわかり、昨日のタイムと同様にショックを受けた。 風は、昨日と変わらずとても強く、ホームストレートもバックストレートも 向かい風だった。午前中の100mでは、風速がマイナス6m(/秒)と表示 される組もあった。
 400mは6組あり、1着と2着以降上位2名が決勝に進出できた。 8レーンでの出走だったため、必死に逃げるしかなく、スタートから 意識的にピッチを上げていくつもりだった。しかしスタートしてみると、 まったくピッチは上がらず、800mの1周目のような感覚で走っていた。 バックストレートの直線に入ってまもなく、7レーンの選手に抜かれて しまった。200mの通過は25秒1。後半は7レーンの選手に必死に ついていったが、最後まで抜き返すことはできず、転びそうになりながら 2着でゴールした。
 昨日のレース結果から、52秒台で走れれば、上出来だと考えていたが、 見事予想は的中し、タイムは52秒53。各組2着のタイムでは3番目となり、 決勝進出はならなかった。
 川崎陸協の登録者の5人に1人はアンビバレンスのメンバーということもあり、 多くの種目で優勝者が出た。特に男子100mでは、4人が決勝に残り、 1位から3位までを独占した。短距離は、100m、200m、4×100mR すべてに優勝し、400mでの優勝も期待されていたので、期待にこたえ られなかったのが残念だった。

■2007年4月21日(土曜日)


メダルと賞状
 川崎市選手権800mに出場。予選の前に、小学生の100mとリレーが あり、段取りが悪かったためか、出走予定時間から30分も遅れての開始となった。 フィンランド走ったレースで1時間 近く待ったこともあったので、それほど気にすることはなかったが、 役員は焦ったのではないかと思う。
 競技場は風が強く、予選を走ってみたところ、追い風は、第2コーナーの30m くらいしかなく、残りは、すべて向かい風という驚くべきコンディションだった。 特に、フィニッシュラインから50m手前までの風は、200mの予選の時に、 向かい風が4〜5m/秒あったくらい激しく、全く前に進まなかった。
 予選は、200mを27”6、400mを59”0で通過し、2分を切るのが 厳しいかなぁと思いながら残り1周に入った。600mは1’31”3、 フィニッシュは、2’04”73だった。スタートから誰もついてこなかったので、 独走だったが、ペースメーカーで走り2分を切れないことはあったが、自分の レースで2分を切れなかったのは、高校の時以来だったため相当なショックだった。
 予選開始時間が30分も遅れたので、決勝も予定より30分くらい遅れる のだろうと思っていたら、800mの予選後は、かなり余裕のある スケジュールだったため、すべて詰められた結果、決勝は、予定通りの時間と なってしまった。休憩時間が1時間もなかったため、練習だと思って走る しかなかった。
 決勝も、ほぼすべてが向かい風となり、ホームストレートは、全く 進まなかった。400mは、予選とほぼ同じ58”8で通過し、フィニッシュは 2’01”08だった。2位とは5秒以上の差がつき、独走だったが、 またしても2分が切れず、ますます落ち込む結果となった。しかし1位では、 あったので、賞状と選手権メダルがもらえた。
 明日は400m。厳しいコンディションかもしれないが、頑張りたい。

■2007年4月20日(金曜日)
 昨日からスパイクを履き始めた。サイパン合宿以来、2ヶ月近くスパイクを 履いていなかった。3月に寝込んで以来、なかなか練習を再開できず、 再開してもジョッグばかりで、3月下旬〜4月上旬の記録会にエントリーして いたものの1つも出場することがなかった。やっと少し速い動きができるようになり、 昨日は、600mを3本走り、1分30秒前後。今日は、2分ジョッグ+2分ダッシュを 10本やった後に、800mの1周目を想定した400mを走り、タイムは54秒5。 昨日の時点では、800mで2分が切れれば上出来だと思っていたが、今日の1本で、 1分55秒台を目指して走ろうという気になってきた。明日は、あまり張り切らず 気持ちよく走りたい。

■2007年4月19日(木曜日)
 子供と幼稚園での出来事について話をしてたときに、弁当を全部食べたと 話したので、良くできたねと褒めてやったが、妻が後から、トマトだけ 残して帰ってきたと教えてくれた。褒められたいからウソをいうのか、 トマトが目に入らず、トマトを除いてすべてを食べたから全部食べたと 言ったのか?子供は、最近ウソを言うことがちょくちょくある。そういう 年頃なのか?本当のことを話すというのはそれほど難しいことなのか? ウソを言われる度に、いろいろと考えてしまう。

■2007年4月18日(水曜日)
 寒い。雨が降って更に寒くなった。冬は、あれほど暖かかったのに、 今更帳尻あわせのように寒くなるとは・・・。
 職場の研究室は、北側にあり、日が当たらず、ストーブをたいても 全く暖かくならない。厚着するか、我慢するしかない。喉の痛みと耳の 痛みが相変わらず続き、朝晩が特に痛む。頭痛も時々発生する。なかなか 治らないのも、このおかしな気候のせいにしたくなる。あまり良い 精神状態ではないのかもしれない。

■2007年4月17日(火曜日)
 日経新聞で「ネットと文明」というテーマで特集が組まれている。 インターネットを利用する人の中でも、携帯電話だけですべてを済ませる ケータイ族と、パソコンを利用しているパソコン族が存在する。ケータイ族は、 メールを出せば、すぐに返事が来ると考え、パソコン族は、手紙の延長で、 すぐに返事が来るとは考えていない。それぞれ時間や表現方法に対する 感覚の違いが摩擦を招いているという。確かに、パソコンから携帯へ メールすると、すぐに返事が返ってくるが、その返事を見るのが次の日で あったりすることがよくある。それで苦情が来たことはないので、摩擦は 招いていないと自分では思っている。しかし、子供の頃から携帯電話が あった人たちからすれば、なんですぐに返事をくれないのか?という ことになり、何らかのトラブルが起こる可能性もある。道具として 使っているモノにどんどん振り回される時代になってきているように思う。

■2007年4月16日(月曜日)
 鉄人と呼ばれる長く競技を続けているトップアスリートには、いくつかの 共通点があり、それらは老化防止にも関係があるという内容の番組がNHK スペシャルで放送された。
 阪神の金本選手は、スクワットを中心に脚力を鍛え、横浜の工藤投手は、 股関節を鍛えていたが、老化防止には脚力と股関節が重要だということで、 膝を軽く曲げる自重のスクワットが紹介されていた。えっ、それだけ?と 思った。また、運動の時間をわざわざ作らなくても、電話をしているとき などにゴムチューブを引っ張れば運動ができると紹介されていた。仕事で 電話をしているときに、職場でゴムチューブを引っ張ることができるとは 考えられない。それならば、職場のイスをバランスボールにすれば、 いろいろな運動ができる。自分は、この3年ほど、職場のイスにはバランス ボールを使っているが、普通の職場ではなかなか理解が得られないような 気がする。
 食事についても、それぞれの選手は工夫し、抗酸化ビタミンを多く含む 食物を摂取しているということで、活性酸素というキーワードを聞いた ことのある人であれば誰もが知っている内容が紹介されていた。多くの 人は、わかっていてもできないから、あえて紹介したのだろうか?
 中高年の老化防止のために何をしたらいいのかという趣旨の番組で あったとすれば、トレーニングも栄養も具体的な方法の紹介はほとんどなく、 視聴者は何をしたらよいのかわからなかったのではないかと思う。 「あるある大辞典」をはじめとする民放の健康番組では、これを続ければ、 若返るという単純明快な内容で視聴者を引きつけていたが、こういう 単純明快さに慣らされてしまった結果、今日の放送を、物足りなく感じて しまったのかもしれない。この番組で参考になったのは、中高年のトレーニング には直接結びつかない、工藤投手の行っていた、いくつかの股関節 トレーニングくらいだった。

■2007年4月15日(日曜日)
 1日子供と接して、3歳児のパワーに圧倒された。
 午前中は、公園に行ったり、海へ散歩に行ったり、とにかく動き回った。 途中から自分は眠くなってしまったが、子供はずっと元気だった。
 昼食後、また外へ連れだそうと思っていたが、午前中よりもさらに 眠気が強くなったため、映画鑑賞ということで、子供とDVDを見て過ごした。 1時間も経たないうちに自分はダウン。子供は最後までDVDを見続け、 終わった後は、外に遊びに行こうと言われ眠っていたところをたたき 起こされた。子供の元気に完敗。この元気を発散させるには、幼稚園しか ないと思った。

■2007年4月14日(土曜日)
 高校生の学力は、改善しつつあるというという報告が文部科学省から出された。 しかし、学力テストと合わせて行われたアンケートでは、勉強が嫌いと答えた 生徒が7割で、1日の勉強時間が、全くまたはほとんどなしという生徒が4割近く もいた。これで学力が改善されたと言って喜べるのだろうか?
 高校時代は、勉強は嫌いではなかったが、家に帰ると食事をして寝るだけ だったような気がするので、このアンケートに答えた高校生たちと同じような ものだったのかもしれない。勉強嫌いが7割というのは、あまり好ましくない 結果で、この7割の生徒の何割かが、大学へ進学してくるとすれば、大学では 何をするつもりで進学してくるのだろうかと考えてしまう。今の状況からすれば、 大学は、勉強するための場所ではないということになりそうだ。

■2007年4月13日(金曜日)
 左後頭部痛は続き、さらに左の首も神経に触るような痛みが出てきた。 昼頃から、腹痛となり、立っているのが辛くなってきた。
 夜は、職場の先生たちが、自分の修士課程卒業祝いをしてくれた。 しゃぶしゃぶの食べ放題だったが、夜になっても腹痛は続いていたため、 あまり食べることはできなかった。時間が経つにつれ、後頭部痛も発生し、 腹痛と共に10分おきに痛みの波がやってきて、脂汗も出てくるようになり 具合がどんどん悪くなっていることがわかった。ビッグウェーブが来る度に 必死にこらえ、家に着く頃には、いくらか回復した。

■2007年4月12日(木曜日)
 朝、目が覚めたときから、喉の左側が痛く、左耳まで痛みがつながっていた。 午前中、左の後頭部が痛み出し、ずっと頭痛が続いた。先月寝込んだ際、最初に 異変に気がついたときの痛みと似ている。ひどくならないうちに寝た方がよさそうだ。 完全回復はいつになるのだろう?

■2006年4月11(水曜日)


みんなで
 体育学校で選手をしていた同時期に近代五種の選手をしていた同期たちと 飲む機会があった。全員が体育学校の選手を辞めてずいぶん経つが、それぞれが 運動を継続していた。今年は、夏に行われるオープンウォーター(海での遠泳)に 参加しようという話で盛り上がった。たまたま陸海空の自衛官が集まったので、 それぞれの職場の話もでき、陸海空の違いを知ることができた。このうちの 2人は、それぞれピッチャーでビールを注文し、それを飲み尽くし、その後 行ったラーメン屋でもつゆをすべて飲み干していた。相変わらず、すごい胃袋を していると思った。

■2007年4月10日(火曜日)
 高崎経済大で、強圧的指導により学生が自殺に追いやられたとして、 准教授が懲戒免職となった。課題が提出できなければ留年させる旨を 通告したということが問題になっているが、留年するかしないかは、 それぞれの学校の履修規則によって決まっているはずで、教官に 留年を決める権限があるのかどうかよくわからない。うちの学校 だったら、体育の単位が取れなければ即留年となってしまう。 課題がこなせず単位が取れないことが即留年というのが事実で あれば、それは強圧的指導ではなく、事実を述べただけという ことになる。必修科目の課題や試験で合格点が取れなければ 留年ということは、うちの学校ではよくある。課題がこなせない から自殺すると学生に言われた場合、教官は、自殺をさせない ために、課題が出せなかった場合でも単位は与えると言えば いいのか?課題を提出した他の学生たちには、どう説明すれば いいのか?
 今回懲戒免職となった教官は、別の学生にセクハラ発言があったと ニュースでは報道されていた。自分の発言の何がセクハラ発言と 取られるかわからない。異性の学生に話をするのにいちいち構えて 話さなければならない。体育の授業では、運動の補助で、体に 触れなければならない場面も出てくるが、そのたびに、本人に 確認しなければならない。なんでこんなに気疲れしなければ ならないのかと思うことがある。そういう世の中なのだから 仕方ないと言えば、それまでだが、なんだか不自然な感じがする。

■2007年4月9日(月曜日)
 子供が幼稚園へ通い出した。ずいぶん楽しかったようで、帰ってきた あと、母親に幼稚園での出来事をいろいろ話したようだ。幼稚園のバスに 乗るときに、母親から離れたくなくて泣く子供もいるようだが、うちの 子供は、泣いている子に、「大丈夫だよ」と励ましたと言っていたらしい。 本人の言っていることが本当かどうかわからないが、とにかく褒めてあげた。

■2007年4月8日(日曜日)


実技前の測定



実技



スピードを上げた測定



参加者
 フラット走法テックセミナーが尼崎であった。要するにランニングの講習会。 初めに、足の計測をし、その結果から足に合ったニューバランスのフラット走法 対応シューズが貸し出された。自分は普通の人よりも指が長く、幅が広いため、 計測から出された結果からだけでは、シューズが決まらず、いくつか 履いてみることで、やっと適当なシューズを見つけることができた。
 午前中は、龍谷大学の長谷川先生による、このシューズを開発するまでの 経緯や、フラット走法とはどんな走り方か?なぜ薦めるかという説明があった。
 午後からは実技。何も意識しない状態での走りを計測した後、フラット 走法に近づくためのドリルなどを行い、最後にフラット走法を意識したフォームでの 計測が行われた。計測は、ランニングをした20m区間タイム、歩数、歩幅、滞空時間、 接地動作などがあった。ランニングのドリルは、古典的なものが多かったが、意外と 意識を変えるだけで、新しい運動になることがわかった。自分の足が接地するときに、 自分の体がその上にのっている状態を意識できるようにする運動が中心だった。 ドリル前とドリル後で、接地に対する感覚の変化はあまりなかったが、ドリル後の 計測では、平均接地時間が短縮し、画像からは、踵接地からフラット接地へ変化 しているところがはっきりとわかり、自分の感覚の鈍さを認識した。
 自分は特別に、800mのランニングを意識したスピードでの計測もやってもらった。 その結果、左足が接地するときは、踵をつかない接地で、右足は、踵接地をしている ことがわかった。そして、1歩毎の速度を確認してみると、左足接地時は加速 しているが、右足接地時は、全く加速には貢献せず、逆に減速し、まさに足を 引っ張っている状況が作られていた。自分は均等に力が加わっていると思っていた のでこの結果は大きなショックだったが、改善点はいろいろとあることがわかり、 大きな収穫となった。

■2007年4月7日(土曜日)


お寺の入り口にて
 子供の入園式に行った。入園した幼稚園がお寺の幼稚園だったので、 入園式は、寺の本堂で行われたが、入園する子供とその家族が入るには 狭すぎ、とても窮屈な入園式だった。
 入園式後、子供たちは、それぞれのクラスへ行き、親は別の部屋で 入園後の生活についての説明会があった。このタイミングで親と子が別れる ことになるため、それを知った子供は、泣きそうな顔で必死で手を握って いたのが印象的だった。これから、幼稚園に慣れるまでは、毎朝幼稚園バスに 乗るときにこの光景を見ることになるのかもしれない。

■2007年4月6日(金曜日)
 1年生の体力測定があった。測定項目は、50m走、立ち幅跳び、ソフトボール投げ、 懸垂(女子は斜め懸垂)、1500m(女子は1000m)。自分は50m走のスターターと、 1500m走と1000m走の記録の読み上げをしていたので、直接記録を目にすることは なかったが、1500mや1000mの走りを見ていると、高校時代まで、熱心に運動を してきた人は、それほどいないように見えた。4年間で、彼らの体力が向上できる よう、工夫していかなければならない。

■2007年4月5日(木曜日)


入校式




観閲行進
 4月1日に着校した新1年生と研究科学生(大学院生)の入校式が行われた。 今日の入校式には、482人の1年生が宣誓を行い防衛大学校の学生となった。
 学校長は、防大教育のすばらしさというものをいくつか語られ、4年間の生活で 生涯の友が得られるということが最もすばらしいことだと締めくくられた。こういう 場での式辞は、別の人が文章を用意し、それを読む場合が多いが、学校長は、 自分の言葉で、丁寧にわかりやすく話され、とてもすばらしい内容だった。
 陸幕副長の祝辞では、「夏まで頑張れ!!」という一言があり、自分が 防大1年生の時に、部屋長だった4年生にこの一言で励まされ続けた結果、 夏まで頑張ることができ、さらに37年も自衛官をやってこられたという エピソードが語られた。とにかく「夏まで頑張れ!!」と強調された。
 入校式後、陸上競技場で観閲式が行われた。新入生は、ずっと動くことなく 先輩たちの行進を見ていた。3月まではここまで長い時間ジッとすることが なかったはず。結果としてかなりの忍耐が養われたかもしれない。観閲行進前 には、F-15が3機陸上競技場上空を飛び、日本一お金のかかった入校式で あることを改めて認識した。

■2007年4月4日(水曜日)
 NOVAの中途解約訴訟で判決が出され、NOVAの規定は違法となった。解約の自由を 認めるべきだという結論だった。
 入会時にレッスンのチケットを多く買うほど、1レッスンあたりの受講料が安くな るが、中途解約の時には、中途解約するまでに受講したレッスンの量によって、 返金の額が変わってくる。
 自分が一時期通っていたベルリッツでも同じ料金システムだった気がする。 チケットを大量に購入して1レッスンあたりのコストを下げたいと思ったが、 そのためには大金が必要だった。自分の持ち金分しか購入できず、あまり コストは下げられなかった。また継続するときに、同じように高い受講料を 払うしかなく、同じレッスンなのにその時お金を持っているか持っていないか で金額が変わってくるというのが、納得できなかった。ベルリッツの メソッドは、すばらしいと思ったが、お金が続かずやめてしまった。
 中途解約の返金で納得のいかない受講生は今までにもたくさんいたはずだが、 弁護士費用のことを考えると泣き寝入りするしかないという状況だったようだ。
 英会話学校やエステなど、NOVAと同じような料金システムを採用しているところは たくさんある。この業界は、人の失敗につけ込んで売り込む産業だという話を 聞いたことがあるが、1回や2回で変化の起こるものではないため、継続する 必要が出てくる。挫折する人も多いので、上手く宣伝すれば、隣の店の客を 横取りすることもできる。誰も失敗しなくなれば、この業界は成り立たなくなる。 今回の判決により、この料金システムを採用している業界はなんらかの対応が 迫られる。今後この業界がどうのような対応をするかに注目したい。

■2007年4月3日(火曜日)
 朝、子供が外の天気を見て、「もう夕方だね」と言った。子供にとっては、 薄暗ければ夕方なのだ。自分も妻も何を言っているんだという感じで、 「まだ朝だよ。さっき起きたばかりでしょ。」と答えたが、「夕方だよ。」 という返事が戻ってきた。彼には、まだ時間という概念はあまりなく、 外が明るければ朝、暗ければ夜という感覚のようだ。自分が感じるままの 感覚が子供にはある。いろいろな常識に縛られてしまった大人にはできない 発想だと思った。

■2007年4月2日(月曜日)


職場の桜
 NHKでは、テレビとラジオで東京都知事選の政見放送をやっている。この政見 放送は、立候補者がやりたいようにパフォーマンスし、それをそのまま放送している。 今日は、朝のラジオと夜のテレビで外山恒一という人の政見放送があり、たまたま どちらも聞いてしまった。
 内容がひどく、ただ目立ちたいから立候補したという雰囲気だった。話の最後は、 「我々には選挙なんか全然関係ない。選挙に当選するために、やけっぱちの一票を。 もし私に入れないのなら選挙になんか行くな!!どうせ世の中なんてかわらないんだよ!!」 と叫びながら終了した。本当に都民や都政のことを考えている人だが選挙に立候補 するわけではないのだ。公職選挙法に則り、立候補者の政見をそのまま放送したと いうことだが、本当にこれでいいのだろうかと思ってしまった。

■2007年4月1日(日曜日)


職場の桜




JR久里浜駅前の菜の花
 フジテレビで毎週日曜の朝放送される報道2001を見た。「特別来日!外交の 巨人キッシンジャーの警告」というタイトルで、若手外務官僚10名、若手 防衛官僚10名と、我が防衛大学校の3年生10名が参加した。安藤アナウンサーの 司会で、キッシンジャー氏の話を聞くことがメインだったが、所々で30名に 2択のアンケートを行い、気になる結果の時には、手を挙げた人に意見を 言ってもらうという形式で、番組は進んでいった。
「30年後、日本は核武装をしている?」「30年後もアメリカは日本に とって最も重要な国でアリ続ける?」というように、なぜか30年後の日本についての 質問が続いた。今と30年前ではコミュニケーションの方法が変わっていると キッシンジャー氏は述べていたが、30年前の人が30年後の変化は予測 できなかったのではないかと思う。今後は、ますます予測できなくなるような 気もする。そんな世の中で、自分たちの進んでいく先々を見据えて物事を 考えていかなければならないというのは、本当に大きな課題だと思った。 「青年は未来があるというだけで幸福である」というロシアの小説家の言葉が 最後に出てきたが、若者には、いくらでも自分で変えていく未来があり、 世の中に悲観的になる必要はないのだと思った。



[昔のいずみ]